『世界暦:21XX年
  世界管理機構・プラントは民間団体として、新たに建国された○○○国に帰属した。
  この時を迎えるにあたって、筆者はここに記さねばならない。
  今ある日常を、何のことの無い安いものだとは思わないで欲しい。
  その日常を取り戻すために、必死に生きた者たちがいること。
  世界は人の生の積み重ねで出来ていること。
  それを、忘れることのないよう、筆者は願っている。』

 ニールセンは筆を置いて、ぼんやりと部屋を見回した。
 埃のにおいのする、本ばかりが並ぶ部屋。
 雑然としたこの小屋だけは、世界が組み替えられても、他の何が変わろうとも、絶対的に変わることの無い場所だ。
 あの旅が終わり、もう5年の時が経過したが、それでも尚、まるで昨日のことのように、彼らのことを思い出す。
『おい、おっさん。早く来いよ!』
 ミカナギの声が、今にも小屋の外から聞こえてくるのではないか。
 そんなことを考えてしまうほどに。
 ニールセンは昔を振り返って思わず笑みを漏らした。
「そうか……。小生にも、小生しか知らない、記すべき歴史が……あるのだな」
 ニールセンは椅子にもたれ、天井を見上げた。
 父でも関わることの出来なかった……歴史学者としての本懐。
 そこに達した。
「よし……出掛けよう」
 思い立ったが吉日。
 ニールセンの思いつきはいつでも突然に。
 歴史学者としての本懐。
 それは、歴史の分岐点に立たされた者の傍で、その選択を見守り、後世に残すこと。
 名声になど興味はない。
 ただ、残すべき歴史であると考えられるものに立ち会えたこの喜びを、表現せずには居られないのだ。




第三節  眼鏡の朴念仁


『コルト、ちゃんとボルトさんと仲直りしてくるんだよ? それが、再雇用の条件だからね』
『メンドくさ』
『そうかい? じゃ、僕もコルトの再雇用に関しては、反故にするしかないかなぁ。もう、僕も別に偉い人じゃないし、たとえ、雇用してあげられても養ってあげられるとは思えないし』
 ミズキが珍しく冷たい声でそう言うので、コルトは慌ててすぐに答えた。
『わ、わかったよ。話してくるよ! り、リハビリ中の生活費も治療費も全部持ってもらった恩があるんだから、再雇用しないとかは言わないでよ』
『恩も何も、あれは僕のせいなんだから当然の……』
『当然じゃない!』
『コルト……』
『あ、あれは、全部、アタシの不注意だもん。当然とかそういう風に言うなよ』
 ハウデルとコルトが氷βに凍らされた後、チアキの必死の処置のおかげでなんとか一命は取り留められた。
 けれど、その後遺症もあって、ハウデルは警備の仕事から身を引き、コルトも利き手が思うように動かない症状に悩まされることになった。
 ミズキはその件にとても責任を感じているらしく、プラントを出た後も、ハウデルをお世話役として雇い直し、コルトのリハビリ中の費用も全て負ってくれていた。
 だから、当然のように言われたくないのだ。
 ここ数年で長くなった髪を掻き上げて、コルトは目を細める。
『ミズキさんを尊敬してるんだ』
『……え?』
『あんた以外の人のトコで、働く気、ないよ』
 自分ですぐにわかるのは、顔が赤くなっているであろうことだけ。
 ミズキは一瞬不意を突かれたように何も言わなかったが、すぐに茶化すように笑う。
『まったまたぁ。心にも無いこと、言うもんじゃないさ、コルト。僕は尊敬されるような人柄でもなんでもないんだから』
『…………。そう思ってるのはミズキさんだけだよ』
『ん?』
『ミズキさんは、間違いなく、アタシの知る中で一番人間の出来た人だ』
『ハハハハ。なんだぃ? 持ち上げてどうしようって言うんだい? 知っての通り、今、僕はプー太郎なんだから、何も出ないよ?』
『何言ってんだよ、学者だろ』
『プー太郎みたいなもんさ。好きなことがお金になってるんだから』
 コルトは真面目に自分の気持ちを伝えようとしたことを悔やむようにため息を吐いた。
 この人に対しては、これ以上のことは口に出来ない。口にしてもいけないのだ。そう感じる。
『うん、まぁ……誉めてもらえたことは素直に受け止めるよ。コルトには呆れられてるとばかり思っていたからなぁ。そっかぁ』
 先程まで反応が悪かったのに、コルトの表情が曇ったことに気付いたのか、ミズキはニコニコと笑いながら、そう言った。
 そういうところが、彼の罪作りな部分とも言えるのだが、本人が自覚しているはずも無い。
『じゃ、コルト。僕も雇ってあげたいから、ボルトさんとちゃんと話してきてね?』



「コルト! なぁに、ちんたらしてやがんだ! 早くしろってんだぃ」
「うーるせぇなぁ。リハビリ明けの娘、ガツガツこき使うんじゃねぇよ!」
「ふん……追い出されて出戻ってきやがったガキに甘くなんか出来るかよ!」
「だぁから、ミズキさんが休暇くれただけって言ってんじゃん。1週間もしたら、戻るんだよ!!」
「……な、なに? 1週間?」
「ああ」
「っ……はん、そのクソ生意気な顔見なくて済むと思ったら、清々するわ」
「なっ……! んだと、このクソ親父!!」
 この父親と話し合いをするなんていうのは、コルトにとっては、ミズキに対して甘えてみろと言われるよりも難しい。
「どーせ、あの細っこいすかした学者のほうがいいんだろ。ふん」
「細っこいって……ミズキさんに会ったことあるのかよ?」
「お前を追い出してすぐに、奴が挨拶に来やがったからな」
「え?」
「大事な娘さんをお預かりすることになりましたのでとか抜かして、菓子折り持って、綺麗な身なりして」
「……綺麗な身なり? あの人が?」
 コルトは思わずそんなことを口にしてしまった。
 普段のミズキを知っているコルトからすれば、綺麗な身なりをしたミズキなんていうものは、全くもって想像がつかなかった。
「プラントのボンボンが……。ワシはああいうのは好かん」
「い、今はミズキさんはプラントの学者じゃないよ」
「ボンボンには違いねぇだろうが。それに、大体、なんだ? あいつが無茶な仕事回したから、お前だって大怪我して、危うく機械いじり出来なくなるとこだったんだろうが」
「そ、それは、ミズキさんは止めたのに、アタシがやるって言って聞かなかったからで」
「どんな理由があろうと! 娘、傷物にされたら困るんだよ!」
「……え?」
 ボルトは作業の手を止めて、それだけ叫び、コルトが虚を突かれて、呆気に取られている間に、ふいっと背を背けて、また作業を再開した。
「親父……」
「ふん、どこにでも行っちまえ。二度と帰ってくんな」
「……帰ってくるよ」
 コルトの言葉にボルトは驚いたように振り返った。
「なにぃ?」
「だって、ここ、アタシの家だし」
「…………」
「いい?」
「チッ……好きにしろぃ」
 真っ直ぐボルトを見つめるコルトに、たまりかねたようにボルトは腕を組み、顔をあさっての方向に向けて吐き捨てた。
 コルトはそんな父親の様子に、思わず笑いが漏れた。
 顔を合わせれば喧嘩ばかりだったが、ようやく、少しだけ父の考えていることがわかった気がする。
 コルトは服の袖を捲くり、長い髪を結ってから尋ねる。
「で? アタシは何やればいいんだ?」
「街の外に置いてある飛行機がもうすぐ仕上がるんだ。最終点検しといて欲しい」
「わかった。っても、随分、大口の注文なんだな、飛行機なんて」
「いや、2人乗り用の可愛い大きささ」
「ふぅん……。見てくるよ」
 コルトはボルトに対し、久しぶりに笑みを向けてそう言うと、その辺に置いてある工具箱を両手で持ち上げて、自宅兼工場を駆け出した。



*** 第十五章 第二節 第十五章 第四節 ***
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