第二節 あなたの心に届きますように


「青空の下、みんなでお茶会をしましょう♪ そうね。お茶はハウデルの淹れたものがいいわ。お菓子は、ママが作ってあげる。ミカちゃんが喜ぶもの、全部作って……あ、勿論、トワちゃんが喜ぶものもたくさんだわ♪」
 目を覚ましたら、記憶の中のままの可愛らしい笑顔で、ママがクルクル回りながらそんなことを言ってくれた。
 ミカナギは驚いたが、それ以上に、当然のようにママがミカナギの腕を引いてくれることが嬉しくて、つい、ママの言葉に笑顔を返しそうになった。
 けれど、その笑顔を返したのは、ミカナギではなかった。
 ミカナギの体からすぅっと自分そっくりの男が抜け出て、ママの引くがままに従って歩いてゆく。
「ミカちゃん、そういえば、もう15年も会ってないから、もしかしたら、味覚変わっちゃったかしら? ママの料理、口に合わなくなっていたらどうしましょう?」
「サラ」
「みんなみんな、大きくなっちゃって、もしかしたら、ママが一番小さくなっちゃったかなぁ?」
「……サラ」
「もう、なぁに? ミカちゃん、ママのこと呼び捨てなんて」
 ママがそう言って振り返る。
 ミカナギはその2人のやり取りを見つめていた。
 ミカナギにそっくりなその男は、にぃっと不敵に笑い、サラの頭を優しく撫でた。
 サラは何が起こったのかわからないように目を見開き、そして、その後、綺麗な大きな目から涙がこぼれた。
 慌てたようにすぐに涙を拭い、顔を覆う。
「ソル……」
「……サラ、よく頑張ったなぁ」
「…………。馬鹿……わ、わたしは、まだ、あの時のこと、許してないんだから……」
「ん? あの時?」
「冷凍睡眠用のポッドに、1人押し込められて……」
「…………。ああ、あれかぁ。はっは。しょうがねぇじゃん、ひとつしか動かなかったんだから。それとも、オレが添い寝したほうがよかった?」
「……ソル、性格変わってる……」
「ん? ああ、これは、アイツのキャラだったか」
 ソルは頭をカシカシ掻いて、困ったように目を細め、ミカナギを見てきた。
「もう、ミカちゃんだってそんなこと言わないわ。ねぇ?」
 ママもその視線につられたのか、そう言って、ミカナギに話を振ってきた。
 ミカナギは誤魔化すように笑って、顎を撫でる。
「う、うぅん……」
 ごめん、トワに散々言って怒られてるなんて、言えない。
 仮にも母親にそんなこと。
 ママはそんなミカナギの様子に、煮え切らないように唇を尖らせた。
 その仕草が可愛くて、思わず、ミカナギは顔が赤くなった。
「サラさん、ミカナギを困らせちゃいけないよ」
「あなた……」
 どこから現れたのか、ツムギが昔のままの、だらしない格好で、笑顔だけは妙に爽やかに現れた。
「やぁ、ミカナギ。また、会えるなんて……こんな奇跡も起こるんだね」
「ツムギ……」
 ミカナギは、今まで呆気に取られている部分があったけれど、ツムギの顔を見て、一気に涙がこみ上げてきた。
「ツムギ……ママ……」
 ツムギがミカナギの傍まで歩いてきて、肩をポンポンと叩いてくれた。
「苦労ばかり背負わせてしまって、すまなかったね」
 ミカナギはその言葉に、ふるふると首を横に振った。
「……もう、休むかい……?」
 ツムギの声は優しかった。
 けれど、ミカナギはその言葉で、ようやく我に返る。
 ここは、自分のいるべき場所ではないということに。
 ミカナギは、白い歯を見せて笑う。
「んぃや。帰るわ、オレ」
「……そうか」
「うん、1人にすると、兎環が泣くから」
「そうか」
「うん。でも、会えて嬉しかった」
 ミカナギの笑みに、ツムギは優しく目を細める。
「ミカちゃん」
「ん?」
「ママのお願い、聞いてくれて、ありがと」
「……お願いっつーか、オレが、すっきりしなかっただけだから」
「それでも、タゴル様には、生きて欲しかったから……心の済むまで、生きて欲しいから」
「…………。ママは、タゴルのことが、本当に好きなんだね」
 その言葉に、ママは目を見開き、その後、クスリと笑って、ミカナギにだけ耳打ちをしてきた。
 ソルとツムギがその様を不思議そうに見ている。
 ミカナギは、ママのその言葉を聞いて、ふっと笑った。
「……そっか」
「うん♪」
 ミカナギはママの満足そうな笑顔に笑いかけた。


『あのね、タゴル様は、2人と違って、頼りなくて……だから、放っておけなかったの……』









 ミカナギは頬に温かい滴が落ちてきたのを感じて、ゆっくりと目を覚ました。
 目の前には青白い顔のトワ。
 泣きながら、ミカナギの顔を見下ろしていた。
 頭には包帯を巻かれ、彼女の膝を枕にして、自分はどうやら眠っていたらしい。
「兎環……すっげ、青い顔してんぞ……大丈夫か?」
 ミカナギのその言葉に、トワは涙を拭い、必死に息を飲み込んでから答えた。
「バカ……あなたのほうがずっと死にそうな顔してるわ……。バカ……バカ……」
 青白い顔にゆっくりと手を伸ばし、優しく涙を拭って、熱の無い頬にそっと触れた。
 トワはその優しい熱にほっとしたのか、再び、目から涙が溢れ出してきた。
 それを隠しもしないで、トワは綺麗な顔を惜しげもなく歪ませて叫ぶ。
「バカ……!」
「うん」
「バカミカナギ!」
「はいはい」
「もう、どこにも行かないって約束したくせに……」
「うん、だから、帰ってきただろ?」
「…………」
「帰ってきただろ? 兎環。お前のトコに」
「……死んじゃうかと思ったんだから……」
 トワの上体が、ミカナギの頭を抱き締めるように動いた。
 ミカナギの鼻先にトワの胸が触れ、ミカナギはふっと笑みを漏らす。
「大丈夫だよ、兎環」
「……よかった……。もう、どこにも行かないで……私の傍から、いなくならないで……」
「ああ、わかったよ、兎環」
 ただ、優しい声で兎環をなだめるようにミカナギは言い、そして、目の前でほにゃほにゃしている胸をじーっと見つめて、笑った。
「なぁ、兎環」
「? 何?」
「どうせなら、胸に顔が埋まるくらい抱き締めてくれっと嬉しいなぁ……なんて」
「ぇ? …………。? ……ば、バカ!」
 状況が理解できないように体を動かしていたトワが、ようやくミカナギの言葉の意味に辿り着いて、凄い勢いでミカナギの体を投げ出して立ち上がった。
「えええええええ。だって、期待すんだろ、そこに胸があるんだから」
 ミカナギは少し痛む頭を擦りながら、トワを追いかけるように立ち上がる。
「人の気も知らないで! なんで、そうデリカシーが無いの?!」
「だぁって、兎環ちゃんの胸、気持ちいいんだも〜ん」
「ちょっと、そんなこと、大きな声で言わないで!」
 トワは真っ赤な顔で振り返り、すぐにミカナギの口を押さえた。
 周囲には誰もいない。荒野がただ広がっているだけ。
 ただ、トワの叫びが周囲にむなしく響いただけだった。
 そして、その時、ミカナギは自分のいる場所にまでようやく考えが行って、慌ててトワを抱きかかえた。
「? な、なに?」
「バカ、なんで、お前、外出てんだ?!」
「え……?」
「苦しくねぇのか? あ、だから、青い顔して……バカやろ、早く中に」
「大丈夫よ」
「なぁにが大丈夫だ。また、そうやって無理して」
「ミカナギ」
 慌てるミカナギに、トワはちょんちょんと肩をつつき、そのまま指で空を示した。
 ミカナギはその指の先を見つめて、ポカーンと口を開く。
 くっきりとした満月が浮かぶ夜空。
 星が無数に散りばめられ、空にはスモッグも何もなかった。
「あなたが目覚めたら、一緒に、見ようと思って。だから、ここに」
「え? あれ?」
「ミカナギ?」
「あれ、夢じゃ……?」
「……終わったのよ、全部……」
「あ、でも、虹が……消えちまったんだな……」
「いいじゃない、そんなのは」
「でも、約束……」
「……私は、あなたと月が見たかったのよ」
「……え?」
「だから、その約束は、今、叶った」
 ミカナギの肩に顔を寄せ、柔らかい声でそう言うと、トワは無造作に口を開き、歌い出した。
 小声で紡がれる歌声。
 大地には響かずに、ミカナギの心にだけ届く。
 ミカナギには意味を解することの出来ない異国の言葉。
 それでも、彼女の心が真っ直ぐに響く。
 ミカナギは月を見つめ、トワは目を閉じて、楽しげに歌う。
 まるで、それは天使の歌声のようだった。
 綺麗な声に聞き惚れて立ち尽くしていると、あっという間にその時間は過ぎ、トワの声が止んだ。
「良い唄だな」
「ええ。でしょう?」
 ミカナギがトワにそう言うと、トワは嬉しそうに笑い、そして、優しい声で言った。
「この唄は、カンツォーネ」
「カンツォーネ?」
「あなたのことが、大好きです、って唄よ」
 月の光が彼女を照らす。
 夜だというのに、その光で十分彼女の顔が見えるほどに。
 まるで、世界が新しい一歩を踏み出したことを祝福するように、月の光は煌々と2人を照らしてくれていた。



*** 第十五章 第一節 第十五章 第三節 ***
トップページへ


inserted by FC2 system