第30章  団欒・ランラン・仲良しこよし


 母親が大はしゃぎでタオルと茶菓子を手渡してきた。
 5枚の、『町内会』と書かれたタオルと、あんこのよく詰まったヨモギ餅だ。
「あとで、お茶持って行くから。今日はあったかいのがいいだろ?」
 やかんを火にかけながら、ニッカシと笑う母に、日向が淡雪の後ろから顔を出して答える。
「あ、あ、持ってく。あたしが持ってくよぉ、雪乃さん!」
 両手を挙げて楽しそうに答える日向。
「いいよ?雪ちゃん、先に行ってて?」
「ああ、じゃ、タオル。足、濡れただろ?」
 淡雪は日向にタオルを一枚手渡すと、すぐに台所を出た。
 後ろからこういうやり取りが聞えてきた。
「ひなちゃん、顔がほくほくしてるよ?わかりやすい子だねぇ」
「……な、何のことですか?」
「いいえ、違うなら別に。日和ちゃんに聞けば一発だろうし」
「え?え?」
「ふふ……ありがとうねぇ」
 母親の嬉しそうな声と、日向の動揺した声。
 お見通し……というヤツだ。
 日向でかわせるとは思っていない。
 ……というより、別に、隠すことでもない気もする。

 ギシギシと階段を上がりながら考えていた。
 ただ、どうしたものか……。
 淡雪は天井を見上げる。
 くもの巣が1つ出来ているが、あそこでは届かないので取りようがない。
 そういう、見えるのに届かないもののことを考えているところだ。
 淡雪は、安曇と日向をくっつける気が満々だった。
 だから、全く正反対の行動をする安曇を咎めもした。
 けれど、結局、気持ちが抑えられなくなったのは自分のほうで、安曇は何事もなかったような顔をして、玄関先に立っていた。
 いや、家に入るに入れずにいたのは、気にしていた証拠なのかもしれない。
 いつもの安曇なら母がいれば、勝手に入り込んで茶をすすっているくらいなのだから。

 階段を上りきって、自分の部屋の戸を引き開ける。
「はい、タオル。それと、着替えあったほうがよかったら、言ってくれれば母さんが用意するって言ってたよ」

 淡雪はヨモギ餅の入ったカゴを部屋の中央に置いて、その後に雫・雨都・安曇の順でタオルを手渡してやった。

「あ、オレはいいけど、雨都ねぇの分、お願いしていい?」
 ガシガシと頭と足を豪快に拭きながら、雫がそう言った。
「え?いい、大丈夫。しずくが帽子貸してくれたから、頭は濡れてないし……クシュッ……」
「バァカ、体は冷えてるだろ?」
 雫が心配そうな声で小突いた後に、目配せで淡雪に頼んでくる。
 淡雪はコクリと頷いて、
「母さん、書記長、今から下行くから、着替えお願い!」
 と部屋から顔を出して、そう叫んだ。
「さ、行っておいで。本当に風邪ひいちゃうから」
 と、雨都に笑いかける。
 雨都は淡雪の笑顔を見ると、少し考えてから、わかったと頷いて立ち上がり、部屋を出て行った。

「うぅん……複雑」
 雫が苦笑交じりでそんなことを呟いたが、淡雪は意味がわからずに首を傾げる。
 上目遣いで淡雪のその様子を見てから、何食わぬ顔で買い物袋の中身を確認し始めた。
 なので、淡雪はすぐに安曇に視線を移す。
 安曇はTシャツをさっさと脱いで窓辺に干していた。
 髪を丁寧にふきふきしながら、
「なぁ、雪。ボクサーパンツ一枚でも、女性陣は困らないか?」
 と言ってきた。

 明らかに脱ぐ気満々らしい。

 雫が買い物袋を探る手を止めて、淡雪より先に突っ込む。
「それをやると言うのなら、オレが許さないさなぁ」
 部屋に入ってきた時にはもう安曇は上半身裸だったので、おそらくいきなりガバッと脱いだのだろう。
 そして、それを見て、雨都が明らかな動揺を見せた。
 そんなところか……。
 雫は生意気そうに見えて、雨都には優しいのかもしれない。

 淡雪は苦笑して、すぐに押入れからストレートジーンズとパーカーを出した。
「たぶん、入るだろ?乾くまでこれ着てろよ」
「おっ!サンキュー♪やっぱ、愛すべきは雪だよなぁ」
 楽しそうにそう言って受け取ると、さっさかとタイトジーンズを脱ぎ捨てる。

 さすがに……これを2人がいるところでやるのは毒だろう。
 ただ、母なら喜ぶかもしれないが……。

 淡雪は脱いだジーンズを拾い上げて、Tシャツに並べて、干す。
「やっぱり、裸は開放感があるよな」
 雫と淡雪に言うように、声が生き生きとしていた。
 2人の声がユニゾンする。
「早く着ろ」
 安曇は懲りずにまだリラックスモードだ。

 日向と雨都の声が近づいてきた。
「うっちー、似合ってるね」
「あ、ありがと……でも、ちょっと、露出が……」
「だいじょぶだいじょぶ。問題ないから」
 戸がパタンと開け放たれる。

 日向がピタリと動きを止めた。
 お茶を載せたお盆は雨都が持っていた。
 白のノースリーブのワンピースを着ている。
 あんな服が、この家のどこに眠っていたのかと淡雪は思った。
 日向はひきつった笑顔とともに、パタンと戸を閉じる。

「どうしたんだろうな?」
 安曇が不思議そうに呟く。
 原因は明らかだと思うのだが……。
「雪乃さん、警察呼んで!露出狂が出た!シヅキングが出た!」
 日向の声が家中に響く。
 外が雨じゃなかったら、別の家の人に警察を呼ばれるところだ。
「ちょっと待てよ!なんか、そのネーミングだと、オレっぽくてやなんだけど!?」
 雫が別のところに反応して叫ぶ。

 そういう問題ではない。

「なぁ、あつも、早く着ろ」
「わかったよ……」
 冷静な淡雪の声に、安曇は渋々、ジーンズを履き始める。
 バタバタバタ……と階段を駆け上がってくる音がして、戸が勢いよく開け放たれた。

 母が現れた……!

 手にはインスタントのカメラが握られている。

「あら、もう履いちゃったの?日和ちゃんにも見せてあげようと思ったのに。でも、いいかぁ。あっちゃん、いい体してるわねぇ、はい一枚」
 安曇もノリノリで力こぶを作って笑う。
 カチリと音がして、フラッシュが光った。
「それじゃ、ごゆっくりね」
 母はほくほくした顔で下へと降りていった。

 安曇がパーカーを着ながら淡雪に尋ねてくる。
「雪乃ちゃんに見せてやらないのか?」
「やるわけないだろ……」
 淡雪はため息混じりで頭を抱える。

 今の母親の行動がよっぽどおかしかったらしく、雫がふるふる……と体を震わせて笑いを堪えていた。

 ようやくパーカーを着て、腕まくりをすると、
「おい、チビクロとお嬢さん、もういいぞ」
 と安曇自ら声をかけた。
 日向と雨都が警戒しながら部屋に入ってくる。
「雪乃ちゃんの反応が、正しい女性の行動だぞ?」
 安曇はまだ言う。

「露出狂」
「別に、変なところまで出してないんだからいいだろうが」
「そういう問題じゃないも〜ん」
 日向は安曇から離れるように雫の横に陣取った。
 雫が雨都に場所を譲って、安曇の隣に行く。
 なんとなく、安曇の隣に雨都を置いておくのに危機感を覚えたのかもしれない。
 淡雪が安曇と日向の間に収まって、とりあえず、場は落ち着く。

 雨都がお茶をみんなに回しながら、心許なさそうに何度も腕をさすっている。
「書記長?落ち着かないなら、上着貸そうか?」
 淡雪はすぐにそう声をかける。
 不平を言ったのは日向だった。
「えぇ……せっかく可愛いのにぃ」
「だって、書記長、嫌そうだろ?」
「あ……平気。平気だから、気にしないで?」
 雨都が胸の前で手を振って淡雪の申し出を断ってきたので、淡雪も立ち上がりかけた体を元に戻した。
 日向がヨモギ餅に手を伸ばし、すぐに包みを開けてぱくつく。

「さってと……」
 淡雪がそう呟きながら、3人を見回した。
「それで、今日は何の用なのかな?」
 雨都がおずおずながら口を開く。
「あの……ね、訊きたいことがあって……」
 場所が悪いとでも言うように、雨都が人の顔を見比べているので、淡雪は部屋を出て、雨都から話を聞く。

「あの……急なんだけど、あなたがやらされた実験を教えてほしいの」
「え?」
「必要……だから。ごめんなさい、思い出したくないと思うけど」
「まだ、調べてるんだ」
 雨都のすまなそうな顔を見て、淡雪は苦笑した。
 でも、雨都は至って真剣な顔で言う。
「諦めないって言ったでしょう?」
「…………。そうだったね。大したことじゃないよ。文字を介さずに、文章を記憶するんだ。頭の中に文章を入れて、諳んじ続ける。それを続けるだけだった」
「文字を……介さずに?」
「ああ」
「そう……。ありがとう。よかった」
 雨都は何かを考え込んだ状態で頷く。
「よかったって何が?」
「嫌われるかと思った……」
「まさか」
 安心したような雨都の顔を見て淡雪がおかしそうに笑うと、雨都は部屋へと戻っていく。

 淡雪も雨都に続いて、部屋へと戻り戸をパタンと後ろ手で閉じた。
「安曇は何の用なんだ?」
 座りながら安曇に視線を移す。
「……別に。雪の家に来るのに、用事がいるのか?」
「普段なら家に入って待ってるだろ、お前なら」
「…………。痛かったか……と思ってな」
「ん?」
「思いっきし殴ったから、痛かったろ?」
「いや、別に」
「嘘つけよ」
「本当になんともない。そういう……体質なんだ」
 淡雪はサラリと言ってのけた。

 4人とも驚いたように淡雪を見る。
 みんな、意味がわからないという顔をしている。
 確かに、『そういう体質』と言われても掴めるはずはなかった。

「書記長、雫くんはもう知ってるの?僕の状況」
「あ……」
「なんとなくはわかってるさぁ。オレのご先祖様が迷惑掛けたみたいで。どうにも……やりきれないって言うか……」
 雨都に代わって、雫が答えてくる。

 外ハネの髪の毛を撫でつけながら、はぁ……とため息。

「じゃ、今、ここにいる4人は、大体の事情はわかっているってことだね」
「……淡雪くん?」
「僕は、年を取らない。怪我もしない。痛みを感じない。そして、死なない」
 なんとも思わないように、淡雪はサラリと言葉を並べ立てた。
 安曇と日向が訳がわからないような顔をする。

「いきなり言われても意味わからないよな?試してみよう」
 そう言うと、淡雪は立ち上がって、机からカッターを取り出してきた。
 チキチキ……と刃を出し、手の甲に刃を当てがった。
 ひんやりと刃の温度が伝わって、覚悟が決まる。

「ちょ……雪ちゃん!」
 日向がすぐに止めに入った。
 淡雪の右腕を抱き締めるように掴んだ。
「大丈夫だよ、すぐに直るんだ」
「でも……痛いもん、雪ちゃんが」
「痛くないよ。痛みを感じないから」
「痛いもん……」
 フルフル……と日向が大きくかぶりを振る。

 泣きそうな顔をしている。淡雪は戸惑った。

「痛くないわけないよ。いいよ、信じるから。雪ちゃんが言うことは信じるから。だから、やらなくっていい……」
 安曇が横からひょいとカッターを取り返す。
 チキチキ……と刃を納めて、ポイッと机の上に投げ上げた。

「お前さんの駄目なところは、自分の痛みを人は痛いって感じないと思うところ」
 安曇ははっきりとそう言って、腕を組んだ。
「人に優しいくせに鈍感なところ。時々、なんでわかんねぇんだ、バカヤロウって俺をイライラさせるところ」
 淡雪は黙って安曇の言葉を聞いている。
 日向はほっとしたのか、淡雪を掴んでいた手から力が抜けた。

 安曇は右手を高々と上げて声を張った。
「あっくんから質問があります」
「……なんだ?」
「俺は、お前の親友でいていいですか?」
 安曇は真摯な目で淡雪を捉えてそう言葉を繋いだ。そして続く。
「ひなたは、お前の一番大事な人で合っていますか?お前は、俺たちのことを好きでいるって信じていいですか?」
「………………」
 淡雪はその言葉と眼差しに気圧される。
「俺の愛も、友情も、永遠です。信じてくれますか?たとえ、俺たちがお前を残して死んでも、この先、この前のように、自分は独りなんだと言わんばかりの醜態をさらさないでいられますか?」

 安曇が、初めて目の前で涙をこぼした。
 嗚咽も何もない、ただ、流れるだけの涙。
 淡雪は安曇を見て、日向を見て、雨都を見、そして、雫から安曇へと視線を戻した。

 淡雪は、縦に首を振る。
「努力するよ」
「こういう時は言い切るんだ、バカ」
「……誓う。お前たちが信じてくれる分、努力する」
「……まぁ、よしとしよう……」
 安曇が苦笑混じりでそう言うと、ポンポンと淡雪の肩を叩いてきた。
 淡雪は安曇に笑顔を返す。

 安曇は、もしかしたら、日向にずっと気持ちを口にしないかもしれない。
 それとも、あの事故の時に垣間見た想いは、もう彼の中では過去のものになってしまっているのか。
 淡雪はその疑問を口にしたかったけれど、本人が言葉にしないことを言えようはずもない。

「ま、とりあえず、はた迷惑なカップルは、くっついたって思っていいんだよな?」
「ごめんな、あつも」
「 ? なんで、謝るんだ?」
 安曇は頭を掻きながらそう言うと、お茶をすすってヨモギ餅を口へと放り込んだ。

「この前のことなら、気にすんなよな。俺も殴っちまったし」
「…………。ああ、お前がそう言うなら」
 淡雪はそのことではないと言おうかと思ったが、なんとなく安曇が察したうえでそう返したことを感じ取り、目を閉じた。


「なぁなぁ、このヨモギ餅、商店街の和菓子屋のか?」
 安曇の脇で静かにヨモギ餅を食べていた雫がのんきな声を漏らした。
「え?ああ、そうだよ」
「美味いなぁ」
 いつの間にか、彼の膝の前には4つの包み紙が散らばっていた。
「しずく!」
 雨都が恥ずかしそうに顔をしかめて、雫の袖をつまんだ。
「なに?美味いぜ、雨都も食えって。これ、買って帰ろう。オレ、家でも茶請けで食いたい」
「わかったから……」
「あははは!シズ様、すっごい食べるんだねぇ」
「ん?おぅ、食うさ。必要上限まで補給するのがオレの信条だからな♪」
 さっきまで少しだけ張り詰めていた空気が一気に和んだ。
「今日は、みんな夕飯、食べていくかい?たぶん、母さんもそのつもりで作ってると思うから」
「おっ!マジで?!よかったな、雨都ねぇ、今日、おさんどんなしだぞ!」
「しずく……」
「飯まで食えるなんて、サイコ……ゴホッゴホ……」
「あー、もう。ほら、お茶」
 雨都は雫の背中をさすりながら、お茶を手渡す。
 日向がそれを見て、楽しそうに笑った。
 淡雪もなんとなくそれを察して笑う。
「2人って、本当の姉弟みたいだねぇ」
 その言葉に雨都は嬉しそうに笑い返してきたけれど、雫は少々不服そうに俯いた。

 安曇が窓の外を見た。
 淡雪も同じように窓を見る。
 雨は弱まってきていた。
 この調子なら、帰る頃には晴れるかもしれないな……と心の中で呟いた。



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