第8章  そして、若人は旅に出る

 先陣を切って走っていた真城は、村の外れまで来たところでスピードを一気に緩めた。
 夜風がさやさやと髪を撫でて吹き抜けてゆく。
「戒、逃げるのならこの道を真っ直ぐ行くといいよ」
 戒が真城の横に来たのを確認して、そっと目の前に広がる道を指差した。
 この道は都市とは真反対の道だ。
 まだ村の中に戒がいると考えている騎士達よりも早く脱出するのが賢明な判断。
 龍世をどこかに置いてきてしまったようだが、ただ見送るだけなら問題はない。
 むしろ、家に帰ってくれていたほうがいいかもしれない。
「すまなかったな、巻き込んだ」
「いや、いいんだ。ボクたちがキミを見過ごせなかっただけだから」
「ああ……そうだな……」
「ははは」
「なんだ?」
「余計なお世話だったって顔しているから」
 真城はおかしくてもう1度肩を震わせて笑う。
 戒が仏頂面のまま、目を細めた。
「助かったのは確かだ。それは感謝している」
「……。助けなんて要らなかったんだよね?」
「…………」
「キミの強さ、ボクは知ってるから」
「無駄に殺さずに済んだ。それだけでも、感謝に値する」
 戒がそこで初めて、ふっと頬を緩めて笑った。
 月の光がそれを照らし出す。
 真城は驚いて目を見開いた。
 戒はそっけなく視線を逸らすと、月を仰ぐように首を傾げた。
 それでなんとなく、真城は感じ取った。
 龍世に対して、「殺したくて殺したんじゃない」と言った言葉は嘘じゃなかったと。

 剣を鞘に納めると、ニッコリと真城は笑みを浮かべて、目を閉じた。
「さやさやと 吹き抜ける風のように 静かに静かに 世界を駆け
 ただ 何も知らぬ幼子を 教え 諭し 導き
 決して色褪せぬ思いを いつしか 見つけ出せるように」

「……何の言葉だ?」
「本当は歌の一節なんだけど、ボク、歌は苦手だから。葉歌が歌うとすごく綺麗なんだ」
 ゆっくりと目を開き、戒を優しく見つめた。

 月を仰いでいた戒も真城に視線を向けていた。
「旅に出る若人に向けて送ることになっている歌なんだ。無事を祈り、更なる成長を願う……そんな歌」
「僕には勿体無い言葉だな」
 自嘲気味に笑う戒に真城は首を横に振って答える。
「そんなことない」
「ん?」
「キミは、確かに怖いかもしれないけど、心から怖いと思えないんだ」
「それはお前の思い込みだ」
「そうかもしれない。でも……それでも、ボクはキミを信じたいから。だから、キミの無事を願っていたい」
「…………。騎士になりたいと言っていたな」
「え、あ、ああ」
「僕が言えることはたったひとつだ」
「なに?」

 戒は真っ直ぐ真城を見つめて、いつもくぐもっている声が少しだけクリアになった。
「決して、死ぬな」
「……戒……」
「いいか?死ぬな。お前は絶対に……」
「ゴチャゴチャうるせーなぁ。人が気持ちよく寝てたってぇのによ」
 突然、村の柵の外から大きな声がしたかと思った瞬間、風が吹きぬけた。
 しっかりと固定されているはずの柵が崩れてゆく。
 真城は状況を把握しようとそちらに目をやったが、その瞬間に戒にドンと体を押されて、地面に思い切り倒れこんだ。
 青臭い草いきれが真城の鼻腔に広がる。
 すぐに立ち上がろうと地面に手を掛けた時、ザクッという嫌な音が耳に届いた。
 先程、戒が騎士を殺した時に聞えた嫌な音を思い出す。
 不安に駆られて振り向いた。

 月明かりで2人の男の姿が映し出される。
 刀をしっかりと握り、この国ではまず見られない東国の民族衣装を身に纏った男と戒。
 戒の右腕に、男の刀が突き刺さっているのが見えた。
 戒が表情を歪めて、苦しそうに息を漏らす。
「っ……」
「戒じゃねぇか?この様子じゃ璃央(りおう)にはまだ会ってないのかな?」
 男は嬉しそうに大きな声で戒に問いかける。
「相変わらず、うるさい声だ。お前は喋るな。耳が腐る」
「お前も減らず口だけは相変わらずみてぇだな」
 そう言い捨てると、素早く戒の腕に刺さっていた刀を抜き、振り下ろすために上段に構えた。

 刀が月の光に閃いた。
 腕を押さえながらも体勢は崩さない戒。
 目だけは戦闘態勢に入っていた。
 真城が急いで剣を抜き、2人の間に割って入る。
 金属のぶつかりあう音が、夜の澄んだ空気の中を駆け抜けてゆく。
 ギリギリと揺れる刃の向こう側に、金髪で月歌よりも背の高い男が不敵な笑みを浮かべていた。
 短いように見えていた髪は首の後ろ辺りで結わえられているのが分かった。

「なんだ、ガキ。死にてぇのか?」
「……ボクが相手だ!」
「ほっほう、威勢のいい。そういうの、嫌いじゃねぇぜ」
 真城の声に、男が嬉しそうに笑う。
 片手で刀を振り上げ、その瞬間にドカッと真城の腹を蹴って、後ろへと下がった。
 真城はゲホッと咳き込み、それでも体勢を崩さなかった。

 足が震えるのを感じる。
 戒の時に感じた威圧感を殺気と呼ぶのなら、この男の放っている殺気は戒との比較にならない。
 強さだけなら戒のほうが上だと思う。
 けれど、放たれる殺気の波長が違うように感じた。
 怖い。
 諦めるとかそういうのではなく、純粋に怖いと感じた。
 死を身近に感じる瞬間とは、こういうことを言うのか……。
 真城は強く奥歯を噛み締める。
 逃げられない。逃げてはいけない。
 何度も何度も繰り返す。
 戦う前から戦いたくないと思ったのは、これが初めてかもしれない。
 だが、絶対にここを退けない。
 なぜなら、戒は……真城を庇って怪我をしたのだから。

「……バカヤロ、早く逃げろ」
「無理。ボク、目に映ったものは見過ごせないから」
「ちっ……弱いくせに」
「かもしれない。でも、だからこそ、見過ごしたくないんだ」
 戒の声がゼェゼェという息遣いに埋もれていくのが分かる。
 強がっているけれど、傷が深かったのが声だけですぐに感じ取れた。
 真城は剣を肩に掛け、思い切り腰を落とした。
 一瞬で飛びかかれるように、思い切り膝を曲げる。
「ボクは真城。貴方の名をお伺いしたい!」
「ったく、この国の連中はどいつもこいつも生ぬるい。名なんてなあ、すぐ死ぬヤツに名乗るもんじゃねぇんだよっ!!」
 男は空気が震えるほどの声を放って、真城よりも早く飛び出してきた。
 真城も一瞬遅れて飛び出す。
 カキーン・キン・ギリャンという音が響き、2人の距離がまた離れる。
「へぇ、思ったよりはやるじゃねぇか」
「っ……」
 真城はジンジンと痺れた手に表情を歪ませた。

 思ったよりは対等にやりこなせてはいるが、男の豪力が凄すぎて、手の感覚が失せそうになっていた。
 男の声が大きかったのもあってか、騎士たちが続々と集まってくる。
 剣を交わらせている間に、真城たちを囲む輪が大きくなってゆく。
 逃げたほうがいいのはわかっているが、男から目を逸らすわけにいかず、戒の様子を伺うことができなかった。

「この世界のルールを知ってるか?」
「ッ……?」
 問いかけながら男の腕に力がこもる。
「弱肉強食だ。俺の好きな言葉だ。シンプルでわかりやすく、なおかつ文句も出ない」
 ニヤリと口元を吊り上げて男は笑う。

 真城は刀の軌道を薙いで後ずさり、柄を握り直して、男を見据え、ふぅふぅと呼吸を整える。
「強い者が制するんだよ、この世界は。だから、坊主、逃げたければ、俺を倒すしかねぇよ?」
「剣を抜いたその時から、そのつもりだ!うおぉぉぉ!」

 今度は真城から飛び込んだ。
 男が振り下ろした刀を素早く跳ね上げて、そのまま振り下ろす。
 夢中だった。
 ただ、振り下ろすことだけを考えていた。
 男の肩めがけて思い切り振り下ろされる剣。
 けれど、当たったと思った瞬間、男の頬を剣先が掠め、血が飛び散る。
 そうして、飛び散った血が真城の目に入ってしまった。
 しまった……!

 そう、心の中で叫んだ次の瞬間、獣の鳴き声が聞えてきた。
 村の森深くに生息している、フロクオオカミの群れのボスの声。
 体が馬くらいに大きく、飛び掛られたらひとたまりもない。
 ドスンと真城の前で音がして、ガッシリと腕を掴まれた。
 血のせいで目が開けられなかった。だから、一体何が起こっているのかわからなかった。
 けれど、次の声でようやくわかった。
「真城、ジャンプ!早く!お前も!名前忘れたけど、乗って!」
 龍世の声だった。

 ジャンプして飛び乗ると、フワフワとした毛並みに手が触れた。
 何度か龍世が会わせてくれたから知っている。
 龍世はわざわざフロクオオカミを呼びに行っていたのだ。
「よし、崔(さい)、行って!」
「クォォォォォン!!」
 高い声を発して崔が走り出した。
 背中に乗っているのもあって、すごい揺れを感じる。
 元々人が乗るための動物ではないのだから当然だった。
 振り落とされそうになるので、真城は慌てて剣を鞘に納めて、どこかに掴まろうとしたが、掴まれる場所がない。
 すると、そっと誰かの手が真城の肩を抱き寄せてきた。
「大丈夫だ。そのまま動くな……」
 戒の苦しそうな声が耳元でした。
 戒の腕は怪我をしているはずなのに、決して力が緩まることもなく、振り落とされそうになっていた真城の体をしっかりと固定してくれた。
「ったく……どうするんだよぉ。オレたち村に帰れないじゃんかよぉ」
 そんな言葉を、龍世がぶぅたれた声で漏らしているのが聞えた。


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