第9章  この力で、あなたを護れるのなら

「ねぇ、聞いた?真城様がお尋ね者に加勢したとかで行方不明なんですって!」
「えぇ?!ウソォ……真城様は私たちの唯一の心の拠り所だったというのに」
「でも、きっと、ご事情がおありになるのよ。あの真城様ですもの」
「そうよねぇ、真城様に限って間違いなんて決してないわ」
「私、それよりも心配なのは葉歌さんよ!」
「そうよね、真城様がいないと、あの方倒れてしまうのではないかしら。とても心配……」
「ねぇねぇ、龍世くんも加勢したって話聞いたんだけど!」
「えぇ?たっちゃんも?」
「なんだか、一気にこの村のクォリティが落ちてしまった気がするわ……」
「たっちゃん、帰り道にいつも会うと、絶対お腹を鳴らしていたから、私いつも飴をあげていたのよ。ありがとう、姉ちゃんって無邪気に笑う彼が可愛くって……」
「それに、真城様にくっついてる時の彼も可愛いのよねぇ」
「そうそう!ああ……葉歌さんにしてもたっちゃんにしても、真城様あっての方よね、私たちにとっては……」
「決して、真城様に不利になるような証言はしないようにしましょうね」
「当たり前よ。私たちをなんだと思っているの」
「…………。いつもは一番に来られてる葉歌さんが来ないわね……すごく心配」
「私、真城様より、葉歌さんのファンだったりするのよね。儚げでお美しいから」
「お気持ちお察しするわ。真城様に微笑みかける葉歌さんほど、この世で美しいものはないと私も思っていたから」
 なぜか上流家庭育ちのような口調でお送りしてしまったが、要するにアカデミーのクラスメイト(特に女子)はみな心配しているということで。
 最後には葉歌がいつも腰掛けている席を見つめて、少女達はため息を吐く。
 当然のようになっている葉歌の席には誰も腰掛けるものはなく、真城の席も空席のまま、授業は始まるのだった。


 葉歌は朝起きてすぐにお屋敷に向かっていた。
 昨日ひどくなった咳は思った以上に響かず、体を動かしてみても昨日ほどのだるさは感じない。
 周囲を見回しながら歩いていると、いつもと違うのは騎士団が野営をしているためにすれ違う者の多くが騎士であるということだけだった。
 前から昨晩会った香里がシズシズと歩いてくるのが見えて、葉歌はにっこりと笑いかけた。
「おはよう、香里ちゃん」
「え?あ、おはようございます。失礼ですが、何処かでお会いしましたか?」
 昨日とは打って変わって、丁寧で仰々しい口調。
 葉歌は首を傾げる。
「ええ、昨日、ちょっとだけ、ね。あ、そういえば、名乗っていなかったわ。私、葉歌といいます。もし、会う機会があったら気軽に声を掛けてちょうだいね」
「はい、葉歌様。申し訳ありません、覚えていないなんて、なんて失礼な……」
「いいえ。昨日、眠そうだったから気にしないでね。それではね」
「はい、ごき……っ……ご、ごきげんよう」
 香里が苦しげに顔をしかめて頭を押さえたので、葉歌はすれ違おうとしたけれど、立ち止まって香里の頭をそっと撫でてあげた。

「大丈夫?」
 撫でられた香里はくすぐったそうに顔を緩ませて、目をとろんとさせる。
「は、はい、ダイジョブです。ちょっと……朝は頭痛がひどい体質で」
「そう……なの……」
「葉歌様、母様みたいです。手が、とてもあたたかい」
「あなたのお母様は御影様と仰るのかしら?」
「え?」
「あ……なんでもないわ」
 香里がきょとんと目を丸くしたのを見て、葉歌は言葉を取り消した。
 御影様に似ていると口にしていたので、そういう関係なのかと思ったのだが、どうも違うようだ。
 何より、昨晩のような無邪気さを感じられないおっとりとした話し方に少々の違和感を覚えてしまっていた。
 もしかしたら、葉歌が思っていた以上に香里の年齢は上なのかもしれない。

「香里」
「りょー」
 香里と話をしていると、水色の髪の少年が穏やかな笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
 真城と同じくらいの背だなと、なんとなく葉歌は考えた。
 首には上物のスカーフ。
 もうすぐ夏だというのに、羽織っているジャケットは長めで腿の後ろくらいまでの長さがある。
 いいところのお坊ちゃんなのだろうなと感じずにはおれない服装と表情だった。

「おはようございます。香里が何かしましたでしょうか?」
「え?いいえ」
「そうですか。…………」
 少年はまじまじと葉歌の顔を見据えながら、そっと香里の体を自分の近くへと寄せてしまった。
 葉歌は撫でていた手の置き場に困って、そのまま落ちてきていた髪をかきあげる。
「可愛らしい髪飾りですね」
「え?あ、ええ、大切な人にもらったんです。素敵でしょう?」
 葉歌は笑顔で少年の言葉に返した。
 少年がそんな葉歌の笑顔を見て、嬉しそうに目を細めた。
「美しい方だ」
「ありがとうございます」
 ふんわりと返す葉歌に、少年は困ったように笑う。
「言われ慣れてる感じですか?」
「ええ、それもあります。けれど、わたしが言われて喜ぶ相手が、たった一人だけというのが原因ですよ」
「そうですか。髪飾りの?」
「ええ」
 葉歌は髪をいじりながらも、真城のことを思い浮かべてニッコリと笑みを返した。

 その笑顔に少年は驚いたように目を見開いたけれど、すぐにふんわりと笑って呟いた。
「そんな風に笑っていただけたら、どんなに嬉しいだろう」
「え?」
「いいえ、なんでもありません。香里の相手、してくれてありがとうございます。さぁ、行こう。笛の時間だよ」
 少年は香里の背中をそっと押して、優しく笑いかける。

 香里が歩き出しながらも不思議そうに首を傾げる。
「りょー、昨日はどこに行っていたのですか?ずっと待っていたのに、戻ってこなかったでしょう?」
「香里は知らなくていいことだよ。さぁ、戻ろう。智歳が心配していたよ」
「ちーちゃんが?ふふ、あの子は私がいないと駄目なんだから」
「ああ、だから、早く戻ろうね」
「ええ。それでは、ごきげんよう、葉歌様」
 振り返って葉歌に手を振ると、少年の歩幅に合わせるように、少しだけ早足でパタパタしながらテントの中へと消えていった。

 それを見送ると葉歌はゆっくりしすぎてしまったと思い、駆け足で屋敷へと向かった。
 広い庭を駆け抜けて、屋敷の扉をバンと押し開ける。
 月歌が忙しそうに書類を抱えて右往左往しているのが目に入った。
「兄ぃ!」
 息を切らしながらも、月歌に駆け寄る葉歌。
「ああ、葉歌……昨夜は良く眠れましたか?」
「真城は?」
「…………」
「兄ぃ」
「指名手配扱いにするという報が今朝届きました」
「なっ……」
「どうも、戒くんを追って来た他国の剣士に手を出してしまったそうで」
「…………」
「真城様のことです、手負いになった戒くんを捨て置けなかったのでしょう」
「たっくんは?」
「たっくんが機転を利かせて逃げてくれたようです」
「そんな……真城は何も悪いことしてないのに」
 葉歌はこみ上げてくる涙を堪え切れずに、手で顔を覆った。

 書類を床に置いて月歌が葉歌の頭を抱き寄せる。
「大丈夫です。真城様なら。たっくんもいますし。そんなヤワな子に育てた覚えもありません」
「…………」
 泣き続ける葉歌の頭をよしよしと撫でながら、月歌が小声で告げてきた。
 おそらく周囲の者には聞えないほどの小さな声。
「お願いがあります。できるだけ早めに村を出て、真城様たちと合流してください」
「え?」
「葉歌の力なら可能でしょう?風に聞けば教えてくれる」
「どうして?」
「どうにも、胡散臭い臭いがプンプンするんですよ。大体、カヌイの民族だからという理由だけで、国内まで追ってこられるわけがない。しかも、国の騎士団まで借り出してね。これから先、更に危険な状況になるかもしれない。葉歌の力が必要になります」
「…………」
「お願いしますよ。私は仕事を片付けないと行きたくても行けないので」
「……わかった……」
 自分の体のことを考えると、容易に頷くことが出来なかったが、なんとか涙を拭い、ギクシャクと頷いた。

 真城へ届ける荷物を月歌から受け取り、葉歌はすぐに家へと戻った。
 荷物をまとめて、簡単な旅装束に着替える。
 ベッドのブランケットを整え直して、ベッドに腰掛け、その位置から見える窓を見つめた。

 10年前、真城はその窓からひょっこりと現れたのだ。
 今と同じように「だいじょうぶ?」と可愛らしい口調で言って、笑顔でライラックの花をくれた。
 病気で部屋から出られなかった葉歌のために、毎日毎日暇さえあれば遊びに来てくれた。
 はじめ、男の子だと思った葉歌は一目惚れしたのだが、仲良くなる内に女の子だと気がついて苦笑したものだった。
 それでも、未だにあの時の想いを払拭できていないのだと言ったら、真城は困るだろうから決して口にはしないのだけれど。

「さて……行きますか。愛する人の元へ……」
 葉歌はニッコリと微笑んで、まとめた荷物を肩に掛けた。
 重いものはいつも真城が持っていてくれたものだから、一瞬フラリと体が傾いだ。
 けれど、なんとか持ちこたえて、ゆっくりと10年共に過ごした、小屋に別れを告げて外へと一歩を踏み出した。


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