第4章  迫害の民

 遠瀬はぼーっと窓の外を見つめていた。
 窓の外には小高い丘が広がっていて、その丘の眺めが好きで、遠瀬は転校した次の日から必ず窓際の席を取っていた。
「真城と葉歌はどうした?」
 年配の先生がクラスの女子に尋ねたが、みんな口々に知らないと答える。
 バッグも剣もないから、無断で早引けしたのは明らかだったが、こういう時ばかりは女子の結束力は強い。
 ……というよりは、真城・葉歌カップルファンクラブの結束力……とも言えるのかもしれないが。
 遠瀬はその声に反応して、真城の席に視線をやった。
 誰かが拾って戻ってきたのか、先ほど自分がへし折った木刀の一部が机の上にちょこんと乗っている。
 それを少しの間睨みつけていたが、窓の外へと再び視線を戻す。
 風緑村の空が少しずつオレンジ色に変わり始めていた。


 丘の上をザザザ……と風が駆け抜けてゆく。
 葉歌の髪が風に弄ばれて、膝枕で眠っていた真城の頬を掠めた。
「ん……」
「あ、起こした?」
「んーん。ごめん、勝手に寝てしまった」
「いいえ。疲れたんでしょう?尋常じゃなかったから、転校生の殺気」
 風で落ちた髪の毛を耳に掛け直しながら、穏やかに笑う葉歌。
 真城はむくりと起き上がって、思い切り伸びをする。
「殺気?」
「そう、殺気。見てるこっちも疲れた程」
「あれ、殺気だったのか?」
「…………」
 あっけらかんと言う真城に驚いたように葉歌は目を見開いた。
 その表情に小首を傾げる真城。
「わかってなかったの?」
「すごい威圧感だなぁって思ってた」
「ふふ……お馬鹿」
「なに?急に……」
「ううん。真城は……本当に、もう。だから心配なのよ」
 困ったように小首を傾げて笑う葉歌。
 真城はなぜ笑われているのかが分からずにう〜んと唸り声を上げた。
 葉歌の髪がまたもや風ではらりと落ちる。
 落ちた髪をかき上げて、耳に掛けなおすと白い首筋がほんの少しだけ覗いた。
「あ!そうだ!!」
「? なに?」
「葉歌に髪飾りを贈ろうと思っていて。それで、昨日タツが届けてくれたんだよ。絵は得意なんだけど、彫刻苦手だから、タツに任せたんだ」
 木の幹の洞に隠すように入れていたバッグを取り出してきて、すぐに葉歌の後ろに膝立ちで座り直す。
「葉歌ね、最近髪が邪魔そうだからちょうどいいかと思って」
「…………」
 サラサラと柔らかい髪を器用に手櫛で整えて、横髪を邪魔にならないように結わえ、その上に木彫りの小鳥の髪飾りをくくりつけた。
「ほら、風の呪文使うと、すぐ乱れちゃうだろ?あったほうがいいかなって思ったんだ」
「真城なのに、よく言わなかったね」
「だ、だって、驚かせたかったから」
「うん。驚いた。ありがとう」
 少し引っかかる言い方なのに特に気がつかずに照れる真城を見て、葉歌はにっこりと笑う。

 そっと髪飾りに触れて、唇を噛み締めると、小さな声で言った。
「一生、大事にするね」

「え?」

「いいえ、なんでも。それじゃ、わたしも……確か……」
 横に置いてあった皮のカバンをパカリと開けて、ゴソゴソと中を漁る葉歌。

 葉歌がカバンを漁っている間に、真城は葉歌の前に回りこんでちょこんと腰掛けた。
 風がザザザ……と駆け抜け、丘の上の木々がザワザワと騒ぐ。
 この木々の向こう側だと、アカデミーの校舎が見える。
 サボりなので見つからないように裏側に回っていたのだった。

「よかった。今日は持ってきてた」
「なに?」
「お守りよ。わたしの命を救ってくれたお守り。たぶん、ご利益あるから」
「だ、駄目。そんな大事なものもらえな……」
 手をブンブン振って受け取ろうとしない真城の手をガシッと握り締めて手渡すと、葉歌はニコリと笑った。
「わたしより、真城のほうが危ない目にたくさんたくさん遭う気がするから。だから、持っていて?」
「どう……して?」
「真城は見た目と話し方に関わらず、ドジだから」
「ど……」
 ドジとストレートに言われて、真城は思わず唇を尖らせた。
 葉歌がおかしそうに笑う。
 否定できない自分が悲しかったが、あんまりおかしそうに笑うから真城もつられて頬がほころぶ。

「それに……」
「ん?」
「それを持っててくれれば、いつでも一緒にいるみたいで嬉しいから」
「葉歌……」
「ね?」
「え、う、うん」
 真城はどうして葉歌がそんな風な言い方ばかりするのかが分からず、動揺を隠せなかった。

 いつでも一緒って、アカデミーがあろうとなかろうと、大体毎日会っているというのに。
 おかしなことを言うな……と感じていた。

 葉歌がオレンジ色の空を見つめて、急に真面目な顔になった。
 真城も同じように空を見上げる。

「遠瀬くんね……」
「ん?」
「彼は、カヌイの民族だと思う」
「え?」
「迫害の、民」
「……。じゃ、無事逃げられたんだね。この国だったら、他国も追ってこられないし」
「そう……なのかしら?」
「え?」
「中立国家の様相は呈しているけれど、この国には彼のような民族を守りきる力など、ないと思うの」
「だって、どこの国とも敵対しないし友好関係を結ぶこともしないって。敵にならない国なのに侵略してくるって言うの?わざわざ」
「あちらに攻める口実が出来たら、力のない中立国家なんて赤子と同じ」
「…………」
「危険な……気がするの。彼が、国の中央に近い、こんな村にいること自体、おかしい」
「そんな……遠瀬はただ逃げてきただけだろ?」
「あんな絶対的な力を持った上で?」
「ん……」
「真城、あなたは強いけど……彼は桁が違う。さっきはムキになって言ったけれど、真剣でやったとしても、真城は勝てないかもしれない」
「わ、分かってるよ。一撃も当てられなかったし……動きに無駄がなくって、人間と戦ってる気がしなかった」

 先程もらった一撃を思い出して、軽くこめかみのあたりをさする。

 葉歌に消毒してもらった怪我は、血さえ止まれば大したことはなかった。

 葉歌が静かに真城の手を握り締めてきた。
 それで真城は空から目を離して、葉歌を見つめ直す。
 不安そうに葉歌が唇を噛み締めていた。
 手も、震えている。

「真城、彼には関わらないで欲しいの」
「駄目だよ、もっと手合わせしてもらう。確かに強いし、冷たい言い方されたけど、もしも彼から一本取れたら紫音先輩にも勝てるかもしれないもの」
 道楽だなんだと蔑まれたことも無視をして、強くなるためのステップだと真城は言う。
「お願いだから……心配なのよ。悪い予感がして仕方がないの」
「けど……」
「仲良くならないって約束だけでもいいから」
「え?……」
 真城にはそんな器用な真似は出来ない。
 口だけの約束とか、話しかけはするけど仲良くはしないようにするとか……そんなのは無理だから、答えに窮してしまった。
「真城には無理……か」
「ごめん」
「いいえ。わたしも、可笑しなこと言ってごめんなさい。神経質になりすぎね」
「遠瀬は、きっと悪い人ではないと思う」
「真城は誰に対してもそう言う」
「う……」
「人を信じ過ぎないで。裏切られた時、辛いのだから」
「…………」
 いつもふんわりと話す葉歌が、この時ばかりは語調が鋭かった。
 自分でも言い過ぎているという自覚はあるのだろうが、どこからか溢れ出して来る不安を抑えられないように、しっかりと真城の手を握り締めてくる。
 だから、真城は言葉の代わりに、そっと空いていた手で葉歌の手を包み込んであげた。
 信じられるうちは信じていないと、自分が辛いんだと、心の中で呟きながら。

 2人が座っている丘を冷たい風が吹き抜けていく。
 風が吹き抜けるたびに、葉歌の長い髪がゆらゆらとたなびいていた。


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