第八節 最期まで一緒にいて


 国は滅び、そこに出来るは屍の山。
 悲しき運命に翻弄された少女を残して、国は王の手から民の手に移った。
 それはサラが望んだ形ではなく、最も悲劇的な形で。
 その後、その国がどうなったか、それを知る術はサラには無かった。
 あの後、サラではなく、ソルが糾弾の憂き目に遭い、それを擁護したサラに対して、見事なまでに不満が爆発した。
 元より腫れ物に触るように働いていた文官たちは、この時とばかりに、一致団結し、謀反が起こった。
「ちっきしょー……。卑怯もいいとこだぜ。あの数じゃ、どうしょうもねぇ」
 王宮からサラを連れて逃げ出したソルは、サラを不安にさせないように、陽気な調子でそんなことを言った。
 サラは虹龍を抱え、手には虹の秘蹟を握り締めていた。空いた手で、翼を隠すために被っていたローブを押さえる。
「母様たち……大丈夫かな?」
 その言葉に、ソルは何も返してはくれなかった。
 ひたすら、街の中を駆け、当て所も無く走る。
 ソルは周囲の気配に集中しているのか、何も言ってはくれない。
 虹龍が静かにサラに声を掛けてきた。
「サラ……洗礼の御堂に行ってくれぬか?」
「え?」
「目の前に見える大きな山の中腹辺りに、祠があるのじゃ。そこが、ワシが1代目と出会った場所で……もしかしたら、お主を助けられるかも知れぬ」
「……山の、中腹ね?」
「ああ」
「ソル」
 サラがソルに声を掛け、虹龍の言葉を伝えようとした瞬間、後ろから矢が飛んできた。
 ソルが素早くそれに気が付き、太刀で矢を薙いだ。
 けれど、全て弾くことは出来ず、腕に1本突き刺さる。
「ぐっ!」
「いたぞ! 逃がすな、捕えるんだ!! たとえ、名ばかりでも王は王。奴の受ける加護だけは、この国に無くてはならないものだ!!」
 ソルは痛みに顔をゆがめながらも、冷静に矢を抜くことはせず、3分の2ほどの長さをへし折った。
「ソル、だいじょう……」
「平気だ平気。気にせず、走れ。……っつーより、飛ぶか? サラは飛んで逃げたほうが速そうだ」
「嫌。ソルと一緒がいい」
 サラはこれだけは譲りたくなくて、はっきりとした口調でそう言い切った。
 捕えられたら、自分で命を断つ覚悟は出来ていた。
 ただ、最後まで、彼の傍にいること。
 それだけが、サラの望みであり、サラの唯一の幸せだった。
 ソルはその様子にクスリと笑う。
「アンタを護りながら、逃げ果せろってか。ハードル高いね。了解了解。姫、私にお任せください」
 ソルは堂々とした声で答え、サラの手を取った。
 なので、サラはすぐに虹龍の言葉を伝える。
「正面の山に向かって」
「正面?」
「そこに行けば、助かるかもしれないって」
「……わかった。まず、兵を撒く」
 軽々とソルはサラの体を抱き上げた。
 顔が近くなって、状況的に不謹慎なことは百も承知だったが、サラは顔を赤らめてしまった。
 全く苦も無く、ソルは走る。
 いや、疲れてはいるはずだが、それを顔に出しては絶対に見せなかった。
 まるで、馬に乗っているかのように、彼の足は速かった。
「奴ら、王族は殺せないみたいだな」
「え?」
「龍の加護が怖いんだろ。おそらく、アンタの家族は無事なはずだ……どんな扱いかまではわからないが、アンタが捕まって受ける仕打ちに比べたら、きっと軽微なもんだと思う」
「…………」
「すまない」
「え?」
「護るって言ったのにな……。護れてねー。だせー。最悪だ」
「そんなこと……」
「くっそ……恩返しのひとつもできねーのか、オレァ……」
「ソル……ソル、あのね」
 わたしはあなたが傍にいてくれるだけでいい。あなたが好きなの。
 そう言いかけた口は、その言葉を吐き出そうとした瞬間、動かなくなった。
 口に触れて首を傾げるが、ソルはそのことには気が付かなかった。
 虹龍がぼんやりと光を放ち、悲しそうに目を細めた。
「すまぬな、サラ」
「え?」
「お主が、もしその言葉を口にしたら、ワシはお主を護ることは出来ぬ」
「…………」
「ワシと誓約を結んだあの瞬間から、お主は他者に想いを伝えることは許されておらぬ。だから、その言葉は、誓約が切れるその時まで、決して言うことはままならぬ。決まっておることだ。ワシには、どうもできん」
「……そんな……」
 サラは目を細め、口元を覆う。
「誓約も何も……もう意味なんてないじゃない……」
「サラ? どうした?」
 サラが泣きそうになっているのがわかったのか、ようやくソルがサラの様子に気が付いた。
 サラはただかぶりを振って応え、何も言うことなく、ソルの肩に頭を乗せた。
「疲れたか? 眠っててもいいぞ。山に着いたら、起こしてやる」
「ソル……」
「ん?」
「……ソル……」
「なんだ?」
「……ソル」
「どうしたんだよ。やっぱ、眠いんじゃねぇか?」
 ソルは努めて明るく振舞う。
 サラはそんな彼を見上げて、ただ、名前を呼び続けることしか出来なかった。



第九節  さよなら大好きな人


 祠の中は光に満ちていた。
 その時代の文明では考えられない発達した機材が並び、部屋の中心には大きなポッドが2つ並んでいた。
 サラはソルに引かれるまま、その中に入り、目を丸くした。
 虹龍がサラの手を離れ、ふよふよと部屋の奥へと進んでいく。
「何、これ……」
「ワシらがこの時代に来てしまったのは、間違いだったのかもしれぬ」
「え?」
「……いや、仕方ないのか。必要バグであった。そう思うしかない」
「レイドラちゃん?」
「サラ、そこのボタンを押してみぃ」
「……これ?」
 サラは虹龍に促されるままにボタンを押した。
 すると、片方のポッドがウィィィンと音を立てて開いた。
 サラもソルも驚いて、後ろに1歩退がる。
「な、なんだ? 箱が勝手に動いたぞ?!」
「それは冷凍睡眠用のポッドになっておる。その中に入れば、何年先かはわからぬが、ポッドが開くその日まで、その姿の状態で眠り続けることが可能だ」
「れいとうすいみん? ぽっど??」
 サラは虹龍の言っていることがよく飲み込めず、うーんと唸って、首を傾げた。
 虹龍は一瞬考えるように目を細め、その後に言った。
「サラ、その秘蹟をここの台座にはめてくれんか」
「……うん」
 促されるまま、サラは虹龍の示した台座へと歩み寄り、カチリとはまるまで秘蹟を押し込めた。
 すると、虹龍の姿が今までの小さな状態ではなく、大蛇ほどの大きさまで成長した。
「見えるか? ソルよ」
「……あ、ああ。初めて、見えた。おい、サラ、コイツはレイドラちゃんとか可愛い呼称で呼ぶような図体じゃねぇぞ」
「い、今、大きくなったんだよ」
 慌ててサラはそう言い返す。
 虹龍は2人のやりとりを微笑ましそうに見つめ、先程教えてくれた内容をソルに言った。
 ソルはそれを聞いて、少しの間考え込んだ後、理解できたように頷いた。
「要するに、これに入れば、何百年経っても生きていられて、その頃には、サラの存在なんて忘れ去られてるから、安全だと……そういうことだな?」
「そうだ」
「いいんじゃねぇの? オレは、それに賛成だ」
「あ、あの……」
 サラだけが2人の会話から取り残されてオタオタした。
 ソルはクスリと笑い、開いているポッドをポンポンと叩く。
「サラ、この中入れ。ねんねの時間だ」
「……あの、そ、ソルも、一緒だよね?」
 サラは急に入れと言われて、不安を隠せずにそう返した。
 ソルや虹龍の言うことだ。信用はしたい。けれど、さすがに今まで見たこともないものの中に入れと言われても、はぁいと気軽に返事が出来るほど、サラは子供ではなかった。
 ソルは一瞬唇を尖らせたが、すぐにニッカシと朗らかに笑った。
「サラ……それは……」
 虹龍の言葉を遮って、ソルはサラの頭を撫でて、元気いっぱいに叫んだ。
「モーチロンだ♪ モチのロンロン、オレ様も一緒だ。大丈夫だ。約束したろ、護るって。だから、当然一緒だ♪」
「そ、そっか」
 サラはその言葉にほっと胸を撫で下ろす。
 ソルはサラのそんな様子を見て、優しく目を細めた。
 そして、もう一方のポッドの蓋を開けるために、ボタンを押す。
 ウィィィィンと音がして、そちらも先程と同様に開いた。開いたことにソルはほっと息を漏らしたが、それは微かな動きだったので、サラがそれに気が付くことはなかった。
 ソルはサラがポッドに入るのを手伝い、まるで幼子をあやすかのように何度も頭を撫で、前髪を整えてくれた。
「サラ……」
「ん?」
 いつも通り呼ばれた声に笑顔を返すと、ソルの顔が近づいてきた。
 サラは驚いて目を閉じる。
 そっと頬に触れる柔らかい唇の感触に、体が硬直した。
 触れられた部分が熱くなり、鼓動が速くなる。
「おやすみのキスだ」
 優しい声で、優しい表情で、彼はそう言った。
 眠れるわけがない。
 そう言い返しそうになったが、ソルが素早く上体を起こして、ボタンを押しに行ってしまったので、言うに言えなかった。
 キスの時に落ちたのか、サラの服にソルの綺麗な金の髪が1本ついていて、サラはそれを宝物のように握り締めた。
「おやすみ、サラ、良い夢を」
 ソルはそう言って笑う。
 ポッドの蓋がゆっくりと閉じていく。
 そして、その時気が付いた。
 ソルはポッドの蓋を閉じるために、わざわざボタンを押しに行った。
 つまり、このポッドは内部からは操作出来ない。
 だから、ソルは……サラと一緒に眠りになどつけない……。
 サラは慌てて起き上がろうとした。
 けれど、その時にはポッドの蓋は完全に閉じてしまっていて、どんなに叩いても、開くことは無かった。
「ソル! ソル!! 開けて! 開けてぇッ!! 嫌だよ! 嫌だよぉ……こんなの、いやだ、やだよぉぉぉッ!!」
 ガラス越し、ソルはにっこり笑って、パクパクと口を動かしていた。
 サラは叫びながら、彼の唇の動きを追う。
 だ い す き だ っ た よ 。 で あ っ た と き か ら 。 も し も う ま れ か わ っ て で あ え た ら 、 こ ん ど は あ ん た を お れ の も の に す る よ 。
 最後の最後に、そんなことを言われたって、その想いに応える術も何も無いのに。
 彼は穏やかに笑って、満足そうな顔をしてみせた。
 サラが彼に最後に見せた表情は、泣き顔だった。
 笑顔を返せたら、彼はもっと幸せそうな顔をしてくれたのだろうか?



 眠りについたサラを見つめて、ソルは寂しそうに目を細めた。
「良いのか?」
 虹龍の声。
 ソルは切れ長の目で、虹龍を斜めに見据え、不敵に笑った。
「ここに行こうってサラに言った時から、お前にはこうなることがわかってたんだろ?」
「……すまぬな」
「いや、感謝してる。これで、サラだけは、護ってやれる」
 安心したようにそう言うと、ソルはズルズルと床にへたり込んだ。
「疲れたか?」
「……矢にね、毒が塗ってあったんだよ。遅効性の毒だ。きっと、これで弱らせて捕えて、あとで血清でも打つつもりだったんだろうけど……参ったね、我慢強いってのも、損なもんだ」
「ここは、この時代の文明では、見つけることは難しい。それだけは保証しよう」
「……はは、それを聞いて安心した……じゃ、オレは……死ぬまで、サラの傍にいよう、か、な……」
 ソルは弱々しい笑顔でそう言うと、そのまま床に横たわった。
 それから、3日ほどは呼吸の音が続いたが、4日目の夜明け頃には、ソルの呼吸は聞こえなくなった。



*** 第十四章 第七節 第十四章 第十節 ***
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