第40章 想いの連鎖
『1度解放されてしまった想いは、抑えが利かなくなる。それが強い想いであったり、悪意であったりすれば……特にね』 子供の頃……と、中学3年の雫が言ったら生意気と取られてしまいそうだが、ほんの数年前にそんな言葉を、雫に対して口にした人がいた。 どうして、今そんな言葉を思い出したのかはわからないが、雫はその言葉に対して、心の中で言い返す。 強い想いを解放してしまったら、確かに抑えが利かなくなるけれど、もしも包み込んでくれる人がいたら、その想いをもう一度だけ鞘に納める事ができる……と。 そして、その想いを強さに変えて、その包み込んでくれた人のために頑張ってみようと思うんだと。 雫の頭の中に、雨都の繊細な笑顔が浮かんだ。 彼女は、雫のほのかな想いに気付いてくれたわけではない。 それでも、必死になって自分を抱き締めてくれた。 燃え広がる炎を恐れもせずに、綺麗な肌に火傷が残ることを恐れもせずに……雨都は雫の悲しみを察して泣いてくれた。 雨都は雨樹と同じように、雫のことを思って泣いてくれたのだ。 だから……想いが叶うかどうかなんて問題じゃない。 もう決して、大切な人を傷つけるような力の使い方はしないと決意させてくれた……。 そんな彼女のために出来ることを探したいと、雫は思う。 ティンティン……とボールをついて、雫はコート内を見回した。 軽いフットワークで1人かわし、フリーになっていたチームメイトに無造作にパスを飛ばす。 すると、パスを受けたチームメイトは素早く飛び上がりボールを投げた。 ボールはゴールへと大きく弧を描き、スパンという耳障りの良い音を立てて吸い込まれていった。 雫はニィッと笑って、シュートを放った少年と手をぶつけ、打ち鳴らした。 「ナイッシュ!リョー君」 「サンキュ、シーズー」 声を掛け合い、すぐに陣地へと戻って、守備体勢に入る。 今は体育の時間。 種目はバスケ。背は低いが、バスケ部の元ダイナモ・雫は張り切ってコート狭しと駆け回っていた。 本当は夏休み中まで大会があったが、雫はそれを蹴って雨樹の命令に従った。 引退試合になるはずだった、全国大会を蹴ってまで行った田舎町。 けれど、後悔はしていない。チームメイトには散々怒られたが……。 バスケ以上に、欲しかったものを見つけたから。 護りたい者を、見つけたから。 「正直、リョー太とシズ君が組んでたら勝てるわけないじゃんな?」 運悪く敵チームになってしまった、バスケ部元部長の透くんがそんなことを言う。 その言葉に、体育館にいた半数以上の男子がその通りだと笑っている。 雫はベーッと舌を出して返した。 「オレが決めたんじゃないからさぁ、残念でした」 その表情を見て、ボールをつきながら透くんが驚いたように目を見開く。 雫は首を傾げて透くんを見上げた。 勿論、抜かれないように注意をしつつ……。 「シズ君、夏休み明けてから表情が軽くなったよね」 器用にタンタンとボールを左右に振り、雫と一定のスタンスを保ったまま、透くんはそう言った。 「……もっと、前は、こう、なんていうか……とっつきにくい感じだった。ノリはいいんだけど……ほら、顔立ちが大人っぽいから余計に」 「ああ……そうかなぁ?」 雫は適当に流すような声を上げて、床を蹴った。 ボールコントロールが一瞬乱れた隙を逃しはしない。 素早くボールを弾いて、そのまま、ドリブルへと持ち込んだ。 透くんはトップの位置にいたから、ディフェンスはいない。 雫のスピードに追いつける者も、透くん以外いないから、特に注意を払うことなく、あっという間にゴール下まで辿り着いて、ヒョイッとボールをゴールに置くイメージで決めた。 「そう。そんな感じで」 透くんはゴールを決められたにも関わらず、雫の表情を指差して笑った。 雫はすぐに人懐っこく笑い返す。 「そんなことはないさぁ、たぶん」 誤魔化せていたと思っていたが、結構見ている人は見ているらしい。 まぁ、過去の自分のことなぞ、もう構いやしないけれど。 透くんが先程言ったとおり、雫のチームは50分という短い授業時間で、2試合を完勝で治めていた。 あと1試合できるので、もう1勝と気合を入れ、雫は赤いナンバーをかぶって、コートに立った。 雫のチームと同様、バスケ部メンバーが2人いる。 しかも、雫がどんなに羨んでも手に入らない背の持ち主・茂と保だ。 ……でも、1つだけ言っておけば、雫も背は伸びている。 この前、ようやく160の大台(本人的に)に乗ったところだ。 まだまだ、先はあると雫は胸を躍らせている。 これからが伸び盛りなのだ、見ていろ、雨都と、この前背を測った時に、わざわざ電話で報せたほどだ。 試合開始すぐに、雫が3ポイントラインの位置からシュートを打とうとしたのを止めにきた茂をかわそうとして、雫はわざと後ろへ飛びながらシュートを放った。 フェイドアウェイ。 下手をすると体が流れてまともなシュートにならないのだが、雫はバランス感覚に自信があるから多用する。 シュートは手ごたえがあった。 心の中でよしとガッツポーズ。 けれど、ブロックするために、雫のジャンプに合わせて飛んできた茂の体が流れてきてぶつかり、雫ごとコートに体を打ちつけた。 雫は不意を突かれて、ガツンと頭を打つ。 遠くで、心配そうに雫の名を呼ぶクラスメイトの声がしたけれど、雫はそのまま気を失ってしまった。 暗い闇の中で、誰かに呼ばれた気がして、雫は目を覚ました。 そこは保健室ではなかった。 「夢……?」 雫はボッケーとした目で、そう呟いた。 雫を呼んだ、あの声には聞き覚えがあった。 忘れるはずもない。雨都の声だった。 雫は暗かろうとなんだろうと歩き出す。 「雨都ねぇ?オレのこと呼んだ?」 夢の中でそんなことを尋ねてもどうしようもないだろうに、雫はそう問いかける。 どこにいるのかはわからないが、雫の意識を呼び起こしたのだから、この空間にいるのだと思ったのだ。 「……夢にまで、見るほどか……オレ……」 雫は雨都の返事も姿も確認できないので、ポソリとそんなことを呟いた。 小声だったから、聞えるはずもないとタカをくくる。 けれど、突然ぼんやりと光を放って、雨都がすぐ目の前に姿を現すと、そんな余裕も一気に失せた。 慌てて雫は両手を胸の前で振る。 「今のナシ!オレ、なんも言ってない!!」 そんな言葉を叫んで、叫んだ後に頭を抱える。 なんと心臓に悪い夢だろうと。 「……しずく……」 ポツリと、雨都が雫の名を呼んだ。 先程も囁くように、雫のことを呼んでいた気がする。 雫は顔を上げて、雨都を見据えた。 雨都が不安そうな表情で、雫を見つめている。 胸元で、白い手をギュッと握り締めて、今にも泣きそうな目で、雫に何かを訴えかけようとしているみたいだった。 「雨都ねぇ、どうしたの?」 雫は心配になって、そう声をかける。 けれど、雨都は何も答えない。 ただ、泣きそうな表情で、そこに立っているだけ。 「雨都ねぇ……」 雫はもう一度名前を口にする。 すると、雨都がようやく動いた。 そっと、目を閉じて、唇を噛み締めると、ゆっくりと雫に背中を向けて、静かにこう言った。 「しずく……お願い……」 「なに?」 雫は雨都にお願いされることには慣れていたから、当然のように次の言葉を待つ。 雨都のお願いは全部我儘だ。 無理をしてても見逃してくれとか、たとえ辛そうに見えても自分は幸せだから心配するなとか……雫から言わせれば、我儘ばかりだ。 自分のことを守ろうとしない。 きっと、弱いからこそ、必死にそう言って、強くなろうとしているんだと、夏休みの間、雨都を見ていて察した。 雫は雨都の小さな背中を見つめて、言葉を待っていた。 雨都は躊躇うように、何度も俯いたり、息を吸いなおしたりを繰り返している。 雫は優しい声で言った。 「雨都のお願いなら、なんでも聞くよ?」 夢の中だから言えることだと思った。 こんなこと、本人を前にしたら、きっと言えやしない。 そう思った途端に、耳が熱くなってきた。 すぐに手で耳を触って冷やす。 ひんやりと気持ち良い感触が伝わって、雫は落ち着きを取り戻す。 次の瞬間、雨都が振り返った。 目を細めて、雫を見つめ、辛そうに口を開く。 「お願い……しずく……助けて……」 その言葉を聞いた瞬間、雫は目を見開いた。 思ってもいなかった言葉を、雨都が口にしたからだ。 今、雨都はなんと言ったろう? 助けてと言った。 あの、自分のことに頓着せずに、傷つこうと倒れようと、それは自分の自業自得だと言い切るような彼女が、今、雫に助けを求めた。 「助けて……お願い……」 雨都はそう囁くようにもう一度繰り返すと、すぅっと姿を消した。 雫は大急ぎで飛び起きた。 今度こそは保健室だった。 消毒液のにおいと、少しひんやりとした空気。 白いカーテンに囲まれたベッドの中。 雫は布団を乱暴にどけると、靴も履かずにカーテンを引き開け、保健室を飛び出した。 保健医が何か制止するような声を発していたが、そんなのには構わずに、雫は教室に戻り、バッグを担いで、ジャージ姿のまま飛び出した。 教室で授業を行っていた教師も、あまりの雫の勢いに、何も注意することなく見送るだけだった。 |
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