第3章  陽だまりシンドローム


「なんで……、俺が書記?」
 素晴らしい偶然が重なって同じクラスになった、淡雪の親友が眠そうな目で不服そうに呟いた。
 同じクラスになった時には、ずいぶんと嬉しそうに淡雪の肩を叩き、日向をからかっていたのだが、この事態は予期していなかったらしい。
 淡雪はニッコリ微笑むと、悪びれることなく言った。
「寝てたから」
 淡雪の笑顔を恨めしげに見つめていたが、すぐに、はぁ……と安曇はため息をついた。
「この……。俺がお前の笑顔に敵わないのを知ってて、やってるだろ……」
「なんだか、その言い方は誤解を招きそうだが、確かにその通りだ」
 淡雪は静かにそう言った。
 安曇はなぜか不敵に笑う。
「ふふ……五階も六階もなく、俺は本気さ、雪」
「はぁ……」
「なんだ、反応悪いぞ」
「いや、ずいぶんな冗談だなと思って」
 淡雪は目を細めてそう言うと、椅子に座りなおした。

 因みに淡雪は委員長。
 目立たない優等生というのは、こういう時に不便だと思う。
 毎年のことだが、気がつくとこの役職に当てはめられてしまう。
 今回は副担任が同情して、ずいぶんと時間をかけてくれたが、こんな面倒ごとをやりますと手を挙げるやつなんて、そうそういないのを知っている淡雪は、結局、笑顔で引き受けた。

 副担任があまりにも可哀想だったからだ。
 新任で、担任に話し合いのHRの時間を押し付けられ、挙げ句、委員長を押し付けられそうになっている淡雪に対してまで、ずいぶんと気をかけてくれた。
 何もかもが初めての学校で、まるで新入生のように緊張しているであろうに。

「雪ちゃんもハッサクくんも人がいいよね〜」
 淡雪の斜め前に座っている日向が突然、そう一人ごちた(……にしてはずいぶん大きい声で)。

 今は、一応、今日の話し合いで決まった役員などを書類にまとめる必要があって、残っている最中だった。
 付け加えると、日向は副委員長。
 淡雪が委員長になった途端、我先にと手を挙げたのが愛らしいカニ頭だった。
 先程、日向が言った、ハッサクという某柑橘系の果物は副担任のことである。
 『設楽八朔(したらほずみ)』と書くので、ハッサク……らしい。

 そして……、
「委員長。これでいいかしら?」
 前に座っていた雨都が冷めた声で、淡雪にルーズリーフをすっと押し出してきた。
 雨都も安曇と同じ書記。
 ちょうど、日向の前の席に雨都がいたため、半ば強引に日向に立候補させられていた。
 日向は、ちょうど今朝一緒に登校できたことで、ずいぶんと雨都をお気に召したらしい。
 ……雨都は本位ではないのではないかと、少しだけ淡雪は心配していた。
「ごめんな、ひなが無理やり……」
 淡雪はルーズリーフを手に取って、目を通しながら、雨都に話しかけた。

 ルーズリーフには定規で測ったように正確で整った字が並んでいた。
 もう、目は通し終えていたけれど、それでも、目は上げなかった。
 雨都の目を、間近で見るのは気が引ける。

 今朝の『……ごめんなさい……』が似合う、その眼差し。

 それをまた見るのが嫌だった。
 どうしてかわからないけど、とても嫌だった。

「別に。言われたことをこなすくらいなら、別段苦痛もないから気にしないで」
 まるで、何かの書面を読み上げるように、雨都はそう返してきた。

 なにかを抑えているのか、実際、この子はこういう話し方なのか……それは判断材料が乏しい今の段階ではわからない。
 ただし、今朝、日向と話をしている時は、もう少し情緒を感じる話し方をしていた気がする。

「十二神さん、そんな悲しいこと言わないでさぁ。せっかくなんだし、一緒に楽しもうよぉ」
 こういう仕事は楽しむものではない……のだが、日向的にお気に入りのメンバーなのが嬉しいのか、少しはしゃぎ気味で日向がそう言った。
 いじめっこもいるが、日向は別に安曇が嫌いなわけではないし。

「うん、これでいいかな。あとは清書をして、提出して、今日は解散だな」
「わかった、貸して」
 何も言っていないのに、すぐに雨都は淡雪の手からルーズリーフを取って、提出用の紙に書き始めた。
 一応、淡雪の横であくびをしている、外見ばかり色男な安曇も書記なのだけど、雨都はそういうことははなから考えに入れていないようである。

「ねね、話しかけても平気?」
 日向が楽しそうに雨都に声をかけると、雨都は大丈夫とだけ言葉を返した。
 ペンはひたすら紙の上を走っている。

「あのね、今朝からずっと十二神さんをなんて呼ぼうか考えてたんだけどね」
「ええ」

「えっとね……、『トニー』と『うっちー』、『うーちゃん』どれがいい?」

「…………」
 あっけらかんと言う日向に対して、雨都の返答はなかった。

 淡雪だけが目撃した。
 ペンが刹那の間、迷いを発生させたのを。

 とりあえず、3つとも、雨都のイメージには合っていないというのが、その場にいる日向以外の見解だと思う。
 いや……隣の親友は聞いてないか……。
「ぶっ!」
 ……と思ったが、突然、安曇が吹き出した。
 腹を抱えて、必死に声を抑えて笑っている……。

 どうしたというのだろう?

「……裸にスカーフ……グゥレイトォ!!」
 なんだか、何も知らずに聞いたら、彼は変態だときっぱりと言い切れるであろう単語を、小声で口走った。

 だが、裸にエプロンならわかるが、裸にスカーフとは、ずいぶんとすごい趣味だ。
 そのスカーフに何の意味があるというのか……。
 チラ見せも何もあったもんじゃない。
 なんとなく、淡雪はそんなことを考えていた。
 ある意味、ヤバイ思考回路であることに自覚があるかは微妙なところだ。

「コーンフレーク……スプーン……なぜか、夏には海パン着用……」
 まだ、安曇は笑いながら何かを言っていた。
 ……が、そこまで挙げられて、ようやく淡雪は安曇が示そうとしているものがなんなのかを理解した。

 お茶の間のお供、大手会社のCMにて。
 確かに、安曇が口走ったキャラが存在している……。
 そして、その名前は……今、日向が口にした。
 淡雪は一度チラリと雨都を見た。
 グゥレイトォ!!……なんて、叫びそうにもないけれど、確実に今、淡雪と安曇の中ではそういうヴィジョンが形作られていた……。
 さすがに、裸にスカーフはやらない。
 淡雪は変態ではないから。
 淡雪も、こみあげる笑いを必死に堪えて、雨都の呼び名の行く末を見守ることにした。
 助け舟を出そうと思っていたのだが、なんとなく、雨都の返答に興味が湧いたのだ。

「…………。えっと……」
「うん」
「トニー……」

 まさか、それを選ぶというのか……!!

 二人はほぼ同時に雨都に視線を向けた。
「以外がいいかな」

 あ、やっぱり……。

 二人はほぼ同時にふぅと息をつく。
 もしかしたら、雨都もあの虎が頭を過ぎったのかもしれない。

 しかし、他二つも雨都のイメージではないと思うが、本当にいいのだろうか……。

 日向はそう言われて、嬉しそうにじゃあねぇと言って、天井を見上げる。
 一生懸命に考えているのが伝わってくるほど、眼差しは純粋で真っ直ぐそのものだ。
 日向が考えている間に、雨都はさくさくとペンを走らせる。
 そして、流れるように走っていたペンがゆっくりと止まり、キャップを閉じて、淡雪に紙を渡してきた。
「あ、お疲れ様」
 淡雪はなるたけ笑顔で受け取った。

 別に、お疲れ様という言葉に嘘はなかったけれど、どうしても、やりにくさがあった。
 視線を交わした瞬間、やっぱり、今朝の『……ごめんなさい……』が思い出される。
 あの『……ごめんなさい……』は、違う意味を示していそうで、気になった。
 よく目が合うよね、とでも言ってみようか?
 だけど、その聞き方では自意識過剰すぎる気がする。

「無理して、私に笑いかけなくていいから。私に……そんな資格……ないから」

 雨都は静かな口調で悲しそうにそう言った。
 その声は他の二人には聞こえなかったのだろうか?
 安曇は聞こえても、こういう時は聞かなかったフリをよくする。
 日向は……ご多分に漏れず、未だ天井とにらめっこを続けている。
 おそらく、聞いてはいない。
「どういう……意味?」
 淡雪は乾いた口の中を湿らせてから、小さな声で尋ねた。
 眼差しは揺れている。『……ごめんなさい……』と。
 けれど、口調はどこか、拒絶を感じさせるものだ。

 淡雪は戸惑いを隠せない。

 今朝、苛立ちを隠しきれずに雨都に不快な思いをさせたが、それでも、彼女に対して、なにか負の感情を持っているわけではない。
 教えてくれるものならば、雨都が淡雪に伝えたいことを教えて欲しいと思っている。
「ねぇ……君は……」
「決めた!『うっちー』で決定ね♪」
 淡雪の言葉をものの見事に遮って、日向が雨都に笑いかけた。
 雨都もすぐに日向に笑いかける。少し困ったような笑顔で。
「あたしのことはどうとでも呼んでくだされ、娘さん☆」
 ウィンクをして、日向は雨都の肩にポンと手を置いた。
 カニ頭がピョコンと少しだけ跳ねた。
 雨都は触れられた肩に視線を向けたが、すぐに笑って答えた。
「それじゃ、ひなたちゃんで」
「そうそう、それでよいぞよ、娘さん」
「ひな、お前のキャラがわからないぞよ」
 日向のテンションに心なしか引いてるのではないかと感じて、淡雪は静かに突っ込みを入れた。

「雪ちゃんも、うっちーと呼ぶのだぞよ?」
「ん?僕は書記長と呼ぶから、気にしなくてよいぞよ」
 負けじと日向のマネをする淡雪。
「えぇ?!事務的だよ、そんなの……」
「そうか?なんか、僕のイメージ的に、書記長が合うんだけど」
 事務的な呼び方(日向談)がよっぽど衝撃的だったのか、日向はすぐに素に戻ってしまった。
 淡雪は日向の指摘を受けて困ったように頭を掻いた。
 色気も素っ気もないかもしれないが、なんとなく、役職で呼びたくなるタイプだったのだから仕方がないじゃないか。
 すると突然、雨都がクスクスと笑いをこぼした。
 初めて、彼女の困ってない笑顔を見た……気がする。

「どうとでも呼んでくだされ、委員長」

 雨都は楽しそうに、淡雪に対してそう言った。
 日向も淡雪も、雨都の発言に目を見開いた。
 日向は意外な雨都の反応に。
 淡雪は先程の発言からすぐに、この言葉を口にした雨都に驚いたのだった。

 淡雪はまたもや戸惑う。

「あ、ごめんなさい、ちょっと……言ってみたかった……の」
 2人の反応を見て、雨都は恥ずかしそうに声をフェードアウトさせていく。

 日向は、カニ頭をピョコンと跳ねさせて、ニッコリと笑った。
「うっちー、可愛い〜」
 けれど、日向がそう言った途端、余計に雨都が恥ずかしそうに身を縮こまらせたように見えた。

 安曇が横でボソリと呟くのが聞こえた。
「チビクロな陽だまりに落ちたヤツ、お一人様ご案内〜」
 淡雪はその言葉にクスリと笑った。

 お前も、日向の笑顔に落ちたんだろ。

 きっと、安曇は認めないから、その言葉は心にしまっておくけれど。



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