第十三節  優しい日に出会うための戦い


 ビーッ。
 ビーッ。
 呼び出し音が鳴っている。
 トワは不機嫌な表情でそれを睨みつけ、応答もせずに頬杖をついた。
 ソファに腰掛けていた天羽はすぐに立ち上がって、トワの元へ歩み寄った。
 機械と相性のよろしくないチアキは、出来るだけコンピュータ関係には近づかないように配慮したのか、立ち上がる気配は見せなかった。
 ツヴァイが視線だけを天羽に向けて立っていた。
 ツヴァイは本当に微動だにしないので、只の人形のようだった。
 初めてアインスに会った時と同じような感覚なので、天羽はそれを懐かしく感じた。
「お、お姉ちゃん、ハウデルじゃないの?」
「だから?」
「出ないと……」
「なんで、私が……」
 ミカナギたちが出て行って1時間ほど経ち、落ち込んだ様子は見えなくなった。
 ……が、これはどう見てもふてくされている。
 本当にこの人は子供だ。
 天羽は仕方なく、光っている応答ボタンを押した。
「はいはーい?」
「天羽様ですか? ……トワ様は?」
「いるけど……。ミズキじゃなくて、お姉ちゃん?」
「ミズキ様に、何かあったらトワ様に連絡を……と言われましたので」
 ハウデルは子供の天羽に対しても丁寧な口調でそう言い、困ったようにため息を吐いた。
 なにやら、通信が時折乱れ、おかしな音が紛れる。
 感度がよくないのかと、天羽はおぼつかない手つきでコンピュータをいじくったが、改善することは出来なかった。
「お、お姉ちゃん、聞こえてたでしょう?」
「……ええ」
「出てあげてよ」
「ハウデル、用件は?」
 トワはこちらを向くことなく、ポツリとそんなことを言った。
 けれど、通信の向こう側が騒がしいのか、それとも通信が乱れているのか、そのトワの問いには回答がない。
 仕方ないので、トワがこちらを向いて、天羽に代わってコンピュータをいじくり始めた。
「妨害電波除去っと。ん? ……何この周波数……? ミズキ、どんな武器渡したのよ。通信の邪魔だわ……」
 トワは舌打ち混じりでそんなことを言いながらも、テキパキとディスプレイに映った数字を元に、コンソールをカチャカチャと叩いていく。
 そうして、あっという間に通信がクリアになった。
 天羽はその様子を横でポカンとした表情で見つめていた。
 こういうところを見せられると、やはり尊敬する姉がそこにいることを実感させられる。
「ハウデル、聞こえる?」
「あ、は、はい! 申し訳ありません。敵を排除しておりました」
「そう。怪我はない?」
「この程度の敵に遅れは取りません」
「そう。……で、用件は?」
 頼もしいハウデルの返事にトワはようやく笑みを漏らした。
「は。私一人ではどうにも4箇所の状況把握が難しい状態でして……できれば、トワ様にご助力願いたいんですが」
「助力って言っても……」
「そちらに情報を集め、指示を行っていただく形にしたいのですが」
「…………」
 トワはその言葉を聞いて、少々躊躇うように唇を噛んだ。
 現在、プラント内の電力の供給は完全にストップしている。
 いつもならば監視カメラから容易に確保出来る情報も、現在は通信で行うことでなんとかまかなえる状況だ。
 現場の状況を、集まる情報からのみ判断して指示を与えるというのは容易なことではない。
 指示ひとつで戦っている人間を危険に晒すことになるかもしれないのだ。
 そんなに簡単に頷けるはずはなかった。
 天羽はトワの横顔を見つめる。
 長い睫を伏せ、少々迷うように瞳を揺らすトワ。
「トワ様?」
「ああ、ごめんなさい。虫の居所が悪くて、頭の回転が良くないの。ちょっと待ってて」
「え、あ、は……はい」
 ハウデルの答えが聞こえると、トワはゆっくりと立ち上がってサロンの奥のキッチンへと入っていってしまった。
 天羽は頬杖をついて、その間ハウデルに話しかけてみた。
「ハウデル、本当に怪我とかないの?」
「今のところは大丈夫です。私が現在いるB地点の者も、大きな怪我はありません」
「そっかぁ……無理しないでね?」
 天羽は心配をそのまま声に出す。
 その声にハウデルは優しい声で応えてくれた。
「勿体無いお言葉です。けれど、無理をしなくてはならない時が、人にはあるものです」
「だけど……戦うことって、悲しいことだよ……」
「与えられた任務を果たすことが出来るのは、今この時なんです。そのためだけに、私は20年仕えてきました」
「…………」
「坊ちゃまの仰る通り、この戦いはエゴなのかもしれない。それでも……道理だけでは物事は語れないのです」
「それでも、あたしは……認め合って、生きていきたいよ……」
 天羽がポツリと言うと、ハウデルはしばしの間沈黙した。
 そして、再び優しい声。
「奥様と同じ事を仰るのですね」
「え?」
「それが天羽様の望みであるのならば、そのお気持ちを忘れないでください」
「ぁ、え……」
 天羽は返す言葉に困って、あわあわと口ごもる。
 その声がおかしかったのか、ハウデルが優しく笑う声が聞こえた。
 そうしていると、トワがツカツカとヒールの音をさせて、戻ってきた。
 片手にチョコレート。
 もう片方にクッキーの乗った皿。
 それをデスクに置いて腰掛ける。
「お、お姉ちゃん……?」
 トワはチョコレートの包みを開けて、パクリと口に放り込んだ。
「何?」
 少々もごもごしながらこちらを見るトワ。
 天羽はその様子に、目を丸くするしかない。
「ケーキもあったから、後で天羽持ってきてくれない?」
「え? え?」
「頭使うから甘いのが欲しいの」
「……あ、う、うん……」
 普段、ミズキが作業中に好んで食べているお菓子のストックだったはずだが、それをトワが食べているところを見るのは初めてだったので、天羽は完全に意表を突かれてしまった。
 頷く天羽を見て、トワは姿勢を正し、コンソールをものすごいスピードで叩き始めた。
 ディスプレイを見つめた状態で、ハウデルに話しかける。
「ハウデル」
「はい?」
「電力供給が絶たれる前の情報を今現在コンピュータに打ち込んでる」
「は」
「数分したらこちらから連絡する。A・B・C・D地点の状況報告をお願い」
「は……?」
「だから」
「はい」
「情報をまとめて、共有トランシーバに送信するように設定し直すから。そのために、現場の状況を教えて。わかったわね? 以上」
「あ」
 ハウデルが何か言いかけたが、そこでトワは通信をプツリと切り、そのままコンソールを叩き続ける。
 天羽はトワの表情を見て、ようやく彼女がいつもの彼女に戻ったことを感じ取って笑顔になる。
「お姉ちゃん」
「何?」
 天羽の声にトワは手を止めてこちらを見た。
「やる気になった?」
 天羽の声に、トワは唇を尖らせ、ふっと笑った。
「やるしかないでしょう?」
 その言葉と共に、トワはクッキーを摘んでくわえると、持ってきていた濡れタオルで手を拭いてから作業を再開した。
 天羽はチョコの包みを二つ取って、ソファに戻った。
 チアキが心ここに在らずなような表情で何か考え込んでいたようだったが、天羽がソファに腰を下ろすといつも通りのほんわかした笑顔を浮かべてみせた。
 天羽がチョコレートの包みを差し出すと、それを受け取った。
「うわ、これ、高いんだよー」
「そうなの?」
「ええ、わたし、自分へのご褒美感覚でしか買えないもの」
「へぇ……」
 天羽は包みを開けてパクリと口に放り込む。
 時々、隠れて食べていたので、食べ慣れた味ではあるが、やはり美味しい。
 天羽は脳がとろーんとする感覚を覚え、ほわりと口元を緩めた。
 チアキも開けて頬張った。
 モグモグしながら、とても幸せそうな顔になる。
 けれど、表情とは裏腹にチアキの口から漏れた声はとても沈んだものだった。
「まだ、一時間かぁ……」
「チアキちゃん?」
 ほっとしたことでポツリと漏れてしまったのか、チアキは慌てたように口元を押さえる。
「ご、ごめんなさい、わたしったら……」
「ううん。無理しなくていいよ。休んでてもいいし」
「あはは……わたしのほうがお姉さんなのになぁ」
 気遣う天羽に、チアキが照れくさそうに笑った。
 本当は、とても胸が苦しいだろうに、この人はそれを全て我慢する人なんだろうか。
「チアキ」
「はい?」
「紅茶、冷めちゃった。淹れて」
「あ、はい。甘いほうがいい?」
「お菓子甘いから、ストレートでいいわ」
「了解」
「ええ、お願い」
 トワはコンソールを片手で叩きながら、こちらにティーカップを突き出している。
 チアキが立ち上がって、それを受け取り、ふふっと笑う。
「何?」
「ううん。姉さん、ありがとう」
「…………。暇なら掃除でもしてればいいわ。この区画、綺麗な部屋なんて私と天羽の部屋くらいなものだから。キーナンバーなら私が教えてあげるし」
 トワは作業の手を止めて、チアキのことを真っ直ぐに見てそう言うと、作業に再び戻った。
 チアキがキッチンに入っていき、思いついたように戻ってきた。
「天羽ちゃん」
「なぁに?」
「美味しい紅茶の淹れ方教えてあげる」
「ホント?!」
 天羽はチアキの言葉にすぐに立ち上がった。
 チアキはその様子を見て楽しそうに笑い、チョイチョイと手招きをしてくれる。
 天羽は跳ねるようにキッチンへと入った。



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