第45章  まだ、それっぽっちしか生きてない


「……! ……ゃん! ……きちゃ……! 雪ちゃん!!」

 誰かに体を揺さぶられる。
 涙混じりの、日向の声。
 また……日向を泣かせてしまった。
 淡雪はぼんやりとそんなことを考えていた。

 意識がはっきりしない。
 目を開けようとは思っているのだが、思ったように開いてくれない。
 鉄と塩の混じった味が、口の中でする。
 吐き出してしまいたいけれど、体は意思に反して動かない。

「……こら、雪!目覚まさねぇと花葬にしちまうぞ!!お花畑で眠れる姫ごっこだ。イヤだろう!?」
 耳元で安曇の声がした。

『それは困る』
 淡雪はぼんやりと心の中で呟いた。
 起こしてくれるのが日向ならば嬉しいが、安曇のことだ。
 その設定でいくと、姫の目を覚まさせる役目は彼がやると言うに決まっている。
 さすがにそれはごめん被る。
 何度も言っているけれど、淡雪にはその気はないし、安曇だって同様のはずだ。

『よかった……君は無事なようだ……』
 意識の外側で淡雪に呼びかける声とは別に、そんな声がした。
 少し弱り気味の、か細い声。
『誰……?』
 淡雪は声だけ返す。
 残念ながら動けない。
 意識の中でも、それは同様だった。
『ぼくは……たぶん、これで終わりでしょう……。やっと、望みが叶います。ありがとう……』
『せん……せい?』
 淡雪は思い当たった人物の名を呟いた。
 すると、八朔の声が柔らかく答えてくる。
『まだ……そう呼んでもらえるんですね……』
 淡雪はそんな言葉には構わずに尋ねた。
『何言ってるんです?望みって?』
『ぼくの望みは……設楽家の忌まわしい宿命を終わらせること。ぼくは……力に目覚めてから、ずっと君に殺されることだけを望んできました。いや、君でなくてもいい……ぼくを殺してくれる人を探していた』
『そんな……!』
 あまりにも意外な言葉に淡雪は動揺した。
 死を望んで生き続けることが、どれだけ苦しいことなのかを淡雪自身も知っていたから。

『血筋を途絶えさせなければ……この宿命はずっと続く。設楽家の持つ力は遺伝性。しかも、長男だけが引き継ぐ特殊なもの。そして、その力が遺伝するのと共に、アカツキの魂も引き継がれる。そうやって、彼は今の今まで、永らえてきた……』

『霧に……聞きました。でも!それであなたが死ぬ必要はない!!』

『必要はあるんですよ……』

『どうして……?』

『この力を持続し続けなければ、宿主は死んでしまう。力を持続するには、人の記憶を喰わなければならない……。けれど、これは宿主であるぼくでは制御できないこと。記憶を喰らうのはアカツキだから……彼を止められなければ、終わらない』

『だから……宿主である、あなたが死ぬと?』

『その通りです。ぼくが消えれば、アカツキもじきに消滅するでしょう……。残念なのは、ぼくの中に彼がいる状況で、君と闘えなかったこと……。確実にしたことを、確認せずに逝かなければならないのが、残念です』

『待ってください!!』

 遠ざかっていく声を淡雪は呼び止める。

『先生は、それだけの意思を持っていたのに、どうして、アカツキに呼びかけてくれなかったんですか?!虚しいことなのは……わかったはずです……。こんな永い時間、僕なんかのことを追ってくるなんて』
 八朔は優しい声でそれに答えてきた。

『虚しいからこそ、止めることなんて出来なかった……。彼の気持ちも……わかる気がしたんです。きっと、自分でも過ちに気がついている。それでも、許せない。君のこと、自分自身のこと……。まして、1度暴走してしまった感情を止めるのは、とても困難です。だから、永劫続くかもしれない追いかけっこを、こういう形で終わらせることしか、ぼくにはできない……』

 淡雪は必死に八朔に呼びかける。

『駄目です!死んだら駄目だ!生きれるのに、そんなこと言わないで下さい!僕なんかでも……生きる意味を見つけたんだ!先生だって、あるでしょう?!あるはずです!!先生は数学を教えるのがすごく上手い。普段はすごい抜けているのに、授業の時は水を得た魚のように表情が生き生きしていた。教師になるの、夢だったんじゃないんですか?!中学の頃から、人に数学を教えるのが楽しかったって、話してくれたじゃないですか!!』

 梅雨の蒸し暑い教室の中で、八朔が笑いながら言った、些細な一言を思い出して、淡雪は叫んだ。

『……そんな、何気ない会話を覚えていてくれたんですか?』

 八朔が驚いたような声を出した。
 淡雪は必死だった。
 消えてゆく意識を、なんとしても食い止めなくてはと必死だった。

『記憶力だけには自信があるんです。僕は、この記憶力で、この体とこの力を手に入れたから。今まで生きてきた全てのこと、僕は忘れないし、忘れる気もない。どんなに忌まわしくても、この体があったから、ひなに会えた。みんなに会えた……先生に会えた……。この体がなければ、きっと、こんな悲しいことは起こらなかったけれど、この体がなければ、僕は多くのことに出会えなかった。だから、……先生も簡単に投げないで下さい。まだ、23年ぽっちしか生きてない。悟ったように、そんなこと言わないで下さい』

『それは……淡雪くんの……生徒としての言葉ですか?』
 八朔の声は何かを迷っているようにたどたどしかった。

 淡雪は意識だけ首を振った。

『いいえ、違います』

『それでは……?』

『人生の、先輩としての言葉です。僕は、隠れ年増だから』
 淡雪は笑いながら言った。

 八朔がその言葉に吹き出すのが聞えた。
 笑いながらこんな声。

『まいったな……委員長に一本取られてしまいました』

『先生、頑張って生きましょう?』

『…………』

『僕は……待っていますから』



 淡雪は優しい声でそう伝えると、泣きながら叫び続けている日向の声のする方へと意識を向かわせた。
 鉄と塩の混じった味が、またもや口の中に広がって、淡雪は吐き気を覚える。
「雪ちゃん……雪ちゃん、お願いだから、目を覚ましてよぉ……」


 ぼんやりと視界が広がってゆく。

 辺りはもう夜だった。

 浜の側にある街灯の下で安曇にもたれかかって、淡雪は座っていた。

 安曇の隣では雫と雨都が八朔のことを覗きこんで呼びかけているのが見える。
 街灯の眩しさに目を細めつつ、
「ひな……?」
 胸に必死に抱きついて、泣いている日向に声をかける。
「どうして……泣いているの?」
 出会った時の言葉そのままに、尋ねる。

 その声で、日向が淡雪の胸から顔を上げて、泣きじゃくりながらも答える。
「雪ちゃんが……死んじゃったかと思ったよぉぉぉ……。お願いだから、1人にしないでぇぇぇ。あたし、雪ちゃんいないの、もうヤダァ……」

 子供のように恥じることもなく、泣き続けている。

 時折首を左右に振って、涙を拭い、また泣く。

「残して死んだりしないよ。こんなにいい子なのに……」
 淡雪はその言葉に胸を締め付けられたけれど、いつものように穏やかに笑って、日向の頭をよしよしと撫でる。

 それでも、泣き止む気配が見られないので、淡雪は弱っている体を起こして、しっかりと抱き締めた。
 胸に顔を埋めさせてやると、日向は安心したのか、少しだけ泣く勢いが弱まった。
「大丈夫大丈夫。僕はここにいるよ」
 ポンポンとあやすように背中を叩いてやる。

 すると、安曇が横から茶々を入れてきた。
「チビクロ、あんまし泣くと、ふくれっつらが余計にふくれるぞ」
 彼なりの泣き止ませようとしての配慮のようだ。
 淡雪はその言葉を聞いて苦笑する。

「淡雪くん」
 雨都が八朔から顔を上げて、こちらを向いた。
 何?と首を傾げる動作だけで伝える。
 雨都は雫に八朔のことを任せると、スカートのポケットからバンソーコーを取り出して近づいてきた。
「さっきから気になってはいたんだけど、唇から血が出てるから、一応……」
 そう言うと、淡雪の前でしゃがみこんで、ぺリ……と当て紙から剥がしたバンソーコーを淡雪の口元に貼り付ける。
「え?血?」

 そういえば、先程から口の中が血なまぐさい。
 淡雪は自分の手を改めてマジマジと見た。
 砂浜を転げた時に出来た擦り傷がある。
 直る気配も見られない。
 まさか……。

 そう思った瞬間、安曇にゴツンといきなり殴られた。
「いってぇ……何するん……」
 そう言いかけて、淡雪ははっとする。

 痛みがある。
 痛いし、血が止まらないし、傷も治らない。

「嘘?なんで?血が出る、すごい!!」
 何も知らない人が聞いたらとんでもないことで喜んでいると思うような言葉を口にして、淡雪は嬉しさのあまり、改めて日向を抱き締めた。
「淡雪くん、普通の体に戻ったのかもしれない」
 雨都がほっとしたように笑っている。
 その言葉を聞いて、日向も涙でグショグショの顔を上げると、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「でも、なんで?どうして?」
 みんなが思っている通りのことを真っ先に口にする。

 雨都がなんとなくは察しがついているんだけれど……と、含んだ言い方をしたので、雫以外が雨都に視線を移そうとした瞬間のことだった。
 今まで泣いたり笑ったり忙しかった日向が、突然、力が抜けたようにフラリと体をよろめかせる。

 抱き締める形でいた淡雪のおかげで、コンクリートに頭を打ち付けるようなことはなかった。

 色々ありすぎて急に疲れが出たのだろうと淡雪は思い、優しく包み込もうと日向の頭に手を伸ばした。

 だが、次の瞬間、日向の放った言葉でその場が凍りついた。


『次の宿主は、この女で決まりだ……』


 日向の顔で、日向の声で……不気味に笑うアカツキがそこにいた。



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