第4章  夜に染み渡る死の歌(前編)

 薄暗くなり始めた草原を葉歌は荷物を何度も持ち直しながら歩いていた。
「あら、崔。真城たちと一緒じゃなかったの?」
 葉歌は風に導かれるままに、真城たちがいる町へ向かっている途中だった。
 その途中、草原のど真ん中でフロクオオカミの崔に会い、驚きを隠せなかった。
 崔がゆっくりと歩み寄ってきて、葉歌に顔をすり寄せてくる。
「ヤダ、くすぐったい。もう……崔ったら」
 葉歌はくすぐったさに頬をほころばせながら、そっと崔のあごの下を撫でてやる。
 オオカミのくせにどうにも人懐っこすぎるのが、崔の欠点ではないかと葉歌は思う。
 そっと崔の首にもたれかかって、ふぅ……と息を吐いた。
「……また、大きくなったわね」
「クォォォ」
「ええ。おかげで、みんなを連れて逃げられたのよね」
 よしよしと首を撫でると、崔が一歩後ずさって、葉歌の顔を覗き込んできた。
 綺麗なスカイブルーの目が葉歌を捉える。
 心配そうに首を傾げる崔。
「なぁに?大丈夫よ、わたしは」
「クゥゥ」
「ちょっと疲れただけだから。正直、去年真城の応援で都市に行って以来、村の外に出たのは久々だし」
 葉歌が遠い目をして、そんなことを囁くと、崔が葉歌に背を向けてきた。

 葉歌ははじめ意味が分からずに首を傾げたが、ようやく悟って口を開く。
「乗れって言ってるの?」
 崔が背中越しに視線を寄越す。
 なので、そういう意味なのだと判断して、崔の背中に荷物を投げ上げようとしたが、重さに耐え切れずに地面に倒れこむ。
「いったぁ……」
 葉歌はしたたかに打ったおしりをさすると、すぐに立ち上がろうと荷物から手を離して、地面に手をつく。
 すると、崔が荷物の紐の部分を口でくわえ込んで持ち上げてくれた。
「ありがとう」
 葉歌は笑顔で礼を言いながら立ち上がり、少々高い崔の背中にゆっくりゆっくり上った。
 いつも龍世が乗っているのを見たことがあったが、自分が乗るのは初めてだったので、ドクンドクンと心臓が脈打った。
 そっと崔の首を抱き締める。
「だ、大丈夫よ。行って」
「クォォォォン」
 崔は高い遠吠えのような声を上げて、すぐに走り出した。
 遠くには森も山も見えるけれど、だだっ広い草原の中を風のように速い崔に乗って駆け抜けるのはなんとも爽快な気分だった。



 時間を昼頃に戻して、真城たちがいる町へ話を戻そう。
 龍世は人ごみをかわしながら、町の入り口まで来たところで振り返った。
 肩に荷物を掛け直し、背中に背負っていた斧の位置を調節する。
 人ごみからすぐに出てくるであろう真城を待つ……が、一向に現れない。
「あれぇ?真城〜?真城ーーー!!」
 恥ずかしげもなく、大声で真城の名を呼ぶ龍世。
 多くの人に溢れている空間なのに、龍世の大声は素晴らしいくらいに響いた。
 けれど、ちょうど傍を通った男の人が怪訝な顔をして、こちらを睨んだだけで真城の返事も姿も確認できなかった。
「うぅん……」
 龍世は唇を尖らせて首を傾げる。
 けれど、すぐに……
「ま、いっか」
 とあっけらかんと言い、待ち合わせ場所に決めていた町の外へと出た。
 落ち合う場所は決まっているのだから、わざわざ引き返して探す必要もないだろうと、そういう結論に至ったからだった。

 待ち合わせ場所にはもう戒の姿があった。
 龍世はべぇと舌を出して、挨拶をする。
「大荷物だな」
 先に言葉を発したのは戒だった。
 ポケットに健在なほうの手を突っ込み、空っぽの右の袖だけが風に揺れる。
「3人だぞ?これでも足りないくらいだい」
「…………。旅に荷物を必要としたことがない」
「え?」
「なければ奪えばいい。それだけのことだった。……この国ではそれが出来ないというのが、今朝のお前たちの話でわかったが」
「や、やろうと思えばできるけど、オレも真城もそういうのはやらせないぞ」
「ああ、分かっている。巻き込んだからにはお前らのルールに従うさ」
「人も殺しちゃ駄目なんだかんな、これからは!」
「努力しよう」
「…………」
「どうした?」
 変な顔をする龍世に対して戒は穏やかに尋ねる。
 時折、目を閉じては開き、目を閉じては開きを繰り返す戒。
「やけに素直で気持ち悪い」
「……お前とは、まともに会話しないほうがいいようだな」
 顔をしかめて答えてくる龍世に対し、戒は目を細めて舌打ち交じりにそう返した。
 戒は本当にそこから全く口を開かなかった。
 龍世はため息をついて、荷物を下ろすと頭の後ろに両手を置いて呟く。
「……なんだよ、自分だってでかいだけでガキじゃんか……」
 ギロリと睨んでくる戒を見て、軽く口笛を吹く。

 なんとも言えない空気の中、2人は風の吹き抜ける草原に立ち尽くしていた。
「おっそいなぁ……真城」
 真南にあった太陽がどんどん西に傾いてゆく。
 戒が疲れたように目を細めて、地面に腰を下ろし、龍世も斧を背負っているのがしんどくなって地面に下ろした。
 それでも、町から真城が出てこず、気がつけば太陽が山の奥に沈む時間になっていた。
「僕が探しに行ってこよう。お前は休んでいろ」
「どうしたんだろうなぁ……迷うような横路地にでも入っちゃったのかなぁ」
「行ってくる。マシロが来たら、ここで待て」
「お、おう。お前、指名手配なんだから気をつけろよな」
 立ち上がって颯爽と町のほうへ歩いてゆく戒の背中を、龍世は疲れた表情で見送った。
 慣れない旅の疲れと、ずっと立ちっぱなしだったのもあって、つい戒をそのまま行かせてしまう龍世。
 辺りが薄暗くなって、町の家々にはポツポツとランプの明かりが灯り始めていた。



「坊主、いつまでついてくんだよ」
 裏路地に入った男を追って、真城は急いで裏路地に駆け込んだ。
 ずっとつかず離れずの距離での追いかけっこをしながら、町の中を北に南にと歩き回っているうちに、辺りが薄暗くなって、道行く店でも店じまいを始めたり、バーではランプを点けて客寄せを始めたりといった状況になっていた。
 追いかけたのはよかったのだが、どう声を掛けるべきか迷いに迷って、ずっと男について歩いてしまった。
 追ったからには途中で諦めるというのも、真城の性格的にできなくて、けれど、ついてきたからと言って自分は何がしたかったのかと問われると、答えに窮してしまう。
 男は腰に提げた刀に肘を置き、真城のことを真っ直ぐ見据えている。
 この前の夜に対峙した時に比べれば、だいぶ表情が柔らかかった。
 それでも、頬の傷や鋭い目つきはインパクトがあったけれど。

「あ、いや、その、ほっぺの怪我、大丈夫かなと思って」
 真城は笑いながらそう言った後にバカだと心の中で呟く。
 まずはじめに、男だと勘違いしている部分を払拭してもよかったんじゃないだろうか。
 いや、それ以前に、戒に大怪我をさせた男を相手に、何をヘラヘラしているんだとも思う。
「ほっぺ?ああ、大したことねぇよ。傷ってのは戦いの勲章だ。なんだよ、そんなもんが気になって、わざわざ昼過ぎからずっと追っかけてきたのか?変なヤツだな」
 男は真城のことに全く気がつかないように、豪快に笑って、バンバンと真城の背中を叩いてきた。
 ゲホッと咳き込む真城。
 叩いた瞬間に、男が怪訝な表情を浮かべたので、真城は首を傾げて男を見た。
「お前、男の割に骨が細いなぁ。筋肉のつき具合もそんなにねぇ」
 さするように背中を触られて、真城はゾワゾワッと鳥肌が立つのを感じた。
「ちょ……や、やめて!!」
 いつもよりも高い声でそう叫び、ドンと男を押す。
 すると、男は目を細めて自分の手を見つめた。
「ああー……致命的な勘違いをしていたようだ。すまんな、嬢ちゃん」
「い、いえ……よく間違われるので気にしなくていいです」
「ああ、嬢ちゃんだと思って見れば、俺の好みだ。べっぴんさんだな」
 豪快に笑いながら平然とそんなことを口にする男に、真城は眉をひそめる。

「…………。ボクのこと、覚えてませんか?」
「んぁ?わりぃな、俺ぁ、人の顔は覚えられん。どこかで会ったか?」
 頭の中に、思い切り振り下ろした一太刀が浮かぶ。
 皮膚が切れた感覚の後に血がぶわっと噴出したあの瞬間。
 稽古中にいくらかの怪我をさせたことはあった。
 けれど、真剣で人を傷つけたことは一度もなかった。
 そうか……。ふと、心の中で呟く。
「あの時」
「ん?」
「ボクは夢中で剣を振り下ろしました。そうじゃなきゃ、ボクも戒も死んじゃうと思ったから。考えている余裕なんて、なかった」
「戒……?」
「剣先の血を拭う時、すごく心臓がバクバクして……」
「…………」
「でも、ボクはあの時、確かにあなたの体を袈裟切りするような太刀筋で斬ったのに、剣先が掠めただけで……。いや、そのほうが個人的にはよかったんだけど、なんていうか、あなたは動いてなかったはずなのに、どうして当たらなかったんだろうって……。ずっと、心のどこかに引っ掛かっていて」
 真城がまくしたてるように話していると、徐々に思い出してきたのか、男も納得したように口を開いた。
「ああ。ほっぺの傷ってのはそういうことかい。思い出した思い出した。そういやぁ、その鞘、その柄……」
 真城の後ろに回ってスラリと剣を抜き、刀身を目を輝かせて見つめる男。
「この、よく手入れされた刀身。見覚えがある。嬢ちゃんの顔は思い出せねぇがな」
「…………」
 男の剣を見つめる目に狂気が宿ったのを感じて、真城は男から少し離れた。
 けれど、男は一瞬で真城の後ろに回りこみ、ガシッと肩を掴んできた。
「え?え?」
「……嬢ちゃんが俺を斬れなかった原因はコレだ」
 真城が顔だけ振り返ると、ニィッと不敵な笑みを男は浮かべた。

 戒ほどは強くない。
 そう感じていた。
 けれど、それだけだった。
 戒ほど強くないだけで、真城より強い。
 今更、しまったと思った。
 真城を見下ろす瞳は冷たく、刺々しい殺気も先程より強まってきていた。
 真城はジリジリと後ずさる。
 後ずさりながらも、どうやって一瞬で移動したのかに興味が湧く自分。

 男が剣を振り上げて、ニヤリと笑う。

 その時、一陣の風が起こって、真城の髪が前へと持っていかれた。
 ズシャッと重たい音がして、目の前につったっていた男が10Mほど吹っ飛んでいった。
 真城は驚きのあまり、目を見開いてしまった。
 目の前には男の代わりに戒の広い背中がある。

「か、戒?」
「……お前はバカか?」
 振り返った瞬間、冷ややかに戒は言い放った。
 真城は思わず固まる。
 目の前に現れて突然バカ扱い。それはさすがにないだろう。
「戦闘以外での集中力に欠けるというのは、最悪の欠点だな」
 呆れたように呟いて、戒はすぐに男のほうに向き直る。
 いつの間に奪い取ったのか、戒の手には真城の剣が握られていた。

「……ちぃ……あとちょっとだったんだがなぁ」
 男は首をコキコキ鳴らしてすぐに、10Mの距離をあっという間に縮めてきた。
「コイツは戦いも好むが、無抵抗の女を切り刻むのが一番好きという変態だ。もう、金輪際、コイツには関わるな」
「ムッツリの戒に言われると、やたらと腹立たしいな。あの、璃央でさえも、イライラさせるだけはあるぜ」
「お前は殺してやろうと思っていた。ここで死ぬか?」
「けっ……。お前と関わるとろくなことねぇんだよ。次、勝手にお前とやったら、御影のお守りに回すって言われたんでな。勘弁勘弁。あんな陰気くさい女の相手なんて、絶対御免だ」
 本当に嫌そうな声で男はフルフルと首を横に振った。
 戒が剣を持つ手に力を込める。
「……みかげ……?」
 真城は聞き慣れない名前に首を傾げる。

 静かに戒と男が睨み合う時間が流れてゆく。

 先に動いたのは男だった。
「つーことだから、まず、万全の状態になってこいや。お前には借りだらけだからな。万全の時に戦えねぇと面白くねぇ」
 そんな言葉を飄々と並べ、こちらに背中を向ける。
 ヒラヒラと後ろ手を振りながら、裏路地の奥へと向かっていく。
 ふと、男が立ち止まった。
「そうそう。嬢ちゃん」
「何?」
「名前、聞いとくわ。嬢ちゃんとも、ちゃんと戦うほうが楽しそうだからな。顔に傷がついたの、久しぶりだったんだぜ?」
「マシロだ」
 真城が答えようと口を開く前に戒が答える。
「……お前に聞いてねぇっつーの」
 男は不快そうにぼやき、すぐに続ける。
「俺ぁ、東桜(とうおう)だ。東のずっとずっと遠くの国から来たから、そういう名前にした」
「名前にした??」
「細かいことは気にすんな、じゃあな」
 真城が首を傾げると、東桜はおかしそうにククッと笑い声を上げ、一瞬でその場から姿を消した。

 気配がなくなったのを確認してから、戒が素早くこちらを向いて、剣を手渡してきた。
 受け取り、鞘に納めて戒に笑いかける真城。
「助けてくれてサンキュ」
「マシロ」
「ん?」
「少し、進歩しろ。お前、いつか死ぬぞ」
 相変わらず抑揚のない声でそう言い、突然真城の肩にのしかかってきた。
「え?」
 いきなりくっついてきた戒に驚いて真城は後ずさろうとしたが、妙に戒の体が熱いことに気がついて、後ずさらずに頭を抱えてあげた。
「戒、熱……?」
「傷による発熱だ。大したことない」
「いや、すごい熱いって!」
「耳元で叫ぶな。頭がガンガンする。気にするな。慣れている。放っておけばおさまる」
「……せめて、どこかで横に……」
 わたわたと周囲を見回す真城。
 その様子を感じ取ったのか、戒がおかしそうに低く笑った。
 真城は不思議に思って、戒の顔を覗き込む。
「あかり様も、誰かが熱を出すと、そうやってわたわたしていた。結局、彼女は何も出来なくて、ずっと涙目で立ち尽くしているだけだったが。……熱のせいか……ふと思い出した……。お前が……時々、彼女に重なる。困ったものだ……」
 真城の支えだけでは足りなかったらしく、カクリと力を失って、戒はそのまま、石畳で出来た地面に膝をついた。
 真城は戒を1人にも出来ず、ペタンと地べたに座り込んで、戒の体力がある程度回復するのを待つことにした。



 智歳は香里を寝かしつけていたのに、結局自分が寝てしまったことに気がついて、大慌てで布団から顔を上げた。
 宿の一室。
 ほのかに灯るランプの明かりが柔らかく、室内を照らしている。
 眠ってしまう前までは手を繋いでいたのに、ベッドの上には香里がいなかった。
 奥のベッドには落ち着いた様子で腰掛けて、笛の手入れをしている璃央がいる。
「りょー」
「なんだい?」
「あ……香里は?」
 姉上と言い掛けて、智歳は慌てて言い直す。
 璃央は何か含むものがあるかのように目を細めたが、
「さぁ?外に出て行ったようだったけれど?」
 とふてぶてしく笑みを浮かべる。
 智歳はそれを見て唇を噛み締める。
 璃央も、御影も信用していない。
 信用していないが、香里が懐いているのだからある程度委ねなければならない部分がある。
 香里の信頼に応える想いがあることを信じるしかなかった。
 智歳はすぐに宿の部屋から飛び出した。


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