第5章 風緑の丘(前編) 「ま、ま、真城様!どうしたんですか、その怪我は!!」 屋敷に帰ってすぐに月歌の悲痛な叫びが、エントランスホールに響き渡った。 どうしたもこうしたも、模擬試合でやられたとしか言いようがない。 一体誰にやられたのかとか、早く冷やさなければとか、激しく取り乱して、キッチンで働いていたコック達までホールに出てくるほどの大騒ぎをかます月歌。 ついてきていた葉歌が冷ややかな目でそんな兄を見つめる。 「消毒もしたし、溜まりかけてた血も抜いておいたから平気よ。兄ぃは黙って、村長様の相手でもしてたら?」 真城に対しては決してしない、冷たい口調でそう言うと、真城の家なのに、葉歌が真城の手を引いて部屋まで歩いてゆく。 「ボクの怪我、もう大したことないから、葉歌だって送ってくれなくてもよかったのに」 部屋に入り、カチャリとドアを閉じた後におかしそうに真城が笑って告げた。 葉歌はふぅとため息をついて、窓際まで歩いていき、外を眺めながら言葉を返してくる。 「わたしが適当にあしらわなかったら、兄ぃと村長様にもっと言及されているところだと思うけど?木刀の件だって、泣きそうになりながら言いそうだし、真城は。元々、村長様はあなたが剣を持つことには反対だった訳だし」 「う……」 「兄ぃだって、本当は反対でしょうしね」 「駄目……かな?」 「え?」 「ボクが剣を取ったら、いけない?」 「真城……」 真城は剣を壁に立てかけると、ベッドにばふっと腰を下ろした。 今日、遠瀬にも言われたこと。 女が武器を持つこと自体、間違っているという言葉を今更思い出したのだ。 「気に、しているの?」 「女の子として、大事にしてくれるのは嬉しいんだ。父上も、つっくんも、葉歌も。だけど、ボクは護りたいんだもの」 「わたしの呪文だって、あなたを守るためのものよ。それを武器と呼ぶのなら、わたしは真城を止める術を持たないわ」 ペタペタと歩いてきて、真城の横に腰掛けると、葉歌は天井を見上げて笑った。 「わたしは真っ直ぐな真城が好きだし、真城にひどい怪我をさせないためにこの力を手に入れたの。わたしは、あなたが強くなりたいと願い、邁進することを止める気もなければ、否定もしないわ」 「葉歌……」 「性別なんて関係ない。戦う時がくれば、誰だって武器を取らなければならない。命懸けの駆け引きになった時、綺麗事なんて、ただの屁理屈でしかなくなる。戦いは、理屈では出来ないから。だから、女の子だからとか、そんなことは考えないで欲しい。紫音くんだって同じことを言うと思うのだけど」 「あ……」 『女の子だからとか……そういうことには拘らずに、これからも素直に成長してゆくであろう君の姿を、 遠い空から応援しています。』 葉歌の言葉で今朝読んだ紫音の手紙の一節を思い出した。 あの時は何気なく読んでいたけれど、今なら何を指してそういうことを書いてよこしたのかが分かった。 護ろうという気持ちに、性別も年齢も関係ない。 もしも、その力を欲するのなら、ただ我武者羅に精進して欲しいという彼の激励だったのだ。 「どうせ、みんなが駄目って言っても、真城が剣を離すとも思ってないしね」 「ははは」 「真城は難しいこと考えようとしなくていいの。そういうことはわたしが考えるから、無理しな……ケホッコホッ」 「だいじょうぶ?」 「ええ、平気。ちょっと、むせただけだから」 咳き込みながらも笑顔を返してくる葉歌に、真城はほっとして胸を撫で下ろした。 ふと思い出して、ポケットに手を突っ込む。 「あれ?」 「どうしたの?」 「いや、お守りが……」 もう1つのポケットも探ってみたが、葉歌から受け取ったライラックの押し花の入ったお守りがなかった。 慌てて立ち上がる。 「しまった。丘の木の洞に入れちゃったのかも!」 「別にいいのよ、明日行った時に……」 「ううん、もらったものだから。そんなの駄目」 すぐにドアを押し開けて、廊下に飛び出す。 後ろで葉歌の制止する声が聞こえたけど、構わずに真城は赤絨毯の敷かれた廊下を駆け抜けた。 エントランスホールで月歌に見つかったが、 「葉歌にディナーを出しておいて!すぐに戻るから!!」 と声を掛けただけで、強硬手段で突き抜けた。 屋敷を飛び出して、左手にある森を抜け、丘への坂を駆け上がる。 外はもう真っ暗で、時折、地面からでっぱった石に足を取られるが、反射神経の良さで転んだりはしなかった。 坂の途中で、大きな斧を背負った龍世に会った。 暗がりでも、斧のおかげですぐにわかった。 「あ、真城。どうしたの?帰ったのかと思ったのに」 「忘れ物をしてしまったんだ」 「あ、そうなんだ。オレね、明日は仕事お休みだから、もしよかったら指南してくれない?」 「ああ、平気だよ。それじゃ、いつもの時間に、丘の上で待ってるよ」 「うん、わかった。あ、そうそう」 「なに?」 「都市の騎士が丘で何かしていたから気をつけたほうがいいよ。少し殺気立ってて恐かったから」 周囲に誰もいないけれど、龍世は声をひそめて教えてくれた。 あまりに意外なことで真城は目を丸くする。 「都市の騎士様が?」 「うん」 風緑村を治めている騎士は2人いて、村もそんなに広いというわけでもないから、何かがあった時には村の騎士がはじめに動く。 村長を代々引き継いでいる真城の家にも、そういった時にはすぐに伝令が入るのに、そんな様子は微塵も見られなかった。 村の騎士よりも先に都市の騎士が動いているのであれば、あまりいい状況とは言えないだろう。 一応、騎士にも縄張りというものは存在するわけだし。 「ついていこうか?真城は村の権力者の娘だし、もめるかも……」 「……そうだな。1人で行くと、何か言われるかもしれない。お願いするよ」 「わかった」 真城が真面目な顔で頭を下げると、龍世は朗らかに笑みを浮かべて頷いた。 特に何事もなければ、それで落ち着くだけのことだ。 騎士が動いているからといって、何か揉め事が起こっていると考えるのも性急過ぎるだろうし。 簡単な世間話をしながら歩いていた2人が、洞のある大きな木が視認できる距離まで来た時だった。 真城は変な感覚に襲われて、フラリと体をよろめかせる。 何かが頭に勝手に流れ込んでこようとしている。そんな感覚だった。 『死にたくない……でも、戦いたくない。私は、みんなと仲良くしたいだけ』 可愛らしい声が耳の奥で聞こえて、いきなり、映像が頭の中をすごいスピードで駆け抜けた。 青色の髪の少女が、この丘の上に木の苗を植えているところだった。 息も絶え絶えな状態で、必死に穴を掘って、苗を根付かせる。 『ごめんなさい……私が、しっかりしてたら、こんなことに……ならなかったのにね』 苗に話しかけ、愛しそうに見つめる少女。 丘の上には、その木の苗以外、緑らしきものは見当たらなかった。 『人間の戦いに、あなたたちまで巻き込んでしまって……ごめんなさい……』 ゆっくりと倒れてゆく少女の体。 それを誰かが抱き留めて、そぉっと持ち上げたのが見えた。 人間じゃなかった。獣でもない。見たことのないものだった。 ところどころから、細い紐のようなものが飛び出している。 青い体をした、その『人』は少女を愛しそうに抱き締めたまま、鈍い地響きを奏でて、丘を下っていってしまった。 「真城!どうしたの?大丈夫?」 急に体が傾いだ真城に驚いたのか、慌てたように龍世が叫んでいる。 真城は我に返って頭を振った。 「う、うん。だいじょうぶ」 「え?」 いつも、年上ぶって話す真城が子供のような口調で返してきたことに戸惑ったのか、龍世が首を傾げた。 真城はすぐに気を取り直して、 「気にするな。立ちくらみがしただけだ」 と言い直す。 すぐに木に駆け寄って、洞からバッグを取り出した。 お守りを手探りで探して、四角い手の平サイズの物体を見つけ、すぐにポケットに捻じ込む。 ポンポンとポケットを叩き、安心したように笑みを浮かべて、龍世のところに戻ろうとした瞬間だった。 グシャッともズサッとも形容し難い、気味の悪い音が聞えた。 真城は振り返り、音が聞こえた木の裏側へと回る。 夜なのに、そこに立っている人間が誰なのかすぐに分かった。 「遠瀬……?」 顔と腕に浮かび上がった、変わった印が青い光を放っていたからだった。 青い光に映し出される遠瀬の狂気にも似た表情。 遠瀬が険しい目つきでこちらに視線を寄越す。 ザワザワと木々が騒ぎ、真城の肌にも鳥肌が立った。 顔にも、着ている半袖のTシャツにも……血と思われるものが、これでもかと言うほど付着していた。 そして、今気がついたけれど、辺り一面血生臭い。 「この地に入るなと言ったのに、かかってくるからだ」 今日、真城を罵倒した声よりも、更に冷たく殺気だった声で、遠瀬はそう吐き捨てた。 地面に落ちていた服を拾い、パッパッと草の葉を払い、着直している。 服が落ちていた場所に、龍世が言っていたと思われる騎士が……2人倒れていた。 地面に大量の血が染み込んでゆくのが、遠瀬の体が発する光で視認できた。 吐き気が込み上げてくる。 カヌイの民族……。 そう言われても、よく思い出せなかったが、今ようやく思い出した。 感情が昂ぶると、体に刻み込まれた印が光を発すると言われている不思議な人種だ。 カヌイの民族は大抵が定住をせずに、旅を続けて一生を終えると言う。 それは彼らの超越的な能力を利用されないためだと、真城は習った。 カヌイの民族の多くは、必ず、何らかの才能に秀でているのだ。 天才と呼ばれるに等しい人間を、何人も輩出している。 葉歌が得意としている、風の呪文を生み出したのも、カヌイ民族だ。 そんな彼らが、最近では迫害の対象となり始めていた。 中立国家の中にいる真城には詳しい事情までは分からないが、多くのカヌイの人間が迫害を受けると共に狩りの対象になっていた。 その行為に反発する国と、カヌイ迫害を推進する国とで戦争が激化したのである。 そして、今、そのカヌイの人間が、国の騎士を殺す現場に居合わせてしまった。 何事もなかったように服を着る遠瀬。 服を着たため、腕の印の光が遮断され、少しだけ辺りが暗くなる。 けれど、まだ、顔の印が光り続けている。 「遠瀬が……殺したの?」 「そうだと言ったら、助けでも呼ぶか?」 「呼んだら……どうする?」 「どうするとは?」 「今、ボクともう1人……丘の上にいる。それも殺す?」 口の中が乾いていた。 けれど、思いの外、冷静に尋ねている自分自身に驚くくらいだった。 「殺して何になる?」 「人を呼ばれたら困るんじゃないのか?」 「ああ、困る。だが、お前を殺す理由はないよ、マシロ」 冷めた目で、ふっと笑みを浮かべる遠瀬。 冷めた目だったけれど、殺す理由はないと言った遠瀬の声は、いつもより柔らかい気がして、真城は決死の覚悟で自分を奮い立たせる。 事情があったに違いないと、信じさせる何かを遠瀬の声から感じ取ったからだ。 「ボクの屋敷に来る?少しの間なら匿える」 「いや、いい。僕は探しに来たんだ」 「え?」 「救世主の亡骸を探しに来た。けれど、ここにはいない。確かに、ここで……別れたのに」 「救世主?」 「御伽噺の救世主さ」 「青い……髪の?」 何かの気配を手繰るように辺りを見回す遠瀬に、真城は先程見た映像の少女の特徴をそのまま挙げた。 なぜだか分からないが、言われた瞬間、彼女だと思ったのだ。 真城の呟きに驚いたように目を見開く遠瀬。 そんな顔を見たのは初めてだった。 「なぜ、お前が知っている?」 「青い髪の女の子なら、青い体の……人が……どこかに連れて行った」 「青い……体……?……鬼月(きつき)か……?」 遠瀬は考え込むように目を細めて、しばらく何かをブツブツと呟いていた。 真城は声を掛けるに掛けられず、黙ってその様子を見つめる。 足元に死体が転がっていると思うと、あまりいい気分はしなかった。 「真城?忘れ物見つかった?……って、え?さ、さささ、さっきの騎士?!」 木の陰からひょいと顔を出して、龍世が声を掛けてきた。 夜目の利く龍世はすぐに騎士の死体に気がつき、大声を上げる。 真城は慌てて龍世の口を塞いだ。 「しっ!」 「も……むごむご」 コクコクと頷く龍世から、すぐに手を離してやる。 龍世はすぐにしゃがみこんで、まじまじと死体を見比べている。 「罰が当たるよ、タツ」 「ううん、そんなんじゃなくって……。せめて安らかに眠ってください」 興味本位で覗き込んでいるのかと思ったが、龍世はすぐに両手を合わせて祈りを捧げるように膝をついた。 一通り祈りを終えたのか、龍世はようやく状況の説明を2人に仰いできた。 遠瀬はぶっきらぼうに告げる。 「追っ手だったから倒したまでだ」 「むちゃくちゃだな」 呆れたように龍世が苦笑する。 「大体、お前、新参者だろ?都市とこの村は、隣り合ってるんだからただでさえ、気を遣い合ってる仲なのに。村の者が都市の人間を殺したなんてことになったら、真城のお家とか大変なんだぞ?!」 「僕も好きで殺しているわけじゃない」 「当たり前だい!好きで殺してるなんて言われた日には、オレがお前の頭かち割ってやる」 「お前じゃできない」 「なにを?!」 馬鹿にしたように龍世を見下ろす遠瀬。 明らかに何かの言い争いになりそうなのが目に見えていたので、すぐに真城が止めに入った。 「と、とにかく!ここにいたら、すぐに捕まってしまうから!まず、屋敷に行こう。そこで事情はきちんと聞くから。遠瀬も……こんなところで捕まる訳に行かないんだろ?!」 「……ああ……」 仏頂面で遠瀬は頷く。 龍世は納得いかないようにふくれっ面をしていたが、異存はないようだったので、強引に屋敷へと歩き出した。 遠瀬の顔から印の光が消えていく。 「遠瀬……」 「なんだ?」 「まず、顔の血を拭いてくれない?か、匿いきれない」 「……。ああ、そうだったな」 仏頂面でしれっと答えると、遠瀬は中のTシャツでゴシゴシと顔を拭った。 Tシャツが血まみれだから別にいいと思ったのかもしれないが、見ている側は気分がよくなかった。 拭き終えて、上着のジッパーを上げれば、臭い以外は特に気にならないようにはなった。 これを連れて帰ったら、葉歌が開口一番、真城のことを大嫌いと叫びそうな…… そんな予感を覚えながら、夜道をトボトボと歩く。 何度も何度も、先程の血まみれの死体が頭の中を過ぎっていくけれど、それでも、なぜか、遠瀬を捨て置けないような感情が真城を支配していた。 |
≪ 第1部 第4章 | 第1部 第6章 ≫ |
トップページへ戻る |