第10章  救世主の眠る国

 『救世主』を辞書で引いてみる。
 1.『風のおとぎ話』の主人公。
 2.700年ほど前に起こった世界大戦を終焉に導いたと言われる少女を指すことが多い。
 3.人類を救済する人。
 4.危機から救ってくれる働き手。

 この世界では『救世主』の意味を解説する前に挙げられるほど、有名なおとぎ話がある。
 全世界の子供達の愛読書として大切にされているその本は、以前に起こった終わりなき世界大戦にピリオドを打った、1人の少女をピックアップして作られたものだ。
 おとぎ話は次の台詞から始まる。

『誰も傷つかぬ世界を。誰も見捨てぬ世界を。誰も見下さぬ世界を。
 私は……生きているもの、全てが好きでした』

 その言葉を少女が本当に口にしたかはわからない。
 けれど、救世主の生き方全てを象徴した有名な言葉だ。
 簡単なあらすじを述べるとすれば、自然が好きで風の声を聞くことが出来る少女が、風の声が苦しみ始めたことに気がつき、それを救うために世界へと旅立ち、各地を廻った冒険譚である。
 その旅で出会った多くの人々とのやりとりから、やがて、救世主となってゆく過程を丁寧に書き上げた、長編シリーズだ。
 真城も幼少の頃はシリーズ通して読むほど好きだった。
 月歌が寝かしつけようと読んでくれても、冒険話にワクワクしてきて、結局眠れなくなったり、いつもベッドで寝ているしかない葉歌のために、一冊ずつ本を持って行ってあげたりしたことがあるくらい好きだったのだ。
 最後は少女がどこかへと姿を消すシーンで終わるのだが、その時の言葉が冒頭にあったあの台詞なのだ。
 結局、大きくなってから分かることは、その姿を消すシーンは『死』を象徴しているということなのだけれど、今でも、本棚に大事にしまってある真城の心の書だ。



 茶色い地面が露出している丘の上を小柄な体型にラフな格好をした水色の髪の少年が、青い髪の少女を抱きかかえて登ってゆく。
 この丘は少女が好きな場所だった。
 風の通り道だから、いつでも綺麗な声が聞えるのだと、少女はそんな言葉をよく口にしていた。
「あかり様、ここにいてください。決して動かないでくださいね。僕が絶対に助けを呼んできますから。だから、それまで、どうか……!!」
 少年が、少女を丘の上に下ろして、そう言い聞かせ、走り去っていった。
 背中に背負った不似合いなほど大きなボウガンがどんどん小さくなってゆく。
「キミ……カゲ……」
 少女はその背中を見送りながら、必死に起き上がろうと腕に力を入れた。
 けれど、力を込めきれずにズシャリと地面に倒れこむ。
「やっぱり……禁術なんて、使うんじゃなかった……し、死にたくないよぉ……」
 消え入るような声で呟いて、そっと土を撫でる。

 この丘には目が覚めるほどに青々とした緑が茂っていたのに、少女の言う禁術のせいで、丸裸になってしまったのだ。

「ごめんなさい……せっかく、あなたたちが力を貸してくれたのに……。私、人間に向けるなんて、でき、なかった……」
 風が飄々と、少女の体を通り抜けてゆく。
 怒っていないよと伝えるように、柔らかい風だった。
 少女は安心したように笑みを浮かべる。
 ふと、思い出して腰に下げていたバッグから、一本の苗を取り出す。
 必死に体の力を振り絞って起き上がると、ザクザクと地面に穴を掘り始めた。
「セージ様に頂いた苗……。この子だけは、なんとか……」
 セージは荒い気性とは対照的に緑を愛する青年で、少女とはとても話の合う剣士だった。
 そのセージが別れ際にくれた苗を根付かせようと、穴を掘り続ける。
「ごめんなさい……私が、しっかりしてたら、こんなことに……ならなかったのにね」
 そぉっと苗を根付かせて、微笑みかける少女。
「人間の戦いに、あなたたちまで巻き込んでしまって……ごめんなさい……」
 少女はそこで力尽きて、ゆっくりと地面へと倒れこんだ。
 これで死ぬのかなと心の中で呟く。

 けれど、次に目を覚ました時は、硬い腕に抱き締められていた。
 お姫様だっこで、目の前にはツギハギだらけの顔があった。
 少女は安心したように、鬼月の胸に頭を預ける。
「鬼月(きつき)さん……私、ちゃんと、できましたか……?」
 息も絶え絶えの声。
 ズシンズシン……と大きな足音を立てて、青い金属で出来ている『人』が優しく抱いたままで答える。
「ヨク、ヤッタ。ワガ、主モ、ヨロコンデイル」
 抑揚がなく、時折雑音の混じる声。
「そう……ですか。キリィさんも、喜んでくれますか……?だったら、……無駄じゃないですよね?」
「ニンゲンハ、無駄ガオオイ。ダガ、オマエノ、シタコト、無駄、ジャナイ。ミナノ命、無駄ジャナイ。ダカラ、ゆっくりネムレ」
「……眠るの、怖いです。このまま、死んでしまう気がして……」
「鬼月、傍二イル。ダカラ、あんしんシロ」
「どこに、向かっているのですか?」
「風緑ノ地ハ、危険。東ヘムカウ。ワガ、主モ、ネムル場所……あそこナラ、安全」
「…………。あそこも、風の通り道です……。とても、澄んだ場所……」
「アア。オマエガ、清めたノダ」
「うん……」
 少女は意識が遠のいてゆくのを感じていた。
 周囲の空気が生暖かく、とろんとしてくる。
 まるで、お風呂に浸かっているかのようだった。
 風が吹き抜けては戻ってくる。
 寄り添ってくれているのがわかった。
 少女は眠気のようなものに誘われるままに、鬼月の腕の中で永遠の眠りについた。



 そこで、真城は目を覚ました。
 眠りが浅くて、夢を見ては起き、眠っては夢を見ての繰り返しだった。
 そのため、辺りが少し明るくなっても、真城は睡眠不足でぼーっとしていた。
 追ってくる騎士団の目を欺くために村から離れた森の中に入ったのはよかったのだが、夏が近いこの時期の森の中は蚊は多いし、いつもきちんとしたところで眠っている真城にとってはこの森の地盤は固すぎた。
 そのうえ、おかしな夢を見るものだから、どうしようもない。
「……せめて、葉歌の膝枕があればなぁ……」
 そんなことをぼーっと呟くと、崔がこちらを向いた。
「いや……お前はいい」
 森の主のくせに、どうにも人懐っこいというかなんというか……。

 一応、はじめは崔を布団代わりにしていたのだけど、夜が更ければ更けるほど夜行性の崔は動きたそうにジリジリと頭の下で動き続けていた。
 それで、どうにも耐えかねて地面で寝ることを決意したのだけれど、元々お嬢様育ちの真城がまともに眠れるわけはなかった。
 脇では高いびきをかいて眠る龍世と目を開けたまま眠っている戒。
 森じゃなくても、おそらくその状況だけで眠れない者もいるはずだ。

「……どうしよう。これが続くと、ボク、死んじゃう……」
 誰も聞いてないと思って、真城はボソリとそんな言葉を零した。
 葉歌や月歌にしか見せない言動である。

 龍世は日が昇る前に狩りに行ってしまったため、脇には木に寄りかかり、目を開けたまま眠っている戒しかいない。
 昨日傷ついた右腕は袖に通さずにダラリと垂れている。
 風が吹くと、袖がヒラヒラと揺らめいて、その度に、二の腕の部分に巻かれた包帯が覗いた。
 真城は目を細めて、戒の傍に寄り、右腕をそっとなぞった。
 誰も信じないと言っていたくせに、危険を察した瞬間に真城を庇ってくれたことには驚くしかなかった。
「……ありがとう……」
 真城は今更言えなかった言葉を口にした。
「眠れなかったみたいだな」
 眠っていると思っていた戒が、突然言葉を発したので、驚いて真城は顔を上げた。
 視線が真城に向いている。
 真城は一瞬目を伏せたが、すぐに笑みを浮かべた。

「おはよう」
「ああ」
「腕の調子はどう?」
「処置が精確だった。しばらくは動かせないだろうが問題はない」
 寄り掛かっていた木から起き上がり、左腕だけをグルグルと回す戒。
 昨夜、ここまで逃げてきてすぐに龍世が怪我の処置をしたのだった。
 どこから見つけてくるのか、薬草やら血止めの樹液やら……。
 それを真城は呆然と見つめていることしか出来なかった。

「…………。お前は大丈夫か?」
「え?」
「いや、大丈夫だろうな、お前なら」
 戒は困ったように目を逸らして、膝の上の手をグッパグッパと動かした。
「きっと、気のせいだろう」
「なにが?」
「元気がないように見えた」
「あ……」
「昨日のお前の太刀筋は素晴らしかったぞ」
「と、唐突だな」
「女だ道楽だとこき下ろしたことについてのせめてもの詫びだ」
「わ、詫び……?」
 その口調は詫びになっていないと突っ込むべきなのかどうか迷いつつ、戒の横顔を見つめる。

 戒はその視線に気がついているのかいないのか、淡々と言葉を繋げてゆく。
「最後の一太刀、迷いのない剣だった。あれがお前の本当の力なんだろうな」
「ボクがぼーっとしてなかったら、戒、怪我せずに済んだよね」
「あれは僕が勝手にしたことだ。気にしなくていい」
「怒るかもしれないけど、戒は見捨てる人間だと思ってた」
「怒らない。その通りだから」
「……それじゃ、どうして?」
「知らない」
「知らないって……」
「……」
「戒……?」
「ただ、僕はお前に死んで欲しくないと思っていた。それだけだ」
「…………」
「お前は死ぬな。絶対にだ」
 地面を見つめたまま、戒は鋭い声でそう囁いた。
「戒……どこかで、会ったことある?」
「ない」
「そういえば、救世主を探しているって言っていたよね?」
 真城はあぐらを組んで、戒の顔を覗き込んだ。

 救世主の亡骸を探しに来たと言っていたのを思い出したのだ。
 戒が覗き込む真城の顔をじっと見て、フゥとため息を吐いた。
「……どういう関係なの?大体、救世主って呼ばれてる人はたとえいたとしても、ずっとずっと大昔の人だろ?」
「…………」
「昨夜と同じで、話したくない?」
「話さないわけにはいかないだろうな、ここまで巻き込んだのだから」
「ボクは戒が話したくないなら聞かないよ」
 真面目な顔でそう言ってみると、戒は安心したように息を漏らした。
「……そうか……」

 それに対して、真城はおどけた表情で続ける。
「って言っちゃうと本当に話してくれないんだ」
「…………」
 戒が困ったように奥歯を噛み締めるのが分かって、真城はただ乾いた笑いを「はは……」と漏らす。

「救世主の伝承が残る場所……」
「ん?」
「他に知らないか?僕は風緑の村しか知らない」
「たくさんあるよ。この国は、救世主の伝承だらけ。どれがホントでどれが嘘か。その時代に生きていた人じゃないとわからないね」
「話してくれ」
「……?」
「話してくれれば分かるかもしれない」
「戒、キミは……」
「僕は大昔、救世主の従者をしていた。救世主はマシロのように剣を扱う少女で、けれど、人を殺めることの出来ない温和な方だった」
「どういうこと?」
「もしも……生まれ変わりがあるのなら」

 真城は戒の視線で動きを止めた。
 2人の間を風が吹き抜けてゆく。
 間が堪えられずに真城は息を飲み込んで、拳を強く握る。

「生まれ変わりがあるのなら、僕はお前があかり様の生まれ変わりだと感じていたのかもしれない。そうであれば、今までの行動……全てに説明がつく。目が、体が、勝手にお前に向く。それは過去の僕がさせているのだと、そう説明できる」
「ボクが……救世主の生まれ変わり?はは、ないない」
 先ほど見た夢を思い返しながらも、まさかなぁと心の中で呟き、手をブンブンと胸の前で振る。
「僕もそう思いたいところだが」
「戒」
「なんだ?」
「……ううん、いい」
「…………。何か不味いことでも言ったか?」
 戒が言うことの大半は不味いことだよと言いそうになる自分を抑えて、真城は苦笑いながらも「ははは」と笑いを返して、ブンブンと首を振った。

 ちょうどその時、崔が立ち上がった。
 右を向いて、じっと構える崔。
「どうした?崔」
「がーおー!」
「クォォォォン!!」
 ガサガサと草を掻き分けて龍世が飛び込んできた。
 崔に飛び掛って、とぉりゃああああと投げ飛ばす。
 空中で体勢を立て直して崔は見事に着地を決めた。
 投げ飛ばした龍世もすぐに起き上がって、おどけた表情で小首を傾げる。
「がお!」
「タツ、ふざけるな」
「……はぁい。でも、崔、暇そうだったから丁度良かったよなぁ?」
「クォォォ」
 龍世の問いに楽しげに答える崔。
 なんとなく、崔の反応は分かりやすい。
 真城でも分かるのだから崔は相当人間に近いのかもしれない。
「ほら、楽しんでるじゃん」
「ああ、そうだな。だが、心臓に悪い」
「真城は戦闘中以外、隙が多いんだよ」
「…………。ふっ」
 龍世が真城の物言いにぶぅたれてそう返すと、今まで黙って状況を見つめていた戒が鼻で笑った。

 真城は痛いところを突かれたと思って黙りこくった。
 龍世は真城に従順なようで、時々生意気な物言いをする。
 しかも、的を射ているから手に負えない。
 まだ、12だというのに行く末が恐ろしいというかなんというか。

「……見逃してやれ。今の場合は睡眠不足で頭が回ってないせいだろうからな」
 戒はまだおかしそうに表情を歪めたままで、そう付け加えた。
 その表情を見て、ポカーンと口を開けている龍世がおかしくて、真城は真城でぷっと笑いをこぼした。
 笑いながら、先程見た夢の内容をぼんやりと思い出す。
 戒の表情を伺いながら、そっと真城は言った。
「戒、東へ向かおう」
 と。
 東には紫音が駐屯している国境沿いの関所もある。
 助けてくれるかは分からないけれど、アテも無く動き回るよりも断然良い気がしていた。

 親愛なる紫音先輩。
 大変なことになりました。
 きっと、この手紙が届く頃にはこの言葉の意味が理解できるような状況になっているかもしれません。
 どうにもこうにも笑えない状況です。
 けれど、ボクが信じた道です。後悔はありません。
 何より後悔するのは、目の前で困っている人を助けられないことだと思うから。
 風緑の村のことは心配しないでください。
 きっと、月歌と葉歌が上手くやってくれます。
 それでは、これからも警備のお仕事頑張ってくださいね。
 遠い空から応援しています。

 P.S. あなたの元に訪れることもあるかもしれません。
    その時はできる限り、助けていただけると嬉しいです。

あなたの妹分より



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