第六節 気障は血筋です。 「ハズキ様、本日の予定はこれにて全て終了です。お疲れ様でした」 ツヴァイがそう言って、深々と礼をした。 ミズキの開発した学習機能を搭載したため、この4年でハズキの秘書役を務めるまでにツヴァイは成長していた。 本機ツヴァイが持っていた情報は持ちえていないが、ミカナギが度々ツヴァイの顔を見に訪れるため、懐いた素振りを見せるようにもなった。 『マスターと呼んでよ』とミカナギがふざけて言った後は、ツヴァイは従順にその言葉を守り続けている。 ハズキはソファにもたれかかって、詰襟のシャツのボタンを外した。 「ああ、ツヴァイもご苦労様」 「明日の朝はマスターのところに出掛けますので、お付き役を別の方にお願いいたしております」 「大丈夫、きちんと覚えているよ」 「お願いいたします」 「ああ」 「それでは、車の手配をして参りますので、ハズキ様はご準備をしておいてください」 「……チアキが急に呼び出してくるなんて、珍しいこともあったものだね。……彼女の家に行くだけだから、別にこのままでも構わないようにも思うけれど……」 ツヴァイはハズキが迷うように呟いているのを優しい眼差しで見てから、スタスタと部屋を出て行ってしまった。 ハズキは上着を脱ぎ、詰襟のシャツのボタンを外す。 上着とシャツをハンガーに掛けると、比較的ラフなVネックのカットソーを被るように着て、一度姿見に映して、全体のバランスを確認した。 髪を櫛で直し、少量のワックスで整えると、ベルトを色の合うものへと変える。 ハズキはトランシーバを手に取って、伊織へと発信した。 2回発信音がして、伊織はすぐに出てくれた。 「どうしたの、パパ」 「伊織、チアキは一体何の用だって言っていたんだい?」 「……パパ」 「 ? 」 「恋人に会うのに、用事っているのかなぁ?」 「な……?」 子供だとばかり思っていた伊織からそんなことをサラリと言われてしまい、ハズキは動揺してしまった。 「パパは、ぼくが一人前になるまで、チアキちゃんとは結婚しないつもりでいるみたいだけど……ぼくのことより優先しなくちゃいけないことあると思うんだ」 「い、伊織?」 「ぼく、チアキちゃんならいいよ?」 伊織は静かにそう言って、あちら側から回線を切ってしまった。 ハズキは柄にもなく、口をパクパクと動かし、表情を歪めた。 「ん? なんだ? どういうことだ? なんだ、この流れは?」 ハズキは動揺を抑えようと、独りごちながら、部屋を歩き回る。 「ハズキ様、準備できましたので、参りま……何をされているのですか?」 「え? あ……い、いや、なんでも。そ、そうだ、ツヴァイ。植物園で薔薇を貰ってきてくれないか?」 「薔薇、ですか? 赤い薔薇でよろしいですか?」 「ピンクの品種があれば、ピンクで」 「承知しました。すぐ戻ります」 ツヴァイは綺麗な姿勢で踵を返し、部屋を出て行く。 ハズキは目を細めて、ソファに腰掛けた。 チアキとの付き合いが長すぎて、そういった類のこととは長らく離れてしまっていたのは言うまでも無い。 4年前にしっかりと想いを告げた後も、大きな変化はなく、元から繋がっていた想いを確認する程度に留まってしまっていたのも確かだ。 ハズキは手を組み、息を吐く。 まさか、こういった形で背中を押されることになるとは思わなかったが……。 自分が結婚を申し込んだら、彼女は困ってしまうのではないかと。そればかりを考えていた。 プラント代表の妻ともなれば、自由ではいられなくなることも多くなる。 自分のものであってほしいけれど、彼女に自由の無い生活を強いるのは気が引ける。 結婚なぞ、形式だけだ。絶対に踏み越えなければならないものではない。 そう割り切ろうとすることもあるくらいだ。 部屋のドアが開き、ツヴァイがピンクの薔薇の花束を抱えて立っていた。 ハズキは視線をそちらに移し、笑みを浮かべて立ち上がる。 「女性への贈答であれば、この品種がお勧め、だそうです」 「そうか……ありがとう」 「では、参りましょうか」 「ああ」 ツヴァイがドアを押さえ、ハズキを通してから部屋を出て、パタンと丁寧に閉じた。 カチャリ……と鍵を掛ける音がし、その後は、2人の足音だけが室内に響いた。 ・ ・ ・ ・ ・ ハズキが小屋の戸を叩くと、すぐに中から鍵を外す音がした。 ツヴァイは街の外に車を停めて待機している。 久しぶりの2人きりの時間だと思うと、伊織の言葉のせいで、余計に鼓動が速まった。 「いらっしゃい、ハーちゃん」 戸が開いてすぐに、彼女は和やかに笑った。 ハズキはその笑顔に目を細めて笑みを返し、持っていた花束を片手でチアキに渡した。 「 ? 」 「久しぶりだし、こういうのもいいかと思って」 「うわぁ……可愛い薔薇。ありがとう、ハーちゃん」 「ああ」 ハズキは目を合わせるのに苦労しながら、出来るだけいつも通りの態度を保つ。 チアキは嬉しそうに薔薇を見つめていたが、我に返ると、ハズキを小屋の中へと招き入れた。 「これ、水につけてくるから座って待ってて?」 「ああ」 ハズキは示された席に着くと、テーブルの上を見つめる。 手作りのパスタとスープ。付け合せのサラダにデザート。 全て、ハズキの好きなもの。 「美味しそうだね」 ハズキはチアキに聞こえるように少し大きな声でそう言った。 部屋の向こう側でキュッと蛇口を締める音がして、チアキが手を拭きながら戻ってきた。 「何か言った?」 「ん……美味しそうだって言っただけだよ」 「全部簡単に出来るものだよ?」 「でも、全部俺の好きなものだよ」 チアキが正面の席に腰掛け、ハズキは胸の前で指を組む。 2人は一瞬目を合わせ、逸らした。 言葉に困るようにどちらもそこから言葉を発さない。 時計の音が、時だけを刻んでゆく。 先に声を発したのはチアキだった。 「ねぇ、ハー……ハズキ?」 「ん?」 「今日、姉さんに、あなたたちはいつになったら結婚するの? って、言われちゃった」 「ふっ……なんだか、母さんみたいだな」 「あ、駄目よ。伊織も同じようなこと言って、姉さん怒らせたんだから」 チアキが思い返すように笑って、そっと眼鏡の位置を直した。 ハズキは組んでいた指に力を入れて、うーんと唸る。 「チアキは……」 「私、別に、結婚とか、考えて、ないから」 ハズキの言葉を遮って、チアキがはっきりと言い切った。 意外な言葉にハズキは驚いて目を見開く。 「……え?」 自分だって考えてはいなかったけれど、いずれは……という気持ちはあった。 彼女には、それすらないということか? 「ハズキが大変なの、わかってるし。でも、私もやりたいことあるし。今までだって、こうして来たんだから、今更って気持ちしか、ないし……。た、たまに、こうやって会って、話せれば、それで、いいじゃない? 違う、かな?」 「……俺は、形式には拘らないよ。チアキが、それで本当にいいのなら」 彼女が望まないのなら、ハズキに強要する権利はない。 彼女のしたいようにさせてあげること。それだけが、恋人として、彼女のために出来る、たったひとつのこと。 ……なのだけれど、なぜだろう? 指が、震える。 結婚など紙面の契約でしかない。 そんな形式なんて、どうでもいいと思っていたはずなのだけれど、実際問題、要らないと言われてしまうと、まるで自分が要らないと言われてしまったようで、無性に悲しい。 チアキもハズキを見て、ハズキの言葉に少々寂しそうに目を細める。 チアキは控えめで遠慮がち。 ハズキは甘え方を知らない。 相手に何かを求める時、その1歩を、この2人では、自分から踏み出すことが出来ない。 この関係だけは……昔からそのまま。何ひとつ変わってなどいない。 「は、ハーちゃん……」 「なんだい?」 「私は、ハーちゃんのこと、好きだよ」 「ああ、俺もだよ」 ハズキは精一杯の気持ちを込めて、優しく目を細めて笑う。 けれど、チアキは泣きそうな顔でこちらを見ていた。 ハズキの表情が固まった。 「誰よりも?」 「え?」 「私がいちばん?」 「……チアキ……」 「私がいちばんなら……それだけで、いい……。我儘なんて言わないよ……」 チアキは俯き、眼鏡を外して、誤魔化すように涙を拭った。 ハズキの思考がそこでようやく動き出す。 「我儘? チアキ、俺に何を望むの? 言ってごらん?」 「……何も……」 「嘘だよ、それは」 ハズキは静かに立ち上がって、チアキの元まで歩み寄り、ゆっくりと跪いてチアキを見上げる。 チアキの小さな手を優しく握って、笑う。 「チアキの望みを聞かせて? 俺は、それに添えるように最大限の努力をしよう」 「駄目だよ。ただでさえ、大変なのに……」 「疲れた時、君が俺に笑いかけてくれれば、俺は全然平気なんだよ? そのためだったら、俺はその他の苦労なんて、なんとも思わない」 チアキの手を自分の頬に当てて、そっと目を閉じる。 甘えられない不器用さ。それを隠すために身に付いた、最大限の意地っ張り。 「何もないよ。私は、たまにこうしてご飯を食べて、たまにお出掛けをして、そういう何気ない時間を、共有出来れば、それでいいんだから」 「チアキ、じゃ、俺の我儘を聞いてくれるかい?」 「え?」 「俺は、チアキの声で目を覚まして、チアキの声を聞きながら眠りにつきたい。時には、こうして甘えるように君の胸に埋もれて」 そっとチアキの腰に手を回し、ぎこちない動きで抱き締める。 「時には、君を怒らせて右往左往したい」 「ハーちゃん……」 「俺も、結婚なんて、どうでもいい。君を縛りたくはないから。でも、俺の傍にいて欲しい」 チアキの鼓動の音がする。 トクトクトクと速い脈が伝わってくる。 いつもの彼女の脈。 タゴルの養子になってすぐの頃、ハズキは眠れずに廊下を歩き回っていた。 その時、足音に気が付いて、眠い目をこすりながら出てきてくれたことがあった。 聞こえるはずも無いのに。彼女は、ハズキが泣いている声が聞こえた気がしたと言って、優しく笑った。 君なしではいられない。 20年前からずっとそうなんだよ。 「……今晩、泊まってく?」 チアキが少し迷ってから、恥ずかしそうにそう言った。 ずっと一緒に、は、無理だ。 2人のやりたいことを優先したいと思っている今は、それは出来ない。 それでも、望んだ時に、当然のようにここに訪れることの出来る自分を、作りたい。 昔は簡単に出来ていたことなのに、いつの間に、出来なくなってしまっていたんだろう? 「うん、じゃ、ツヴァイに帰るように、連絡しないと」 「あ……でも、それだと……」 「子供じゃないんだし、別にいいだろ」 ハズキは慌てるチアキを見て、こみ上げる笑いを堪えながら、からかうようにそう言った。 |
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