第八節  ほっこり片想い


「カンちゃん〜、いる〜?」
 呼び出し音がポンと鳴った後、そんな控えめな彼女の声がした。
 カノウはすぐにボタンを押して返答した。
「天羽ちゃん、どうしたの?」
「ちょっと、お話しに来ました」
「? あ、ああ、いいよ。どうぞ」
 いつでも、自分の心拍数ばかりが、彼女に反応してペースを上げる。
 どれだけ余裕を見せようとしても、自分には全く余裕がない。
 人差し指で丁寧にキーをタッチして、扉を開くと、ひょっこりと彼女が顔を見せた。
 カノウは作業中だったが、パサリと手近にあった布切れをそれに被せて微笑んだ。
「どうしたの? また、ミズキさんが忙しくて相手してくれないとか?」
「う……あ、あたしがまるでひどい人みたいな言い方だぁ。そんなんじゃないよぉ。カンちゃん、ほっとくと出てこないから声掛けに来たんじゃない」
「え? ……そんなに時間経った?」
「ほらねぇ……もう3日経ってるよ? だいじょぶ? また寝てないんじゃないの?」
 天羽が心配するように寄ってきて、カノウの顔を覗き込む。
 カノウは静かに彼女の顔を見上げたが、あまりにもマジマジ見つめられるので、すぐに恥ずかしくなって顔を背けた。
 まるで、母か姉のような気遣いが、嬉しいような悲しいような……複雑な気分だ。
「大丈夫だって。一週間くらいなら、ボク寝なくても行けるから」
「そゆ問題じゃないよぉ」
「どうして?」
「だって、カンちゃん、戦闘するほうについていくつもりなんでしょう?」
「……はは」
「笑って誤魔化さない」
 カノウが静かに笑うと、天羽は唇を尖らせてそんなことを言った。
 天羽はカノウの前の作業スペースに乗っている布切れに手を伸ばして、そっとめくった。
 そこには、ブーメランから変形して光線銃になるように改造中の武器がある。
 天羽に見られては困るもの。
 だって、彼女は……狭いところと空腹と、銃がとっても嫌いだから。
 本当は……銃ではなく、諍いや争いごと、全て嫌いなんだろうけれど。
 彼女はそんなことは全く口にせずに、現状を静かに見守っている。
「無理をするつもりなら、きちんと眠って、美味しいもの食べて、しっかり体作らないとダメだよ」
「天羽ちゃん……」
「あたしは、ここで待ってるから」
「…………」
「みんな無事に帰ってきて、みんなで笑い合える未来があるんだって……信じてるから」
「大袈裟だなぁ……大丈夫だよ、そんなに不安そうな顔しなくたって」
 天羽があまりにも不安そうな顔で言うので、カノウは安心させるように笑って優しい声で言った。
 けれど、その言葉に過剰に反応するように、天羽はキッとカノウを睨みつけてくる。
「大袈裟なんかじゃない」
 その声と眼差しの強さに気圧されて、カノウはくっと息を飲んだ。
「大袈裟じゃないよ……いつお別れが来て、いつ、誰がそこから消えてしまうのか、そんなの、誰にもわかんない。わかんないんだよ……カンちゃんだって、知ってるでしょ?」
 天羽は思い出すように遠くを見つめて苦しげに声を絞り出す。
 少しだけ、指が震えているのが見えた。
 カノウはそれを見つめて、察したように目を閉じた。
 彼女にとっての、傷。
 それは誰にも悟らせないように、奥底に秘めている傷。
 自分は発散するように怒りを口にして、悲しみを叫んだ。
 けれど、彼女はその横で悲しそうに目を細め、それでも、ニコニコ朗らかに笑っていた。
 すぐ傍にあったものが、簡単に消えてしまう悲しみを知っている。
 そして、それを招いたのは、自分自身の存在だったこと。
 それを知っても尚、彼女は静かに立ち続ける。
 それが、彼女の優しさと強さの源で……けれど、弱気になってしまう元凶でもある。
「……だったら、ミズキさんの傍にいなくちゃ」
「え?」
「ボクより、あの人のほうが絶対ドジだもん。そんなに心配するんなら、ミズキさんの傍にいたほうがいいよ?」
「…………」
 カノウの言葉に、驚いたように天羽は目を見開いて、その後、困ったように眉を寄せた。
 しばし沈黙が流れる。
 静かに、けれど、緩やかなテンポで回るモーターの音が耳に心地良い。
 言葉が出てこない天羽を見つめて、カノウは思い出したように口を開いた。
「そういえば、天羽ちゃんは伊織のことを許してあげてたね」
「え?」
「……すごいなぁって、感動した。ボクには無理。今でも、やっぱ無理」
「……あたしたちにはね?」
「うん……」
「創造主しか、理解者がいないんだ……」
 天羽は優しく、それでも寂しそうな声でそう言い、静かに俯いた。
「人間の遺伝子を元にして造られた、ヒトではなく、かといって、それ以外でもない、TG-M。同一であり、でも、同一であるからこそ、異形でしかない存在」
 カノウはその声にただ聞き入るように彼女を見上げるだけ。
「だから、創造してくれた人だけが、心の拠り所。はじめは、みんなそう。あたしも、お姉ちゃんも、お兄ちゃんも、いっくんも、……あの、氷っていう人も。存在を認めてもらえないのは辛い。悲しい。要らないなんて言われたら、耐えられない……。あたしは、恵まれてるんだ。今は、たくさん……たくさんの人に囲まれてる。お姉ちゃんとお兄ちゃんだって、対として存在して、そして、2人の価値を認めてくれる家族が、いるもの。……でも、いっくんには、ハズキさんしかいなかったんだよ。わかるもん。あたし、あの子と同じ状況だったら、同じことしたと思う」
 ミズキのあの時の言葉が過ぎった。
 伊織には、ハズキしかいないのだと、そう言われた。
 カノウは感情のままにそんなのは理由にならないと言ったけれど、彼女の声を通してそれを聞くと、自分がどれほど浅はかだったかを思い知らされる。
「天羽ちゃんは、そんなことしないよ」
「わかんないよ。どれだけ、寂しくて、どれだけ不安で、どれだけ怖いことなのか。それは、いっくんじゃなくちゃ、わかんない。周囲の秤で、考えちゃいけないことなんだって、思うんだ。おかげさまで、あたしは無事で、みんなも無事で。だったら、出来ることはひとつじゃない?」
「…………」
「許すこと」
 天羽はにっこり微笑んでそう言い、続ける。
「辛かったねって。だいじょぶだよって。あたしも、あなたの痛み知ってるから、一緒なんだよって。折角お友達になれるなら、なりたいもん」
 優しい笑みに、真っ直ぐな眼差し。
 カノウはただただ、彼女のその表情に見惚れてしまった。
「あたしは、優しい人になりたいんだ」
「天羽ちゃんは優しいよ」
「ううん。まだまだ、駄目だよ。あたし、カンちゃんみたいになりたいの」
「ボク?」
「うん。あたしを助けてくれた、カンちゃんみたいに、なりたいんだ」
 その言葉に、カノウはポカンと口を開ける。
 天羽は当然のように笑った。
「ほっこり、誰かの心を包みたい」
 どうして、この人は……こんなにも自分の心を締め付けるんだろう。
 切なさで、喉が苦しくなる。
 わかっていない。
 天羽はこんなにも、カノウの心を包んで、捉えて離さないのに。
 でも、決して、自分のこの想いはこの人には届くことがない。
 なんて、皮肉な話なんだろうか。
 カノウは目を閉じて俯き、けれど、少しばかり経ってからゆっくりと顔を上げて、優しく笑った。
「大丈夫」
「ふぇ?」
「天羽ちゃんは、もう、十分、色々な人の心を包んでるよ」
 それは本当のことで。
 その色々な人の中には、勿論自分も含まれていて。
 決して叶わぬ恋だとしてもいいやと、思わされるほど、心地良い温度。
 目の前の彼女は、とっても、とっても……罪な人だと思う。
 天羽がカノウを見つめて、ほんのり顔を赤らめた。
 何か言おうと、口を開きかける。
 ……が、ちょうどその時、天羽のポケットに入っていたトランシーバーが高らかに鳴った。
「ふわっ! あ、あ、は、はい。あもです!」
 驚きながらも、トランシーバーを取り出し、ボタンを押して、少々大きな声を出す。
「天羽ー、今何処だい? 一緒にお昼を食べる約束だったよね?」
「え、え、あ、も、もう、そんな時間?」
「うん。そんな時間さー。もう、アインスが準備してくれちゃってるから、早くおいで」
「あ、う、うん。すぐ行く。ごめんなさい」
「いや、いっつもすっぽかしているのは僕のほうだから謝ることはないよ」
「う、うん」
 天羽はカノウを気にするようにしながら、ミズキの言葉に返答し、ゆっくりと通信を切った。
「び、びびび、びっくりしたー」
「天羽ちゃんも持ってたんだ?」
「え、あ、一昨日専用を貰ったばっかりで……。だから、鳴るとびっくりしちゃうんだよね。あたしは、やっぱり、直で話すのが好きだなぁ。会いに行く間の時間とかも好きだし」
「そっか。天羽ちゃんらしいね」
「あはは。ハイテクの限りを尽くして造られたのに、おかしいよね」
「そんなことないよ。顔を見られるのは、嬉しいし」
 カノウは素直にそう言い、照れ隠しに頭を掻いた。
 きゅっとトランシーバーを握り締めながら、カノウの顔を覗き込むようにして口を開く天羽。
「カンちゃんも、いこ?」
「え?」
「ご飯、一緒に食べよ?」
「ミズキさんと約束してたんでしょ?」
「うん。そうだけど、カンちゃん、ご飯食べてないでしょ?」
「あとで、テキトーに食べるよ」
「連れ出しに来たのにぃ」
「だって、ミズキさんに睨まれるのやだもん」
「ミズキは睨んだりしないよぉ」
「そうかなぁ」
 天羽の言葉に、カノウはただ曖昧に笑った。
 すると、業を煮やしたように天羽がカノウの腕を掴んで引っ張った。
「ほぉら、行くよぉ」
「わわっ、何?」
「美味しいもの食べて、ちゃんと寝るの!」
「ボク、まだ作業中なんだって」
「一休み! 休み方を知らない人間は無能なんだってお兄ちゃんが言ってた!」
 小柄な女の子に引っ張られるままに立ち上がってしまった体の軽い自分に、少しばかり絶望の感情が湧き上がるが、少しむきになったような、世話焼きな彼女の表情を見て、つい噴出してしまった。
「なぁにぃ?」
「ううん、なんでも。ミズキファミリーのランチに招かれることにするよ」
「よし、最初からそう言えばいいんだよぉ」
「全く、天羽ちゃんには敵わないなぁ……」
「ふふっ。さ、ご飯ご飯♪ アイちゃんの愛情ご飯♪」
 天羽が朗らかに笑って、軽い足取りで部屋を出て行くので、カノウもそれに従うようにゆっくりと歩き出した。
 戦いの前の、少しばかりの穏やかな時。
 それを大事にしなくてはいけない時なのかもしれないと。
 そんな言葉を心で呟きながら。



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