第3章 敗北と折れた木刀 今日の実技の時間は簡単な試合だ。 1対1で、個人が得意とする武術や呪文を駆使しての勝ち抜き戦。 剣を木刀に持ち替えても、真城の強さがぼやけることなどなく、順当に勝ち上がっていた。 相手から参ったを取るか、気絶させた者の勝ち。 真城は全て寸止めで参ったを言わせての勝ち上がりだった。 強い者に容赦ないが、弱い者に甘い。それが昔から言われている彼女の弱点だった。 残った生徒は、真城、葉歌、遠瀬の3人だったが、葉歌はそこまで勝ち残って、早々に具合が悪いと棄権した。 勿論、体調の問題もあったのだろうが、冷静に3人の能力を分析した上での棄権だった。 詠唱呪文を得意とする葉歌には、接近戦を得意とする2人の相手は、とてもじゃないが出来ない。 真城は剣技。遠瀬は蹴りが主体の徒手空拳。 どちらも先手必勝タイプで動きも速い。 呪文の詠唱に時間のかかる葉歌でははじめから負けに行くようなものなのだ。 真城は木刀をしっかりと握り締めて、葉歌の顔を覗き込んだ。 「だいじょうぶ?」 「ええ、平気。少しふらついただけだから。真城、無茶はしないでね?」 「だいじょうぶだよ。ボクは負けないから」 「……。そうね。真城は強いものね」 「そうそう」 爽やかな笑顔で、だいじょうぶだいじょうぶと言い聞かせる真城を見て、青ざめた顔の葉歌は複雑そうに眉をひそめた。 真城はそれを不思議に思ったけれど、先生の呼ぶ声がしたので特に尋ねずに闘技場の真ん中へと颯爽と歩いていった。 板張りのコートの中で、居合いの位置に構え、遠瀬と対峙する。 遠瀬はやる気がないようにダラリと力を抜いた状態で立ち、こちらを睨みつけていた。 ずっと、この構えから一瞬で相手を気絶させていた。 つまり、彼にとってはこれが戦いの基本スタイルということになる。 外から見ていた時は分からなかったが、物凄い威圧感を感じた。 負けまいと真城はすぅ……と深く息を吸いなおす。 強い。 恐怖よりも期待が高まるように、ドキドキと心臓が早鐘を打ち始めた。 これは……紫音以来の相手かもしれない。 そんなことを心の中で呟く。 「はじめ」 先生の声がして、すぐに遠瀬が間合いを詰めてきた。 真城も一呼吸遅れて迎え撃とうとしたが、居合いの位置から抜いた木刀はブォンと音を立てて空を斬った。 残像が残るほどの速さで、遠瀬が目の前から消えたのだ。 慌てて気配を探り、微かな空気の震えを感じ取り、屈みこむと、頭上を遠瀬の蹴りが掠めた。 上に飛び上がっていたのか……と心の中で考える余裕もなく、続けざまに膝蹴りが飛んできた。 真城は木刀を持っていない手で薙ぎ払う反動に合わせて体を滑らせ、素早くバックステップで距離を取った。 両手で木刀を握り直し、高鳴る鼓動を必死に落ち着かせる。 「どうしよう。わくわくする」 遠瀬は軽いステップを踏み、右に左にと体を揺さぶる。 今度は真城から仕掛けた。 強く床を蹴り、上段から思い切り木刀を振り下ろす。 空振ったらすぐに下段切り上げだ……と、次のラインを選びながらの技出しだったが、意外なことに遠瀬は木刀をかわすことも薙ぐこともせずに、右手で受け止めた。 ガッシーンと鈍い音が響いたが、遠瀬は顔色1つ変えない。 「こんなものか。まるでお遊戯だな」 「え?」 「所詮、習うだけの剣技では、この程度だと言ったんだ」 「遠瀬?」 冷たい口調でそう言うと、遠瀬は戸惑いを隠せない真城の隙をついて、木刀を力づくで下げ、膝で思い切り蹴り上げた。 バキッと音を立て、よく使い込まれた木刀が真っ二つにへし折られる。 にわかに軽くなった腕を見つめて、真城は目を見開いた。 遠瀬は何事もなかったように、ポイと木刀を投げ捨てる。 カランカラン……と軽い音を立て、床の上で弾む木刀。 真城はそこでようやく木刀が折れたことを理解して、奥歯を噛み締めた。 「この国は平和だな。こんなヤツがジュニアの準チャンピオンか。こんなヤツならゴロゴロいるぞ。国の外に」 見下したように冷たい口調。 呆れたようなため息。 そして、すぐに真城の顔に蹴りが入った。 咄嗟に蹴りに合わせて体を流したおかげで、ダメージは軽かった。 こめかみから血が噴き出す。 受け流してもそのダメージだった。 遠瀬の威圧感に飲まれそうになるのを必死に堪える。 わくわくだけではない。恐怖もあった。 武器が奪われたことと、大切にしていた木刀を失ったことへの恐怖。 この木刀は、月歌が昔プレゼントしてくれたものだった。 唯一、月歌がプレゼントしてくれた、最初で最後のものだったのに。 『本当はもっと女の子らしいものを差し上げたかったのになぁ。本当にこんなものでいいんですか?』 木刀を手渡す時に、困ったように月歌はそう言った。 守るための力が欲しかったから。 いつも、面倒を見てくれる月歌が怪我をしないくらい、強くなりたかったから。 ずっと昔から、女の子らしくなることなど、捨てていた。 真城は何者も傷つけない、そんな強さが欲しかった。 真城は唇を噛み締めて、短くなった木刀を握り直し、飛び出した。 短いなら短いなりの戦い方がある。 しかし、簡単にかわされ、確実に重い蹴りが真城を襲う。 やはり、慣れない長さでは勝ち目もないのか……。 戦いの最中に諦めるということをしたことのない真城の頭に、そんな言葉が浮かんだ。 浮かんだのを見透かしたように、目の前には遠瀬の冷たい目。 今まで攻撃には脚しか使っていなかった遠瀬が右手を思い切り振り上げた。 「女が武器を持つこと自体、間違っているんだ」 「つっくん……!」 つい、そう叫んでしまった。 つい、目を閉じてしまった。 戦いの場で目を閉じることは、諦めと同じなのに……。 来るはずもない人の名を呼んで、真城は懸命に頭を抱え込む。 その瞬間だった。激しい風が真城と遠瀬を包んだのは。 真城は驚いて、すぐに目を開く。 ここは室内で、風など起こるはずもない。 目の前にはかまいたちで、どんどん傷を増やしてゆく遠瀬の姿。 呆然とその光景を見つめて、しばらくしてからようやく察する。 風の呪文が得意なのは一人しかいなかった。 「葉歌?」 葉歌が壁にもたれかかっていた位置に目をやると、葉歌が祈りを捧げるように両手を胸の前で組み、詠唱をしているのが見えた。 辛そうに表情を歪めながらも、そっと顔を上げて叫ぶ。 「転校生!真城が真剣で戦ってたら、あなたは2撃目でやられてるのよ!何を偉そうに」 「アマちゃん剣士に、アマちゃん魔導師か」 収まってゆくかまいたちの群れから逃れようともせずに、舌打ち混じりで呟く遠瀬。 「もし、本当の戦場だったら単身つっこんでいくあなたの負けよ。真城は、わたしが援護するもの」 普段はおしとやかに本を読んでいる葉歌が、体の力を振り絞って呪文を持続させようとしている。 けれど、どんどん風の勢いが弱まっていることから、無理していることがすぐにわかった。 「援護など意味はない。覚悟のないヤツが戦えるほど、戦場は甘くないんだ。馴れ合いが好きなら、今すぐ剣を捨てたほうがいい。道楽で握られる剣など、見ていて腹が立つだけだ」 「道楽なんかじゃない」 「そうか?敵に一撃も当てない剣の、どこが道楽じゃない?」 「それは……」 相手がそんなに強くなかったからという言葉を言いそうになって、ぐっと堪える。 遠瀬は深くため息をつくと、かまいたちから解放された瞬間に言った。 「あのお姫様の言葉を借りるなら、戦場でとどめを刺さないお前は真っ先に死ぬ」 「っ……」 「道楽でないなら何のための剣だ?戦場に出ない力など、道楽以外の何者でもない」 「ボクは……」 言い返すことが出来なかった。 力が欲しかったのだ。好きな人を護れる力。 そのためだけに強くなった。 そのために、今自分がいる。 けれど、その力を軽く一蹴されてしまった。 圧倒的な威圧感と研ぎ澄まされた言葉。 温情など見せることもなく、遠瀬は真城に背を向けて闘技場を出て行ってしまった。 もしも、葉歌が手を出さなかったら、自分は今ここに立っていなかっただろう。 葉歌が手を出しても出さなくても、結局真城の負けは決まっていたのだ。 「あ……」 そうだ。そんなことはどうでもいい。 葉歌は連続的に持続呪文を使い続けた疲労で棄権したのだ。 先ほどの大きな呪文など、本当は使えるはずもなかった。 負けよりも、木刀よりも…… 「葉歌!!」 真城はすぐに葉歌の元に駆け寄った。 青ざめた顔で倒れそうになっている葉歌の肩をクラスメイトが支えている。 「ありがと」 と声を掛けて、少し乱暴に葉歌の体を奪い取った。 すぐにお姫様だっこのように抱え上げて、闘技場を出る。 葉歌の体は折れそうなくらい華奢で、女の真城からしても心配になるくらいだ。 「だいじょうぶ?」 「大丈夫。真城の腕があったかいから。でも、また変な噂が立つかもね?」 すぐにふんわりと笑ってくれたが、顔色が悪いせいか、その笑顔と冗談は逆に真城の胸を締め付けた。 そんな心配を他所に葉歌は真城のこめかみに手を触れる。 「真城の顔をはじめから蹴るんだもの、あの仏頂面……。痣になったら大変なのに」 「平気だよ、ボクは。それに遠瀬の言ってたことも、間違って、ない、し」 「気にしなくっていいのよ。真城は強いから。あんなヤツの言葉、気にしないでね?」 耳元で囁かれる言葉に、真城はこみ上げてくる悔しさと悲しさを抑え切れなかった。 「……うん。ただ、つっくんからもらった木刀……壊れてしまって……」 「大丈夫よ」 そっと葉歌は真城の首に手を回すと、よしよしと真城の頭を撫でる。 すぐそこにある葉歌の顔を見て、思わず立ち止まってしまった。 葉歌が悲しそうに目を細めて、何度も何度も真城の髪を撫でてくれる。 自分の頬を伝って落ちる涙に、そこでようやく気がついた。 「木刀が壊れたからって、真城が諦めなくちゃいけない理由はないもの」 「ボク……」 葉歌の示す諦めるとは強くなることに対してか、それとも、真城の月歌への想いだったのか。 それがわからなくて、真城は次の言葉が出てこなかった。 「月兄ぃにはわたしが言っておくから。またおねだりすればいいよ」 「無理だ」 「え?」 「月歌は……もう、ボクには何にもくれないんだ……」 「何を言って……」 「執事としてしか……くれないんだ……」 「ま、しろ……」 思わず本音が出てしまった。 悔しさと悲しさで感情が昂ぶっていたせいかもしれない。 スルリと、簡単に言ってしまった。 今まで一度としてそういうことは言わないように気をつけていたのに。 気をつけていても、察しのいい葉歌は気がついていたからかもしれない。 今、目の前にいるのが龍世だったら、こんなことは言わなかった。 葉歌が優しく真城の頭を抱き寄せる。 ふんわりと、甘い香りが真城の鼻をくすぐった。 「月兄ぃは駄目って、昔何度も言ったのに。お馬鹿」 「知らないよ、気がついたら好きだったんだから」 「わたしだったら、すぐにオッケーするのに……お馬鹿」 「なんだよ、それ」 「いつもの冗談よ。少しは笑えた?」 「笑えない」 そう言いながらも真城はクスクスと笑いを漏らした。 ゆっくりと葉歌を下ろして、溢れてくる涙を拭う。 葉歌は真城の腕を抱き締めたまま、歩き始めた。 「変な噂が本当になったら、村の女の子たちも諦めるかと思ってね」 「ははは。絶対ヤダ」 「え?」 「葉歌は、ボクの大切な親友だからヤダ」 一瞬悲しそうに目を細めた葉歌だったが、真城のその言葉に優しく笑みを浮かべた。 顔色が先ほどよりマシになっている。 「このまま帰っちゃおうか?どうせ、次の時間は真城の嫌いな座学だし」 「それもいいかもな。丘の上で素振りしたい」 「もう……」 「次は負けたくないんだ」 この期に及んで、剣のことに考えが及ぶ真城を呆れたように葉歌は見つめる。 真城は拳を握り締めて、折れた木刀をフォンフォンと振った。 まだ授業中の教室からは呪文詠唱のための、念仏のような言葉が響いてくる。 真城は木刀を見据えて振りながら、紫音への手紙に、遠瀬にボロ負けしたことを書こうかなと考えていた。 |
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