第3章  君と僕の因縁

 色とりどりの花が咲き誇る丘の上で、小さな男の子と女の子が楽しげに遊んでいた。
『ねぇ、キミカゲ?私とあかりとどちらが好き?』
『えぇ……?くらべられないよぉ。2人ともすき』
『なぁに、それ。キミカゲっていい加減なんだ』
 黒髪ロングの女の子が、水色の髪の男の子のぐずついた返答に気分を害したように唇を尖らせる。
 男の子は困ったように眉を八の字にして、頭を掻く。
『だ、だって、おさななじみだもん。どっちもすきだよぉ』
『おさななじみ?それだけ?』
『……そのほかになにがあるの?』
『え?知りたい?』
『な、ななな、なに?』
 女の子が含んだ笑みを浮かべて、男の子に寄り添ってくるので、慌てて男の子は距離を取ろうとした。
 けれど、肩に手を置かれて、ちゅっと頬にキスをされて固まってしまった。
『好きって、こういうのもあるんだよ?』
 男の子は目をパチクリさせて、頬に手を触れる。
 女の子はそんな男の子の様子を見て、楽しそうに朗らかな笑顔を浮かべた。


 風が戒の髪をさらってゆく。
 目の前には璃央のふてぶてしい笑顔。
 戒にとっては不快以外の何物でもなかった。
「……お前の笛の音が聞えた」
「僕は君の気配を感じた。またまた奇遇だね」
「わざと、吹いたんじゃないのか?」
 不機嫌に目を細めて、戒は静かに言い放った。
 先程、真城たちといた時に不機嫌そうにため息をついたのは、龍世の発言が問題なのではなく、璃央の笛の音を耳で感じ取ったからだった。

「相変わらず、タレ目のくせに怖いなぁ。せっかくの綺麗な顔が台無しだよ」
「……お前も、相変わらずヘラヘラしている」
「ふふっ……昔の自分に似た僕はお気に召さないかな?」
 璃央は可愛く笑い声をもらすと、自分の姿をきちんと見せるようにゆっくりとターンをした。
 昔の戒……それは、戒が言っていた、大昔に救世主の従者をしていた頃の彼のことを指して言ったのだろう。
 水色の髪とやや童顔の顔立ちは、確かに似ていなくもなかった。
 璃央の格好も立ち居振る舞いも別物だけれど。
「どうでもいいことだ」
「……そうかい」
 にべもない戒に、璃央が初めて不快そうに眉をひそめた。

 戒は服の下に隠れている右腕をそっとさすって、ため息を吐く。
 にわかに2人の間にピリピリした空気が流れているのを感じていた。

「珍しくヘマをやったそうだね」
「別に、腕などあろうとなかろうと関係ない」
「いや、それよりも、僕は君が庇ったっていう人物に興味があるけれどね。家族を殺されて以来、君が人を気に掛けるなんて無かったことだよ。ただ、追い求めるは過去の偶像。君ほど何かを崇拝する人間も、きっといないだろうと思えるほどにね」
「お前の、御影に対する惚れこみ様よりはマシなつもりだが?」
「ふふ……僕、怒るよ?」
 皮肉っぽい戒の発言に璃央はにっこりと笑いかける。
 戒は特に動じずに璃央を見据えるだけだ。
 璃央はそっとジャケットのポケットに手を突っ込み、空を見上げる。
「この国は風が美しい音を奏でる。御影様も、ここならば……」
「無理だな。ヤツには生きる気力がない」
「生きるさ。あの方は生きる」
 戒の見放した発言に璃央はすぐに言い返してきた。

 戒は目を閉じて、口を噤む。
 少しだけ頭がクラクラするのを感じた。
 龍世の処置が精確だったとはいえ、傷は浅いとは言えなかった。
 刀が面白いぐらいの鋭さでグサリと貫通したのだ。
 深手の傷から来る高熱を、おくびにも出さずにここまで来たが、やはり自分も人間だったらしいと心の中で呟く。
 一日歩き通しでこの町まで来たのだから、常人であれば、とっくに倒れていてもおかしくない。

 見透かしたように璃央がため息をもらす。
「オーラが弱いね。これだから、東桜(とうおう)は連れてきたくなかった。すぐに手荒な真似に出るからな。僕のやり方に合わない」
「ヤツはいずれ殺してやる」
 右腕が熱を持っているのか、ジンジンと疼く。
 戒は皮肉っぽく笑って、左手を握り締めた。
「相当、お冠みたいだね」
「ああ。巻き込まなくていいやつらを巻き込んだからな」
 そっと目を細めて、少しだけ穏やかな口調で呟く戒。
 璃央も同じように目を細めて、ふぅん……と声を漏らした。

 戒は徐々に上がってくる心拍数を抑えるように深く息を吸い込んだ。

 璃央が考え込むようにあごに手を当て、遠い目をする。
「なんだ?」
「興味深いなと思ってね。どんな人物なのか」
「…………。ただのバカだ」
「バカ?皮肉屋の戒くんはバカが嫌いじゃなかったかい?」
「…………。今、チャンスなのが分かっていて、お前は僕を連れ戻さないのか?」
「ん?ああ。僕は君に戻ってきて欲しくないし」
「そうだったな。僕がお前を嫌いなように、お前は僕が嫌いだった」
「君というよりも、キミカゲくんが嫌いなんだよ」
 鼻で笑うように唇を吊り上げる戒に対し、璃央はにっこぉりと笑う。

 戒はゆっくりと璃央に背を向けて吐き捨てた。
「その容姿で、そんな言葉を言われても、全くといって説得力がないな」
「嫌いだけれど、利用できるのだから仕方ないさ」
「お前の努力、報われることを祈っているよ」
 戒は棒読みでそう言うと、スタスタと歩き始めた。
 ピリピリした空気の中に立っていられるほどの気力が、今の戒にはない。
 ただ、飲み込まれないように平静を保って話をするのが精一杯だった。
 いつも、璃央と話をするとドッと疲れる。
 激しい感情が、ヘラヘラと笑う彼の裏側に隠されていることを感じ取っていればこそわかることだ。
「戒、もしも、大事なお仲間がこの町にいるのなら、早く出たほうがいいよ。これは、僕の忠告だ」
「……なんだと?」
 その言葉に戒はもう1度、璃央を顧みる。
「信じる信じないは、君に任せる。それじゃあね。今度会う時には、腕の傷を完治させておいてくれよ。また、偶然で必然の出会いを、期待しているよ」
 璃央はその言葉を最後に戒に背を向けて、カツンカツンと靴音を鳴らして去っていった。
 風がひゅ〜と吹き抜けて、璃央のジャケットと戒の服の袖を揺らした。



 さて、買出し組に戻る。
 真城と龍世はパン屋で買ったカレーパンを頬張りながら、人通りの多い大通りを歩いていた。
 買いこんだ荷物は全て龍世が片手で持っている。
 子供のくせに、軽々と肩に掛けているのがすごいと真城も感心していた。
 とはいっても、大木を1人で引きずってくる少年だから、こんな荷物はお茶の子さいさいなんだろうけれど。
「カレーパン、美味いなぁ。つぐたん特製のカレーパンより美味いよ」
「ボクは、もう少し甘口のほうがいい」
 本当に幸せそうにカレーパンにぱくつく龍世を横目に、真城はヒリヒリする舌を口の中で動かしながら、なんとか一口一口食べてゆく。
「そろそろ、お天道様も真南に来るし、戻るんだろ?真城」
「ああ、そうだな。旅支度もそれなりに整ったし」
「んじゃ、行こう!」
 真城よりも早くカレーパンを平らげて、龍世は人ごみを器用にかわしながら、ダッシュで待ち合わせに決めた町の外を目指してゆく。

 真城も慌ててそれを追おうとしたが、前から来た体格のいい異国装束の男と肩がぶつかって立ち止まった。
「すいません」
 比較的背が高い真城が見上げるくらい大きな男。
 後ろで結わえた長い髪が、日の光に透けて金色に輝いた。
 男は特に気にも留めないように進んでいたが、真城の声で立ち止まり振り返る。
 振り返ってすぐに見えた左頬に、まだ新しく出来たような切り傷が見えた。
 アイスブルーの目が真城を捉える。
「あ……」
 真城は思わず声を上げたが、男は気に留める様子もなく、すぐに人ごみに消えていく。
 あの男だった。
 三日前の晩に、戒の腕を斬りつけた男。
 あの時に振るった自分の一太刀を思い出して、手が熱くなった。
 あの晩のような鋭い気配はなかったけれど、それでも刺々しい殺気を感じて唇を噛み締める。
 拳を握り締めると人をかわしながら、人ごみから頭一個飛び出している金髪を追いかけて走り出した。
 背中に背負った剣が走るリズムに乗って弾む。
 もう、待ち合わせのことは頭の片隅に追いやられていた。


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