『世界で1番綺麗だ』
 恥ずかしげもなく、あなたが言う。
 ねぇ、知ってる?
 私は、いつまで経っても、あなたのその言葉に、耳が馴染まないの。
 恥ずかしくて、顔も見られなくなるから、そんなことばかり、私に言わないで。
 あなたに、嫌われそうなことばかり、言ってしまいそうになるから。


第十節  君と、歩いてゆく


 ミカナギは自動演奏ロボットたちとアインス・ツヴァイのセッションを聴きながら、空を見上げた。
 冬の空は澄み切って、凍えそうな温度の中、さめざめと爽やかな青を湛えている。
 ママが自分たちに見せたかった青空。
 ママが見たかった青空。
 けれど、ママが見たかったのはきっと、この空の下でみんなが笑っている……この光景だ……。
 ロボットたちの演奏に合わせて、トワが歌い出す。
 その声につられて、ミカナギは振り返った。
 トワは綺麗な赤いドレスに身を包み、とても軽やかに、奔放に、歌声を紡ぎ出す。
 そこには、かつてあったと言う悲しい響きはどこにもなかった。
 その唄は、ママの好きだった唄。
 その歌声は、まるでママのようだった。
 その声に聞き惚れるように、みんなが食事の手を止めた。
 お茶を淹れて回っていたハウデルが、懐かしむように目を細める。
 ミカナギは白い息を吐き出し、目を細めて笑う。
 最愛の人の願いを叶えるために、自分に出来ること。
 それを果たすことが出来た。
 彼女の笑顔を見ると、それを実感できる。
「あたしも混ぜて〜☆」
 天羽が元気いっぱいに手を挙げて立ち上がり、淡いピンクのフリルのショートドレスを翻して、トワの元に駆け寄った。
 トワの腕を抱き寄せ、リズムを取って、曲の中に溶け合うようにはまる。
 トワが天羽に譲るように、コーラス部分にシフトする。
 天羽は若干戸惑ったようだったが、可愛らしい声で楽しげにトワのバトンを引き継いだ。
 タゴルが間を計るように立ち、ミカナギの脇に来て、静かに言った。
「今更だが、おめでとう」
 元王族だけあって、フォーマルな服がかっちりと似合っていた。
 ミカナギは苦笑しながらも、彼の言葉に会釈を返した。
 タゴルはミカナギの様子を見、嘲るように含み笑う。
「な、なんだよ」
「いや、馬子にも衣装だ、と思っただけだ」
「う、うっせぇ。だぁから、オレはヤダって言ったんだ……。トワのドレス姿見られりゃ、それだけでよかったのに」
 ミカナギは襟元のブルーのタイを緩めながら、息を吐く。
 イリスはミカナギが嫌がるのを察していたのか、ミカナギ用の服は用意してこなかったのだが、ミズキ邸に着いたら、アインスに軽々抱き上げられ、無理矢理着替えさせられたのだ。
 白のロングタキシード。中にグレーのダブルスーツ。
 青いスカーフネクタイ。
 髪の毛もオールバックに固められ、普段のミカナギからは想像出来ないくらい、しっかりした格好だった。
 すかした格好良さを嫌うミカナギにとってはため息ものだが、女性陣からのウケは抜群に良かった。
 とはいえ、そんな中、一番大事な彼女が何も言ってくれなかったので、ミカナギにとっては、あまり意味がないのだけれど。
「……ツムギもサラも、喜んでるだろう」
 タゴルは静かに言い、空を見上げた。
 彼の髪と同じ青。
 彼の、唯一の誇り。
 ミカナギは目を細め、ぶっきらぼうに言葉を吐き出す。
「アンタが笑える世界になったか?」
「それは私の問題だ。お前が気に掛ける必要はない」
「ママは、アンタが笑ってないと、心配するんだ」
 ミカナギの言葉に、タゴルがこちらに視線を寄越した。
 そして、優しく笑みを浮かべた。
 それは、ミカナギが初めて見た、彼の優しい笑顔。
 ママの心を捉えた理由が分かってしまうほどに、優しい、笑顔。
「私は、サラのために生きよう」
「え?」
「それ以外の目的などない。だが、目的がないよりはずっとマシだ」
「……タゴル……」
「今は、出来の良すぎる息子の面倒でいっぱいいっぱいだよ。それでは、私は忙しいので、そろそろ失礼する」
 綺麗な姿勢で礼をして、タゴルはミズキ邸の庭を出て行く。
 カノウがそれに気がついて立ち上がりかけたが、タゴルはそれを手で制し、早足で歩いていってしまった。
「よぉし、僕もはまろうかな♪」
 ミズキがノリ良くそう言って、カノウの腕を引きながら、天羽とトワの脇に並ぶ。
「え、ちょっと、ミズキさん……! 無理ですよ!! ボク、こういうの、得意じゃない……」
「みんな聞いて欲しい。カノ君は、春からプラントの技師として働くことになった。タゴル伯父の推薦でね♪」
「み、ミズキさん……! それも、まだ、ボク、了承してないんですってば! 気侭な1人旅のほうが向いてるし」
「君の技術を世界に広められるチャンスじゃないかぁ。1人旅で広めるなんて言わないで、きちんと受けてごらんよ。もういい年した大人なんだからねぇ。世に役立たない才能は、ただのゴミだよ♪」
「それをミズキに言われたくないんじゃない?」
 ミズキとカノウのやり取りを見て、トワがコーラスの声を止めて、静かにそう突っ込んだ。
 その言葉に、その場にいた全員が笑う。
 ミズキがカノウと肩を組んで、調子外れな唄を歌い、天羽がそれをカバーするように合わせた。
 トワは天羽から手を離し、演奏の輪から抜けて、ミカナギの元へと歩いてくる。
 ニールセンがトワの行く先を見やり、ミカナギに対して、ニヤリと笑みを向けてくる。
 ニールセンには色々と茶々を入れられそうで、招待状を出していなかったのだが、彼が思いついたようにミズキ邸を訪ねてきたのが昨日のこと。
 そして、2人の結婚式の話を聞きつけて、そのまま堂々と参加している。
 なんで、ここにいるんだと尋ねたら、彼は一言こう言った。
『歴史学者の本懐を果たしに来た』
と。
 正直、ミカナギにとっては意味が分からなかったが、彼の中では意味のあることなのだろうから、何も言わなかった。
 氷の膝に座って、静かに唄を聴いていたサラが、何かを感じたようにこちらを見た。
『あらぁ……トワちゃん、もう歌ってくれないの?』
「……え?」
 ミカナギは突然耳元でした声に、驚いて振り返った。
 けれど、そこには誰もいない。
『サラさん、駄目だよ。少し見るだけって約束だったじゃないか』
『だって……席、空いてるのよ? ほら、むぎむぎも座って?』
『……しょうがないなぁ……』
『コイツは言うこと聞かないんだよ』
『わかってます……』
 おかしそうに笑う男の声と、呆れたようにため息を吐く男の声。
『ハウデル。わたしにも、お茶を頂戴♪』
『サラさん。だから、僕たちは見えないんだから……』
『……つまらないわ。みんな、楽しそうなのにぃ』
 ミカナギは頭の中で響くような声に、呆然とテーブルに視線を落とした。
 空いている3つの席。
 そこに……いるのか?
「ミカナギ?」
 トワがミカナギの傍まで来たにも関わらず、何も反応を見せないので、トワが不思議そうに声を掛けてきた。
 ミカナギはその声で我に返る。
「あ、ああ」
「どうしたの?」
「……いや、ママが……」
「また、ママ?」
「ぇ、あ、いや……」
「ここにこんなに綺麗な花嫁がいるのに、また、ママ?」
「あ、はは、そのぉ」
「あなたがやりたいって言うから、仕方なく了解したのに、また、ママ?」
「ちょ、わ、わかったから、どんどん近づいてくんなよ。怖いって……」
 ミカナギがトワの眼差しに脅えるように口元をひくつかせると、トワはそっとミカナギの手を握って、横に並んだ。
「へ?」
 予想もしなかった行動に、思わず間抜けな声が出てしまった。
 しばらく、手なんて繋いでなかったな。いつも、間にサラがいたから。
 そんなことを思った。
「やっぱり、ミカナギは赤が似合うわ」
「う、うるせぇ……」
「みんなのミカナギは、その格好でも良いけど」
「は?」
「私のミカナギは、やっぱり、赤」
 長い睫を伏せて、静かに言うトワ。
 ……結局、サラが産まれることでバタバタした結果、トワの我儘を叶えてやるというミカナギの言葉は、何ひとつ果たされていなかったことを思い出す。
「汝、病める時も、健やかなる時も、新婦・トワを支え、愛し続けることを誓いますか?」
 トワは先程神父のトールが言っていた文言を適当に繋ぎ合わせる様にして、そう言った。
 ミカナギはその言葉に、やんわりと目を細め、空いている手を胸に当て、トワの目線に合わせるように膝を折って笑った。
「モチロン。誓います」
 トワがその言葉に、ふわりと笑みを浮かべる。
 そして、思い出したように、ミカナギの頭をグシャグシャグシャと掻き回し、逃げるように駆け出した。
「なになに? 痛いって! 禿げるだろ!!」
「その頭、似合ってない♪」
「だぁ……もう、オレが1番分かってんだから、言うなっての!」
 ミカナギは駆けて行くトワにそう叫んで、ため息を吐く。
 彼女は楽しそうに笑いながら、演奏している輪の中に戻り、呼吸を整えてから、再び唄を歌いだした。
 ミカナギはその様子を見つめ、唇を尖らせるようにして笑う。
 まるで、トワの唄に合わせるように風が踊った。
 空に向かって響く歌声。
 緑の増えた大地に、白いミズキ邸に、綺麗に馴染む空の青。
 ミカナギはただそれを見上げて、優しく目を細めた。



*** 第十五章 第九節 エピローグ ***
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