第十五章  天使の声に想いを馳せ、オレは君と歩いてゆこう、の章



第一節 彼の起こした奇跡


 タゴルを追いかけて、ミカナギは地上を目指した。
 高濃度に汚染されたスモッグと水分が混ざり合った気持ちの悪い雲の中を、手で口元を覆い、突き進んでいく。
 雲が切れて、視界が一気に開けた。
 ミカナギはすぐに周囲を見回し、タゴルの位置を捕捉すると、更にスピードを上げた。
 翼の動きは、体のだるさとは反比例していた。
 動けと念じれば、イメージ通りに動く。
 吐きたいほど具合が悪くても、そんなのは関係無しに、タゴルを助けろと、何かが背中でも押してくれているようだった。
 地上までもう高度がない。
 この高さでタゴルを捕まえられなかったら、減速するための高度を保持できずに、ミカナギの体ごと衝突してしまう恐れがあった。
「タゴル……! おい! こっちに手ぇ伸ばせ!」
 タゴルの高さに合わせながら、ミカナギが叫ぶ。
 しかし、ミカナギの声にタゴルは全く反応を見せない。
 ぐったりとして動く様子がない。
 ミカナギは舌打ちをして、必死にタゴルの体を掴み、引き寄せる。
 そして、翼をはばたかせて、一気に減速を図った。
「くっそぉ……! うぉりゃあ!!」
 ミカナギの頑張りに反して、落下スピードが落ちない。
「頑張れ……! 男の子ぉぅっっ!!」
 はばたく力を強めて、必死に上昇しようとするが、重力には逆らえない。
 さすがのミカナギも、表情が引きつった。
「だぁっ、クソ! なんで、こんなヤツのために……!」
 タゴルの体を頭から抱きこんで、衝撃に備え、墜落の覚悟を決めた。
「ミカナギーーー!!」
 その時、カノウの声がミカナギの耳に入った。
 ミカナギは声のした上空に視線を動かす。
 アインスがカノウを背負って、こちらに向かって飛んでくるのが見えた。
 カノウはアインスの首にしっかりとしがみつき、それでも、懸命にミカナギの名を呼んでいた。
「ちょうどいいとこに来た……。相棒、コイツのこと、任せたぞ!!」
 ミカナギはタゴルの体を、思い切り上空に投げ上げる。
 自分1人ならば、たとえ墜落しても、なんとかなる。
 ミカナギは、そう考えた。
 アインスが素早く、タゴルの腕を掴み、そして、更にミカナギを追いかけて、スピードを上げた。
 しかし、カノウの体がそのスピードに耐えられないように、浮き上がったため、アインスはすぐにスピードを緩めた。
「ミカナギ!」
 アインスが長い腕をこちらへ伸ばしてくる。
 ミカナギも翼の角度を変えて、地面に直撃するのを避けようと足掻いた。
「大丈夫だ……! アインス! 2人は任せた!!」
 その言葉が記憶の最後に残る心からの叫び。
 それから先のことは、よく覚えていない。
 ただ、頭を打って、血がダクダク、出た気がする。







 アインスが着陸してすぐに、カノウはミカナギに駆け寄った。
「ミカナギ!」
 タゴルを丁寧に地面に寝かせ、アインスもカノウの後を追ってくる。
 ミカナギの体がピクピクと痙攣しているように動く。
 カノウはミカナギの体に触れ、頭の出血を確認して、揺さぶるのをやめた。
「ミカナギ! 声聞こえる?! ミカナギ!!」
「カノウ、どうですか?」
「……ちょっと不味そうだ。アインス、人を呼ぼう」
「おそらく、おれが連れて行ったほうが速いと思います。今、プラント内は混乱してますから」
「そっか……。じゃ、応急処置で、止血だけするよ」
 カノウは羽織っているパーカーと中に着ていた長袖のTシャツを脱いだ。
 Tシャツを裂いて、簡易包帯を作ろうとしたその時、ミカナギがカッと目を見開いて起き上がった。
「ミカナギ? 大丈夫ですか?」
 アインスがすぐに声を掛けるが、ミカナギはその問いには全く反応しなかった。
「ミカナギ?」
 その様子を不思議に思い、カノウもミカナギに声を掛ける。
 すると、ミカナギは頭の出血を気にも留めない様子で、2人に笑いかけ、口を開いた。
「ちょっと、行ってくら」
「え? どこに?」
 カノウの問いに、ミカナギは上を指差す。
 カノウはその仕草に首を傾げ、そして、すぐにミカナギの肩を掴んだ。
「はいはい、わかったから。その前に、止血!」
 けれど、ミカナギはカノウの手をパシンと振り払い、スラリと立ち上がる。
「ちょっと、ミカナギ!」
「たいしたことない。毒に中てられたわけでもあるまいし」
 おかしそうに笑いながら、ミカナギは一度体を伸ばし、翼が動くかどうかを確認するように、軽くはばたきを繰り返した。
「たいしたことあるよ! そうやって、治療がやだからって、また!!」
「ギャースカ騒ぐな、頭に響くから。すーぐ戻ってくるよ」
 ミカナギは朗らかにそう答えると、翼のはばたきを強め、膝の屈伸の反動だけで高々と舞い上がった。
 カノウは長袖Tシャツを握り締めたまま、空に向かって上昇していくミカナギを見つめ、呆気に取られる。
「な、なんなんだよ、人が心配してんのに! それに、ミカナギにあんな翼あったの? まるで、天羽ちゃんみたいな……」
「よくはわかりませんが、大事な用があるんでしょう」
 ミカナギの姿が雲間に消えるまでカノウはそれを見つめていたが、夜になると、0度近くなる周囲の気候に耐えられず、素早くシャツを頭から被った。
「寒い……!」
「大丈夫ですか?」
「さ、さすがに直に肌で外気に触れるのは厳しいね……」
「おれのシャツを使えばよかったのに。おれは寒さも暑さも関係ないですから」
「はは、そういうわけにもいかないよ」
 アインスの言葉にカノウはクスクスと笑い、そして、思い出したように立ち上がって、タゴルの元に駆け寄った。
 タゴルは身動きせず、ぐったりと眠っている。
 ただ、彼の背に触れて、呼吸があることにほっとした。
 カノウはタゴルの体を軽く揺さぶる。反応がないので、少しだけ焦る。
「……お、おと……所長さん?」
 呼びかける言葉に困りながら、小さな声で試すように呼ぶ。
 けれど、反応はない。
 目を細め、奥歯を噛み締める。
 本当に父かどうかもわからないのに、そんな風に呼んだら、どう思われてしまうだろう。
 そんなことを考えて、長い時間、カノウはただ、タゴルの顔をじっと見つめ続けた。
 風が通り抜けていき、アインスが内部の状況を確認するように、ミズキと通信をしている声も聞こえたが、それでも、カノウは動けずに迷っていた。
 そんな時だった。
 カノウの手の甲に光の粒が落ちてきて、跳ねた。
「 ? 」
 カノウは首を傾げ、すぐにその光の粒を確認しようとしたが、触れるよりも前に風に乗って飛んでいってしまった。
「カノウ、見てください」
 アインスが上空を指差して、カノウを見た。
 なので、カノウもすぐに上を見る。
 まるで星屑の雨が降っているような光景だった。
 スモッグ混じりの雲をすり抜けて、光の粒が辺り一面に降り注ぐ。
「……綺麗……」
 その光景にカノウは思わず、そんな言葉を呟いた。







「世界に、青空を」
 誰かが自分の口を使って言った。
 ミカナギは夢を見ているのだと思った。
 自分の意識は体さえ通り抜けて、自分自身を斜め上から見下ろしていたからだ。
 頭から血を流しながら、虹に1人立っている自分の体。
 虹色の龍はその言葉を受けて、静かに応えた。
「心得た」
 その言葉と共に、目の前にいた龍は姿を消し、世界に光が散った。
 とても微かな光の粒がキラキラと舞い落ちていく。
 ミカナギはその光の雨を見上げながら、微笑み、虹の上に倒れこんだ。
 風が吹いて、ミカナギの体をさらう。
 虹がうっすらと薄くなり、ゆっくりと消えた。
 支えを失ったミカナギの体がゆっくりと地上を目指して降り始める。
 光の雨がミカナギの体に降り積もり、跳ね、キラキラと輝いた。
 ミカナギは自分の体を追いかけるように空を駆ける。
「大丈夫。これで、最後だ」
 突然、頭の中で声が響き、次の瞬間、目の前に、自分そっくりの男が現れた。
 ただ、悔しいことに、自分よりも頼り甲斐のありそうな笑顔を纏った男だったことが印象的だった。
「無茶をするものだ。あれほど、大嫌いだと殴りつけた相手のために体を張るなぞ。……オレには出来ん」
「…………。そういう性分なんだ」
 ミカナギは言葉に困った後、ただそれだけ言って笑った。
 格好つけるのも性に合わない。
 自分は自分の感じた通りに動いてきた。
 これはその結果だ。
 何よりも、タゴルを助けようと飛び出したこと自体に、今更言われて驚いていたのは自分自身だった。
「……そうか。それは、いい性分だな。大事にしろよ」
 男は笑い、ミカナギの胸に拳をぶつけてきた。
 ミカナギはその激励を受け、ただ笑うことしか出来なかった。



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