第25章  信じて、諦めて、立ち直って


「まぁったく……自分で雪くんに会いたくないって言っておいて、何にも言わずに雪くんのところまで行っちゃうなんて、お母さん、呆れて何も言えないわ」
「言ってるじゃない、今……」
 呆れ口調の母親に、ベッドに寝かされながら、日向は負けじと言い返した。

 母親はふぅ……とため息をついて、日向の額をツンと突いた。
「熱があるくせに、減らず口を聞くのはこの口かぁ……?」
 グニグニと日向の頬をつまんで引っ張ると、おかしそうに笑う。
「何があったかは知らないけど、結局、ひぃちゃんは雪くんが好きなのよね」
 枕元に置いてあった薬を差し出しながら、母親は楽しそうに声を弾ませた。

 何がそんなに楽しいのだろう?
 今、日向はへこんでいる真っ最中だというのに。

「ねぇ、お母さん?」
「ん?なぁに?」
「お母さんは……お父さんへの想いに不安になることってないの?」
 日向のその問いに、母親はきょとんと目を見開いた。

 そして、ふふ……と笑い声を漏らす。
「あるわよぉ。大好きな時もあれば、大嫌いな時も」
「え?」
「それでも……あの人以上の人を見つけられないから、ひぃちゃんといるの」
「…………」
「なぁに?らしくないわねぇ。ひぃちゃんの無謀なほど真っ直ぐなところがお母さんは好きなのに」
 日向は母親のその言葉に眉を歪ませて目を細めた。

 自分でもわかっている。
 そうやって、立ち止まらないようにして生きてきた。
 だから、今、すごく怖い。
 安曇は淡雪のことを責めたけど、日向は自分自身のことを責めずにいられなかった。
 あんな問いかけを、淡雪にしてしまった時点で、自分が最悪だと思った。
 想いが通い合ったのに、自分でぶち壊した。
 あれは……淡雪が悪いのではない。
 淡雪の力を知ってから、うろたえた自分が悪い。
 可哀想なのは……。
「ごめんね……雪ちゃん……」
 別れ際のごめんねは、たぶん、こういうことだった。

 今更悟る。
 自分は淡雪のことが大好きだと。
 確認なんていらなかった気持ちを……確認し直す。

「……ひぃちゃん?」
 母親がベッドに腰を下ろしたのがわかった。
 薬を飲みながら、日向は視線を母親に向ける。
 母親は、汗ばんだ日向の頬を優しくなぞると、穏やかに笑った。

「好きな気持ちが揺らぐのは仕方のないことなの。それは『好き』って気持ちが強ければ強いほど、揺らぎも大きくなる。一生懸命、理屈と結び付けようとしてしまって……疲れてしまうことも。人間だもの。しょうがないのよ。問題なのは、それがわかった後にどうするか」

 いつも頼りないと思っていた母親が頼もしく目の前で笑っている。

 日向は泣きそうになるのを必死に堪えていた。

「雪くんは……ひぃちゃんのこと、泣かさないまま幸せにしてくれると思ったけど、そううまくはいかないわよね。恋愛ごとは……そういうものじゃないものね」
 日向が泣きそうなのを見透かすように、優しく抱き締めてよしよしと頭を撫でてくれた。
「何があったのかはわからないけど、我慢しないでいいのよ。お母さんが……頼りないからいけないんだけど……それでも、私はあなたのお母さんなんだから」
 耳元に穏やかな声。

 自分も……こんな風になれるだろうか?
 いつか、もっともっと、大人になった時、優しく、愛しい人を包み込む暖かさを持った人に……なれるだろうか?
 日向はこみ上げてくる嗚咽を、素直に漏らした。
 涙が、母親の服を濡らす。
 先程みたく、静かな涙じゃない。

 感情を吐き出す、勢いのある涙だった。
 感情を出すのには元気が必要だ。
 本当にへこんでいる時、涙は出ても、すっきりなんてしない。
 それは本当に『泣く』という行為に至っていないから。
 そう……気力がない時、人は生きることも、泣くことも、怒ることも、死ぬこともできない。
 まして、笑うことなんて……できない。
 日向の笑顔の源は、淡雪だ。
 彼が傍にいるから、日向は笑える。
 彼がなんであってもいいと……思った。
 それは嘘なんかじゃない。

 気力がない時、人にはできないことがもう1つある。
 それは……信じてあげること。
 自分の想いすら信じられなかったのは、自分が……弱気になっていたからだ。

「今日はゆっくり眠って、体が元に戻ったら、もう1度考えなさい。風邪をひいた状態で考えても、いい答えなんて出ないから。ね?」
 一通り泣き切ったのを察して、母親が日向を横たわらせた。
 子供を寝かしつけるように、布団を被せて優しくポンポンとリズムを刻む。
「……うん」
「ひぃちゃん?お母さんは、雪くんのこと、大好きよ。ただ、安曇君のほうがタイプなだけでね」
 お茶目に母親はそう言って笑った。
 日向はそんな母親の笑顔に苦笑する。
 氷枕が気持ちいい。
 泣いてすっきりしたおかげだろうか?
 今日は、ゆっくり眠れそうだ。


 その晩、日向は夢を見た。
 淡雪が少しだけ怒ったような口調で、
「僕のことを信じてくれないと、僕は君の中にいられないんだよ?」
 と、言う夢だ。
 それは、ついこの前、夢の中で会った、強い強い、日向の中のヒーローだ。
 想いが……どこまでも果てしなく、全てを司る。
 それが自分の心の中なのだと思った。
 淡雪を好きでなくなったら、彼は日向の心の中からいなくなってしまう。
 そんなのは嫌だと、日向は思った。



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