第24章 あなたの弱音、私の本音
カランカランカラ〜ン! ああ、なんとも朗らかな鐘の音だ。 雨都は目の前で小さな鐘を振っている商店街のおじさんを見つめてそう思った。 昨日、淡雪からもらったくじ引き券のおかげで3回分貯まり、本日いざ出陣! だったわけなのだが、まさか、くじ運の悪い自分が、狙い通りのものを射止めることができるとは思ってもみなかった。 雨都の目の前に転がっている3つの玉。 白(はずれ・ガム)・白・赤!(3等・お米20キロ) 雫が来てから米の減りが早かったのだ。 米は高い。 いくら優秀な学者の家系といえど、研究費に大体の金が消えていくため、仕送りは多くない。 できる限りの節約といえば、食費……。 一応、雨都だって、おしゃれはしたいのだ。 雨都はにわかに拳を握り締める。 「……やったわ……淡雪くん……」 事情を話したら、快くくじ引き補助券を5枚(つまり一回分)も分けてくれた淡雪の笑顔を思い出し、ふんわりと笑う。 「お嬢ちゃん、おめでとう!……ただ、持って帰れるかい?」 明るいおじさんの声に雨都はふと我に返った。 そういえば、自分はこれを当てた後にどうやって持って帰ろうと思っていたのだろう? 雫を連れてくるのも忘れていた。 正直、らしくないボケだ。 「無理ですね」 ぽつりと言い切った。 おじさんが苦笑交じりでごま塩頭を掻く。 「うぅん……参ったねぇ。近所に友達とかいない?」 今更だが、どうして、この賞は「お米券」ではなく、本物の「お米」なのだろう? いや、その賞を頼みの綱にして、くじ引きに参戦した自分が言うことではない……。 雨都は心の中でぶんぶん首を振る。 「どうする?あ、そういや、昨日、水無瀬さんとこの坊主と一緒にいたね?手伝ってもらったらどうだい?あいつはなかなか力持ちだ」 「え?」 思いも寄らない場面での淡雪の登場に雨都は心が跳ねるのを感じた。 今日も……会える? そう考えた瞬間から、とくんとくんと鼓動が速まっていく。 でも、こんな重いものを運んでほしいなんて頼むのは……いや、この米の二倍の重さの自分を学校から運んでもらった雨都が言えることでもないだろうが。 駄目元で頼んでみようか? 駄目だったら、雫を呼びに帰ればいいだけのことだ。 「じゃ、じゃあ、おじさん、後で取りに来るので」 「おう。大丈夫!本当は家まで運んでやるのが良心的なんだけどな。すまんな」 「いいえ」 雨都は目礼をして、いつもの姿勢のよい歩き姿で商店街を颯爽と歩いていく。 気持ち、体が少々弾んでいる気がした。 蝉の鳴き声が先程よりも盛んになってきている。 たぶん、家では雫が『うるせー!』と叫んで、音楽をガンガン鳴らしていることだろう。 5分後、淡雪の家に辿り着いた。 近い……。なんと好条件の立地だろう。 雨都の場合、商店街から自宅まで片道30分。往復にすると1時間。 もう慣れたとはいえ、この立地条件は羨ましすぎる。 胸に手を当てて、ふぅ……と息を吐き出す。 呼び鈴を押そうと指を差し出した時に『声』が聞えてきて、押すのをやめた。 『今、ここで、ひなの記憶を消してしまえば、全部問題なくなる。でも……』 雨都は慌ててドアから離れた。 悲しそうな、苦しそうな……『声』だった。 『好きだよ、ひな。これは本当だ……。だからこそ、知らずにいてほしいこともある』 たぶん、この『声』が聞えるということは、すぐそこで淡雪と日向が話をしているのだ。 実際、何を話しているのかは聞えない。 けれど、淡雪が告白したのかもしれないと、彼の心の揺れ方で感じ取れた。 わかりきっていたことのはずだった。 淡雪の気持ちも、日向の気持ちも、雨都はよく理解していた。 淡雪の控えめな想い。日向の純粋で真っ直ぐな想い。 それを感じ取った上で、自分は傍で見守ることを選んだ。 けれど、それが言葉という形になったのかと思った途端、なぜ、こんなに悲しいのだろう? 自分は、日向を応援していたはずなのに。 『雪ちゃんが……あたしのことを大切だって言ってくれた。嘘じゃないよね?夢じゃないよね?でも……あたしのこの気持ちは……?』 雨都はキュッと右手を握り締める。 そっと左手をドアに当てて、聞えるはずなどないのに、耳をドアに近づける。 盗み聞きなんて悪趣味だ。 聞きたくもないことばかり聞いて生きてきた。 それでも、このことだけは耳を背けて通り過ぎることができない。 なぜなら……淡雪が関わっているから。 知らなかった。自分がこんなに、彼に惹かれているなんて。 『感情を操る?ひなは何を言ってるんだ?僕はそんなことまでできない。ただ、あった事実の中に、子供の姿の僕を入れ込んでいっただけだ。僕に……事実をこれ以上捻じ曲げる勇気なんてない。それに……想いを操ることができるなら……こんなに不安な訳ないじゃないか』 動揺した淡雪の心の『声』はいつになく早口だった。 状況がうまく理解できない。 少しだけ、淡雪の『声』を遡ってみる。 遡っている最中、日向の『声』が聞えた。 『好き。大好き。ダイスキ。だいすき……』 雨都は首を振って気を取り直す。 そして、ようやく状況を理解した。 彼の隠していたことが日向にバレたのだ。 そして、その後、正直に淡雪は自分の『力』のことを明かした。 明かしたうえで、記憶を変換しなおすかどうか葛藤しているところに、自分がちょうど居合わせた……。 タイミングがいいんだか悪いんだか……。 雨都はこみ上げる苦笑に口元を吊り上げた。 『今……ひなが僕を好きだと言った?本当に?それは兄としてとか、身内としてとかじゃなくって、愛してるってこと?』 日向の想いを知って嬉しそうな淡雪。 そうだ。雨都は彼のこんな『声』を聞きたかったのだ。 うまく喜べもしなくて、淡雪には申し訳ないけれど。 『雪ちゃんが、好きになるように仕向けたの?』 けれど、そんな歓びの声が聞えた後に日向がとんでもないことを考えているのがわかった。 雨都はやり切れなくて、眉をひそめる。 そんなことできる人じゃない。 淡雪が優しい人なのは、日向が一番よくわかっているはずなのに……どうして、想いが通い合っているのがわかったのに、そんなことを考えるのか……。 『できるわけないって言って……お願い、雪ちゃん』 してないんだから、してないと言うと……雨都も思っていた。 そうすれば、全て解決ではないけど、淡雪が望んだ展開がこの先に待っている。 それは自分にとっては辛いことだけど、これで安心できることでもある。 なのに、聞えた彼の『声』はなぜか迷っていた。 『わからない。もしかしたら、僕の良いように操作している部分もあったのかも。無意識の内にしていたかもしれない。それで、ひなの想いになんらかの影響があったかも……。……わからない……』 「ちょ……!」 声を出しかけて、慌てて雨都は口を塞いだ。 本当はドアを開けて、「それは違う!」と淡雪の代わりに言ってあげたかった。 そのくらいの気持ちがあった。 でも、その淡雪の迷いは彼らしいといえば彼らしい。 『ふざけるな!』 突然、鋭い『声』が雨都の頭の中に響き渡った。 こめかみがビリビリ……と痺れる。 「立て!」 初めて、ドア越しでもはっきりと声が聞えてきた。 安曇の声だった。 雨都は心配になって、ドアを開けそうになった……が、踏みとどまる。 ここで出て行っても、自分は何もできない。 むしろ、場の雰囲気を険悪にしてしまうのが関の山だ。 『中途半端すぎる……自分でもそう思う。記憶変換をし続けるなら、ここで記憶を摩り替えなくては駄目なのはわかってる。ひなに告白なんてしちゃいけなかったってことも。でも、消せない。せっかく、想いが届いたのに……消せない。僕は……最低だ。貫き通す覚悟もないなんて……。あつもとひながうまく行ったら、いなくなろうって決めていたのに。口にしてしまうなんて』 雨都の心には、淡雪の『声』しか聞えなかった。 何かを安曇が懸命に叫んでいたけど、そんなことは何も聞えなかった。 ただ、淡雪の中に隠れていた、本当の想いを見つけて……悲しくなったのだ。 彼は、日向の傍にいたいと、あの夕暮れの屋上で、心の中で呟いていた。 けれど、決して、想いが通うことを望んでなどいなかったのだ。 それは辛すぎるから。 いつか、自分を追い抜いて、どんどん先に行ってしまう愛しい人を、見つめ続けることができなくなってしまいそうで、泣きそうになるから。 それでも、……想いが通ったことで、そんなのは嘘だと自分で気が付いた。 誰が責めることができるだろうか? 中途半端なんかじゃない。 それは人間として、ごく自然なことだ。 甘い誘惑に、心が揺れてしまうのは……弱さじゃない……。 誰だって求めている。だから、どうしても、手放せない。 でも、手放せないけど、喜んで受け入れられるほど、彼は自分に甘くできない。 それを罪だというのなら……。 鈍い音が響いてドアがにわかに揺れる。 雨都はそこで我に返った。 「……帰ってくれ……」 「雪!」 淡雪の静かな声と、安曇の激しい怒声。 『このまま帰したら最悪だ。ひなを傷つけたままで……あつもを悲しませたままで……。でも、今の僕じゃ、これ以上、何も言えない』 「お前も、ひなも……帰ってくれ……!」 涙混じりで声が裏返った。 雨都は胸元に当てていた右手を更に強く握り締める。 長い間、握っていたせいか、手の平はじっとりと汗ばんでいた。 カチャリとドアが開き、淡雪と目が合う。 気まずそうに淡雪は目を逸らして、ドアの開き具合を控えめにした。 雨都は辺りを見回して、すぐに右手の庭先のほうへと隠れる。 淡雪の頭は濡れていた。 もしかしたら、安曇に水でも掛けられたのかもしれない。 でも、それより、目に溜まっていた涙を、雨都は見逃しはしなかった。 安曇が日向を抱えて、家を出て行った。 何か言いかけているのに、淡雪はドアを閉じてしまい、日向が悲しそうに表情を歪めるのが見えた。 安曇が日向の家に入っていったのを確認してから、雨都は大急ぎで玄関に回った。 ドアはしっかりと閉まっておらず、雨都はそっとノブを押して、家の中に入った。 パタンと……できるだけ静かな音でドアを閉める。 淡雪が玄関先に腰を下ろして、頭を抱えていた。 「書記長、何か用だったんじゃないの?」 沈んだ声。泣いているのか、にわかに震えている。 「私、……帰ったほうがいい?」 「…………」 雨都は掛ける言葉に詰まりながらもなんとかそう尋ねた。 けれど、返ってくるのは沈黙だけ。 蝉の鳴き声で、より一層沈黙が際立つように感じた。 「いてもいいなら、……ここに立ってる……よ?」 「…………。聞えたの?」 「……。少しだけ」 心の『声』が聞えるなんて言えないから、雨都は苦笑交じりでそれだけ答える。 こういう時、どうすればいいのだろう? わからないのに、気が付いたら、家の中まで入ってしまっていた。 彼を1人にしてはいけないような気がして……つい……。 「僕には……愛していた人がいたんだ……」 「え?」 「でも、僕のせいで、死んでしまった……」 雨都はただ立ち尽くして聞いているだけ。 「君の一族の人で……僕が殺したも一緒なんだ……。だから、君が僕に対して贖罪の思いを持つ必要なんて、本当はどこにもない」 搾り出すようにして、淡雪はポツポツと言う。 「僕の中で、彼女がいつまで経っても消えてくれない。彼女と、ひなを重ねてないなんて……僕は言い切る自信もない……。嬉しかったのに、嬉しくて嬉しくてしょうがなかったのに……。どうして、あんなことしか、僕は言ってやれないんだ……」 苦しそうに息を吐き出し、嗚咽混じりでたどたどしい言葉。 雨都は歩み寄って、しゃがみこんだ。 淡雪の顔を覗き込むように首を傾げる。 涙を必死に堪えた、しわくちゃの顔。 それでも、それを愛しいと思う自分がいる。 抑えなくてはいけないと思った。 「馬鹿な人……。そんなに、考えすぎなければよかったのに。あなたの……ひなたちゃんに対する想いは本物よ。見ていればわかる」 雨都は優しく微笑んで、小さな子をなだめるようによしよしと淡雪の頭を撫でた。 いつも、淡雪が日向にしているように、優しく、繊細なものに触るようにそっと。 「ここに留まったことを後悔しているの?」 「……いつも、してる」 「それはなぜ?」 「こんなに愛しくなるなら、もっと早くに離れればよかったって思うから」 「……そう……」 雨都は一瞬だけ目を細めたけど、すぐに笑った。 「ひなたちゃんの想いが嘘なんじゃなくて、あなたが自分の想いに自信がなかったのね。それを誤魔化すのにはいい口実だった……。でも、どうするつもり?」 雨都が真っ直ぐ見つめると、淡雪もその視線に答える。 淡雪の目はウサギのように真っ赤だったけど、必死に涙が零れないように拭っていた。 「……いっそ、このままでもいいような気がしてる」 「……そんな……」 「昔から、そのつもりだったんだ。あつもにひなを任せて、いつか僕はどこかに消えるって……」 淡雪は思った以上に、物静かにそんなことを言い放った。 雨都は表情を歪めて、すぐに厳しい口調で言い返す。 「淡雪くん、それは駄目。面倒になったら逃げるの?子供じゃあるまいし。私……そんなことのために、あなたが記憶変換をしているのを見逃していた訳じゃないわ。あなたに幸せになってほしいから、居場所を守るって約束したの。あなたはただ、自分が異常だということを周囲に悟らせないために、その力を使っていた。催眠術のように、人の気持ちを操ってないことも知っている。志筑くんが怒ったのは……あなたの、その投げやりな態度にだと思う。あなたがそんな人じゃないのを知っているから、怒ったの。ひなたちゃんも、志筑くんも、決してあなたを見捨てたりしないわ。必死に信じようとしてくれているの。お願いだから……自分から逃げようとしないで。淡雪くんが昔愛した人も、それじゃ浮かばれない。言い訳の材料にしたら、許さないわ」 勢い余って、雨都は淡雪の腕をギュッと握り締めていた。 淡雪が戸惑ったようにそれを見つめている。 雨都はそこで我に返って、慌てて手を離した。 「ご、ごめんなさい……。と、とにかく!私は、あなたを救う方法、諦めてないから。だから、あなたも変な言い訳で逃げたりしないで?ね?」 握り締めていた手の平が妙に熱かった。 まるで、火傷したようにジンジンとして……それでも、なぜか優しい痛みだった。 淡雪がため息をつく。 「参ったな……」 「え?」 「みんな……どうして、そんなに僕のことを信じようとしてくれるんだろ……」 淡雪は辛そうに笑った。 雨都はその辛そうで寂しそうな笑みに目を見開く。 けれど、すぐに答えを返した。 「簡単よ」 淡雪がその声に顔を上げる。 「あなたが優しいこと、知ってるから。あなたのことが……好きだからよ」 雨都はすぐに俯いた。 顔が熱い。 ドクンドクンと脳が脈打つ。 倒れてしまいそうなほど、脈が力強くなっていく。 「…………」 「…………」 2人は黙り込んだ。 他意などないと、そう思ってくれることを願って雨都は目を閉じる。 自分でも、あまりにさらりとその言葉を口にしてしまったことに驚いていた。 淡雪が頭を掻く音がした。 雨都はいたたまれなくなって立ち上がった。 「そ、それじゃ、これから用事があるから……!」 「あ、そ、そうだ。何か用があって、来たんでしょう?どうしたの?」 淡雪の声で、ドアノブを握り締めた状態で雨都が立ち止まる。 「い、いや……その……頼める状況じゃないと思うから、いいの」 困ったように雨都が苦笑する。 こんなにイッパイイッパイの人を相手にして、米を運んでくれなんて頼む馬鹿がどこにいるか。 「そ、そうなの?」 「うん。淡雪くんじゃないと……って用事じゃないから、気にしないで?」 「そっか」 雨都の言葉に頷いた淡雪が、少しだけだけど柔らかく笑ってくれたことにほっとして、雨都はドアを押し開けて外へと出た。 照りつける陽射しが眩しくて、目を細める。 傾き始めた太陽を確認して、雨都は台車を借りて自分で持って帰ろうと、決意を固めた。 |
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