第5章  きな臭い話題

「月歌〜!……つっくん〜?いないの〜?」
 真城は月歌の執務室のドアを何度も何度も叩いていた。
 いつもなら二回ノックしただけで出てくるのに、その日は何回呼んでも出てきてくれなかった。

 ふと思いついて、真城はこっそりとドアを押し開ける。
 部屋の中を見せてくれることがなかったから、いい機会だと思ったのだ。
 ドアからひょっこりと顔を出して、キョロキョロと部屋の中を探る。
 きちんと整頓された部屋。仮眠用のベッドにも乱れは全くなかった。
 そして、窓際のデスクにうつぶせになって、眠る月歌の姿が真城の目に映る。
 真城はふふ……と笑いをこぼして、こっそりと部屋に入った。

 ベッドにたたまれて置いてあるブランケットを手に取り、月歌の背中に乗せてあげる。

「忙しそうだもんねぇ……無理してんのかなぁ、やっぱり」
 デスクに頬杖をついて寝顔を見つめる。
 普段は見せないあどけない表情で月歌は眠っている。
「眼鏡って……寝る時、外すものじゃないのかな?」
 ポツリと呟いて、怖々と眼鏡に手を伸ばした。
 思えば、月歌が眼鏡を外したところをマジマジと見たことがなかった。

 興味本位だった。ただ、それだけ。

 想いを寄せている相手が目の前で無防備な顔をして眠っている。
 だから、もう少しだけ……普段見られない姿を見たかっただけ。

 眼鏡をゆっくりと気付かれないように外して、パチンと閉じ、デスクの上に置く。

 月歌はくすぐったそうに眉をひそめたけれど、それだけで起きはしなかった。
 思った以上に、彼の眠りは深いようだ。
 真城は面白くなって、そっと彼の頬に触れる。
 それでも起きる気配がなかった。
 だからかもしれない。いたずら心が働いたのは。
 きっと、この想いは口にしないから、ただ、初恋の思い出に……それだけのつもりだった。

 ゆっくりと顔を近づけて、月歌の唇に自分の唇を重ねようとした……。

 けれど、触れそうになった瞬間……、
「紗絢(さあや)さん……」
 と、月歌が真城には聞き覚えのない女性の名を口にした。

 真城はすぐに動きを止めた。

 確実に女性の名だった。
 真城や月歌のように、名前で判断しにくい名前じゃない。

 真城は目を泳がせる。どうすればいいかわからなかった。

 動揺している間に、月歌が目をゆっくりと開ける。

 起きてすぐに目の前に真城の顔があったから、驚いたように月歌はガタガタッと音を立てて、椅子ごと床に倒れこんだ。
 倒れた拍子にいつもピシッとしている髪型が若干崩れた。

「ま、ままままま、真城様?!ど、どうしたんですか?」
 声も少々裏返っていて、真城は沈みそうになっている自分の心とは裏腹に笑いが漏れた。
「ん〜ん、なんでも。気持ち良さそうに眠ってるなぁって思って。……ただ、それだけ……だよ」
 そんな言葉を言ってる間に、涙がこみ上げてきて、真城はすぐに踵を返した。
「ね、寝るなら、ベッドにしなよ?風邪、ひいちゃうから」
 そう言って、ダッシュで部屋を出た。

 こみ上げてくる涙を拭いながら、自分の部屋に戻ると、どこから入ったのか、葉歌がベッドでポンポンと弾んで遊んでいた。
「あ、真城。どこに行ってたの?せっかく、遊びに来たのにいないんですもの」
 ふんわりと話す葉歌を見て、真城はほっと息を漏らす。
 葉歌は真城の様子がおかしいのに気がついたのか、ゆっくりと歩み寄ってきて、まだ背もそんなに変わらない頃だったから、正面から真っ直ぐ見つめてきた。
「目、潤んでるけど、どうかした?」
「え、あ、ううん。ちょっと、庭で寝ちゃって……」
「庭で?」
「う、うん。それで……怖い夢見て……それだけ」
 環境のいいところか、葉歌の膝枕がないとまともに眠れない真城が庭で寝ていたというのを聞いて、葉歌は疑うように眉をひそませたが、真城はその疑惑を払拭しようと付け足す。
「や、やっぱり、葉歌の膝枕ないとダメだね?すっごい怖かった……」
「そう?じゃ、寝直す?ご希望通りにわたしが膝枕してあげる」
「う……うん、ありがとう」
 真城の言葉に葉歌が嬉しそうに微笑むので、真城は月歌が口にした『紗絢』という人のことを聞くことができなかった。
 それから数日して、月歌が真城のお世話係から外れた。

 それは……真城が12歳になってからすぐの、春の出来事だった。



「ん……」
 真城はゆっくりと目を開けた。
 周囲を見回して、すぐに状況を思い出す。
 龍世が戻ってくるのを待っていて、そのまま眠ってしまったのだった。
 昼過ぎまで寝ていたにも関わらず、またもや眠ってしまった。
 どうも、体が変な感じだった。
 思い切り体を動かしていいと葉歌に言ってもらえたら、こういうおかしな疲れもすぐに取れるのだろうと思うのだけど。

 周囲を見回してみたけれど、龍世はまだ戻ってきていないようだった。
 葉歌の風読みでは町に出て行ったらしいので、もしかしたら、何か珍しいものでも見つけて夢中になっているのかもしれない。
 指名手配になっている真城では迎えに行くこともできないので、待っているしかないだろう。
 とりあえず、今日は出発せずにゆっくりするしかなさそうだ。

「あれ?……葉歌は?」
 肩を貸してくれていた葉歌の姿が見えなくて、真城は今度こそしっかりと背筋を伸ばした。
 昨晩焚き火をしていた場所の向こうに戒が座って、ぼーっとこちらを見つめている。
「……水を汲みに行った……」
 ポツリと真城に言って、すっと目を伏せる戒。
「水?」
「お前が昼寝すると、大概悪い夢しか見ないからって……。それと、僕の腕の包帯も替えてやる……と。凄い尖った調子で、そこを動くなと……付け加えられた」
「ははは、葉歌らしいや」
 物静かに言葉を紡ぐ戒を見て、真城は夢見の悪さも忘れて、にっこりと笑う。

 葉歌にそこを動くなと言われて、本当に動かずに待っているのが彼らしかった。

 戒は右腕をヒョイと動かして、拳を握った。
「もう少しで直る。……が、今日動いてみたら、傷が開いたらしい。まだダメだな」
「……無理はしないほうがいいよ」
「ダメだ。僕が出来るのは、お前たちを護ることくらいだから、直っていなくても動けなくてはいけない」
「……そんなこと、気にしなくていい」
「……ダメなんだ」
「どうして?」
「感覚が麻痺する。僕は、常に心を研ぎ澄ませてなくてはならない」
 戒は冷ややかな声でそう漏らし、すっと遠くに視線を向ける。

 真城は立ち上がって、戒の傍まで歩いていき、腰掛けた。
 戒は真城に視線を寄越しもしない。

「いいじゃないか。楽にしてていい時は楽にしていれば」
「……すまなかった」
「え?」
「その……見るつもりは、なかった……」
 あまりに唐突な言葉に、真城は戒が何を指して言っているのかが分からなかったが、思い当たった瞬間ぼっと顔が熱くなった。
 たぶん、傷の手当てをしていた時のことを言ったのだ。

「あ、い、いや、あれは……む、むしろ、ボクが見せてごめんなさいっていうか。うぁ……な、何言ってるんだろう……」
「肩の怪我……大丈夫か?気付きもしなくて、悪かった」
「……へ?」
「お前が……怪我をしていることに気がつかなかった。あの女が来なかったら、お前だって、処置に困っただろう?」
 戒が珍しく申し訳なさそうに眉を歪めて言った。
 真城は意図違いだったことに気がついて、余計に顔が熱くなった。
 戒は怪我のことを心配してくれただけだったらしい。
 アカデミーの講義で、真城の顔を思い切り蹴り上げてきた戒とは思えない言葉に、真城はははは……と笑いを漏らす。
「なんだ?」
「え?あー、あのさ、久々に会話できたなぁと思ったら、戒っぽくないこと言うからつい……」
「僕らしくない?」
「そう。らしくないよ。覚悟が足りない・アマちゃん剣士・馴れ合うな・道楽ならやめろ・女が武器を持つな……なんちゃって」
 戒がようやく真城のほうを向いたので、真城は似てもいない戒のマネをして、ニッコリと笑いかける。

「ボクが武器を持つことは許してくれたんだよね、戒は。道楽でもないって言ってくれたし、よし、あと3つか。あ……でも、この3つは無理かなぁ……ボク、人とは仲良くしたいし」
 髪をガシガシ掻いて、真城は悩ましげに目を細める。
「…………」
「戒、ボクたちを巻き込んだこと、気にしてるんじゃないの?」
「……ああ、そうかもしれない」
「もうね、そういうのは無しにしよう」
「無しに……する?」
「そう。戒は、ボクの友達で、仲間。それ以上でもそれ以下でもない。付け加えるなら、戒はボクの命の恩人でもあるわけだし」
「……僕と関わらなければ、お前が命の危険に晒されることもなかった。あの村で、安穏とした暮らしに身を置き、希望通りに騎士になることもできただろう」
「んー……だからさ、堂々巡りになるからやめようよ。ボク、戒のこと、本当に大切な仲間だと思ってるんだ。少し愛想ないけど、優しい仲間」
「優しい?」
「優しいよ」
「どこがだ?」
「本当は、もっとサクサクと進める足を持ってるのに、ボクたちに合わせて歩いてくれてるとことか?あ、あと、勝手にどこか行っちゃうけど、必ず戻ってきてくれる」
「…………」
「思い込みでもいいよ。ボクはそう思っとくから」
「……あまり、僕を信用するな……」
「え?」
「いや、なんでもない」
 真城の無邪気な笑顔に、戒は困ったように目を細めて口を噤んでしまった。
 左手で短い髪を撫でて、はぁ……とため息を吐く戒。
 真城は意味が分からなくて、戒の顔を覗き込む。

「ん、コホン」
 その時、すぐ耳元で葉歌のわざとらしい声がした。
 真城は慌てて顔を上げる。
 すると、そこには桶を重そうに抱えた葉歌が立っていた。
「真城、起きたのね。軽い食事を置いておいたんだけど……まだ食べてない?」
「え、あ、ごめん、気がつかなかった」
「そう。お腹すいてなかったらいいんだけど、今日、真城何も食べてないでしょう?できたら、食べてくれると嬉しいな。わたし、遠瀬くんの腕の手当てしとくから」
 桶を置いて、ハンカチに水を含ませてしぼると、そっと真城の額を拭う。
「真城は昼寝しないほうがいいね。また、青い顔してる」
「う……うん、ごめん」
 葉歌の手からハンカチを受け取って、真城は自分で顔を拭った。

 そっと眠っていた場所に戻って、先程は気がつかなかったクッキーとオレンジジュースに手をつける。
 向こう側に目をやると、2人がぎくしゃくと会話しているのが見えた。
 ……といっても、戒は時折頷いて、葉歌の言葉に従うだけで、一言も声を発してはいないのだけれど。

 なんだかんだ言っても、葉歌は面倒見がいい。
 このパーティーの中で一番年上というのもあると思うのだけど、葉歌にはそういう包容力みたいなものが生まれながらにあるのだと思う。
 真城は無邪気に話はできても、人の面倒までは見てあげられないから、すごいと思わざるをえなかった。
 いつもは龍世が文句を言いながらやっていた作業をテキパキとやって、ものの数分で終えてしまう。
 本当に葉歌には頭が下がる。
 何でもそつなくこなせて、女の子らしいし、男に対してドライなところさえなくなれば、とてもいいお嫁さんになるだろうと真城はオレンジジュースを飲みながら考えていた。

「葉歌は……可愛いなぁ」
 真城がポソリと呟く。
 すると、一仕事終えて、真城の脇に腰掛けた葉歌が嬉しそうに微笑んだ。
「何も出ないわよ?」
「うん。思ったこと、言っただけ」
「そう?嬉しいわ」
 ふんわりとした語調が耳にくすぐったくて、真城は照れ隠しにクッキーに手を伸ばした。
 あの夢を見たせいかあまりお腹は空いていなかったけれど、必死に生噛みをして飲み込む。

 すると、それまで静かに腕を組んで座っていた戒が素早く立ち上がった。
 不思議に思って顔を上げる。
 ガサガサ……と真城と葉歌の後ろのほうで誰かが近づいてくる音がした。
 真城は驚いて喉にクッキーを詰まらせそうになったが、すぐに気付いて葉歌がオレンジジュースを渡してくれたので、事なきをえた。
 草を掻き分けて、誰かが近づいてくる。
 戒が鋭い視線で、そちらの方向を睨みつけていた。



 町の外で龍世は智歳と話しながら、大木の解体作業をしていた。
 どのくらいの大きさにするべきか迷うところもあったけれど、とにかく小さくしないと買ってもらえないので、薪サイズや四方50センチほどの立方体など色々な形に切ってみた。
「とにかくね、力強い攻撃で、動きも素早く。そんな戦いがしたいんだ」
「……お前、その斧が武器なの?」
「え?そうだよ。大事な商売道具で、なおかつ、オレの相棒」
「正直、お前の動きの早さ活かしたいなら、その斧を剣に持ち替えることをお勧めする」
「え?なんで?」
「……斧は、攻撃力を倍化させるけど、スピードは極端に落ちるんだ。自覚ない?」
「うぅん……斧しか使ったことないし……それに、このくらい太くて長い柄じゃないと、落ち着かないんだ」
「ふぅん……」
 智歳は困ったように頭を掻く龍世を見て、パタンと本を閉じ、腰を落ち着けていた大木から立ち上がった。

 積んである本の上に本を置き、ニィッと笑う。
「試してみよう。すぐにわかるから」
「え?何を」
「俺の攻撃、かわしてみて」
「へ?」
 龍世がマヌケな声を上げた瞬間、智歳の両手が閃く。

 そして、燃え盛る火の玉が龍世に向かって飛んできた。
 龍世は斧を振るって、それをなぎ払う。
 なぎ払った先に智歳の姿はなかった。
「い?!」
 龍世がそちらに気を取られている隙に、いつのまにか斧の先に飛び移っていた智歳が龍世の頭を蹴り付けた。
 蹴りはさほど重くはなかったが、今の間で思い切り蹴られていたら、確実にやられていた。

 龍世は斧を置いて、頭をさする。
「斧は、でかい分、視界も塞ぐしね。俺だったら、絶対に選ばない」
 龍世の後ろに着地した智歳がふふん……と鼻を鳴らして得意げに言った。
「なんだよぉ……呪文使えるなら言えよなぁ……。今の卑怯。もっかい!今度はやられない!」
 悔しそうに龍世は叫んで、人差し指を立てて智歳に見せる。
 智歳は呆れたように目を細めた。
「何言ってるんだよ。得体の知れない相手とやるから戦いなんだろ?まぁ、何回やっても同じだけどね」
「何回やっても同じかどうか、思い知らせてやるぅ……」
 斧の柄を握り締めて、智歳を睨みつける。

 2人がそんな小競り合いをやっていると、遠くで町に入ってゆく兵士達がいるのが見えた。
 龍世はふと手を止める。
 なので、智歳も同じように、兵士達がいる町の入り口に目をやった。
「何?何事?」
「ああ、この辺り、最近野盗が出るんだと。……で、この町、他の町よりも離れてるから、狙われるんじゃないかってことで、都市に警備を増やしてくれって連絡したらしい。ようやく、それが着いたんじゃない?」
「野盗?」
「どんな平和な国でも、バカはいるってことかね」
 智歳が飽き飽きとした表情で呟くので、龍世はキョロキョロと辺りを見渡した。
 当たり前ながら、周囲には怪しい臭いも怪しい気配もしなかった。


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