『約束したろう?
 もう、どこにも行かないって。
 トワ、オレの帰る場所は、お前のいる……このプラントだ。
 そして、いつか2人で虹を登ろう。
 どこにだって、オレが連れてってやる。
 だから、たくさんたくさん、我儘を言うといいよ。
 お前の我儘の全てを叶えるために、オレは生まれてきたんだから』



第十二節 孤独な王の、求めた場所


 ミカナギは真っ直ぐにタゴルを睨みつける。
 タゴルはミカナギ自体に興味がないかのように、視線を合わせようとしない。
 ミカナギの言葉すら無視をして、すぐに立ち去ってしまいそうな……そんな雰囲気さえあった。
「何処に行ったって、オレは、お前がオレのむかつくことをやったら、すぐに見つけ出してぶん殴る」
「ふ……」
「今、オレはすっげー腹が立ってる。はらわたが煮えくり返るって言葉は、きっと今のオレの状態のことを言うんだと思うよ」
 湧き上がる感情を抑え、ミカナギは静かに凍えそうな空に声を響かせる。
 不思議だった。
 怒りでとっくに沸点なんて過ぎ去ってるというのに、それでも、自分の中のどこかはクールなままなのだ。
「兎環が死ぬのも計算の上か? 他の奴らがそれに巻き込まれて、死ぬかもしれなくなんのも承知の上か? てめぇは、そこまでして、何をしようとしてる?」
「死んだか? あの小娘は」
「……残念だね。アンタの期待を裏切って、兎環は生きてるよ。つか、オレがいる限り、兎環だけは絶対に死なせねぇ!」
「オレがいる限り? ふ……いっぱしに、ナイト気取りか?」
「……気取ってるんじゃない。オレは、アイツを護る者。兎環だけの守護者だ」
 虹の上。睨み合う2人。風が吹き、2人の髪がサラサラと音を立てた。
 凍えるような空気。白い息が、中空に舞い、消えていく。
「お前のことは大嫌いだが、ひとつだけ、感謝してることもある」
「…………」
「お前の嫌がらせのおかげで、オレは、自分の気持ちに気付けた。これだけは、感謝してやる」
 ミカナギのその言葉に、タゴルはおかしそうに鼻で笑った。
 それは嘲り笑いのようであり、そうでもないように感じた。
 静かに目を細め、タゴルが月を仰ぐ。
「そんなつもりで言ったことではないのだが、な。ただ、無性に腹が立ったのだ」
「あ?」
「相手の気持ちに気が付きもしないで、自分の我だけを通し、無意識に相手を傷つける……貴様の行動全てに」
「…………。お前に言われたくねぇ」
「私は、全て、意識的にやってきた」
「余計、タチ悪ぃだろ」
「そうか? 私は、無意識、というもののほうが、危険でタチが悪いと感じていたが」
「……反省のない行動なら、どっちも一緒だ」
「……なるほどな」
 ミカナギの言葉にタゴルが納得したように頷いた。
 あまりに穏やか過ぎるその振る舞いに、ミカナギは唇を尖らせる。
「気味悪ぃな」
「ん?」
「……お前と会話が成立してるのが、気持ち悪ぃって言ってんだよ」
「私は元より理路整然が信条だ。脊髄反射が過ぎるサルと会話が成るはずがない」
「そのサルとお喋りしてくれてんのは、なんでだ?」
 ミカナギはヒクリと口元を引きつらせながら、そう尋ねた。
 あまりに会話が成立するので、感情に任せてタゴルをサンドバッグにする予定が大幅に狂ってしまった。
「最期、だからだ」
 空を星が流れた。
 風が静かに吹き、タゴルの髪をさらう。
「は?」
 ミカナギはその言葉の意味を上手く飲み込めずに、表情を歪める。
 タゴルはそれ以上は何も言わずに、踵を返し、歩いていく。
 慌てて、ミカナギはそれを追いかけた。
 なんだ? 調子が狂う。
 タゴルがミカナギに対する敵対心を忘れたかのような素振りをするからだろうか。
 あれほどまでに憎みあった相性最悪同士の空気とは思えない。
 静かな時間がそこにある。
 これならば、今までと同じように感情が爆発するままに、この男を半殺しにしてしまうほうが、まだすっきりする。
 けれど、ソルが全てを自分に譲った瞬間から、ミカナギにはそのスイッチを押す権利は無くなってしまった。
 だから、ミカナギはミカナギとして、ここに立ち、選択しなくてはならない。
 全てが終わる、最良のボタンを探さなくてはならない。
「昔、ここ一帯はひとつの国だった。世界の中枢と呼ばれるほど、大きな国だ。人種は様々。思想も様々。それでも、全てを認め合って暮らすことの出来る国。それが、理想として掲げられていた」
 タゴルは振り向きもせず、話し出した。
「なんだよ、いきなり」
「ついてくるなら、年寄りの昔語りに付き合え。そんなに長い話じゃない」
「悪いんだが、過去には興味がないんだよ」
「聞きたくなければ聞かなければいい。私はただひとりごちるだけだ」
 ミカナギはその言葉で静かに目を細める。
「しかし、その理想に反して、その国の王家は、ひとつの部族と対立していた。宗教上の問題、と言えば簡単だな。その部族は、王家に対して何度も通告していた。我らが神の杜を返せと」
「神の杜?」
「彼らが神の杜と呼んでいたその場所は、王家にとっては重要な伝説の手がかりとなる場所だった。世界の構成さえも覆してしまうと言われる、不思議な力の宿った龍の住まう場所。そして、その中には……背に翼のある少女が眠っていた」
「……まさか……」
「そう。……それが、サラだ」
 ミカナギはタゴルの背を見据える。彼は立ち止まりもせずに歩いてゆく。
 何のために、話を続けるのか。その意図さえ、ミカナギには掴めない。
「王家は、その場所を手放すわけにはいかなかった。虹のたもとには宝物が眠っている、との夢物語の伝説の通りに、人間の欲望を突き動かすに足る素晴らしき情報という名の宝が眠っていたのだから。そして、それが彼ら部族をテロに走らせる引き金となった」
「……そんなもののために、世界が……?」
「そんなもの。そう……その通りだ。くだらないものでしかない。こんなものは」
 タゴルは虹を見下ろし、そして、先程したように月を仰いだ。
「世界と引き換えにするには……あまりにくだらない……」
 タゴルはそこで足を止めた。
 何かを思い出しているのか、白い息だけが中空に浮かび上がっては消えてゆく。
「世界は滅んだ。そして、サラの力によって甦った。世界の構成を変える力を、サラは容易く操ってみせた」
「……プラントの、誕生か?」
「ああ。これで、私は理想の世界を作れると思った。はじめは、ツムギもサラも、同様に考えていたようだったが、徐々に、歯車は狂い始めた。私と、ツムギとサラの思想が、真っ向から対立したのだ。いや、正しくは、私と、サラの思想か。今となっては、ツムギは完全に板ばさみだったように思う」
 月の光に照らされて、タゴルは懐かしむように笑った。
 ミカナギは、今まで見たことのないその優しい笑みに、思わず表情を引きつらせる。
「サラは、あの部族の残党も、他の人々と同様に扱い、少しずつ、世界に権限を返していきたいと……そう言った。サラが言うのであれば、部族の残党だけでも許そうかと……考えたこともあったが、その考えは私の中で長く続くことはなかった。当然だ。私は、彼らによって、家族の命を奪われたのだ。結果、許す心よりも、憎しみが勝り、サラの期待には応えられなかった」
 タゴルはゆっくりとこちらを向く。
「そして、サラとツムギは、私の説得を諦め、独断で虹の力を捻じ曲げることを思いついた」
 ドクンと激しく脈打ち、ミカナギの中で真っ赤な血に溢れたあの部屋の光景がフラッシュバックした。
 異様な形に膨れていくママ。
 必死に助け出そうと飛び出すツムギ。
 努力虚しく、ママが血の塊となり、その衝撃のあおりを受けて、ツムギの腕が飛んでいく。
「……ママは、青い空を見たかったんだ……」
「ああ、それがサラの望みだった。世界中の人のために、青い空を取り戻したいと。けれど、私はそれを跳ねつけた」
 ミカナギの目から涙がこぼれる。
 ガシリとタゴルの胸倉を掴み、奥歯を噛み締めて睨みつける。
「ママは、アンタとツムギと、青い空が見たかったんだ!」
 自分の中の血がザワザワと騒いで教えてくれる。
 ママが穏やかに微笑んで、空の美しさを語る時思い描いたのは、3人で見上げる空だったのかもしれない。
『そうさ。サラの望みは、それだけ。そして、青空の下、彼女が笑ってくれることだけが、オレの望みだった』
 頭の中で、ソルの声が響く。
「ばっきゃろ……。なんで、そのくらいの望み、叶えてやんなかったんだ!」
 ミカナギは右拳を振り上げて、思い切りタゴルを殴りつける。
「お前が……お前が、変な意地張らなかったら、ママは……ツムギは……死なずに済んだんじゃねぇか!!」
 一発一発、殴る度にゴツンと鈍い音が響く。
「変な意地……だと?」
 タゴルの口から血が滲む。
 その言葉で、ミカナギは殴るのを止めた。
「ならば、貴様は私を許せるか?」
「話を摩り替えんじゃねぇ!」
「摩り替えてなどいない! 同じことだ! 貴様は、私を許せるのか?!」
 ミカナギは眉間に皺を寄せ、眉を八の字にして奥歯を噛み締める。
「私ははじめから許してもらおうとなど思っていない……だからこその、今までの振る舞いだ!」
「努力は、するさ……!」
「なに?」
「気が晴れるまでぶん殴って、それから考える!」
 ミカナギは再び拳を振り上げ、タゴルを殴る。
「殴ったところで、何も変わらん」
「……ッ……」
「サラもツムギも戻ってこない。時が50年遡る訳でもない!」
「うるせぇ! 頭良い奴ぶって、中途半端な行動しか取れなかった男に! んなこと、言われたくねぇんだよ!!」
 タゴルの腹を思い切り蹴りつけ、そのまま肘打ちを決めた。
 タゴルがヨロヨロと後ろに下がり、膝をついて肩で息をする。
「ママとツムギが死んだ理由も何もかも知ってて、テメェは何もしなかった。やったことは、兎環の体から、この虹の鍵を取り出すことだけだった。どんな望みを叶えるためにそれをしたのか知らねぇが、15年あって、したことはそれだけだ! そんなテメェが、偉そうに語るな!」
「望み……」
「ぁ?」
「私の望みは……私の大切な人たちの元に、還ることだ」
「…………。は?」
「だから、先程、最期、だからだ、と言っただろう」
 タゴルは息を整え、腹を押さえて立ち上がると、ミカナギには目もくれず、ヨロヨロと歩いていく。
 ミカナギは顔をしかめ、ようやく、先程の言葉の意味にたどり着いた。
「お前、死ぬつもりか?!」
「……私にとっては、ここが死の世界のようなものだ。光などどこにもない。仮に、サラやツムギの望みを叶えたとて、私の手には何が得られる? 何もないだろう。何もないことが分かっていながら、どんな行動が取れるというんだ?! 術があったなら、教えてくれ! 私には、これしか思い浮かばないのだ!!」
「ッ……甘えてんじゃねぇよ、このクソジジイ!!」
 ミカナギは走ろうと、足を上げた。
 その瞬間、タゴルが右手を高々と掲げる。
 世界が静謐に満たされ、ミカナギは意識はあるにも関わらず、体が全く動かなくなった。
 足元の虹が強い光を放ち、色を失った。そして、空に獣の叫びにも似た声が轟いた。
 次の瞬間、空に神々しい虹の光を纏った龍が姿を現す。
 空に浮かぶ月さえも隠してしまうほど、大きな龍。
 激しい音をさせながら、グルグルと飛び回り、ようやく、龍は呼び出した主を見つけたように戻ってきた。
「ワシを呼んだのは、お前か?」
 低い、腹に響くような声。
「望みを叶える条件は揃えた。私の望みを叶えろ! 虹色の龍よ」
「……お前は、タゴルか……?」
「そうだ」
「なぜ、お前が……? サラ亡き今、ワシを呼び出せる者など、存在しないはず」
 声は悲しそうに空気を震わせる。
「サラの半身の力を借りた」
「なるほど。鍵は鍵、というわけか」
「そうだ。これでいいだろう? サラやツムギ、そして、我が家族の元へと連れてゆけ!」
 タゴルのその意味不明な言葉に対し、龍は当然のように言葉を返す。
「死して尚、お前はサラたちとは分かたれた場所に辿り着くと考えるか……」
「当然だ……。私の犯した罪は大きい。星のように綺麗なあの人たちの元へ、私がただ死を選ぶだけで、逝けようか? 逝けるはずがないだろう」
「残念じゃが、お前のその望みは、ワシには叶えることが出来ない」
「何故だ?!」
「……ワシには、死後の世界を認識する力も、干渉する力も無い。従って、それが本当に存在するのかどうかすら、わからない。世界の外へと干渉することは、人の成し得る範囲ではないから知る術もない」
 龍のその言葉にタゴルはうろたえたように、身を震わす。
 当然か。叶うと思っていた望みが聞き届けられないのだから。
「……お前は、神ではないのか?!」
「ワシは、1人の科学者の気紛れによって作られた。じゃから、叶えられる望みには、当然のごとく、限界がある」
「……それでは、私は、何のために……。何のために、今まで生きてきたのだ?! 心の寄る辺は全て、最期にはみんなに会える、それだけだったというのに!」
「タゴル、ワシは思うのだが」
「……?」
「お前は、何か罪を犯したか?」
「なん、だと……?」
「お前のおかげで、死ぬかもしれなかった多くの人々が永らえることが出来たろう。それは、人類からすれば、英雄と呼ばれる部類かとワシには見える」
「それは、サラの力だ」
「力があるかないかなど関係ない。結果成し得たものは何かだけで、ワシは言っておる。確かに、お前はサラの望んだ民への救済を行なわなかった。が、それだけだ。殺してはいない」
「殺そうとはした」
「が、サラの半身によって、それは妨げられた」
「…………」
「お前自身の罪は、ワシには見受けられない」
「私が受け入れていれば、サラやツムギは……」
「サラが選んだことは、全て彼女の意志だ。何があったとて、それは他者の罪にはならない」
 龍の声は静かに言う。
「サラは最期、ワシにありがとうと笑って消えた」
 タゴルは茫然と龍を見上げているだけだった。
「やりきれなさはいくつもあったろうが、彼女は笑って死んだのじゃ。それを、お前が悔やむ必要はない」
「…………」
「タゴル、サラの代わりに、ワシからひとつ提案がある。もう少しだけ、生きてみてはどうじゃ? 死は必ず訪れるもの。追いかけずとも、その内勝手に追いついてくるものじゃ」
 タゴルは龍の言葉を拒むかのように頭を抱え、首をフルフルと振った。
 その揺れが段々大きくなる。
 その動きは、とても病的で、気味の悪さに背筋がゾクゾクと騒ぐほどだった。
「もう……限界だ……。狂ってしまいそうなんだ……。毎夜悪夢にうなされる。妹が、血まみれで私に助けを求める声が耳から離れない……。サラとツムギを殺す夢を何度も見る。もう無理だ! 私には、もう……これ以上は無理だ!!」
 タゴルの叫びが空に響く。
 そして、次の瞬間、虹の上から身を投げ出し、飛び降りた。
「タゴル……!」
 龍は声を発するだけで、動くことはしなかった。いや、おそらくは動けなかったのだろう。
 ただ、その声と同時に風が吹き、タゴルの体を若干浮き上がらせた。だが、それだけで吹き抜けていく。
 そこで、動けなかったミカナギの体が、ようやく自由になった。
「バッ……カヤロ!!」
 気が付いたら、体が動いていた。
 それはほとんど条件反射に近かった。
 虹を蹴って、空を舞う。
『あと……タゴル様も……助けてあげて』
 記憶を取り戻したあの時、ママは夢の中でそう言った。
『ソルなら……ううん、ミカちゃんなら……なんでもしてくれるって、思っちゃうわたしが、いけないのよね』
 自分はあの時、彼女の頼みを断った。
 けれど、ここで、あの男を助けられないようなら、自分は、漢でいられない。
 甘ったれるなと一発殴るために。
 助けられないようなら……、自分は生きる上で、すっきりしないモヤモヤを残すことになる。
 そうなるのは、絶対に嫌だ。
「タゴルーーーー!」
 ミカナギは腹の底からタゴルの名を呼び、必死に動きの鈍い翼を羽ばたかせる。
 タゴルは落ちてゆく。汚染された雲海へと。
 ミカナギはそんなことは構わずに雲海へ突っ込んだ。
『ううん。ミカちゃんはたくさんのものを持ってる。たくさんの光を持ってるのよ。分からない? ミカちゃんの周りに集まった人たちは、ミカちゃんの光に引き寄せられたのよ?』
 ママ、本当に、自分に光があるのなら。
 今、この時、大嫌いなあんな奴でも、助けることが出来る力を、分けてくれ。
 ミカナギは必死にサラに祈った。



*** 第十四章 第十一節 第十四章 第十三節 ***
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