第5章 夜に染み渡る死の歌(後編) 「……遅いなぁ……やっぱし、オレが行けばよかったかなぁ?まさか、捕まったとか?いやいや……だったら、もっと騒ぎになるよな」 星空を見上げながら龍世は考え込むようにうぅんと唸る。 口調は真剣だが、買い込んで来ていたカレーパンを口に放り込みながらだった。 さすがにくたびれて、地面に思いっきりあぐらをかいている。 「なんだかなぁ……まさか、オレ置いていかれたとか?むむ……なんだかんだ言って、真城、結構アイツのこと贔屓してるしなぁ……」 勝手な被害妄想を浮かべながら、3個目になるカレーパンを放り込む。 夜空を流れ星が駆け巡る。 よく澄んでいて、綺麗なダークグリーンの空だ。 「行こうかな。さすがに遅すぎだよ」 龍世はよっこらせっと声を上げて、すっくと立ち上がると、ハーフパンツについた草と土を払った。 置いておいた荷物を持ち上げて、ふぅと息を吐く。 その時だった。 町とは反対方向から何かがすごいスピードでやってくるのを感じ取った。 「きゃぁあああああああ!!」 それと共に響き渡る少女の声。 「ん?もしかして、今の声は……」 龍世はあっけらかんと呟いて、そちらに目をやった。 葉歌を乗せた崔がこちらに近づいてくるのが見える。 「崔、崔!お願い!速い、速い〜。スピード落とし、てぇぇぇぇ!!」 「あ、やっぱり、葉歌だ。おぉい!」 龍世はブンブンと空いているほうの手を振った。 すると、それに気がついた崔が更にスピードを上げた。 「お願いだから、もう、やめて〜。わたし、たっくんみたいに丈夫じゃないんだからぁぁぁ……」 葉歌の悲痛な叫びの意味を崔は分かってないどころか、たぶん、喜んでくれていると思っている様子で、それに伴って、スピードも乗る。 そんな感じかなぁと龍世は心の中で思い浮かべた。 「崔!止まって。これ以上行くと、人間に見つかっちゃうよ!」 龍世はストップストップと訴えて、両手をバッと広げる。 すると、崔もようやくスピードを落として、龍世の目の前でなんとか止まった。 すごい勢いの風が、周囲の草を揺らす。 「……真城に会う前に……死ぬかと思った……」 消え入るような声で葉歌が呟いて、崔の首に思い切りもたれかかる。 龍世はすぐに崔の横に回って、葉歌に手を差し伸べた。 「どうして、葉歌が?」 「兄ぃに……頼まれて……。真城まで指名手配扱いになったって聞いて、いても立ってもいられなかったし」 龍世の手を借りて、ヒョイと崔の背から降りる。 「げっ……オレたち、指名手配なの?!」 「たっくんは平気よ。真城だけ」 「えぇ……更に動きづらくなったなぁ。真城、容姿が目立つし……」 「真城は?それと、あの仏頂面……」 「町ではぐれて……。戒が探しに行ったんだけど……戻ってこないんだ」 「……そう……。じゃ、行きましょ。わたしも探すの手伝うから」 自分を奮い立たせるように葉歌は何度も吸って吐いてを繰り返す。 崔から自分の荷物を受け取って、龍世よりも先に歩き始めた。 龍世は崔に干し肉を与えて、労を労い、何度も首をさすってやってから、バイバイと送り出した。 崔は悲しそうに2人を見送っていた。 「二手に分かれましょう、たっくん。一通り回ったら、ここに戻ってくるってことで」 「ああ、うん、わかった。葉歌さ、平気?」 「なにが?」 「村出る前、顔色悪かったなぁって思い出したんだよ」 「……平気よ。元々体が悪いから、だるい状態には慣れちゃってるの」 「それって、慣れるもんなの?」 「気にしない気にしない。じゃ、わたしは大通りのほうを行くわ」 「え?あ、ああ。じゃ、また後でね」 葉歌がなんともないような顔でスタスタと歩いて行ってしまうので、龍世はそれ以上何も言えなくて、住宅街になっている通りへと入って行った。 「戒、大丈夫?」 真城は気遣うように戒の肩に触れた。 戒は建物の壁にもたれかかり、気だるそうに地面を見つめている。 「大丈夫だ」 返事だけはしっかりしているが、暗がりの中でも表情に覇気がないのがよく分かる。 「遠き国 見渡せば 緑 多く さや 風の音 さや 波の音」 突然、少女の歌声が聞えてきて、真城は通りに目をやった。 闇に溶けるような紫色の髪の少女が歩いてゆく。 昼間に見た双子の女の子だった。 けれど、昼間見た時のような雰囲気を感じられない。 目を細め、綺麗な声で歌を奏でながら、しゃなりしゃなりと歩き去っていってしまった。 「……ん?」 「どうか、した?」 「いや、少し、傷の痛みが……」 戒がそんなことを呟いて視線を上げる。 真城はすぐに戒の額に手を当てた。 「……うぅん……熱は高いみたいだけれど」 「大丈夫だ。これなら歩ける」 「歩けるって……本当に?」 「ああ、行こう」 壁にのしかかりながら立ち上がって、真城には一瞥もくれずに歩き出した。 真城も慌てて立ち上がり、戒を追いかける。 少しは気を許してくれたのかと思えば、すぐにこの調子だ。 なんだか、昔飼ってた猫みたいだなと心の中で呟いて、戒の隣に並んだ。 少女が消えていった通りとは逆方向へと2人は歩いてゆく。 「遠き国 見渡せば 緑 多く さや 風の音 さや 波の音」 香里は静かに歌を奏でながら、大通りに入った。 大通りには昼間のような賑やかしさもなく、バーへ通うお姉さんや飲み屋のハシゴをしているおじさんがちらほらいるくらいだった。 香里は歌を歌いながらゆっくりと歩いてゆく。 すると、酔っ払ったおじさんが声を掛けてきた。 「お嬢ちゃん、歌上手いなぁ」 「え?ありがとうございます。おじ様?相当酔ってらっしゃるみたいですけど、大丈夫ですか?」 小柄な体格からして、相当幼い印象のあるであろう香里が大人びた言葉を使うので、おじさんは驚いたようにきょとんと目を丸くしたが、すぐに香里の肩を叩く。 「酔わなきゃやってられねぇんだよぉ、お嬢ちゃん。もうなー、生きてても楽しくねー」 「生きてるって素晴らしいことですよ?楽しくないのですか?」 「もうなぁ、つまらねーんだよ。一定の生活も一定の仕事も、確かにあるけどよぉ。それだけだ。なぁんもねぇ。家に帰ればカミさんがうるせぇし」 「あら?添い遂げる相手もいらっしゃるのではありませんか。それで幸せでないなんて言ったら、バチがあたりますよ」 お上品にコロコロと笑いながら、香里が言うと、おじさんは納得いかないように眉をひそめる。 「そりゃね、20年前のアイツならいいよ。でも、今のアイツは別モンだよ。ああ……死んだら、アイツ、少しは泣くんかねぇ」 「死にたい……のですか?」 「それでもいいかもねぇ。オレァ、もう生きるの飽きた!ここで呑んでるやつらの大半はみんなそうだよぉ」 「生きるの……飽きた……?」 香里はそれを聞いて、ずっと物静かだった表情を歪めた。 どこか遠くを見つめるように、遠い目をして、次の瞬間、おじさんの肩に手を触れる。 「おじ様は……死相なんて全くない、幸せな方なのに。死にたいなんて……。生きたくても、運命に逆らえない人はたくさんいる……。あなたが生きれるはずの間のパワーを、その人たちのために使いませんか?」 小声で呟く香里。 おじさんは聞き取れなかったようで、なんて言ったんだい?と何度も何度も尋ねてくる。 「ここの人たちもみんな一緒なら、そのパワー……全て私がもらってもいいですよね?」 香里はそんなおじさんを全く無視して目を閉じる。 大通りに霧のようなものが立ちこめ始まる。 香里の脳裏に火に包まれた城が浮かんでは消えてゆく。 「生きたい人、たくさんいるのですよ?生きれたかもしれない人、たくさんいるのですよ?それなのに……どうして、生きてるあなたが、生きるのを飽きたなどと言えるのですか?」 涙が頬を伝ってゆく。 おぼろげな記憶に、悲しみが溢れてきた。 生きれたかもしれない父と母。 けれど、香里と智歳を庇って死んでいった。 なのに、香里は父の顔も母の顔も思い出せない。 ただ、覚えているのは、焼け落ちそうになっていた城の中で震えていた香里と智歳を、璃央が助け出してくれたことだけ。 「生きていれば、顔を思い出すこともできます。でも、死んでしまったら……記憶に留めておけないのですよ?」 霧が濃くなって、香里と話していたおじさんがバタリと倒れる音がした。 「どうして……死にたいなんて……。死という運命に逆らうことのできない宿命にある人はたくさんいる。あなたは……寿命をまっとうできる運命にあったのに……」 霧が少しずつ薄くなってゆく。 香里はふぅ……と息を吐いて、目を開いた。 涙が止まらない。 妙な眠気に誘われて、ゴシゴシと目をこする。 「……香里……ちゃん?」 穏やかな声が聞えて、香里はふいとそちらに顔を向けた。 大通りを歩いていた男女全てが倒れたまま、ピクリとも動かない。 その様子を見回して、葉歌は動揺したような眼差しで香里を見つめてくる。 香里は眠いのを我慢して首を傾げて笑いかけた。 「ごきげんよう、葉歌様。また、お会いできましたね」 丁寧で仰々しい話し方。 けれど、笑顔は可愛らしく、しっかりと葉歌に向けられている。 葉歌は言葉が出てこないようだった。 いや、もしかしたら、香里が作り出した霧に触れてしまったのかもしれない。 香里は慌てて、パタパタと葉歌に駆け寄る。 先程言った『死という運命に逆らうことのできない宿命にある人』の1人が葉歌だった。 香里が以前に死を払った、この国の王妃は、処置が的確であれば救える。そんな人だった。 けれど、葉歌は違うのだ。常に、死が身近にある。 そんな人を見たのは、二回目だった。 二回目だったから、見捨てられない。 「葉歌様、どうかしましたか?」 「今の……香里ちゃんが……や……」 何か言い掛けて、葉歌は口を噤む。 香里は心配で葉歌の顔を一生懸命に見上げる。 けれど、突然、鈍い音がして、葉歌がもんどりうって倒れた。 香里は驚いてしゃがみこむ。 「葉歌様?葉歌様?!」 「……見られたのか、この姉ちゃんに?香里」 葉歌の後ろには智歳が立っていた。 どうやら、急所を殴って気を失わせたらしい。 「ちーちゃん、なんて乱暴なことを……」 「見られたのか?!って聞いてんだよ!!」 「…………」 香里は正確な答えかどうか分からずに迷った。 葉歌の表情が恐怖に、葉歌の眼差しが蔑みに……見えないこともなかったからだ。 あんなに優しく声を掛けてくれた葉歌が、明らかに、香里に近づかないでと言いそうな表情をしたように見えた。 「……葉歌……様……」 「連れてくぞ」 「え?」 「見られたんなら置いてけねぇだろ。お前の力は、知られちゃまずいんだ」 「で、でも……」 「いいから!早く、りょーかトーオを連れてこいよ!!」 「う……うん……」 智歳の迫力に負けて、香里はおどおどと頷く。 パタパタと音を立てて、夜の町を懸命に走る。 葉歌の表情を思い出して、なんとなく、自分がまずいことをしたのだと言うことを自覚していた。 「たくさん……たくさん……また……殺しちゃった……」 震える唇を手で覆って、とても小さな声でそう呟いた。 遠くの森から獣の遠吠えが聞えてくる。 月と星だけが、駆けてゆく香里のことを見つめていた。 |
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