ミカナギとトワの後に続いて入ってきたチアキが持っていたもの。
 それは、伊織が抱いているテラとそっくりな白猫だった。
 けれど、全く動くことはなく、チアキは泣きそうな顔でそれをミズキに差し出してきた。
 ミズキは状況を飲み込めずに、それを受け取り、手触りでようやく察した。
「これは……」
「ハーちゃんから……です」
 小さく搾り出すようなその声に、ミズキはそっと目を細め、眼鏡を掛け直した。
「チアちゃんも、疲れたろう。少し休んでおいで。……状況の説明は、ミカナギとトワに任せていいかな? 僕は……これに目を通したいから」
 それは……もう1週間も前の話だ。


第七節  親愛なる愚兄殿


 ロボットテラの背中を工具カッターで焼き切ると、内部は緻密な細工の金属で彩られていた。
 ミズキはその素晴らしい造りにしばし見惚れてしまったが、状況を思い出して、すぐにディスクを探した。
 こんな手の込んだことをするくらいだ。
 中身など、察しはついている。
 人工知能用のマイクロチップを発見する。
 だが、これではない。
 どこに入っている?
 ミズキは必死に思考を巡らせる。
 あの弟が隠しそうなところはどこだ?
 埋め込まれていることすら察しがつかないほど、ロボットテラの構造は把握するのも大変な形をしていた。
 ミカナギがミズキの様子に気が付いたのか、話している最中だというのに、ギシッとソファに体重を預けてこちらを向いた。
「ハズキが隠すんだとしたら、右脇のあたりだな。いっつも何か隠そうとする時はそこだったから」
 そう言われて、ミズキは言葉の通りにそこに触れた。
 確かに、何かを格納していると思しきボックスが外側からの手触りでもなんとか確認できた。
 工具を取り出して、器用に周囲の金属を取り外していく。
 取り外しながら、自身を恥じ入る気持ちが押し寄せていた。
 自分の弟なのに……自分は何ひとつ分かってやれていない。
 どんなにミカナギに懐いていたからといったって……自分は5年も彼と同じ部屋で過ごしていたというのに。
 子供の頃、他人に全く興味がなかった……というのは、言い訳にしかならないだろう。
「あったか?」
 何にも言わずに、それだけを尋ねてくるミカナギ。
 ミズキは静かに頷きを返した。
「ああ、あったよ。もう大丈夫だから、そっちのほうを頼む」
 いつもの飄々とした口調は出来ているだろうか?
 そんな疑問が浮かんだ。
「ミズキ、コーヒー、ここに置くね?」
 ようやく、大容量のディスクを取り出して、コンピュータに挿入したところに、天羽がコーヒーカップを持って、ちょこんと脇に来た。
 コトリと音がして、湯気を立てているコーヒーカップが置かれる。
 ミズキは優しく笑みを浮かべた。
「ああ……ありがとう、天羽」
 天羽は何を思ったのか、そっとミズキに顔を寄せて、柔らかい声で言った。
「知らないことがあるならね、これから知ればいいんだよ? 知らないことは、悪いことじゃ、ないんだから。知ろうとしないことが駄目なことなんだって。ニルどんが言ってたよ」
「天羽……」
 見透かされていたことに驚きを隠せず、ただミズキは天羽を正面から真っ直ぐ見つめることしか出来なかった。
 天羽はミズキの視線にきゃろんと笑って応えると、すぐにソファへと戻っていった。
 いつまでも子供だと思っていては……駄目なのかもしれない、な。
 ミズキの心にそんな言葉が浮かんだ。
 ディスクは自動再生方式になっていたのか、ミズキの操作なしで、テキストファイルが自動で開いた。
 ミズキは書き出しに目を通して、すぐにふっと口元を緩めてしまった。
 ……本当に、弟らしい書き出しだった。

『親愛なる愚兄殿

 このディスクには、私が苦労して集めた多くの極秘情報を保存してある。
 これを見て、どのように行動するかは、あなた自身にお任せする。
 私からの頼みは、1つだけだ。
 伊織の保護。
 伊織が実験体として捕らえられることがないよう、それだけ計らってくれれば、一応、私はあなたを蔑まない。』

 全く頼んでいるような言葉ではない。
 ……だが、それでいいのかもしれない。
 自分たち兄弟には、これくらいが丁度いい。
 ミズキはテキストファイルを閉じた。すると、テキストファイルを閉じた後に開かれるように設定されていたのか、ディスプレイをどんどんウィンドウが埋め尽くしていく。
 9つあるディスプレイを満杯にしても尚、全ウィンドウを見やすい形にするのが難しいほどだった。
 ミズキはポリポリと頭を掻く。
「これ、全部に目を通すの……?」
 少しばかり不機嫌な口調でそう言い、けれど、事態はそれどころではないから、すぐに姿勢を正した。
 一番最初に目に入ったのは、現在の外界の環境についてのデータだった。
 ミズキもある程度は把握していたつもりのものだったが、ハズキの作成したグラフを見て、少々表情を堅くした。
 人体汚染率が徐々に右肩上がりになっている。
 ハズキの推考では、このまま行くと100年かからずに人類は絶滅の危機を迎えるであろう、とあった。
 僅かに残っている数値は、プラント居住者の人口であることは、ミズキにもすぐに察しがついた。
 プラントの人間以外は……持たない?
 人体に蓄積されていく汚染物質が、時を経れば経るほど色濃くなっていくから……か?
 ……あとで、こちらでも取れる限りのサンプルを取るしかない。
 ミズキはカノウに視線を動かし、ふぅ……とため息を吐いた。
 人体が関わる問題は専門外だったとはいえ、ここまで詳細なデータを弟から叩きつけられると、自分の駄目っぷりを見せ付けられているようで、あまり気分のいいものではなかった。
 他には、虹の塔に関する情報。虹の構成物質に関して。破壊に必要と思われるエネルギー量。虹を破壊することで起こりうる弊害。天羽の撃退用ボイスの効率的な使用法。などがあった。
 とりあえずは、現時点で把握する必要性のありそうなものを選択して目を通していたが、どれを取っても、ハズキが先を急いで行動を起こした理由となるものはないように思われた。
 もっと緻密に作戦を練って、こちら側と手を組んで行動しても……十分だったように見える。
 ハズキが焦った理由……それがあるとすれば……。
 ミズキはそこでコーヒーをゴクリと飲み、クルリと椅子を回した。
 真剣に説明しているミカナギの背中。隣で静かに話を聞き、間違いのある部分はすぐに止めて冷静な声で修正するトワ。
 ミズキの願いは……ハズキの願いだ。
 ミズキは静かに目を細めた。


『親愛なる愚弟殿。
 不肖ながら、あなたの兄は、まずあなたを救出してからでなければ、事を動かせないことを知っています。
 これは1つの賭けでもあります。
 この状況になってしまった今、我らの愛する兄と姉が、心の中にどのような決意を秘めているか……それだけが不安だからです。
 それでも、止まるべきではありませんね。
 やることは1つです。
 ……私が望む望まざるに関わらず、戦わなければならない。
 出来るなら、何者も傷つけることなく、全てを終えられることを、願っています。』



「それでね、コルト。しばらく、お仕事はお休みにするから。他のエンジニアのみんなにもそう伝えてもらえるかな?」
 ミズキはニコニコ笑って、不服そうに口をへの字にしているコルトにそう言った。
 ここのところ、指示に来るはずのミズキがドタバタとあっちへ行ったりこっちへ行ったりを繰り返しており、それを怪訝に思うなと言われても、それは無理な相談だったのだろう。
 そのうえ、久しぶりに部屋に呼ばれてみれば、言われたことがこれ。
「お休みだから……何?」
「ん? だから、たまにはおうちに帰ったりだねー。ほら、コルトだってたまには遊びたいだろう?」
「帰るとこなんてねぇよ」
「へ?」
「お生憎様、アタシは、勘当同然で家をおんだされたんだよ。アンタと一緒に仕事してみたいって言ったらね」
「…………」
 ミズキはそこで目が点になってしまった。
「……そ、そんな話聞いてないよ!」
「言ってないもん」
「あ、あた、当たり前さぁ。言われたら、そんな無理して誘いやしなかったよ!」
 ミズキが回転が急激に鈍くなった思考回路をすぐにフル回転させて、そう叱り付けるように言うと、コルトは更に不機嫌そうな顔になった。
 可愛い顔なのだけれど、元々猫のように鋭い目つきをしているから、少々上目遣いで睨みつけられると、さしものミズキも少々怯んだ。
「とにかく、アタシはここに残るかんね。他の奴らだってそうだし。アンタが集めた奴らのほとんどは機械いじってないと駄目なやつばっかなんだからさ。……金貰いながら好きに機械いじりできるところなんて、アンタのところしかないもん」
「こ、コルト……コルトだけでも、……おうちに帰ってくれないかなぁ? ボルトさんには僕がきちんと謝るからさぁ」
 ミズキが珍しくご機嫌を取るような口調でそう言った。
 それに対して、コルトの表情は更に怖くなった。
「なんで?」
「女の子には危険なんだ……これから起こることは」
「天羽は? カノウだって、鈍そうだし危ないんじゃないの? 何があるかは知らないけど」
「へ? あ、あの子たちは大丈夫さぁ」
「ふぅん……」  ミズキの返答に、コルトは目を細めて床に視線を落とし、しばらく黙り込んだ。
 キュィィィン……とモーターの音が聞こえるくらい静かになって、ミズキは少々居心地悪く体を揺らした。
 コルトが機械いじり作業用に、邪魔な前髪を結っていたゴムを外した。
 綺麗なストレートの髪が、ふわりと額に乗る。
 そして、前髪越しにミズキを見据え、にっこり笑った。
 そこで、ミズキはほっと胸を撫で下ろせるかと思った……のだが。
「あの2人が大丈夫なら、アタシでも大丈夫だよ」
 その言葉にズルリと眼鏡が滑った。
「こ、ここここ、コルト!」
「……なに?」
「ほ、ほ、本気で怒るよ!」
「それはこっちの台詞だよ」
 ミズキの言葉に半ば舌打ち混じりでそう言うコルト。
 さすがガテン系に咲く一輪の花。
 肝の据わりようがその辺の男ども以上だ。
「他のエンジニアはいいけど、アタシは駄目? アタシは駄目だけど、あの鈍くさい天羽やカノウはいいの? 納得できるかぁっ!!」
 持っているゴムを床に投げつけてそう叫び、キッと気丈な眼差しを向けられた。
 綺麗な緑の瞳にミズキの動揺した顔が写っている。
 叫んだ後、急激にコルトの顔が赤らむ。
 ミズキは意味が分からずにただその様子を見つめるしかできなかった。
「ああもう……なんで、こんなチャランポランに……」
 悔しそうに小声で呟いて、ミズキの脇をすり抜け、タタタタッと逃げるように部屋を出て行ってしまった。
 ミズキは呆然とその様子を見送り、ポリポリと頭を掻いた。
 次にドアが開いたかと思うと、そこにはトワが立っていた。
「と、トワ……どうしたんだい?」
 トワはコルトが走り去っていったであろう方向を見つめて、小声で呟いた。
「変態……」
 その後、何も言うことなく、ドアが閉まり……トワはそのままどこかへ行ってしまったようだった。
「ちょ、ちょっと! トワ、何か用があったんじゃ……!!」
 バタバタと部屋を飛びだして、トワの背中を追いかけると、トワは振り返って長い髪を掻き上げると、もう一度静かに言った。
「ロリコン」
 その言葉にグサッと傷つくミズキ。
 傷ついている間にトワは今度こそどこかへ行ってしまった。
 なんで、罵られたのかいまいち分からずに、ミズキはその場にしゃがみこむ。
「……変態なのは認めるけど……僕はロリコンじゃないよぉ……」
 全く意趣違いの呟きを漏らして。



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