第6章  バランスを操る少女

 小鳥のさえずりが耳に優しい。
 城の花園で花を摘んで遊んでいた香里は、ニッコリと頬をほころばせた。
 4年前、まだ、香里が小さな国の姫君だった頃のことだ。
 軽そうなフリルのついたワンピースをふわりと揺らしてターンをする。
 すると、それに寄り添うように風がふわりと、香里の周りを漂った。
「今日の、風も、空も、世界も、綺麗ですね」
 おっとりと、けれど、子供らしくないしっかりとした口調で呟き、摘んだ花をぱぁっと風に乗せてやる。
 風が香里に応えるように、花をチラチラと揺らした。

 そうして、ほのぼのと花園を見回していたら、上等なローブを身に纏った智歳が駆けてきた。
 両手で、何か大切なものを抱えるようにしている。
「智歳?どうしたのですか?」
「この子が……木の陰にいたんだ……」
 問いかけた香里に智歳はすぐに手の中の物を見せてくる。
 それは、弱りきった小鳥だった。
 もう、長くはないだろうことは死相を見なくても分かる。
「かわいそうだよ……昨日まで、あんなに元気だったのに……」
 智歳が悲しそうにぼやいて、一生懸命に小鳥に呼びかけ始めた。
 香里も智歳も、望まずして、生き物の死期がわかる……特殊な力を持っていた。
 香里はその力に優れていて、智歳はそんなに強くはない。
 香里にはずっと前から、この小鳥がこうなることは分かっていた。
 分かっていたけれど、何もすることはできないから、智歳にも一切そのことを伝えていなかった。

 けれど、目の前でしょげている智歳を見て、香里は思わず小鳥に手を差し伸べる。
「貸してちょうだい」
「助けてくれるの?!」
「内緒ですよ?母様に、この力は使っちゃいけないって言われてるんですから」
 香里は口元に人差し指を当てて、可愛く智歳を見つめた。
 智歳が嬉しそうにブンブンと首を縦に振る。
 香里は静かに小鳥を抱き寄せた。
 ポゥ……と不思議な光が、辺りを包む。
 風が香里の周りに集まってきて、次の瞬間、すごい勢いで爆ぜた。
 智歳の体が少しだけ宙に浮き、後ろに下がる。
 ふぅ……と息を吐く香里を、不安そうに見つめる智歳。
 香里は目を伏せてしばらく黙っていたけれど、小鳥が手の中で動き始めたのを見て、智歳に視線を寄越した。
 智歳が嬉しそうに顔をほころばせる。
 それを見て、香里もニコリと小首を傾げて笑ってみせた。

 小鳥が香里の手から飛び立ってゆく。
 その瞬間、香里の体から力が抜けた。
 フラリと体をよろめかせて、突然襲ってきた眠気を堪え切れずにそのまま倒れる。
 この力を使うと、香里は必ず眠くなってしまう。
 つまり、取りとめもなく、いきなり寝た場合、この力を使ったというのがバレバレなのだ。
 内緒ですよと言った香里も、子供だからか、そのことを見落としていたようだった。



「あれほど、使うなと言ってあったでしょう?どうして、約束が守れないのですか?香里さん」
 目を覚ましてすぐに、母である王妃のお小言が始まった。
 そろ〜……と逃げようとしていた智歳も、すぐに捕まって、赤絨毯の上に正座させられる。
 智歳がチラリとこちらを見てきたので、香里はぺロッと小さな舌を出して笑いかけた。
 また、ドジっちゃいました。そんな伝言を心の中で発しながら。
「香里さん。お願いだから、使わないで。小鳥だったからよかったけれど、これがもっと大きな生き物だったら、あなたは大変なことになっていたのですよ?」
「……わかっています……」
 反省していますとうわべだけで言いながら、香里は王妃の顔を見上げる。

 王妃はそれを見透かしたように、ため息を吐いた。
「香里さん?あなたの力の仕組みを言いなさい」
「…………。自分の生命エネルギーを相手へと分け与える。または、相手から生命エネルギーを搾取することが出来る。更に付け加えると、搾取したものはそのまま自分の中に蓄積することが可能です」
「わかっているじゃない。なぜ、言うことを聞いてくれないの?」
「助けられるものを見捨てるなんて、できません」
「香里さん。あなたはまだ小さいのです。力の使い方もまだまだでしょう?そんなあなたが、むやみやたらにその力を使ったら、あなたが死んでしまうかもしれないのですよ?!」
「母様……怒るなら、俺にしてよ。俺が姉上に無理言ったんだ……」
「智歳さん、それは違いますよ。香里さんの自覚が足りないのです。この力は使ってはいけないのです。絶対に。」
 王妃は悲しそうに目を細めて、壁に飾ってある大きな人物画を見つめた。

 王妃の妹にあたる女性。
 彼女は香里と同じくらいの力を持っていたらしい。
 事情は分からないが、8年ほど前に若くして命を落としていた。

「死すべき者はそれが運命。生きることを許されるのも運命……。そんな力などで、それを壊してはいけません」
「母様。お言葉ですが、あの小鳥が、私に出会ったのも、運命、です」
 香里がはっきりとした口調で告げる。
 王妃は困ったように眉をひそめた。
「あなたも、同じことを言うのですか?」
「え?」
「あなたはそれでいいかもしれません。けれど、残される者の悲しみを考えてみなさい。身代わりに死なれた者の悲しみを、考えてみなさい」
「母様……」
「私が死ねばよかった……と、そんな言葉を言いたくても言えない者のことを考えてみなさい」
 王妃は悲痛な面持ちでそう言うと、顔を伏せた。
 香里も智歳も言葉が出てこない。
 王妃はそっと顔を上げて、香里の頭を撫で始めた。
 智歳の頭を優しく抱き寄せる。
「あなたたちは、私の希望です。そして、国の希望でもあるのです。どうか、それを忘れないで」
 香里はあたたかい母の手に、とろんと目を細めながら、その言葉を聞いていた。



 国が戦火に巻き込まれたのは、それからすぐのことだった。
 国も小さく、元々戦争に消極的だったこの国は、あっという間に城下町を占領され、城には火を放たれた。
 父である王と、母である王妃は、香里と智歳を隠し部屋に隠し、ここを絶対に動かないでと言った。
 優しい顔の王が、智歳に言った。
「香里を護っておくれ」
 と。
 いつもしゃきっとしている王妃が、眉をひそめて香里に言った。
「絶対に、その力で命を落とすことのないように」
 と。
 2人は声を合わせて言った。
「これは、約束だ」
 と。
 香里と智歳は、その言葉に泣きながら頷いた。
 父と母が出て行った部屋で、香里は智歳を抱き締めながら、恐怖に震える体を必死に抑えていた。
 外では兵士達の戦う声がする。
 それが敵なのか味方なのかなんてわからない。
 ただ怖かった。
 けれど、そんなことよりも、一番怖かったのは……父と母の死期がもうすぐだと、自分が簡単に分かってしまっていたことだった。

 死んでしまう。

 死んでしまう。

 大好きな父も、大好きな母も、死んでしまう。

 こんな力、何の役にも立たない。

「くるしい……」
 抱き締める力が強すぎたのか、智歳がそんな言葉を漏らす。
 香里はそれでも力を弱めることが出来なかった。



 一体、どれだけの時間が経ったのだろう?
 兵士達の声が弱まり始めていた。
 香里は固唾を飲み、ゆっくりと立ち上がって、智歳の手を引き、ドアノブを回した。
 開けた瞬間、兵士がいたら……という思いと一緒に、思い切り押し開ける。
 目の前に炎が広がった。
 香里は目を見開く。
 いつも、父と母が談笑していた部屋が、炎に包まれて見る影もなかった。
「父様……母様……」
 香里は呟いて立ち尽くす。
 ジリジリと、香里の耳元で炎の燃えさかる音。
 智歳があまりの熱さに耐えかねて、後ずさる。
 ……が、香里が手を離さないので、結局体が引き戻された。
「ここ、危ないよ……ねぇ?ねぇってば!!」
「あ……ご、ごめん。も、戻ろう……」
 香里が戻ろうとした瞬間、横にあった本棚がグラリと揺らいだ。
「え……?」
 香里は驚いてそちらを見る。

 本が燃えながらバサバサと落ち、頬に火の粉が飛んできた。
「あつっ……」
 もう駄目だ。そう思って目を閉じる。
 けれど、バシッという鋭い音がした他は、特に何も起こらなかった。
 香里は恐る恐る目を開ける。
 すると、そこには細身の少年が立っていた。
 水色の髪の毛。ややツリぎみだが、それでも優しそうな目。
 身に纏った鎧は……銀色で、上等なものだった。
「大丈夫?こんなところで、何をしているの?」
 優しい声が、香里と智歳の疲れた心に響いた。
 少年がニコリと笑う。
 それが……璃央との出会いだった。


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