第五節  姫は小姑?


 4年の時を経て、プラントはすっかり様変わりした。
 所長のポストがタゴルからハズキに代替わりし、施設自体も近未来的な風格のある白を基調とした建物群の寄り集まりではなく、敷地を森の中に移し、ガラス張りの開かれたイメージの強い建造物に変更した。
 元々プラントがあった場所にはミズキが残り、今も好き勝手な研究を続けているが、土地はだいぶ縮小され、代わりにそこ一帯に大きな街が造られた。
 そして、その街の一角にはボランティアの医療施設が造られ、そこのメインドクターの1人として、チアキが働いている。
 その街にあるボランティア施設には大体ミズキが噛んでおり、研究で得た収益を運営費に充てていた。
 軌道に乗ったら、各地に規模を拡大していきたいと、ミズキは笑顔で言う。
 ただし、表立っていないだけで、その費用の内の3分の1ほどは、ハズキが出資していた。
 それを表沙汰にしないのは、相も変わらず、彼らしいと言えるのだが。
「チアキちゃん、薬持ってきたよ」
 この4年でだいぶ背の伸びた伊織が、声変わりによって低くなった声でそう言って、薬瓶の入った箱をその場に置いた。
 白猫のテラが足元でニャーニャー鳴くので、伊織はそっと屈んで優しく喉を撫で、そのまま抱き上げる。
 全てに怯えるような、子供の頃の眼差しは欠片もなく、青い瞳には優しい空気が漂っている。
 髪型は相変わらずの恐竜ヘアー。子供の頃はどちらかというと、にわとりを連想させたが、今の体つきでその髪型だと、不良と誤解されることもしばしばだった。
「あ、ありがとう、伊織」
 チアキがトワの応対をしながら、チラリとそちらを見て笑った。
 作業の邪魔になるからと、丁寧に編み上げた髪を、大きなクリップで留めている。
 眼鏡は相変わらず赤が基調の可愛らしいデザイン。
 トワもチアキに腕の傷痕を見せながら、伊織に対して微笑んだ。
「こんにちは、伊織。お手伝い?」
「う、うん。プラントで培養した薬草とか、お薬を持ってきたんだ」
「伊織、欲しい物があるんですって。それで最初は別のところでアルバイトしようとしたんだけど、ハーちゃんがどうせやるなら、私を手伝ってきなさいって言ったらしくて」
「パパってば、過保護なんだ」
 体は成長したようだけれど、優しい気性は変わらないのか、話し方などは低くなった声に不似合いなほど丁寧だった。
 トワがそれを聞いてクスクスと笑う。
「しょうがないわ、それは。それに、ハズキが心配してるのは……伊織だけじゃないんじゃないの?」
 見透かしたようにトワはそう言い、チアキに視線を動かす。
 チアキがその視線を受けて苦笑を漏らし、伊織はそれを見て不思議そうに首を傾げる。
「伊織の欲しい物ってなぁに? 私が買ってあげようか?」
 トワはすぐに話を逸らすようにそう言った。
「ううん、いいの。ぼく、自分で買うって決めてるから」
 伊織は首を横に振って、トワの言葉を丁寧に断り、ニコニコと笑う。
「チアキちゃん、お仕事ある?」
「ええ。器具の洗浄をしようと思ってたんだけど、今日は人が出ちゃってるから困ってたのよ」
「うん、わかった。じゃ、ぼく、それやるよ」
 伊織はチアキの言葉を受けて、素早く動いた。
 右手を広げて、招き寄せるように手を動かす。すると、溜まっていた使用済みの器具の入ったステンレスの桶がふよふよと浮き上がって、伊織の手に収まった。
「相変わらず、便利な力ねぇ……。私たちの中で、生活に利用できる能力があるのって、こうして見てみると伊織だけよね」
「そ、そんなことないよ。コントロール出来ないと、大変なことになるもの」
「でも、伊織なら暴走なんてしないでしょう?」
 トワは信頼したように笑う。
 その笑みに伊織はカァッと顔を赤らめ、恥ずかしそうに身を縮めた。
「ぼくを誉めたって、何にも出ないの」
 そう言って、タタタッと逃げるように部屋を出て行く伊織。
 トワの薄くなった傷跡に、弱めの傷薬を塗りながら、チアキがクスクスと笑った。
「からかっちゃ駄目よ、姉さん」
「からかったつもりはないんだけど……」
「伊織もね、色々お年頃なのよ」
「14才だっけ?」
「そうよぉ……。元々繊細な子だから、他の人との違いにすごく敏感で。でも、反抗期には全く入らないのが、あの頑固なハーちゃんとは違うところねぇ」
「そういえば、話し方、そのままだものね。ミカナギなんて、10才くらいからカッコつけて、荒い話し方に変わったものだけど……」
「それは、人それぞれだから……。そうそう、伊織の欲しい物ってね?」
「? ええ」
「好きな子への誕生日プレゼントなんだって」
「……そうなんだぁ……。どんな子?」
 トワは不意を突かれたように瞬きをしたけれど、すぐに笑って尋ねてくる。
「そこまでは聞いてないよぉ……。ハーちゃんには内緒ね?」
「ええ。元々、ハズキに会う機会も多くないから、そこは大丈夫。初恋かしら? だったら、応援してあげたいなぁ……」
 トワがしみじみ言うので、チアキはフルフルと首を横に振った。
 トワは小首を傾げて、チアキに視線を動かす。
「誰も気付いてなかったと思うんだけど、伊織は、天羽ちゃんが好きだったのよ」
「…………。え?」
「初めて、お友達になった女の子だったし……。でも、見ててわかるじゃない? 彼女が誰を好きなのか。だから、伊織は全然態度に出さなかったみたいなんだけどね」
「天羽ったら、モテモテねぇ……」
「姉さんも、似たようなものでしょうに」
「え?」
「ううん、こっちの話。今のも内緒ね? 私から漏れたってばれたら、伊織、口聞いてくれなくなっちゃうから」
「ええ、わかってる」
 トワは頷くと、診ていないほうの腕で髪をそっと掻き上げた。
「傷痕、もう少しで全部消えそうね」
「ええ、これで、服のバリエーションつけやすくなるから嬉しい」
「ファッションのファの字にも興味なかった姉さんが嘘のよう」
「イリスさんがたまにカタログを送ってくれるんですもの。少しは勉強しないと悪いかなって思うじゃない」
「……ふふ。素直じゃないなぁ」
「え?」
「姉さんが頑張るのは、兄さんのためでしょう?」
「…………。そんなわかりきったこと、今更口にする必要ないでしょ?」
「姉さんは、相変わらずカッコいいなぁ」
「何それ?」
「ううん。私は、そういう風には言えないから」
「……ハズキとは、上手くいってる?」
「何が上手く、なのか、よくわからないなぁ……。私、年上だし、いまいち動きづらいっていうか……」
「ああ、それは大丈夫よ」
「え?」
「ハズキは、チアキのこと、年上って意識すらないだろうから」
「……そ、それはそれで傷つくんですけど……」
「どうして? それが、チアキのいいところじゃないの」
 トワはチアキの気にしていることなど意に介さないようにふわりと笑った。
 チアキはその笑顔に、思わずつられて笑ってしまう。
 そして、すぐに寂しそうに目を細めた。
「ハーちゃん、忙しいし、プラントの拠点も遠くに移っちゃったから……少し、不安なんです」
「やっぱり、残ればよかったって思ってる?」
「う、ううん。それはないです……。私には私のやりたいことがあって、ハーちゃんには、ハーちゃんのしなければいけないことがあるから。ただ、時々、本当にこれでいいのかなって、思うんですよね」
「…………。そうねぇ……一緒にいることが、幸せかって言ったら、そうでない人もいるんでしょうから、私は強くは言えないけれど」
「はい」
「離れてても絆は消えない、とか、そういうのは、私はやっぱり理想論だと思う」
「姉さん……」
「会いたかったら会いたいって言って、不安だったらその不安を全て受け止めてもらうくらいの……覚悟と勇気が必要なんじゃないかな」
「うーん……」
 チアキが考え込むように処置の手を止める。
 トワは、すっと椅子を回して、チアキに真っ直ぐ向き直った。
「見くびらないでね、チアキ」
「え?」
「私の弟は、あなたの我儘も受け入れられないほど、器量の狭い子じゃないわ」
「…………」
 チアキが困ったように瞳を揺らす。
 トワはしばらく動かずにチアキを見つめていたが、部屋のドアがキィ……と開いたので、何も言わずに、チアキに反対側の腕を差し出すように向き直った。
「洗ってきたよ、チアキちゃん♪」
「え、あ、あ、ご苦労様、伊織」
「うん。? どうか、したの?」
「え?」
「チアキちゃん、泣きそうな顔してるよ?」
「あ、ううん、なんでもないのよ」
 心配そうに伊織がチアキの顔を覗き込み、チアキは慌てたように両の手を振って、笑顔を作る。
 トワはそのやり取りを横目で見やる。
 伊織が元気付けるように、ぎこちなくチアキの髪を撫で、テラの体をふよふよと浮き上がらせて、チアキの膝の上に乗せてやる。
 チアキがおっかなびっくりしながら、テラの頭を撫でた。
 テラは多少嫌そうな顔をしたが、特に抵抗することなく、チアキの膝の上で丸くなる。
 それで、ようやくチアキにまた笑顔が戻った。
「そうだわ。伊織」
 トワは思いついて静かに伊織に声を掛ける。
 伊織は洗浄の終わった器具を元の場所に戻し、新しい洗浄液を桶に注ぎ入れてから、こちらを向いた。
「なぁに? トワお姉ちゃん」
「ハズキに伝えてちょうだい。今晩、チアキが一緒にご飯食べたいって言ってたって」
「姉さん……!」
「え? う、うん。構わないけど、そういうことはチアキちゃんからパパに言ったほうが、パパは喜ぶと思うけど」
 トワはすっと立ち上がって、伊織の傍まで歩いてゆく。
 そして、コソコソと小声で囁く。
「チアキに任せてたら、あと10年はかかっちゃうでしょう?」
「え? な、なにが?」
「2人が結婚するまで!」
「け……。そ、え、え。あ、うん、そうかもね……」
 伊織が2人のやり取りを思い返すように目を彷徨わせて、思い当たったように苦笑いを浮かべる。
「ってことで、伊織、よろしくね」
 トワは静かにそう言い、笑う。
 伊織がその笑顔を見て、あっけらかんと言った。
「トワお姉ちゃん、小姑さんみたい」
「え? 今、何か言った?」
 トワはその言葉に敏感に反応し、引きつった笑みを浮かべたので、伊織はすぐに前言を撤回した。



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