第10章  あなたとわたしの秘密

 東桜との戦闘で肩を怪我した真城は誰にも気がつかれないように、いつも腰に巻き付けていた赤いレザージャケットを上に羽織っていた。
 傷もそんなに深くはなかったし、動きがおかしくて気付かれるなんてこともそんなにないだろうとタカをくくったのだった。

 一応、真城も女の子である。
 肩の怪我となると……上を脱がなくてはいけないわけで……。
 龍世に治療を頼むのも気が引けた。

 医者に行こうかとも思ったが、自分も指名手配扱いになったというのを聞いて、町の病院には行けなかった。

 今は町の食堂で朝食を取っているところだった。
 本当は町の外で済ませたかったのだが、せっかく買った旅用の食糧が龍世の胃袋に収まり続けるものだから、これ以上は勿体無いということになった。
 できる限り、顔を見られない目立たない位置に陣取り、注文も龍世に任せた。
 一応、手持ちのお金で何とかなるだろう(今日だけは)。
 大通りの騒ぎもあって、町は騒がしく、指名手配犯の1人や2人問題無しで動くことが出来た。

「タツ……これからは食べる量を減らすか、狩りをしてくれ。いくらなんでも、3日分の食糧を食べてしまうなんて……」
「ごめんよぉ。ずっと歩き通しだったから、昨日はついだよ……。これからは気をつけるから、そんなに怒らないで」
 反省したように呟いて、フォークを動かす手を止める龍世。
 別に真城は怒ったつもりはなかったのだが、もしかしたら、連日の疲れで声に覇気がなく、それで怒っているように聞えてしまったのかもしれない。
 昨日は全く食べ物を口にしなかった戒が、サンドイッチやらおにぎりやらタコスチップスやら、片手で食べられるものをどんどん消費していく。
 この調子ならば、もうすっかり体調もいいだろう。

 真城はその様子を見て、やんわりと目を細める。
 そして、戒に尋ねた。
「あのさ……東桜さんって……約束は守る人?」
「知らない」
 戒は口に含んでいた辛そうなソースのついたタコスチップを飲み込んで、しれっと答えた。
「え……顔見知りじゃないの?」
「ヤツと約束を取り付けるなんてことが、まずなかった」
「ああ……そう……」
 真城はその返答にしゅんとする。

 やっぱり、あそこで逃げられたのは不味かったのだ。
 たとえ、血まみれになっても、逃がさないように頑張るべきだった。

 はぁ……と深いため息。

 龍世がステーキを頬張りながら、戒に尋ねる。
「お前さ、アイツとどういう関係な訳?傭兵仲間とか?」
「…………」
「……お前とは会話しない。なんつって」
 答えてくれない戒に対して、龍世は指で眉間にシワを作り、口調をまねっこした。
 不快そうに戒が眉をひそめる。

 龍世も不機嫌そうに唇を尖らせる。
「大体、ここまで巻き込んでおいて、あれも話せない、これも話せないじゃ、付き合ってるこっちがバカみたいになってくんだよな」
「まぁまぁ、タツ」
「お人好しの剣士様に甘えちゃってさ、中途半端じゃんかよ」
「……ああ、そうだな」
「今、食い繋げてるのも、昨日一晩お前がゆっくり休めたのも、真城のおかげだよ」
 真剣な顔で龍世は戒を睨みつける。
 戒は戒で、静かにその言葉を聞いていた。

 昨晩、東桜との戦闘の後、龍世を引きずって戻ってきた真城は、ずっと戒の額に乗せるタオルを代え続け、龍世の斧もなんとかかんとか運んできたのだった。

 龍世も言えた義理ではないのだが、ここ連日のストレスで少々イライラしているようだった。
 東桜にあっさりやられてしまったことも、関係しているのかもしれない。

「タツ、いいよ、別に。昨日はボク、眠くなかったし、お金だって、父上のおかげだから」
 せっかく、まともなご飯にありつけたのに、相変わらず仲裁に入らなくてはいけなくて、ため息混じりに真城が言った。
 大好きなミートソーススパゲティも霞んでしまう。
「それに、戒は二回もボクを助けてくれたんだ。これくらいなんでもない」
「…………。真城はさ……」
 爽やかに笑ってそういう真城に、不服そうに龍世が口を挟もうとしたその時だった。

「甘々なんだから、仕方ないわよね、そういう子だし」
 ふんわりとした柔らかい声が真城の脇でした。

 龍世があんぐりと口を開けて、真城の横を見ている。

 戒は何か考え込むようにコーヒーカップの中身をマドラーでかき回していた。

「もう……また、ミートソース?相変わらず、味覚がお子様なんだから、しょうがないなぁ」
 そっと肩に掛かっているショールを直す仕種をしたのか、ふわりと彼女特有の甘い香りが真城の鼻をくすぐる。

 真城は驚いて静止していたけれど、やっとのことでそちらに視線を上げる。

「葉……う・た……」

「はい」
 真城の戸惑ったような声に、葉歌がふんわりと微笑んでくれた。

 いや、『はい』ではない。

「ど、どどど、どうして、ここに?」
「あら……わたし、来ちゃいけなかった?」
 真城の言葉に悲しそうに葉歌が小首を傾げる。

 真城はパクパクと口を動かして、続ける。
「いや、この町に来てるって、タツに聞いて……え、でも、あれ?」
「…………。もしかして……わたしがさらわれたこと、知って……?ああ……そういえば、返すって約束したとかなんとか言ってたわね」
「…………?」
「うん、まぁ、なんとか逃げれたから」
 ブツブツと呟く葉歌に真城が首を傾げる。
 すると、葉歌は自分で納得したようにニッコリと笑った。

 龍世がようやく口を開く。
「昨日、大変だったんだよ、真城」
「え?」
「すっげぇ強いおっさんに絡まれちゃって。よく無事だったよねぇ」
 龍世が感心したように腕組みして、うんうんと頷く。

 葉歌はその言葉を聞いて、顔色をガラリと変えた。
 そっと真城の頬に手を触れてくる。
「本当に、大丈夫だったの?」
「え、あ、うん。なんとか大丈夫だったよ」
 珍しく真城の言葉が歯切れが悪い。

 そっと左肩を庇うようにして体を動かした。

 すると、葉歌が目ざとくそれに気がつく。
「今日、暑いのに、真城、なんでジャケット着てるの?」
「! あ、いや、これは……服が汚れちゃって……洗うまではこれで誤魔化そうかと……」
「ふーん……。ああ、そうそう。兄ぃから着替え預かってきたから、食事終わったら着替えるといいよ。どうせだし、水浴びもしちゃおっか? 風に聞いたら、近くに湖があるって」
「そ、そっか。うん、そうだね」
 疑るように目を細めながらも葉歌は特に突っ込んだ質問はせずに、隣のテーブルから1つ椅子を持ってきて、真城の脇に腰掛けた。

 すぐに注文を聞きに来るウェイトレスに、葉歌はメニューを見てから、柔らかく言った。
「紅茶とハニートースト。それと、ほうれん草のサラダ。あ、トマトサラダも」
「はい、かしこまりました」
「お願いします」
 ウェイトレスが丁寧に頭を下げて、サッサカと厨房へと下がっていった。

「葉歌にしてはたくさん食べるね?」
 真城が感心したように声を発する。
 すると、葉歌がもう1度真城の頬に触れてきた。
「肌が荒れてる」
「え?」
「せっかく、綺麗な顔なんだから。ダメよ、ちゃんとしないと」
「…………。もしかして、トマトサラダはボク用?」
「そう」
「……トマト嫌い……」
「ダァメ」
 子供のように唇を尖らせる真城を見て、おかしそうに笑いながら葉歌は真城の頭をペンと叩く。
 真城も観念して、ようやく首を縦に振った。
 龍世がおかしそうに笑い声を上げる。
「真城は葉歌に弱い〜♪」
 以前口ずさんでいた謎の歌をもう1度披露してみせる。
 戒は2人がそんなやり取りをしている間も黙々と食べ続け、その後はずっと窓の外を見つめていた。



「やっぱりね」
 森の中の小さな湖で、真城は無理矢理葉歌にジャケットを剥ぎ取られていた。
 シャツに血が染み込んで、茶色くなっていた。
 それも左肩だけでなく、胸元、腕まで血が伝ったのか、もう着れたものではなくなっている。
「大したことないから、2人には言わないで」
「…………。大したことないかどうかはわたしが判断します。ほら、早く」

「……?何?」
 急かすように言ってくる葉歌に、真城は首を傾げる。
 すると、葉歌ははぁ……とため息を吐いた。
「わたしが脱がしていいなら、脱がしますけど?」
「あ……はい」
 真城は恥ずかしそうに俯いて、さっと葉歌に背を向ける。
 そして、プチプチ……と慌てたようにボタンを外す。
「女同士なのに恥ずかしがらなくても」
「いや、ボク、葉歌みたく胸ないし」
「見ないわよ、そんなところまで」
 おかしそうに葉歌が笑う。

 そんなことを言われても気になるのだから仕方ないではないか。

 襟元が緩んで見えた肩の傷のあたりに、葉歌がそっと触れる。
「痛っ……」
「あ、ごめん、痛かった?」
 真城は全部のボタンを外して脱ぐと、胸にサラシが巻いてあるのがわかる。
 剣を扱う時、邪魔にならないようにという配慮だとは思うが、なんとも女の子がそういうのをしているのを見るのは、痛々しい気分になってしまうのは葉歌だけだろうか。
「う、ううん……たぶん、ちょうど傷口に爪が当たっただけ」
「そう?じゃ、ちょっと、肩を中心に触ってみるから、痛かったら今みたいに痛いって言ってね?」
「うん」

 肩甲骨、鎖骨、背骨、頚骨、肩の関節、二の腕の骨の順に触れていく葉歌の手。
 痛いところは幸いなことになかった。
 ほっと安堵の息を漏らす真城。
 けれど、最後に肌についた血を全て流し落とそうと、葉歌が濡らしたタオルを肩に当てた瞬間、激痛が走った。
 ビクンと真城の体が反応する。
「どうしたの?痛いの?」
「う……ちょっとだけ……」
 葉歌が触れたのは肩の筋肉のあたりだった。
 葉歌は今度は優しくその部分に手を置いた。
 少し痛んだ。

「打撲……かな?血が出た分、分かりづらいのかも。筋肉が切れてたりはしないよね?腕、上げられる?」
「うん、腕は大丈夫。昨夜からずっときちんと動くから」
「そっか……よかった……」
 葉歌が安心したように柔らかい声を発して、荷物の中から月歌から託された荷物を取り出す。

 着替えの他に、お金に換えられるかさばらないものと救急セットが入っていた。
 さすがは月歌。
 真城のことをよく分かっている。

「座って」
 身長差がありすぎるために、真城を座らせてから、きちんとした処置に入る。
 血を拭き取りながら、葉歌が後ろでようやく楽しそうに声を発した。
「よく、怪我してわたしのところに駆け込んできたわね、真城」
「つっくんがいつもすごい形相で追いかけてくるから……」
「そうそう。それで、逃げてきて、わたしが手当てしてあげるのよね」
「つっくん、料理は上手いけど怪我の処置下手なんだもん」
「ふふふ……もう、何回こうやって手当てしたかなぁ。手当てしながらする真城との会話は楽しいけど、いつも、もうこんな怪我はしないでってどこかで願ってたのよ?」
「葉歌……」
「ごめんね……わたしのせいよね、この怪我……」
 真城は葉歌に見えない位置で目を細める。
 葉歌は悔しそうに、本当に悔しそうにわたしのせいと声を殺して呟きながら、傷口にガーゼを当て、打撲の部分に塗り湿布をし、包帯をクルクルとサラシの上から巻いていく。
 一通り固定し終えて、葉歌はふぅ……と息を漏らす。

 真城はすぐに新しいシャツを着直して、クルリと振り返った。
「葉歌のせいじゃないよ」
 きちんと目を見て言いたかった。
 真っ直ぐに葉歌の目を見つめて、真城は優しく微笑む。
「ボクは自分の意志で、彼と戦うことを選んだ。だから、誰かのせいとかないよ」
「真城のお馬鹿……」
「うん……バカでもいいよ。だから、泣かないで?葉歌」
 優しく、包み込むような声で、真城は葉歌の涙を拭った。

 誰のせいにもしない。
 自分で選び取るのだと、あっさりと簡単に言えてしまう人だから、怖くて仕方ないのかもしれない。
 真城は、本当に潔くて、でも、諦めが悪くて、真っ直ぐで、困っている人を放っておけない。
 いつか、こんなものでは済まない事態になるのではないかという思いが、葉歌の心のどこかを彷徨っていた。
 けれど、困ったように目の前で真城が笑っているから、葉歌は静かに目を細めて笑った。

 真城は言う。
 これから東の町へ向かうのだと。
 この状況は喜ばしいと言ったら不謹慎かもしれないけど、昔から憧れていた冒険が出来るのだと思えば、それはそれで楽しい旅になるよね?と。
 だから、葉歌はそっと真城の肩に寄り添って答えた。
 あなたとなら、どこまでもと。
 その日、見上げた空は、どこまでもどこまでも抜けるような青空だった。


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