第20章  美味い料理と下手な言い訳


 今日も相変わらず陽射しが強かった。
 暑さは感じないけれど、眩しさには目を細める。
 横を歩いている雨都はうっすらと汗を浮かべていた。
 やっぱり、自分が異常なのだ。
 心の中を風が通り過ぎた気がした。
 けれど、雫に言わせれば、そんなことはどうでもいい。

 納得いかないまま、雫は雨都に送られて駅へ向かっていた。
 昨日の夕飯も、今日の朝飯もとても美味しくて、雫はご飯だけで計10杯おかわりをした。
 別に味付けが濃かったわけじゃない。
 本当に全部が全部、バランスが取れていて、モリモリ口に運べたのだ。
 今朝、ご馳走様と言ったら、初めて雨都が雫に対して優しく微笑んでくれた。
 お粗末さまでしたという言葉が、なんでか新鮮だった。
 たぶん……雫自身、嬉しかったのかもしれない。
 食卓の向こう側に誰かがいるのが。
 雨都は……どうだったろうか?
 チラリと横目で確認した。

 雨都は暑そうに太陽に手をかざしていた。
「帽子、被ってくればよかったのに」
 雫は少しだけからかい口調で言ってやった。
 人を小馬鹿にしたように喋るとよく言われるが、意識して言うことはそんなにない。
「どこにあるかわからないから」
 困ったような雨都の声。

 雫はそう言われて、あの屋敷のある一画の部屋の状況を思い出した。
 片付けてだいぶマシになったと雨都は言っていたが、それでも、すごい部屋はすごかった。
 かび臭いし、埃っぽいし、本は山積み……。
 たぶん、この暑さと湿気で、何か生物が育っているのは間違いなかった。
 雫は想像を巡らすだけで鳥肌が立つかと思った。

 なんとか、陽射しをかわそうとハンカチを取り出す雨都。
 おそらくは自分の頭の上に乗せようと思ったのだろう。
 ため息をついて、雫は被っていた野球帽を手に取った。
 ツバを持って、ポスンと優しく雨都の頭に乗せる。
 少し大きかったのか、雨都の目が見えなくなった。
 突然のことに驚いたのか、雨都の足が止まった。
 雫は雨都に被せた状態で、
「ここでいいよ。あとは駅まで真っ直ぐだろ?」
 とできるだけ元気な声で言った。
 雨都は慌てて帽子のツバを上げて、
「そう」
 とだけ答えた。
「……でも、駅まで送る」
「いいよ。ガキじゃないんだから」
 バッグを肩に掛け直しながら、雫は雨都の申し出を断った。
 そして、すぐに駆け出す。
 部活のバスケで培った脚力は伊達じゃない。
 運動の出来なそうな雨都では追ってこられないと予測できた。

 はじめはツンケンしててやりづらいと思った。
 明るく話しかけても返答が遅いし、やたらと理屈っぽいし。
 遠くから来た従弟に向かって、帰れ発言をすぐに出してくるようなヤツ、願い下げだと思った。
 でも、帰り際、腹が減ったと言ったら、何が好き?とすぐに尋ねてきた。
 追い返そうとしたくせに、美味しいご飯を用意してくれた。
 愛想のない優しさを、可愛いと思ってしまったのは自分が微妙にひねくれているからだろうか?

 駅舎が見えてきて、雫はスピードを緩めて歩き始めた。
 肩で息をして、太陽を見上げる。
 ギンギンギラギラ……そういう擬音がピッタリなほどの眩しさ。
 太陽はただそこに輝く。
 ただ、自身を燃やし続けるだけ。
 燃えて燃えて……そして、最後には爆発して消える。
 太陽系全てを巻き込んで。
 もしも、太陽に意志があるのなら、その結果を果たして望むのだろうか?
 雫だったら、たった1人で、消えることを望む。
 誰にも知られずに、誰にも悲しまれずに、たった1人で。
 自分の辛さを誰かが知る必要なんてない。
 自身で抱え込むこと――それが最善で、最上の選択なのだと思う。
 だから、自分自身のことを、雫はどうでもいいと言い切る。

 下りの列車が駅を出て行ったのが見えた。
 駅の前にある水飲み場まで歩いていき、思い切りよく蛇口を捻って水を口に含む。
 捻りすぎて、少しだけ服が濡れたけれど、そんなことはあまり気にしなかった。
 ゴクゴクと勢いよく水を飲んで、キュッと蛇口を締める。
「っぷはぁ……」
 口元を拭い、バッグを掛け直す。

 下りの列車から降りてきた乗客たちがわらわらと雫の後ろを通り過ぎていった。
 ふと……何かを感じて、雫は振り返った。
 におい。においがした。
 この町に来て感じた、一番強いにおい。
 しかも、首筋にナイフをあてがわれたような、嫌な感じのおまけつきだった。
 田舎町で夏休みに入っている割に、降りてきた人間が多すぎて特定はできなかった。
 けれど、禍々しい殺気に、雫は冷や汗を浮かべた。
 この町に来て、初めて汗を出した。

『命に関わるの』
 雨都の言葉を思い出した。
 真剣な顔で、真剣な声で、彼女はそう言った。
 彼女にそう言わせたのは、今、殺気を放ちながら、雫の後ろを通り過ぎていった何者かなのだ。
 そして、淡雪と名乗ったあの男を護るために、雨都は何かをしようとしているのだ。
 巻き込むわけにはいかないと彼女は言った。
 力のことは誰も知らないと彼女は言った。
 彼女……雨都は抱え込もうとしている。
 何かを、自分1人の力でしようとしているのだ。
 抱え込むことを最善で最上だと思っているけれど、それは自分自身にとっての場合だ。

 それに気がついた今、雫はどうすべきか。

 命に関わる?
 その言葉に怯むほど、雫はヘタレではない。
 昨日会ったばかりだけれど、美味しいご飯を食べさせてくれた従姉が直面している危機に気がついた。
 それは昨日とは違うこと。
 命に関わるなんて、ただの脅しだと思っていた。
 だが、実際、感じた殺気は脅しでも冗談でもなかった。

『兄さんが私のことを心配して、あなたをよこしたとあなたは言ったけど、私は……それを必要としない。だから、あなたには帰ってもらいたい。会えたことは嬉しい。でも、私に仕えるつもりなら、この出会いは全く嬉しくない』

 その言葉に対して、同じであって、同じではない言葉を返そうじゃないか。

 上りの列車がホームへと入ってきた。
 雫はまだ切符も買っていなかった。
 けれど、慌てる必要はもうない。
 腹は決まった。
 自分にはどうだっていい面がたくさんある。
 けれど、誇れる面もたくさんある。
 世界を斜に見ていても、生き方まで斜に構えてはいない。
 誇れる面の1つが、雫の背中を押すのだ。
 感じたことに対して素直に動く……計画性のない無邪気さを、雫は自身で愛しいと思うのだ。

「しずく、乗らないの?」
 息を切らして、雨都が雫の目の前に現れた。
 雫はそれに驚いて目を見開く。
 まさか、追ってくるとは思わなかった。
 ふと膝を見ると、どこかで転んだのか、少しだけ血がにじんでいた。
「膝、どうしたの?」
「慌てて走ったから、サンダルが脱げて、転んじゃった」
「それでも、走ったんだ?」
 雫は心配する素振りも見せずにおかしそうに言った。
「見送りはしようと思って……。せっかく、こんなところまで来てくれたのだから。間に合ったと思ったのに、しずくがこんなところにいるから……」

 本当に愛想のない優しさを持った人だ。
 言い方さえ上手ければ、とても可愛げのある人になれるのに。
 けれど、自分自身可愛げがないから、きっとお互い様だと思う。

 列車がパァァァッと音を鳴らして、ホームを出て行く。
 ガトンゴトン……という音が少しずつ遠のいていった。
 雨都がそれを見送ってため息をつく。
「あと2時間しないと、次来ないのに」
「ああ、オレ、帰るのやっぱりやめた。……つーか、オレ自身帰るのに納得してなかったし」
「え?」
 雫の言葉に雨都が眉をひそめたのがわかった。
 雫は気にもせずに続ける。
「従弟としてここにいるならいいんだろ?昨日も言ったけど、オレは仕えるなんてガラじゃないし、アンタに仕える価値なんて見出せないしさ。でも……飯は美味いと思ったし、アンタが雨樹にぃくらいいいヤツなのもわかった」
 そう言うとにへっと笑い、雨都から帽子を奪う。
 被り直すと、自分のポケットからハンカチを取り出して、蛇口を捻った。
 水に濡らしたハンカチを雨都の手に持たせる。
「バイキンマン入るぞ、ちゃっちゃと拭く!」
 笑いながら雫がそう言うと、雨都もそのハンカチで傷口を拭った。
 人のハンカチで拭くのに抵抗があったのか、手が少しだけ躊躇ったのが見えた。
「だから、飽きるまでここにいていい?やっぱさ、このまま帰ると、雨樹にぃに怒られるしさ。それに……ちょいとばかし思ったんさ」
 雨都は傷口を拭きながら雫を見上げてきた。
 雫は少しだけ言葉を切って、間を空けた。
 別に何かいいことを言おうとかそんなことは思ってないけれど、なんとなく、言葉に迷ってしまった。
「命懸けで何かやろうとしている人を見たのに、あっそ……って素通りするようなヤツにはなりたくないなって。だから、アンタが抱えている問題も教えてもらえれば、協力できる」

 一応血が止まったのを確認してから、雨都は体勢を元に戻した。
「巻き込むのが嫌だって言うなら、やばくなったらオレはトンズラしてやるよ。そうすれば、巻き込まれたことにはなんないだろ?」
 雫は冗談でも言うように軽く言った。
 雨都がその言葉に笑みをこぼした。
 明らかな矛盾を察したらしい。
「ガキの中途半端な好奇心だと思って、しばらく置いときなよ」
「1つだけ、約束して」
「んぅ?」
「本当に、ちゃんと逃げ出すこと。あなたは今回の件には全く関係を持たなくていいのだから。逃げ足の速さを咎めはしないわ。私は逃げ遅れるから、中途半端な好奇心で身を滅ぼすだけだけどね」
 雨都は寂しそうに目を細めてそう言い、その後に、だから責任を取る道しか選べないのねと苦笑交じりに付け加えた。



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