第八節 さようなら、ボクの天使 『あれ? 天羽ちゃん?』 1人で旅を続けていたカノウの前に、彼女は4年ぶりに現れた。 アインスを引き連れて、ピンクのリュックサックを背負い、高いヒールのブーツを履いている。 長くなった髪を2つに結って、背が高くなったせいか、お気に入りのセーラー服の丈は、短くなっていた。 天羽は服を眺めて、アインスにあーでもないこーでもないとぶつくさ何か言っていたようだったが、カノウに声を掛けられて不思議そうに振り向く。 カノウの顔を見た瞬間、表情がぱぁっと明るくなった。 顔立ちが少し大人びたにも関わらず、その表情の変化は全く変わらない。 持っていた服をワゴンに戻して、カツカツと歩き、カノウに抱きついてきた。 『うっわぁ、カンちゃんだぁ♪ 懐かしいいいいいい』 カノウはその反応にたじろいで、一瞬腰が引けたが、天羽があまりにも嬉しそうに笑ってくれるので、引きかけた体を立て直して、優しく天羽の髪を撫でた。 『うん、久しぶり。どうしたの? こんなところで』 『ん〜? 旅行中なの。アイちゃんと2人で♪』 『……え? ミズキさんは?』 『……むぅ……ミズキはぁ……ミズキは忙しい人だから』 『天羽は家出中です』 天羽が言葉を濁していると、アインスが呆れたようにそう言った。 『あ、あ、あ、アイちゃん〜!』 『家出ぇ?』 カノウは眉をひそめて、目の前でわたわたしている天羽のことをじとーっと睨む。 『旅行の資金は、全てミズキ様のシークレット口座から引き落としです。嫌がらせのつもりでしょうが、荷物を持たされるおれの身にもなってほしいもので』 アインスは両手に抱えている荷物を示すように、両手を上げる。 『う、あ、アイちゃんには悪いと思うけどさぁ……あ、あたしの気が済まないんだもん〜』 『喧嘩でもしたの? ミズキさんと? あんなに仲良しだったのに?』 『反抗期……です』 アインスが目を細め、呆れるように言い放つ。 天羽がその言葉に怒ったように唇を尖らせる。 『違うもん! 反抗期じゃないもん! あたし一筋だって言ってたくせに、おかしなことばっかり言うから! あたし、我慢できなくなって……』 『……こういう調子で、帰りましょうと言っても、聞く耳持たずなんです』 『……はぁ……』 カノウは困ったように眉を八の字にして、天羽を見上げる。 天羽はそこでようやく我に返ったように、顔を真っ赤にして視線を泳がす。 それから、話を逸らすように笑った。 『……か、カンちゃん、元気そうで良かった。誰にも言わないで出てっちゃったから、お兄ちゃんとか、すっごい怒ってたんだよ?』 『1番怒っていたのは、天羽です』 『あ、アイちゃん!』 天羽が恥ずかしそうにアインスの腕を引っ張って、余計なことを話さないでとでも言うようにプレッシャーを掛ける。 それを意に介しているのかいないのかわからないが、アインスは棒読みで『はっはっは』と笑った。 しばらく会わないうちに、更に人間味が増したアインスについ笑いがこぼれる。 『ごめんね……? みんなとお別れするの、辛かったから、さ』 カノウは静かにそれだけ言って微笑む。 本当は、あの時、1人だけ勘付いてカノウに釘を刺した人物がいたのだけれど、彼は嫌がるだろうから、カノウはその人のことは2人には言わなかった。 いつでも帰っておいで? ここは、君の家でもあるのだからね。 彼の言葉が脳裏を過ぎる。 『考えたいことがたくさんあったんだ』 『それでも、声掛けてくれたら、あ、あたし、ついてく気満々だったんだよぉ? 置いてくなんて酷いよぉ』 『1人で、考えたかったんだ』 カノウは大人っぽく笑い、天羽の頭を撫でて、天羽から離れる。 『何を?』 『色々』 『色々って?』 『ボクの好きな人のこととか、将来のこととか、色々。皆といたら楽しいけど、いつまでも一緒にはいられないから、だから、自分できちんと納得するまで考えて、答えを出したら……帰ろうと思ってた』 カノウは、1歩、2歩、3歩、とステップを踏むように2人から離れてクルリと振り返る。 『ボク、弱い自分が嫌いだったんだ。弱いのに、強いと思い込んでた自分が』 『カンちゃんは、弱くないよ』 『弱いんだよ。天羽ちゃんは、ボクを贔屓してくれてるから、そう言ってくれるだけなんだ。だって、ボクに対して、優しくてあったかい人なんて言ってくれたの、天羽ちゃんだけだったもの』 『優しいよ……カンちゃんは。だって、いなくなったの、あたしを、困らせないためでしょお? あたし、だから、怒ったのよぉ……』 『天羽ちゃんってば、自意識過剰なんだ。ハハッ』 カノウは天羽の言葉を受けて、青い空を見上げて考えるように目を細めてから、誤魔化すように笑った。 『それに、ボクは、そんなに出来た人間でも、自信過剰な人間でもありません。純粋に、見たくなかったんです。2人が上手く行く過程を』 『カンちゃん……』 『答えが出たから、戻ってきたところなんだよ? それなのに、家出とか……。あんなにいい子だった天羽ちゃんが、すっかり不良少女? お兄さんは悲しいなぁ』 カノウは茶化すように笑って、帽子を直し、天羽の元まで歩み寄る。 アインスがそんな2人の様子を見つめている。 カノウが天羽の手を取って、そっと口付ける。 不意をつかれたせいか、天羽は反応できずに目だけがまん丸になった。 『もしも、ミズキさんと上手く行ってなかったら、ボクが連れ去ろうと思って、戻ってきた』 出来る限りクールに、カノウはそう言い切る。 天羽は想像もしていなかったのか、何も言わずに、フラフラとカノウから離れる。 『天羽ちゃん?』 『あ、ご、ごめん……。ちょっと、1人にして?』 混乱する思考を整えようと必死なのか、天羽はそう言って、通りへと消えていってしまった。 カノウはそれを追いかけずに、ため息を吐く。 アインスが横目でその様子を見、にわかに口元を緩めた。 『随分、厳しいですね』 『いつまでも、逃げ場にされちゃ、たまらないでしょう?』 『……そんなつもりは、あの子にはないでしょうけど』 『うん。だから、余計、タチが悪いんだ』 カノウは目を閉じて、クスッと笑う。 失恋の傷は世界の果てに埋めてきた。 だから、もう、何も怖いものなんてない。 『今回、戻ってきたのは……お父さんから呼びつけられたのが、本当の用件。天羽ちゃんとは、会うつもりもなかったよ』 『なんだか、カノウ、変わりましたね』 『そう? 冷たいヤツになった?』 『いいえ。大人になってしまいました。ニールセン・ドン・ガルシオーネ2世が、さぞ悲しむでしょう』 『はは、ニールセンさん、懐かしいなぁ。しょうがないよ、ネバーランドなんて、どこにもないんだし』 『身体だけは、ネバーランドの住人のようですが』 『…………。アインス、君は嫌な奴になったみたいだね』 『そんなことはありません。軽いジョークです』 『そういうところが、嫌な奴なんだよ』 カノウはアインスの言葉に笑みをこぼす。 アインスもカノウのその様子を見て笑った。 それが、ミズキ研究所に戻ってくる3日と2時間32分前のこと。 ・ ・ ・ ・ ・ 「やー、カノ君が帰ってきてくれるなんて、嬉しいなぁ。コルトも復帰してくれるし、これで、カノ君まで戻ってきてくれたら、僕の研究所も安泰なんだけれど」 「……別に、帰ってきたわけじゃないんですけどね」 ミズキが朗らかに笑って迎えてくれる中、カノウは出来うる限りしれっとした態度で言葉を返す。 ハウデルがお茶を淹れて、3人の前にティーカップを置いてから、壁際に待機するように立つ。 「え? そうなのかい? なんだろう? タゴル伯父にでも呼ばれたかい?」 「天羽ちゃんを、連れて行きたくて」 「……え?」 「天羽ちゃんを旅に連れて行きたくて、戻ってきました」 君のための嘘八百。 きっと、こんな嘘は数日も経てば、ぼろが出るけれど、この場だけの嘘なら、たいしたことない。 「へ、へぇ……。それで?」 「それでって?」 「天羽は、どうしたいんだい?」 「え? あ、あたし?」 ミズキの言葉に、天羽が困ったように目を細める。 素直な天羽は、カノウの口だけの嘘にも気付かずに、この3日間ずっと悩んでいたようだった。 まだ、カノウが天羽のことを好きだと、そう思わされていれば当然だろうか。 「カンちゃんと、また旅が出来たら、楽しいだろうね。本当は、あの時、一緒に行きたかったし……素直にそう思う」 「そっか……じゃ、天羽は、カノ君と行くかい?」 カノウは真っ直ぐにミズキを見つめる。 ミズキは寂しそうに目を細めて、何かを迷うように目を泳がせている。 うわー、じれったぁい……。心の中でカノウの呟きが響く。 「ミズキさんって、天羽ちゃんのこと、どう思ってるんですか?」 「え? そ、そりゃ、大事な娘、に、決まってるじゃないかぁ」 「前、ミズキさん、言いましたよね。天羽は誰にもやらないよって。あれは、口だけだったんですか?」 「…………」 「答えて下さい。口だけだったんですか? そうなら、ボクは強引にでも、天羽ちゃんを連れて行きます。彼女が笑顔にならない未来なら、そんなの意味がない」 天羽が2人のやり取りを見ながら、あわあわと首を動かす。 ミズキは眼鏡の位置を直し、考え込むように俯いていたが、しばらくしてから溜めていた言葉を吐き出した。 「口だけなはずがないだろう」 その言葉に、天羽が驚いたように動きを止める。 「気持ちが定まっていなかったのは確かだ。そういう面では、無責任な発言だったかもしれない。けれど、僕は……、僕には、天羽が、必要だ。それが、この1年で、よくわかったよ」 いつものふざけた口調など微塵もない。 冷えた真面目すぎる声。 それが、彼の本当の声かと……思わされるほどに、鋭い声。 「天羽」 「ぇ、は、はい!」 「僕は元来、こっちのほうが本性だけれど……それでも、まだ好きだと言えるかい? 何の面白みもない、負けず嫌いで頑固で、扱いづらい男でしかないけれど」 まるで、天羽を脅すように、ミズキの声は研ぎ澄まされていた。 「…………。あ、あは。そんなの、知ってるよ。だって、あたしも、そうなんだから」 天羽は、そっとミズキの手に触れて、にゃっぱりと笑う。 「ご、ごめんね、カンちゃん。あたし……」 「あー、疲れた」 「え?」 「慣れないことするもんじゃないよねぇ。そう思わない? アインス」 「……そうですね。けれど、意外と様になっていましたよ、カノウ」 アインスとカノウの会話に、天羽は不思議そうに首を傾げ、ミズキは思い当たったように笑う。 カノウは颯爽と立ち上がり、ニッコリ笑って、片目を閉じる。 「それじゃ、ボク、お父さんに呼ばれてるから、行くね。これ以上遅くなったら、何言われるかわかったもんじゃない」 「か、カンちゃん?」 「ごめんね、天羽ちゃん、騙すようなことして。でも、良かった。役に立てて♪ 君のためにできるコト。これだけは、ずっと、ボクの中で答えが出なかったから、すっきりしたよ。ありがとう」 部屋のドアをハウデルが開けてくれたので、カノウは会釈をして、部屋を出た。 ニールセンが昔言った。 カノウの勝率は5割だと。 天羽の心変わりの可能性は、少なくないと。 逃げなければ、勝率は上がっていたかもしれない。 けれど、カノウは逃げたのだ。 その上で、更に彼女の気持ちを望むなんて、そんな身の程知らずなバカには、カノウはなれそうにない。 虹に登って、月を見上げた、5年前のあの日を思い出す。 月と虹の光を受けて歌う彼女は、とっても綺麗だった。 その笑顔の輝きを、誰よりも知っているのは自分自身だ。 その笑顔の花を常に咲かせ続けられるのが、自分でないことはとても悲しいけれど、彼女には幸せでいて欲しいのだ。 気が付いたら、涙が溢れていた。 世界の果てに、失恋の傷は埋めてきたはずだったのに、恋の花はまだ……自分の胸の中に、残っていたらしい。 「ッ……く……」 こぼれる涙を拭い、廊下の壁にもたれかかる。 22才。もう大人だ。……泣くな……。泣くなよ。 心の中で言い聞かせ、必死に涙を堪えようと、唇を噛み締める。 「? あれ? カノウ?」 いきなり、声を掛けられて、カノウはビクリと肩を震わせる。 こんな恥ずかしいところ、誰にも見られたくなかったのに。 必死に涙を拭って、呼吸を整えてから、カノウは振り返る。 大きなバッグを肩から提げたコルトが、そこには立っていた。 羨ましいことに、カノウより背が高くなっている。 髪が長くなっていたから、一瞬誰かわからなかった。 「なんだよ、お前。なんで、ここにいんの? てっきり、どっかで野垂れ死んでるとばっかり思ってたのにぃ」 コルトは嬉しそうに笑って、カノウの傍まで駆け寄ってきた。 「ひ、久しぶり」 「おう、久しぶり! なに? あ、もしかして、ミズキさんが雇用したいって声掛けたとか? だったらさ、受けろよ。アタシもさ、ようやく手治って、仕事できるんだ♪」 「……う、うん。そうだね。もし、そういう話になったら、その時はよろしく」 「なんか、反応鈍いなぁ。相変わらず、ノリ悪いっつーか」 「うん、ごめん。ボク、急ぐから。それじゃ」 「…………。何があったか知らないけど、元気出せよな?」 カノウの通り過ぎるのを見送りながら、コルトは少し考えてからそう言ってくれた。 カノウはコクリと頷いて、後ろ手を振って、それに応えた。 |
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