第43章  空白の1ヶ月


「俺は……アンタのこと、許さないからな」
 アカツキがそう叫び、霧を抱き上げて小屋の外へと出て行ってしまう。
 先程、山の中で拾ってきた木の実の、籠から零れ落ちた分がグシャグシャとアカツキの足に踏み潰されて、見るも無残な状態になってしまった。
 淡雪はその木の実を無表情で見下ろし、その後に去ってゆくアカツキの背中を見送った。

 連れて行かないでくれ……そんな言葉は言えない。
 頼むから一緒にいさせてくれと言えない。
 駆け寄って、アカツキの肩を掴んで、霧を奪い取って、ここよりも深い山の中へと逃げ出したかった。
 自分の思考が停止するまで、霧さえ傍に置けるのなら何も望まない。
 罵られたっていい。
 それだけのことを自分はした。
 たとえ、制御できない力だとしても、殺したのは自分だ。

 涙がボロボロと頬を伝う。

 霧の様々な表情が、走馬灯のように駆け巡っては消えてゆく。
 淡雪は嗚咽混じりの声で呟いた。

「好きだったんだ……僕も……。好きだったんだよ、霧……」

 決して伝えなかった言葉。
 霧がどんなに自分を好きだと言ってくれても、淡雪は好きだと返さなかった。
 自分の中では当然になっていて、伝える必要もないと感じていた言葉。
 けれど、本当はこの言葉を伝えることが必要だった。
 どうして、失った今になって、そんなことに気がつくのだろうか?

『わかってる……わかってるから、もうこんな夢は見ないでちょうだい』

 穏やかな霧の声が淡雪の耳に届いて、淡雪は慌てて顔を上げる。
 目の前に、優しい目をして、子供の姿の霧が立っていた。
 淡雪は戸惑いを隠せない。
 先程、確かに自分の腕の中で息を引き取って……そして、アカツキに抱き上げられて連れて行かれた霧が……どうして、ここにいるのか?
 しかも、あるはずもない過去の姿で。

『タケル?わたし、ちゃんとした姿であなたに見えている?わたしにはどう映っているのかがわからないのよね』
 あどけない顔立ちが、少し大人びた表情で揺れ動く。
 淡雪は驚きは隠せないけれど、大丈夫だよと返した。
 状況を掴めないまま。

『タケ……あ、淡雪だったっけ?今は』
 霧が思い出したように淡雪の現在の名を呼んだことで、淡雪は我に返った。

 過去の夢を見ていると、その頃の状態に戻ってしまううえに、夢という自覚が全くない。
 自分で目を覚ますことができないため、淡雪が絶対に見たくない夢。
 起こされない限り、ずっと見続ける夢。
 10日でも1年でも、10年でもだ。
 実際、淡雪は10年間眠りについていたことがあった。

『ねぇ、淡雪。もう、いいからさ。悔いなくていいから……。だって、しょうがないじゃない。もう、過ぎてしまったことなんだから』
 霧はサラリとそんなことを言ってのける。
 そして、ゆっくりと淡雪に近づいてきて、屈みこんだ。
 淡雪は床に手をついた状態で霧を見上げる。
『わたしは……なんとも思っていない。あなたは私を救ってくれた。泣いていたわたしを抱き締めて、頭を撫でてくれたのはあなた。それだけでじゅうぶん』
 そう言うと、ニコリと霧は笑って、よしよしと言うように淡雪の頭を撫でる。
 淡雪は霧を見上げて、優しい声で言った。
「霧……好きな人が出来たんだ。あったかくて、小さくて、守ってあげたいのに、いつも僕を守ってくれる人。許して、くれるかい?」

 霧はただ淡雪の頭を撫で続ける。
 答えはない。
 淡雪は困ったように顔を歪める。

『わたしの許しを得てどうするの?本当に大切なら、許しなんて要らないでしょう?わたしたちだって……周囲に祝福される2人ではなかった』
 悲しそうな声。
 淡雪は息を飲み込んだ。
 山奥に逃げ込んで、一切一族との連絡を絶った、2人の生活。
 きっと寂しいだろうに、霧はそんな言葉を吐くこともなく、だんだん失われてゆく記憶を必死に繋ぎとめようとしていた。

『……大丈夫。そんな顔しないで?わたしは、あの子のこと、認めているから。感謝しているのよ。あなたのあんな姿、もう見たくないもの』
 淡雪が情けない顔でもしていたのか、霧は困ったように笑うと、そう付け足した。
 淡雪は眉を八の字にしながらもなんとか笑顔を作る。
「見ていたの?」

『いつでも、あなたの傍に』

 霧は胸に手を当てて、目を閉じ、祈るように笑った。

 淡雪は恥ずかしくなって、頭をポリポリ掻いた。

 霧も少し顔を赤らめて、コホンと咳払いをする。

『こ、こんなことを言いにきたんじゃない。あわゆ……ごめんなさい、やっぱり、タケルでいい? 変な感じ』
「呼び方なんて……」
 淡雪はどう呼ばれても構わないと首を左右に軽く振って意思表示する。

 霧もそう言われて、ふぅと息をついた。
『タケル、伝えてちょうだい。あの子に……』
「あの子?」
『アカツキに……伝えてちょうだい』
 霧はゆっくりと目を細めて、思いを馳せるように言った。

『復讐なんて、無意味なことは要らない。自分を責めるのも、あなたを責めるのも、もうやめにしてって。わたしは、タケルとの生活が楽しかったし、反対しながらも協力してくれるアカツキが大好きだった。お願い。アカツキを止めて。わたしの呼びかけが、今のあの子には届かないから……』

 寂しそうに目を細めて、霧は物憂げに首を傾げる。

 淡雪は、そこですっくと立ち上がった。

「それが、霧の望み?」

『ええ。そして、もう1つは、あなたが幸せであること』

 淡雪の手を取り、確かな声で霧は言った。

 淡雪の手に、小さな手を必死に合わせようとしていたが、すぐにやめた。

 笑みを浮かべ、淡雪は霧の頭を撫でる。

「幸せだよ。こんなに想われて……勿体無いくらいだ……」

 くすぐったいのか、霧はすぐに淡雪の手を払いのける。

 意外な反応に、淡雪は動きを止めた。

『嫉妬していないといえば、嘘になるけれど』

 霧の小さな声。
 淡雪は目を細める。
 2人の間に、少しの沈黙が流れた。
 けれど、すぐに霧は気持ちを切り換えたのか、しっかりした顔をして、淡雪を見上げた。

『タケル……弱っているのね?眠りから覚めないのはそのせいもあるんじゃない?』
 淡雪はそう言われて、考えを巡らせる。

 だいぶ長い夢を見ていたような気がするけれど、一体どれくらいの時間が経ってしまっているのか。

「……町を出たはよかったんだけど、体がうまく動かなくてね……。山の中でちょうどいい場所を見つけたから、眠りについたんだけど、それがまずかったかな……?」
『あなた、この夢に入ったら、起きられないくせに……』
「…………そうなんだけど、道端で眠っていたら、人が驚くと思って……」
 一応、自分なりに配慮したんだよと言わんばかりに、淡雪は頭を掻いてそう言った。
 霧が呆れたようにため息をつく。

『タケルは、時々訳がわからないのよね。ちゃんとしているようで、のんびり屋さんというか……。わたしが起こしに来なかったら、あなた……』

「霧、今、何時なの?」

『…………』

「霧?」

『何時とかの範囲じゃない』

 マヌケな淡雪の問いに、霧が眉をひそめて睨みつけ、付け加える。

『1ヶ月……』

「え?」

『もうじき、1ヶ月経つわ』
 物分りの悪い幼馴染に対して、霧はイライラするようにそう告げた。

 長い髪をサラリとかき上げて、
『寝すぎよ、バカ』
 と言い添える。

 淡雪は声にならない驚きで、固まっていた。
 10年眠っていたことはあった。過去に。確かに。
 けれど、こんな大事な時に……闘うために出てきたのに、1ヶ月眠っていた?!
 決着も何もない。

「た、大変だ……早く戻らなくちゃ……」
 淡雪は自分の意識を揺さぶり起こそうと、ガンガンと床を蹴る。
 足の痛みで目を覚まそうとしているのか、それとも、床を脳と考えて蹴っているのか……。
 霧がひきつり笑いでその様子を見ていた。
 しかし、何か思い出したように口を開けると、淡雪の落ち着きのない動きを止めた。

『待って。聞いて。状況だけでも把握してから戻りなさい!』
「状況?」
 淡雪は訳もわからずに霧の顔を覗き込む。
 霧はコクリと頷くと、昔、小難しい話をしようとした時に見せた、引き締まった表情で淡雪をしっかりと見据えてきた。

『アカツキを倒せるのは、タケルだけ。”おつるい”の血縁者の能力では限界があるの。アカツキが手に入れた力から、身を護るために作り出した能力だから……。影響を受けない分、相手にもダメージを負わせられない。あなたは、アカツキの力の影響を受けるけれど、その分、闘える』
「闘うって……僕の力で?」
『あなたでなければ出来ないの。脳に直接働きかけられる、あなたでなければ』
「…………?」
『設楽家の……長男の宿命を……破壊できるのはあなただけ』
「設楽?八朔先生?」
『そう』

 あまりに急な話で淡雪の頭がついていかない。
 八朔とアカツキにどういう関係があるというのか?

『あの家は、呪われてしまった。アカツキの感情の暴走のために……』
 霧の声が、真剣味を増して、淡雪の喉がごくりと音を立てた。



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