第1章  中立のメッキが剥れた理由

 都市の中心に立つ城の王座の間で、上品な格好をした水色の髪の少年が香里を引き連れて微笑んでいた。
 穏やかな笑みだが、冷ややかな眼差し。
 香里はいつもの格好からマントだけを外し、青のローブに桜色のスカートという格好でポヤァンと立っている。
 王がゴホンと咳き込んだが、全くお構い無しに香里は少年に声を掛ける。
「ねぇねぇ、りょー」
「なんだい?」
「こーちゃん、何すればいいの?」
「今、そのお話をするから、ちょっと待ってなさい」
「んー……つまんなぁい……」
 本当につまらなそうな声を上げて、片足をプラプラさせる香里。
 特に少年は咎めずに、王のほうを向いた。
「璃央(りおう)殿と言ったな?」
「はい。それで、この子が以前お話した香里です。人間の生死を、ある程度コントロールすることができます」
「その話は、本当なのだな?」
「はい。偽りなく」
「信じられん。まだ、子供ではないか」
「引き継がれる能力に、年など関係ありませんよ」
「……ふむ。で、本当に、我が妃の病も治してくれると?」
 王はあごのヒゲを撫でながら、頼り切った眼差しを璃央へと向ける。
 この国の王妃は、長い間、不治の病にかかったきりになってしまっていた。
 国の占い師も、霊媒師も、医者も手に負えないとサジを投げており、王は藁にもすがる思いで、他国から訪れた使者の話に乗った。
 交換条件は、国内に逃亡した、カヌイ民族で指名手配になっている少年を追うことを許可することと、その際に国の軍事力を貸し与えること。
 今回、風緑の村が混乱に陥った原因だ。
 月歌が読んだとおり、裏側でいくらかの怪しい動きがあったためだったのだ。

「香里」
「なぁに?」
「王妃様にお会いできるそうだよ?」
「王妃様?!おとつい会った、お姫様より綺麗かなぁ、かなぁ?」
「ああ、きっと、綺麗だよ」
「やった〜。王妃様、王妃様♪」
 香里はポンポンと体を弾ませて、嬉しそうにターンをした。
 璃央が目を細めて、その様子を見つめる。
 王はあまりに無邪気な香里の反応に戸惑いを隠せないようだったが、何度か咳をしてから、髪を七三分けにしている側近に声を掛ける。
「香里殿を妃の部屋へ。私は璃央殿の相手をしていよう」
「はっ。こちらへどうぞ、香里様」
「あ、うん。ん〜、様付け変〜……」
 香里はおかしそうに笑いながらも、側近が手招きをするほうへとスキップ混じりで歩いてゆく。

 大きな扉の奥へと香里が消えて、すぐに璃央は王に笑いかけた。
「すいません、騒がしい子で」
「いや、構わん。私たちには子が生まれんでな。ああいう子供は嫌いじゃない」
「そうですか」
「ただ……あの子供、どこかで見た気がするのだが……」
 王は悩ましそうにヒゲを撫でると、うぅん……と唸り声を上げた。
 璃央は眉1つ動かさずに笑みを湛えている。
「ああいう身なりの子供は多いですから」
「いや、違うのだ……どこだったか……?」
 思い出そうとする王を見据えて、璃央はすぐに話を変える。

「それよりも、国王様」
「ん?」
「これから先、国内を僕たちが廻ること、許可していただいてよろしいでしょうか?」
「あ、ああ、それは、妃の経過次第で許可を出す」
「ありがとうございます」
 璃央は自信があるのか、躊躇うことなく深々と頭を下げた。
 それから国外情勢についての情報をいくつかピックアップして、璃央は王に対して話し、最後にこう結んだ。
「もしも、貴国が危険に晒された時にはわが国がバックアップいたします。いずれ、正式な同盟要請が来ると思われますが、そのコトについてはどのようにお考えでしょうか?」
「我が国は中立国家だ。それは700年の間、守ってきた我が国の誇りである。その言葉は誠に嬉しいが、そちらと条約を締結することで、中立の姿勢は崩れてしまう。すまないが、今しばらく、状況を見守らせてくれんか?今は、お主らを国内で自由にさせることぐらいしかできん」
「そうですか。しかし、お言葉ですが、指名手配の少年を追うことを許可した時点で、貴国の中立姿勢は失せたと解釈する国も出てくると思われますよ。十分にお気をつけください」
 璃央はにこやかに微笑を浮かべながら、そう告げると、そっと目を伏せた。

 中立の姿勢など、当の昔に崩れているのは多くの国が知っていることだった。
 難民の受け入れと共に、指名手配犯の受け入れ率も異常に高い国。
 この国に亡命できれば、まず、指名手配犯でも老後の心配はないとまで言われている。
 そういった裏側を理解したうえで、今のような言葉を言っているのであれば、王も王とて、ずいぶんな狸だ。

 璃央がそんなことを考えていると、先程香里が消えていった扉が開いた。
「終わったよぉ♪」
 朗らかに言うと、後ろにちょいちょいと手招きをする。
 すると、奥からシズシズとショールを肩に掛けた王妃が出てきた。
 年のせいか、少々シワは気になるけれど、美しい女性なのは間違いなかった。
「香里」
「ん、成功。もうダイジョブ。こーちゃんが保証するる〜♪」
 Vサインのおまけつきでニッコリと笑う香里。
 すぐに璃央の元へと駆け寄る。
「御影様、褒めてくれるかなぁ?」
「ああ、お喜びになるよ」
「ホント?ホント?御影様、笑ってくれる?」
「…………。ああ、きっとね」
 一瞬躊躇するように眉をひそめたが、ワクワクするように体を弾ませる香里に対して、璃央はニッコリと微笑みかけた。
 王が嬉しそうに王妃に手招きをすると、王妃はしばらく寝込んでいたとは思えないほど、しっかりとした足取りで王座の隣の玉座へと歩み寄ってきた。
「この度は本当に感謝する。同盟の件も、前向きに検討すると、お伝えいたただきたい」
 王妃の血色がいいのに、安堵したのか、穏やかな声で王はそう璃央に告げてきた。
 璃央は香里の頭を撫でながら、密かに口元を吊り上げる。
「承知しました。そのように伝えておきます。では、僕たちはそろそろ失礼させていただきます」
「ああ、ご苦労であった」
「香里ちゃん、また遊びにいらっしゃい。おやつを一緒に作りましょう」
「え?おやつ?!うん♪ちーちゃんも連れてくるね、その時は。ちーちゃん、甘いもの大好きだから」
「ええ」
 嬉しそうに体を弾ませる香里を優しく見つめて、王妃は上品に頷いてみせた。
 それを見て、香里は動きを止める。
 王妃が不思議そうに小首を傾げる。
 すると、香里は慣れたように、スカートの端をつまんで、シズシズと礼をしてみせた。
「お姫様に見えた?見えた?」
「ええ、とってもお上手よ」
「いぇ〜い」
 顔の横に横向きのVサインをかざして、にっこりと笑い、王座の間を出てゆく璃央の後を追って、外へと出た。


 璃央は早足で追いついてくる香里を見下ろして、笑いかける。
「お疲れ様。疲れたろう?」
「ん〜……ちょっと眠い〜。王妃様、あとちょっとで、死んじゃうところだったのぉ」
 あっけらかんとした口調でとんでもないことを言う香里。
「そうか。じゃ、お城を出たらおぶってあげるよ」
 璃央はなんとも思わないように、ただ、香里の頭を撫でた。
 香里は眠そうに目をこすりながらも、何かを考えるように頭を左右にフラフラと動かし続ける。
 そして、お城を出て、璃央が香里を背負ってあげた時に小声で囁いた。
「王様にも死相が出てたんだけど、あれはよかったのぉ?」
 璃央はそれを聞いて、一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに口元を吊り上げて答えた。
「ああ、気にするな。交換条件は王妃の命だけだ」
 その声には幾分か、邪悪な気配が漂っていたけれど、香里はもうすやすやと寝息を立てていて、その言葉を聞くことはなかった。


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