第33章  それが、恋の魔法だと言うのなら


 淡雪のいなくなった、あの日……1人だけ、別れを告げられた人物がいた。

 夕暮れの、並木道。
 高校から駅舎へ続く道の途中で、淡雪は待っていた。
 安曇は見つけてすぐに声を掛けた。
 いつも通り挨拶代わりにふざけ混じりの言葉を告げたら、淡雪は珍しくそれを笑顔で受け取った。
 そして、
「勘違いしないで聞いてほしい」
 淡雪はポケットに手を突っ込んだままで、そう切り出してきた。
 安曇は静かに次の言葉を待つ。
「ひなを……頼む」
「あ?」
 すぐに不機嫌な声を安曇は返した。
「俺はあんなチビクロのお守り、ヤダね。それはお前の仕事だろ。バカップルのクセに」
「お前にしか、頼めないから」
 淡雪は安曇の肩をガッチリ掴んで苦しそうにそう言った。
「どういうつもりだ?」
 苦しそうなその声に気圧されて、安曇は言葉少なに次の言葉を促す。

「約束は守る。お前たちが大事で、その中でもひなは何より大切で……。どんなに離れても、僕は独りだと思ったりしない」

「…………」

「だからこそ、護るためにここを離れる。ひなの記憶は、全て消しておいた。僕のこと、あの子は覚えてはいない。消せる限りの記憶を、他の人からも抜いておいたから……」

「ちょっと待てよ、話が見えねぇ、何言ってんだ、お前!」
 安曇はそこで淡雪を睨みつけて声を張った。
 部活帰りの学生たちがチラチラと2人を見ては通り過ぎていく。
 淡雪ははやる気持ちを抑えるように、安曇の目を見つめて、何度か確認するように頷く。

「僕を……追っている人間がいる」
「は?」
「1000年前、僕は、愛する女性を失って茫然自失だった。けれど、たった1人で感傷に浸る余裕さえ与えられず、僕は二人で暮らしていた小屋を追われた。どんな手段を使ったのかは知らないけど、その時、僕を追い出した人間が、まだ僕を追っている。狙われているのは僕だから、これ以上、被害を増やしたくないんだ!」
 安曇は目を細めて、理解するように頷く。
「あー、はいはい……なるほど。優等生らしい回答ありがとう」
「あつも?」
「……で?だから?」
「だから、決着を着けるまで……」
「俺たちがいると足手まといなわけか」
 安曇の言葉を否定するように淡雪は慌てて首を振る。
「あ、いや、僕は……そんなつもりじゃ……」
「考えられる危険はできる限り排除する。お前らしいよ。だが……なんで、ひなたの記憶を全て消す必要がある?……お前、死ぬつもりだろ」
 安曇は淡雪を睨みつけて、ズバリと言い切った。

 淡雪は目を泳がせる。
 素直な人間だ。嘘が下手で、核心を突かれるとすぐ顔に出る。
 自分とは正反対だから、安曇は淡雪のことが大好きだ。

 安曇は山に帰っていく夕日を眺めて、淡雪の言葉を待つ。

「……死なない……戻ってくる……から」

「だったら、それをひなたに言えよ。もしも、お前が無事に戻ってきて……記憶のないひなたにどう言うつもりだ?」

「…………。もしも、僕が戻ってこなかったら、記憶のあるひなはどうする?」

「…………」
 安曇は淡雪の言葉に負けて黙り込む。

 もしもの話を自分が振った。だから、それも道理の論理だった。

 安曇は静かに唇を噛む。
「僕が無事なら、また出会いから始めればいい。もし、戻ってきたその時に、ひなの傍に誰かがいたら、僕は諦める」
 淡雪は簡単そうに言った。
 それが容易なことじゃないのは、淡雪自身がよくわかっているはずなのに。
「なぁ?」
「なんだ?」

「それは……俺がアイツにちょっかいかけてもいいって言っているように聞える」
 安曇は挑戦的な眼差しで、淡雪のことを見据えた。

 淡雪はポケットから手を出して、頭を掻いた。
「やっと……お前の本音が聞けた」
「……雪……」
「譲る気はないけど。その言葉が聞きたかった」
 安曇の肩をポンと叩いて、淡雪は笑った。
 安曇が淡雪の腕を取った。
 夕日に照らされて、火照った体が熱い。
「戻ってこなかったら、承知しねぇ」
「……ああ……」

 安曇は、淡雪のあの時の笑顔を忘れていない。



 あれから、2週間とちょっと経った。
 今日は、2学期の始業式。
 安曇は遅刻ギリギリにも関わらず、フラフラ歩いている雨都を見つけて声を掛ける。
「おい、お嬢さん、大丈夫か?」
「え……あ……志筑くん、おはよう」
「ああ、はよっす」
 顔色の優れない雨都が気になって、安曇は大股だった歩幅を一気に小さくした。
 雨都は空を見上げて何かを考えるように目を細める。
「志筑くん、淡雪くん……帰ってこないね」
「お嬢さんは消されてないのか……」
「私、彼の力、効かないのよ。しずくもそう」
 安曇は日向のことを意図して言い、雨都もその意図を汲み取ったように悲しそうに返してきた。
 安曇はため息混じりで呟く。
「ふぅん……今日、俺たちはクラスの空気に耐えられるかね」
「え?」
「お嬢さん、根が素直だから言っておくが、雪のことはなかったものと考えろよ」
「え?」
 雨都は状況がよくわからないように首を傾げる。

 ちょうど教室に着いたので、安曇はガラガラ……と戸を引き開けた。
 がやがや……と教室がざわめいている。
 久しぶりに会う友人に挨拶をしている者もいる。
 休み明けということもあって、みんな表情がまだ夏休みの顔だ。
「おっそい、あっくん!あとちょっとで、遅刻だよ?また、髪の毛いじってて遅くなったんでしょ?」
 廊下側の友人と話をしていた日向がすぐに気が付いて、安曇にそう声を掛けてきた。

 元気いっぱいだ。
 本当に……忘れているのか……。

「あ、うっちー、おひさし〜。おはよー」
 安曇の後に続いて教室に入ってきた雨都に、日向は思い切り抱きつく。
 雨都は困りながらも、
「お、おはよう。ひなたちゃん……」
 と返す。

 いるべき人がいないのに、日向が元気いっぱいなことに、雨都は違和感を感じているのかもしれない。
 彼女は、こういう面での順応性が極端に低い。

 安曇はそんなやりとりを続ける2人の横を通り抜けて、窓際の自分の席に腰掛ける。
 この席は淡雪に譲ってもらった席だった。
 頬杖をついて、安曇は日向の様子を窺った。
 何がおかしいのか、腹を抱えて大笑いしているところが目に入った。
 今度は変な顔をして、何か言っている。
 すると、話をしていた友人たちが今度はおかしそうに大笑いしている。
 日向は交友関係が広いが、安曇が社交性0なせいか、ああいう女子高生のノリにはついていけない。
 淡雪や雨都と一緒にいる時の日向のほうがしっくりくると思ってしまう。
 安曇ははぁ……とため息をついて、窓の外のグラウンドを見下ろした。



 放課後、安曇は部活を終えて、教室に戻った。
 弁当箱を忘れたからだった。
 別に鞄を忘れようが、教科書を忘れようが慌てはしないが、まだまだ残暑の厳しいこの時期に、弁当箱を放置して帰るほど、安曇も猛者ではない。
「……ったく、これだから弁当はいいって言うんだ」
 母親の気まぐれで作られた弁当なので、忘れたことを思い出しただけでも感謝してほしいと言いたいところのようだ。

 ガラリ……と教室の戸を開ける。
 始業式の日の放課後なんて、誰も残っているはずはない。
 安曇はなんともなしに教室へと足を踏み入れる。
 けれど、淡雪の席で誰かが腰掛けて眠っているのを見つけて、ズカズカ……と歩いていたのを、タンタン……と軽い音に切り換えた。

 はじめ、誰なのかがわからなかった。
 いつもの、カニ頭じゃなかったから。
 淡雪なら……きっと気が付く。
 それが、淡雪と安曇の違いだ。

 安曇はそっと机の横に掛けてあった弁当包みを手に取り、淡雪の席を見つめた。
 日向があどけない寝顔で眠っている。
 その席はただの偶然なのか、必然なのか……。
 カタンと淡雪の隣の席の椅子を引き、日向の顔を見つめた。

 髪留用の赤いゴムと黄色いヘアピンを机の上に置き、机の中に残っていたのか、淡雪がよく読んでいた分厚いハードカヴァーの本を胸に抱いていた。

 安曇は目を細めて、そっと日向の髪に触れる。
 くすぐったそうに日向が身をよじらせ、安曇とは反対の方向を向いた。
「……ぅん……雪ちゃ・・ん……」
 微かな吐息とともに、日向の呟きが聞えた。
 安曇は更に目を細める。
 そして、ガシガシと頭を掻き、奥歯を噛み締めた。
「……ッカヤロ……忘れてねーじゃねぇか」
 安曇は低い声でそう漏らすと、日向を起こさないように立ち上がり、教室を飛び出した。

 階段で雨都とすれ違ったが、安曇は何も言わずに駆け下りた。
 雨都だけが、「さよなら」という言葉を発したのが聞えた。



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