第七節 暗雲立ち込む


「は? 今なんつった?!」
 ソルがサラの言葉に対して、まるで死んだ祖父にでも会ったかのような顔をして返してきた。
 サラはふよふよ飛んでいる虹龍にくっついて部屋の中を歩き回りながら、にっこりと穏やかに微笑む。
「王主体の政ではなく、民主体の政にしましょう、と」
「なっ?!」
 ソルは二度目のその言葉も上手く飲み込めないらしく、おかしな顔をして、頭を押さえた。
 なので、サラはもしかしたら、自分の表現が悪かったのかと、目を細めて首を傾げた。
「……わたし、わからないこと言ったかしら?」
「いや、わかるわかるよ。わかるさ。オレを誰だと思ってんだ」
「そう。なら、よかった」
 サラはすぐに笑顔になる。
 その分、ソルの表情は堅くなった。
「いや、よかねーだろ。お前、何言ってるのかわかってんのか?」
「わかってますよ。王家を名乗るのはわたしの代で終わりにして、ソルに政の権利を全部任せます」
 コトンと小さな物音がし、虹龍だけがその音に気が付いて、ふよふよと音のしたほうへと飛んでいった。
「……わかってねーよ、やっぱ」
「わかってますよ」
「そんな簡単な話じゃねぇんだよ……。そんな笑顔で、あははって感じでする話じゃさぁ」
「そんなことないですよ。わたしが要らないって言えばそれで……」
「今まであった国自体を否定することになんだぞ?! そこをわかってんのかってオレは言ってんだ!!」
「…………」
「誰かから進言されたわけでもない。革命が起きたわけでもない。……アンタがその結論を導き出したのは、アンタの気質をよく知っているオレなら十分に理解するさ。だが、他はそうは思わない」
「別にいいですよ、ソルがわかってくれるなら」
「馬鹿野郎! そんな単純な話じゃないって言ってんだよ!!」
 サラがあまりに狭い視野で物事を見ていることに我慢し切れなくなったのか、いつも優しいソルが荒い口調で叫び、地面を思い切り踏み鳴らした。
 サラは驚いてビクリと肩を震わせる。
 その様子を見て、ソルは奥歯を噛み締め、眉間に皺を寄せて頭を掻いた。
「悪い……言い過ぎた……」
「う、ううん。ご、ごめんなさい……あ、あの、わたしでもわかるように説明してくれないかな? わたしが言ってること自体は、出来ないことではないのでしょう?」
「サラ」
 それまで黙っていた虹龍がサラの傍まで寄って来て囁いた。
「なぁに?」
「誰かに先程の会話を聞かれたかも知れぬ」
「え?」
「どうした?」
「あ、レイドラちゃんが、誰かが今の話聞いてたかもしれないって言ってて」
 サラ以外には、虹龍の姿は見えないし、言葉も聞こえない。
 ただ、ソルだけは、そこに虹龍がいると言うサラの言葉を真っ直ぐに信じてくれていた。
 そのソルが表情を曇らせ、すぐに部屋の外に出て行った。
「ソル!?」
 サラがソルを追いかけて部屋を出ようとしたが、ソルの返事で足を止めた。
「お前はそこにいろ! 絶対出るな!!」
 目を細め、サラはゆっくりと扉を閉めた。
 ため息を吐き、椅子に腰掛ける。
 虹龍はサラの頭に乗って、心配するように声を掛けてくれた。
「サラが考えていたのは、こういうことだったのだな」
「……お飾りみたいな王家なら、要らないでしょう?」
「そうかもしれぬな。彼女も、そう言う事があった」
「1代目の……?」
「ああ、だから、お飾りではないと思わせたくて、ワシは頑張ったのじゃ」
「レイドラちゃんは、1代目が大好きだったんだね」
「……サラのことも好きだぞ?」
「ふふ、ありがとう」
 照れたような虹龍の声に、サラはクスリと笑いをこぼした。
 立ち聞きしていた者をソルは捕まえに行ったのだろうが、捕まえることはきっと出来ないだろう。
 数分ほどで戻ってくるかと思っていたが、ソルが戻ってくる気配はない。
 軽率すぎた自分の行動に、サラは落ち込んで俯いた。
 自分だけが危険になるのならば気にしなかったけれど、先程の話を聞かれてしまったのであれば、ソルまで巻き込んでしまいかねない。
 ドクンドクンと心臓が嫌な音を立てる。
 生きた心地がしなかった。
 一時間ほど経って、ようやく、部屋の扉が開いた。
 ソルが笑顔で部屋に入ってくる。
「ソル、大丈夫だったの?」
「ん? ああ、その辺の警備の者に聞いて回ったが、この宮に入ってきたヤツは、今宵はオレ以外いないとさ。オレ自身歩いて回ってみたが、たぶん、大丈夫だろ。気のせいだ。風でも吹いたんだろ」
「……ホントに大丈夫かな?」
「大丈夫だよ、心配すんな」
 ソルはそう言って、ニッカシ笑い、サラの頭を撫でてくれた。
 けれど、その時、ソルの手からいつもはしない石鹸の匂いがして、サラは首を傾げた。
「さて、オレが説明するまでもなく、今の状況で、少しはこの話が後ろ暗いことだっての、わかってもらえたか?」
「昔と同じで、ソルは同じように謗りを受けるわ。わたしに取り入って、遂に政治の権利まで……と」
「うーん、ちょいずれてるな。サラがオレを心配してくれてるのはよくわかったが、問題はそこじゃねぇんだ」
 サラにとっては、一番重要なのがそこだったのだ。
 国を負う王としてそれが正しいかと言われれば、もちろん間違いなのだが、16歳になる前の1人の女の子として見れば、きっとそれは概ね正しい。
 ソルに国を1から立て直す権利を与えること、それがサラに出来る唯一のことであると思っていたのだ。
 そうすれば、貧困に喘ぐ民たちの暮らしもきっと良くなると。
「翼持つアンタら一族ってのは、民からしたら、神に選ばれた者なんだよ」
「…………」
「だから、どんなに苦しくても、王様がなんとかしてくれる。いつかは、いつかは……そう思って、1日1日を生きてるんだ。それなのに、だ。急に、神に選ばれたはずの王様が、わたしじゃ手に負えないみたい。他の人に任せます、なんて言ったら、民はどう思う?」
「……唯一、すがれる拠り所さえ失ってしまう?」
「ああ、そして、暴動が起こるだろうな」
「…………」
「神に選ばれたなんて、嘘だったのか、と。まがい物は用無しだよ」
「サラ、大丈夫か?」
 虹龍の言葉に、サラは小さく頷いて返し、ソルを真っ直ぐに見据えた。
「じゃ、どうすればいいのかな? どうすれば……理想の形で、ソルみたいな優秀な人に、権利を、渡せるのかな?」
「……だから、オレがお前の傍に来たんじゃないか」
「だって……この先は? わたしの子が王となり、孫が王となっていくとして、その時も、ソルみたいな人が隣にいてくれるとは限らない。元に、戻ってしまうよ」
「民主制にしたって、それは同じことだよ?」
「え?」
「腐ったヤツがその権利を得れば、同じになっちまうさ」
「…………」
「だからな、サラ。お前の言いたいことはわかるけど、無理なんだよ……少なくとも、今では、無理なんだ」
「準備をしていくことは?」
「可能だ。サラが望むなら、オレも、その術を検討するよ」
 ソルが笑い、サラもようやく表情が明るくなった。
 選ばれた者。
 民の期待を裏切らない形で、王家を無くす。
 そんなことが、果たして可能なのだろうか……?
 頭の中で、サラはそんなことを考えていた。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 一時間ほど前。
「立ち聞きとは、感心しないな」
 ソルは虹龍の言っていた立ち聞きをしていた者を見つけた。
 バタバタと慌しく走っていたから、すぐに見つけることが出来た。
 間抜けな文官だ。
 素知らぬ顔で平然と歩いていれば、ソルも気が付くことはなかったかもしれないのに。
「な、何のことじゃ? わ、私はただ急ぎ知らせねばならないことがあり……」
「オレが、国を乗っ取ろうとしてるってか? それとも、遂に馬鹿な王がご乱心召されたってか?」
「…………」
「間抜けな上に、嘘まで下手か。アンタ、出世は出来ないタイプだね」
 ソルはにっこり笑いながら、腰に佩いていた太刀を抜いた。
 ソルの目の色が怪しい血の色に変わる。
「な、何のつもりじゃ? 貴様……、やはり、王家転覆を……!」
 ソルは文官の口を塞ぎ、壁に思い切り叩きつけた。
 苦しげな呻きが漏れたが、ソルが口を塞いでいるので、それほど響きはしなかった。
「転覆なんて望んでねぇよ。ただ、王を信頼する者は、この王宮には皆無と来てる。だから、ここで変な話が漏れると、困るんだよな、こっちとしても、よぉ」
 ソルは低い声で脅しを掛け、太刀を持った腕で首を締め、無理矢理王宮の外まで引きずっていく。
 警備の者が行き交うルートは頭に入っていたから、労することなく、事は成せた。
 文官は必死に何かを言おうともがいていたが、ソルには何を言っているのか聞き取れない。
 王宮の外に出て、ソルは目を細め、文官を離した。
 月の綺麗な夜だった。
 金の髪が閃き、瞳が怪しく嗤う。
 命が事切れるのは、ほんの一瞬だった。
 ズブリと刺した太刀。
 出来るだけ血が噴出さないように、丁寧に抜き、身ぐるみを剥いで、死体はその場に転がしたままにした。
 サラの知らないソルの一面として、彼には冷酷な面があった。
 目的のためには手段を選ばない。
 平気で他人を殺せるし、他人を蹴落とせる。
 ソルの目的は只ひとつ。
 サラの身を護ること。
 ただ、それだけだった。
 サラとした約束のままに、彼はサラを護り、サラの子を護る。
 そのためには手段を選ばない。選ぶ必要も無かった。
 ミカナギが、タゴルを半殺しになるまで殴り続けたのも、氷を躊躇無く斬り払えたのも、全ては、彼の人格のなせる業だった。



*** 第十四章 第六節 第十四章 第八節・第九節 ***
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