第七節  僕の天使と、僕の心


『ごめんね?』
 ミズキの言葉に脅えるように、天羽は大きな目を伏せた。
 この3年で伸びた背、伸びた髪。
 3年前には想像もできなかった、整ったプロポーション。
 あと2年で、成長がなくなってしまう彼女の体は、一生懸命、女性としての綺麗さを得ようと変化していた。
 彼女が見せた表情の艶っぽさに、今更見惚れる。
 それ以上、言わないでと言うように、フルフルと首を横に振る天羽。
 ふわふわの髪がその仕草で、微かに揺れる。
 ポロリと涙がこぼれる。
 僕だけの天使。
 僕を救ってくれた天使。
 理想の……女の子……。
 今更自覚する。断った後に気付くなんて、なんて自分はお粗末だろう。
 自分がトワを見つめていることに気付いていながらも、ずっと手を握ってくれていた女の子がいたのに。
『好きだよ、ミズキ……。大好き。ふぇ……、それでも、ダメ、なのかなぁ……?』
 天羽は泣きながら訴える。
 ミズキの袖を握って、イヤイヤと首を振りながら、一心に想いをぶつけてくる。
 その姿に、ミズキの心がぐらつく。
 駄目なパパだ……。
 この子を、きちんと歩かせてあげなくてはいけないのに。
『天羽』
『あも……頑張ったよ……。お姉ちゃんにはなれないけど、頑張ったもん……』
『うん。……ねぇ、天羽? 勝負をしないか?』
『ぇ……?』
『これからしばらく、離れ離れで過ごして、それで、僕が天羽を欲しくなったら、僕は天羽のものだ』
『…………』
『けど、天羽がもし、他に好きな人が出来たら……天羽はその人のものだ。媚薬でも何でも作って、僕は天羽の恋を全力で応援する』
『しょ、勝負に、なってないよ……だって、ミズキがあたしを欲しいなんて、思う訳ないもん。子供だと思って……そうやって、あしらおうとしないで』
『そんな気は毛頭ないよ。……僕にも、時間をくれないかって、そう言ってるだけさ』
『……ミズキは、意地悪です』
『そ、そうかな?』
『だって、あたし、3年も我慢したのに……』
『天羽は自由に恋をしていい』
『え?』
『縛られるのは、僕のほうさ。僕に魅力がなければ、天羽はどんどん次の人を見つけていいんだ』
『な、なんだか、おかしいよ、そんなの』
『僕の中の天羽と』
『 ? 』
『天羽の中の僕が、等しければ、天秤は動く。等しくならなかったら、それで終わりさ』
『飄々と言われると、遊ばれてるような気がする』
『幻滅されるなら、それまでってことだね』
 ミズキは目を細めて、そっと言った。
 天羽がその言葉に悔しそうに目を細める。
 パシンとミズキの頬が鳴いた。
『ミズキ、嫌い! あ、あたし、無理だもん、そういうの』
 天羽はその翌日、荷物をまとめて、家出していった。
 アインスがすぐに気が付いて、追いかけていったけれど、ミズキは気が付いても、何も言わなかった。







 プラントの所長が代替わりする際(と言っても、呼称は「代表」へと変更された)、勿論、ミズキの名前も所員たちの中からは挙がったのだが、ミズキは笑顔でそれを一蹴してやった。
 そう。そんなものには全く興味が無い。それこそ、約束も何も、自分を縛るものが何ひとつ無い今は、そんなものの存在なんて、ただ邪魔なだけだ。
 真面目な弟が全てきっちりとやってくれる。
 ミズキは、風のように自由に、水のように柔らに生きることが向いている男だから、組織なんてものに属するのは向いていない。
 だから、自分は笑顔で出来ない兄を演じればいいだけ。
 ミズキは模型を組み立てながら、軽く鼻歌を奏でた。
 ハウデルがその様子を優しい眼差しで見守り、正面のソファにもたれかかるように座っているミカナギは怪訝に目を細める。
「ミズキ、何、作ってんだ?」
「ん? これかい? 虹が降らせた光の雨の正体さ♪」
 奇怪な形の模型。
 ミカナギはミズキの言葉に少し興味を持ったように体を起こして、未完成の模型をじっくりと眺める。
「超微粒子の清浄装置」
「え?」
「1粒で、この研究所くらいの大きさなら1分もあれば、汚染された空気を浄化してくれちゃうよ」
「……マジで?」
 ミズキの趣味で建てたミズキ研究所は、プラントほどではないけれど、それなりの大きさを誇る。
 その大きさを浄化してしまう、となると、かなり高性能の清浄装置ということになる。
「今の時代、造れる人なんて存在しないレベルさ。微粒子レベルの大きさというだけでも舌を巻くのに」
「へぇ……」
「あの虹が人に造られたものであるのなら、これを造った人は、誰かが世界を綺麗にしてくれっていう願いを口にすることを見越して造ったんじゃないか……なんて、考えられないかい? ミカナギ」
「……考えすぎだろ? 現に、今、この時代じゃ造れないレベル、ってお前が言ったんじゃん」
「そうだけど、そうだけれど、あれ以来、あの虹は姿を見せないじゃないか。それって、その願いを叶えることが最終目的だったから、なんじゃないのかな?」
「うーん……? 何が言いたいのか、いまいち、オレはわからん」
「男のロマンさ、ミカナギ」
「ロマン?」
「そう! 未来人! タイムトリップ! それによって、生じるタイムパラドックス!! もしも、これが未来のものなら、時間移動が可能であることが実証されることになる」
「…………。あいっかわらず、お前は……。ハウデル、アンタも苦労すんね」
「はっは、坊ちゃまが楽しそうであれば、私は構いませんよ」
「……ったってさ、コイツも今年で30才だぞ?」
「心が少年でない坊ちゃまなど、坊ちゃまではありませんから」
 ハウデルは優しい声でそう言うと、楽しそうに笑う。
 ミズキは目をキラキラさせながら、そんな2人の会話など意にも介さずに模型を組み立てる。
「ロマンは大事だよ、ミカナギ」
「……そんで? お前のロマンの塊たちは今どこを旅してるわけ?」
「さあねぇ……?」
「なんだ、随分放任主義だな」
「アインスがついてるからねぇ」
 ミズキは柔らかく笑顔を作ると、模型を組み立てる手を止めて、ソファにもたれかかった。
 ミカナギがその様子を見つめている。
 ミズキはハウデルに視線を動かし、2人にしてくれないかと目配せした。
 ハウデルが深々と頭を下げて、部屋を出て行く。
 ミズキはゆっくりと体を起こして、膝に肘をつき、手を組んで、その上に顎を乗せた。
「試してるんだ」
「へ?」
「僕の心を」
 ミズキは真面目な顔でそう言うと、そっと目を細めて、視線を床に落とす。
「あの子が僕を好きでいてくれることは、この上なく嬉しいんだ」
「…………」
「けれど、あの子の想いに応えられるほど、僕の中には強い想いがないような気がする」
「ミズキ、想いが勝ってなきゃ、応えちゃいけないって理屈はどこにもないんだぜ?」
「天羽のことを誰よりも愛している自信があるよ。だけど、天羽には勝ててないんだ。僕は負けず嫌いだから、それが悔しいみたいだ」
「オレぁ、カンのことを親友だと思ってるし、ミズキ、お前は大事な弟だからな、どっちの肩も持たねぇけどさ」
 ミカナギは静かにそう言い、真っ直ぐにミズキを見据えてくる。
 ミズキはその眼差しに気圧されるように、表情を硬くする。
「天羽を笑顔にする気がないんなら、変なちょっかい掛けんな」
「…………」
「自分可愛いで、恋愛できると思ったら、そんなのはお門違いだぞ」
 ミカナギは厳しい口調でそう言うと、ゆっくり立ち上がって、疲れたように息を吐き出し、そのまま部屋を出て行ってしまった。
 ミズキはぼーっと天井を見上げ、ミカナギの言葉を反芻する。
 そりゃ、天羽も怒るよね。
 100%で立ち向かった相手が、盾持って全力防御でかわして、逃げようとしたんだから。
 ミズキはポケットに入れていたトランシーバを引っ張り出し、天羽に向けて、発信した。
 掛けるのはいつも自分から。
 天羽からは決して掛かってこない。
 天羽は……顔が見たいと思ったら、トランシーバなんて使わずに、その人の元を訪れる子だったから。
 だから、天羽が出て行った後は、一度も2人は会話をしていなかった。
 ドアの外で、天羽のトランシーバの着信音が鳴る。
 慌てて切ったのか、着信音はすぐに止んだ。
 ミズキは驚いて、しばし、ドアを見つめていたが、相手が入ってくる気配がないので、こちらから動く。
「天羽、入らないのですか?」
 ドアの向こうで、アインスの声がする。
 アインスからは天羽の健康状態に問題がないかどうかの連絡をいくつも貰っていたから、それほど離れていた気はしない。
 ミズキは少し待つように、ドアノブを握ったまま、停止した。
 あちら側で、迷うようにドアノブを見つめている天羽が、目に浮かぶ。
 あれから、1年しか経っていないけれど、彼女はその間にどれほど成長したことだろう。
 そんなことに思いが行く。
 自分は何も変わらないけれど、彼女は蛹から蝶に生まれ変わる、その過程にいる。
 その経過を傍で見守れなかったことが、残念でならない。
 だから、ミズキは優しい声で言った。
「天羽? いるのかい?」
「……うん……」
 ミズキはドアを開く。
 長い髪を2つに結って、天羽は可愛らしいリュックを背負ったまま、そこに立っていた。
 その隣には、カノウがいる。
 可哀想なことに、天羽には完全に背を越されてしまったらしい。
 意外な人物の登場に、ミズキは一瞬戸惑ったけれど、3人に対して、笑顔を向ける。
「おかえり」
「……ほら、天羽ちゃん」
「ぇ、あ、うん……。ただいま、ミズキ」
 天羽はなんともバツが悪そうに、床に視線を落として、小声でそう言った。



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