第三節  トワ+ツヴァイ VS 氷?


「ツヴァイ!」
 トワの声でツヴァイが動く。
 素早く、トワは彼から距離を取り、手近に置いてあった光線銃を握り締めた。
 キュッと脇を締め、彼に照準を絞って定める。
 その時にはツヴァイが思い切り氷をディスプレイに叩きつけていた。
 できれば、壁に叩きつけて欲しかったところだが、そこまでの判断を彼女に求めるのも可哀想なので、トワは何も言わずに息を吸った。
 ヒビの入ったディスプレイ。
 先程まで映し出されていた作戦用の計算式も消えてしまっていた。
「ってー……何すんだよ、ガラクタ……」
 不機嫌そうに、けれど、腕を締め上げられているせいか、少々苦しそうな声で彼はそう言った。
 トワは目を細め、静かに口を動かす。
 澄んだ声が室内の空気を揺らす。
「迎えに来たと言ったわね? はじめから、こうするつもりで、ハズキの結審も急いだってことかしら?」
「……さぁね。でも、そうだとしたら?」
 腕を締められていようとなんだろうと構わないように、彼は笑った。
 トワは気だるい表情で彼を見つめた。
 銃を握る手だけは動かすことなく、長い髪を掻き上げる。
「だとしたら、……タゴルには拍手。……あなたには失望、というところかしら」
「オレには失望、ね」
 おかしそうに彼は笑った。
 トワは自分でもおかしいと感じていた。
 彼の様子のこともそうだが、何よりも、自分の心にだ。
 失望したということは、自分はいくらかは彼を認めていたことになる。
 期待がなければ、失望、などという気持ちは湧いてこない。
 ……何を期待したのだろう?
 心のどこかで、この男だけはもう少しまともだと……そう考えていた自分がいたということか?
 そうなのだとしたら、非常に笑える。
 天羽を助けた後、一度だけ、氷のデータを調べた。
 その時、彼がタゴルの遺伝子から作り出されたTG−Mだということを知ったのだ。
 その事実だけで、トワが彼を毛嫌いする理由としては十分だったはずだ。
 それなのに……なんだろう。
 この……。
 『飼い犬』に手を噛まれたような、少し寂しい感情は……。
 トワは静かに唇を噛み、湧き上がった感情を振り払った。
 そして、彼に近づき、頭に銃を突きつける。
「何よりも許せないのは、ハズキを囮にされたことかしら」
 ミカナギが知ったら、どれほど怒るか。
 ミズキが知ったら、どれほど悲しむか。
 ハズキが知ったら、どれほど悔やむか。
 自分には……対であるミカナギに対する強い情と天羽に対する母性の情しか、もうないものと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
 もしも、ここで自分が彼の手に落ちることがあれば、2人の心にいくらかの影を落とすことになる。
 そのことが……これほどまでに心配だなんて。
「……だから、大嫌いなのよ。人を翻弄して、あの男は……何が楽しいっていうの? そのうえ、あなたまで、こんなところまでしゃしゃり出てきて!」
「ッ……」
 自分たち一家のことは放っておいてくれたらいいのに。
 そう、できたらいいのに……。
 何も争うことなく。
 何も悩むことなく。
 ただ、幸せに。
 暖かな時を過ごしたいだけ。
 それだけなのに……。
 どうして、それだけのことも叶わないの?
 ツムギとママと、天羽と自分と、ミズキとハズキと……そして、ミカナギさえいて……みんなが笑える世界があったなら……。
 ねぇ……?
 それを望むことはいけないことなの?
 もう、叶わないことは知っている。
 知っているけれど、この広い世界。
 ただ、そうして過ごすことが出来る人なんて、きっとたくさんいるのに。
 それが出来ないことが悲しい。
 もう出来ないから……だから、今度こそ、ハズキを取り戻して、……過ごすことが出来なかった時間を取り戻そうとした。
 完璧ではなくても、自分たちが過ごせる最良の時を取り戻そうとしただけ。
 それだけのこと。
 ……けれど、そんな気持ちすら、あの男に利用された……。
 確かに、はなから囮なんてことは察しがついていたけれど、自分を奪うために罠を張ってきたのだと察した瞬間、悔しさと怒りが湧き上がってきてどうしようもない。
 トワは静かに彼を睨みつける。
 彼もこちらを睨んでいる……かと思ったら、すぐに視線を逸らされた。
 トワは眉をピクリと動かし、その様子を見つめる。
 少し苦しそうに体を揺する氷。
 舌打ちをし、静かに呟いた。
「……降参」
「え……?」
「好きな女に頭撃ち抜かれんのもやだし、解こうとして腕ひしゃげられんのもやだし。……だから、降参。参った」
 トワは納得できずに表情を歪める。
 ツヴァイも解く気配は見せない。
 おそらく、トワの指示を待っている。
「よく考えたら、オレ、あのクソに恩もねーし。アンタ貰っていいって美味しいとこだけ聞いて受けた仕事だもん。でも、頭やら腕が無くなったら、アンタ抱けないじゃん。だから、降参」
「…………」
「ねぇ、離してよ。何もしないってマジで」
 自分が知っている僅かな氷の一面と、目の前にいる氷の行動・言動はどこか一致しない。
 その違和感が、どうしても、トワの直感的な部分を納得させない。
「お姉ちゃん……は、離してあげてもいいんじゃないの?」
 天羽がおどおどとそう言った。
 一応、ミズキから預かった袋からピンク色のメガホンのようなものを握り締めていたが、攻撃するのは躊躇われるのか、銃口にあたる部分はこちらに向いていない。
「姉さん……私、氷君とはそれなりに仲が良いけど、そんなに悪い人じゃないの。ちょっと、確かに、口が悪いところはあるし、女癖も悪いけど……でも、悪い人ではないのよ……だから、その……見逃してあげて欲しい」
 ……全く。
 さすがに戦闘に加わることなく、最終ラインに置いていかれた2人だけはある。
 その言葉の何と甘いことか。
 そう思いながらも、……この2人の前で、もしも、氷を片付けたら……。
 2人はしばらく自分とは口も聞いてくれないかもしれない。
 ……そんなところに考えが行った。
 ……困ったな……。
 いつの間に、自分はこんなに人間らしい感情に恵まれてしまったんだろう。
『ねぇ、お願いだから機嫌を直しておくれよ、トワ〜』
 泣きそうな目をして、背の高いツムギが必死にこちらにヘコヘコしている姿が不意に脳裏を過ぎった。
 無視を決め込むと、本当にツムギは悲しそうに眉を八の字にする。
 そして、どこかに行ったかと思うと戻ってきて、トワの好みそうなお菓子をデスクの上に置いてみせた。
 しつこい。
 本当にしつこかった。
 むしろ、そのご機嫌取りで、機嫌が悪くなりそうなくらいしつこかった。
 そんなツムギの様子をママは楽しそうに見守っているし、そんなママをミカナギは微笑ましそうに見上げているし……。
 自分だけはその環っかの外にいるんだと、思っていた頃もあったというのに。
 唇を噛み締め、眉間にシワを寄せる。
 そして、自分の中の違和感を無理矢理振り払って、突きつけていた銃を下ろした。
「……ツヴァイ、ありがとう。いいわ、離してあげて」
 その言葉とともに、ツヴァイがゆっくりと氷から体を離す。
 その瞬間、氷は体を捻ってツヴァイの体を蹴り飛ばした。
 トワはすぐに銃を構え、躊躇することなく、引き金を引いた。
 ……そんなことだろうと思った。
 失望が広がる。
 この男が、そんな姑息な手段を使うようなことだけは、ないと思いたかったのに。
 当たったと思われた攻撃は、空間に作り出された氷に阻まれる。
 トワはチッと舌打ちをし、彼の動きに合わせて連射した。
 氷は素早く横に移動していく。
 ツヴァイが槍を空間から取り出し、それを持って氷に飛び掛った。
 素早く、氷は腕に氷の剣を形成し、その攻撃を迎え撃つ。
 そして、余裕の笑みを浮かべてみせた。
「悪ぃけど、お前はもう攻略済みだから。用無いんだよね。引っ込め、ガラクタ」
 その言葉の後に、空間にピキピキと音を立てて出来上がる氷の矢。
 その矢は全てツヴァイを狙っていた。
 トワはそれを察知して叫ぶ。
「ツヴァイ、退がりなさい!!」
 その言葉に素直に従い、彼女は後ろに退いた。
 壊させない。

 あの人が悲しむから、絶対に。
 トワはミカナギの寂しそうな表情を思い出して、奥歯を噛み締め、飛び出した。
 戦闘は得意ではない。
 トワが得意なのは、攻撃だけ。
 それも、自由に使えるプラントの銃火器がない今は……得意の内にも入らない。
 運動神経は一応常人以上だが、ミカナギや氷に比べたら、大したレベルではない。
 けれど、思考回路の回転だけは誰よりも速い。
 どう動けば無駄がないか、それだけを計算で導き出しながら、ソファを踏み越え、トワは銃を連射した。
 氷の矢を全て撃ち落とした後、思い切り足を振り上げ、氷の顔を思い切り蹴り上げた。
 飛び蹴りだったのもあってか、その攻撃で氷の大きな体は吹き飛んだ。
「お姉ちゃん!!」
 心配そうに天羽が叫ぶ。
 チラリと様子を窺うと、不安そうな目でこちらを見ていた。
 攻撃だけは躊躇われるのか、ピンク色の武器は彼女の胸の中にそのままある。
 トワはキュッと唇を引き結んだ。
 この子に、これ以上、怖い思いをさせるものか。
 蹴るために跳んだだけで息が切れ、肩が自然と動いた。
 それでも構わずに銃を構え、氷に照準を絞った。
 安心させるように、天羽に優しく声を掛ける。
「大丈夫。お姉ちゃんが護るから」
「ッテテ……。予想外なことすんなぁ……。ゾンビの出てくる映画のヒロイン思い出したわ」
 そう言って立ち上がろうとするところに、躊躇いなく、光線を撃ち落とすトワ。
 床が少しばかり溶解して、へこんだ。
 さすがに驚いたのか、氷がその牽制で動きを止める。
「今度は容赦しないわ。動いたら、脳髄ぶちまけるわよ」
「……脅しじゃなく、本気でやりそうだな」
「ええ、やるわよ。私だったら躊躇いなくね」
 トワは氷の言葉に、サラリと返した。
 冷めた目で彼を見下ろす。
 もう、甘さは見せない。
 甘さを見せたら、ここにいる全員が……死ぬことになるから。
 けれど、彼は怯えた様子など見せることなく、不敵に笑うだけ。
「動かなきゃ、いいってことだ」
「……え……?」
 トワがその言葉に思わず声を漏らした瞬間、何かが頬を掠めた。
 ピッと肌を切り、それは壁にぶつかって砕け散る。
 トワはすぐに引き金を引こうとした。
 けれど、氷は笑みを崩さない。
「動いたら、皆殺しだよ?」
「……ッ……まさか……」
 目を凝らすと、氷の矢が浮かんでいた。
 節電のために薄暗くなっていたサロン。
 ディスプレイから遠のいたのもあり、氷よりも奥の空間が見づらい状態になっていた。
 そこに、いくつもの氷の矢が浮いている。
「指示を出す間もなく、私があなたを殺すわ」
「撃たれても、オレ、意地でも攻撃して果てるから。じゃないと、気が済まないし。……親父の命令はこなせないけど、まぁ、そこは仕方ないよね。最悪、殺してもいいって言ってくれてたし。役立たず、とまでは言われないでしょ」
 飄々と言う彼に、トワは眉根を寄せた。
 やはり、目の前のこの男は……氷では、ない……。
 今の言葉で、そう確信した。
 いや、先程追い詰めた時も、予想していた言葉があったのだ。
 彼なら、こう言うだろうと。求めていた言葉。
 けれど、彼の口から、その言葉は発されなかった。
 ……だから、今、この問いが自然に漏れる。
「……あなた……誰……?」
「オレは誰か。ふむ……とても、いい質問だな」
 にぃや……と男は笑う。
 その瞬間、ヒュンと音を立てて、氷の矢が飛んできた。
 頭では、撃ち落す、と判断したが、反射的にそれをかわそうと体が動いてしまった。
 が、床に出来ていた氷に足を取られ、転ぶ。
 銃こそ、手放さなかったものの、視界に天井が広がる。
 ツヴァイがすぐに動いた。
 男に向けて槍を振り下ろす。
 氷の矢は狙いなど定めずに飛んでいく。
 壁にぶつかっては砕け、時々、ツヴァイの体を掠めた。
 天羽とチアキにもいくらかその攻撃が当たり、頭から血を流しているのが見えた。
 チアキが天羽に覆いかぶさって、床に伏せる。
 けれど、そこにも容赦なく、矢は飛び掛かろうとする。
 トワは起き上がり、それを決死の思いで撃ち落した。
 横では、ツヴァイが男と斬り合いを繰り広げている。
 トワは天羽とチアキを護ることだけに集中しようとした。
 けれど、無尽蔵に飛び出してくる氷の矢の量に、『降参』という単語が浮かんだ。
 攻撃が無差別すぎる。
 もしも、自分にいつもの力があったなら、こんな攻撃に怖気づきはしなかったろう。
 けれど、今の自分は、翼を奪われた天使そのものだ。
 翼の無い天使は……ただの人間……。
 グッと唇を噛み、静かに目を細めた。
「降参するわ」
 歌うように言った。
 澄んだ声はとてもよく通った。
 その言葉に、氷の矢の攻撃が止まる。
「ツヴァイ、ありがとう。もういいわ」
「いいのか?」
「ええ。もういいわ。無理しないで。あなたが壊れると、悲しむ人がいる」
 ツヴァイが攻撃をやめると同時に、男はニィッと笑い、こちらへと歩いてくる。
「お、お姉ちゃん……」
「天羽、ごめんね。不甲斐ないお姉ちゃんで……。チアキ、私が連れて行かれたら、すぐに怪我の治療をして頂戴。傷が残ったら大変だわ」
「……姉さん……」
「……こんなに無力だと思わなかった……。あの人の言う通りね」
 トワは銃を手放し、苦笑混じりでゆっくりと立ち上がった。
 男がからかうようにトワの手を取る。
「触らないで」
 トワはすぐにその手を振り払う。
「ついていけばいいんでしょう? 従うわ。降参したんですもの」
 心だけは気丈に。
 それだけは、決して譲らない。
「オレねー、疑り深いんだよねー」
「え?」
「だからさぁ、手放しで連れてくなんて、出来ないのね」
 にっこり。
 男が無邪気に笑う。
 その瞬間、ドスリ、とみぞおちに衝撃が走った。
「お姉ちゃん!!」
 天羽の声。
 それが、トワの耳に届いた最後の声……。



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