第9章  付き纏う劣等感

 拠点を移して、真城と葉歌は静かに俯いていた。
 戒は気を回したのか分からないが、荷物を全てこちらに運ぶと、さっさと森の奥へと消えて行ってしまった。
 葉歌がそっと自分の荷物に手を伸ばして、替えの服を取り出す。
 真城はそれに気がついて、意識的に体の向きを変えた。
「女同士なんだから気にしないで」
「え、あ、うん、わかってはいるんだけど……なんとなく……」
「ふぅ……らしくなかったわね、取り乱して……」
「いや……」

 取り乱すのが女の子として当たり前で、ああいう風に泣くことを気にすることも何もない。
 それなのに、真城の前で元気に振舞おうとする葉歌に、真城は戸惑いを隠せなかった。
 たったあれだけの時間で、気持ちの整理がつけられるものじゃないと思う。

 肩から掛けていたジャケットを脱いで、丁寧にたたみ、草の上に置く葉歌。
 真城がそっと横目で見ると、強引に破かれたセーターは胸の辺りが特にひどい有様で、すぐに目を逸らした。
 一応、下着は着けていたようだったけど、そういう問題じゃない。
 裾を両手で持って、スラリと服を脱ぎ、すぐに新しい服に着替える。
 葉歌にしては珍しい、襟のある服だった。
 ボタンをゆっくりと留めていく。

「あ〜あ……あのセーター、お気に入りだったのにな……」
 平然とした調子でそうぼやきを入れる葉歌。
 少し袖が余ったのか、クルクルと長さを調節しながら、ブツブツと文句を言っている。

 真城はその様子を見つめて、そっと目を細める。
 いつもそうだ。
 葉歌は自分自身のために泣くところをなかなか見せない。
 咳き込んでいて大丈夫なわけないのに、いつでも大丈夫だと言って心配をかけないように笑う。
 それを分かっていながら、そう言われると、自分はほっと胸を撫で下ろしてしまう。
 騙されたフリをすることもある。
 そのほうが、葉歌にとってはいいのだと思うから。
 でも、本当にそれでよかったのだろうか?
 いつも、真城は葉歌の心地いいポジションに動いてあげていただけだ。

「真城、このジャケット、借りていい?なんか、今日、少し寒い……」
「え、あ、ああ、いいよ」
「うん……ありがと」
「ううん、ボクは平気だから」
 真城は額を人差し指で掻きながら、困ったような笑顔を浮かべる。

 葉歌が、本当に嬉しそうな表情で笑ったからかもしれない。
 ジャケットを広げて、慣れない調子でそっと袖を通す葉歌。
 さすがに頭一個分身長が違うだけあって、ぶかぶかだった。

「うぅん……大きいなぁ、真城は……」
「つっくんのほうがもっと大きいよ」
 真城は大きいと言われたのが、少し恥ずかしくて、比較に月歌の名を挙げた。
 別に……戒でもよかったのに……。
 葉歌はわざと聞えないフリでもするように、そっと目を閉じる。
「…………。落ち着く」
「え?」

「わたしは、真城さえいれば、それで落ち着く」

 紡ぎだされた言葉は短いのに、何か不思議な力が宿ったように、真城の耳に残った。
 葉歌は目を閉じているからわからないのだ。
 真城がどんなに悲しい表情をしているのかを。
 どうしてだろう。そう言われるのは名誉なことのはずなのに、悲しかった。

「葉歌……」
「なんてね」
「え?」
 突然ふざけたように、舌をちろりと出して、葉歌は目を開けて笑った。
 真城は驚きを隠せずに口をぽかんと開ける。
 葉歌は目を細めて言う。
「……ドキッとする……かな?男の人がそう言ったら」
 『男の人に』じゃなくて『男の人が』。
 つまり、男の人に言われたら、真城は嬉しいかと聞きたいらしい。
 ふわりと風が動いた。
 真城の髪を撫で、葉歌の髪をさらう。
「この質問をしたら、真城の頭の中には……兄ぃが浮かぶの……?」
「え、あ、あの……」
 真城は葉歌から視線を逸らして動揺したように口ごもる。

 誤魔化そうとしているのだ。
 きっとそうだ。真城を困らせて、真城に会話の主導権を握らせないように。
 葉歌は触れられたくないことがあると、いつもそうやってからかうように話し出す。
 でも、真城は真城で今回の件をスルーすべきかそうでないか、決めかねていた。
 だから、反応がどうしても半端になる。
 今の問いかけを笑って誤魔化しても、葉歌は怒らないだろう。
 今の問いかけに真面目に応えても、葉歌は目を細めて納得したような顔をするかもしれない。
 でも、応えてしまったら、もう……この件には触れることが出来ない気がした。
 葉歌はなかったことにしようとしているから。
 なかったことにすればいいだけ。
 そう、それだけ。
 真城がぶり返す必要なんて……ない……。

 そんな真城の自問自答を察したのだろうか?

 葉歌が真城の肩にコテンと頭を乗せてきた。

「大丈夫よ……本当になんにもされてないから」

 自分は卑怯かもしれない。
 当の本人にその言葉をもう1度言わせてしまうなんて。
 結局無駄に心配ばかりして、何の役にも立たない。

「大丈夫。慣れてるの」
「え?」
「……夢の中では、兄ぃすら助けに来てくれない。押し倒されて、服を破かれて……その後にやられることが、年を取る度鮮明になった」
「…………?」
「あの時、兄ぃが来なかったら……。そして、子供じゃないお前だったらこんなことをされる……そう言われるように、夢が終わらない……」
「葉歌……?」
「ずっと、ずっと、耳元で死ねばよかったのにと囁かれながら、体を玩ばれる……」
「もう、いいよ。ごめん、触れないほうがいいんだよね?もう、聞こうなんて考えないから」

 真城は葉歌が子供の頃、どんな目に遭ったかを知らない。
 だから、どこか不明瞭な話に、どう反応していいのかがわからなかった。
 心配しておいて、話し出したら、その言葉にも動揺して……真城はどう動きを取ればいいのかわからない。

 ただ、分かるのは無力なのだということだけ。

 中途半端すぎる自分に腹が立つ。


 その時、ガサガサガサ……と草を掻き分けて、龍世がひょっこり姿を現した。
 無邪気な表情で不思議そうに首を傾げる。
「戻ってきたら場所が変わってて……におい辿るの大変だったよ?葉歌の服についてる、お香のおかげでなんとかわかったけど」
「タツ……」
「そろそろ火を点けないと危ないよ?このままじゃ、動物達に食ってくださいって言ってるようなもんだよ」
 軽い足取りで真城たちの前まで歩み寄ってきて、ニッコリと笑顔を浮かべる龍世。
 どこか誇らしげに目を輝かせて、抱えてきた荷物をゴソゴソ……といじり始めた。
「たっく……あ、龍世くん、町は楽しかった?」
 何事もなかったように話しかける葉歌。

 楽しげに笑みを浮かべて、龍世のことを見上げる。
 それを見て、唇を噛み締める真城。
「うん、町で木を売ってきたんだけど、結構なお金になったんだ。これで、ようやく、オレも役に立てたと思って、嬉しくって……」
「そう。龍世くんのことはおじさんも褒めてたもんね。その言葉に嘘偽りなしだね」
 嬉しそうに話をする龍世のことをしっかりと褒めてあげる葉歌。

 葉歌は昨日の晩、複雑そうにしていた龍世のことを見ているから、少しでも悩みが晴れた表情をしているのが嬉しかったようだ。

 けれど、それを知らない真城の表情は優れない。

 静かに立ち上がって、森の中へと足を向ける。

 龍世が慌てたように真城を呼び止めた。
「ま、待ってよ、真城!見せたいものがあるんだ。オレね、今日ね、町で褒められたんだよ。この辺を荒らし回ってる野盗の本拠地を叩いてさ、兵士のところに連れて行ったら、ご褒美にって旅に使えそうな物、たくさんもらったんだよ!こんな感じでさ、真城も悪いヤツ倒してったら、指名手配の汚名も晴れるかも……」
 一生懸命話しながら駆け寄ってくる龍世。

 真城は振り返って、感情の勢いのまま、パシンと龍世の頬を張った。

「え?ま、しろ……?」
 驚いたように龍世が叩かれた頬を押さえている。

 葉歌が慌てたように立ち上がって、真城のことを止めた。

「真城、たっくん、今日は頑張ったみたいだから、褒めてあげないと……」
「勝手な行動して……」
「真城……」
「どれだけ、迷惑掛けたら気が済むんだ!!」
「迷惑?」
 ポツリと呟く龍世の声に、真城が我に返ったように眉を微かに動かす。

 龍世はその言葉に落ち込んだようにしゅんと俯いてしまった。

 真城はそんな龍世に掛ける言葉が見つからなくて、そっと視線を背ける。
「……薪になりそうなもの、いくつか探してくる……」
 静かに葉歌に告げて、森の中へと入ってゆく真城。

 ちょうど戻ってきていたのか、森に入ってすぐに戒と鉢合わせた。
 戒は静かに真城の腕に拾ってきた薪を乗せて、気遣うような声を耳元で発した。
「……らしくないぞ」
「ごめん……あんなこと言うつもりは……」
「僕に言っても仕方ない」
「あ、ああ……そうだね……」
「頭を冷やしてくるといい。今日は色々あったからな……お前も疲れているんだ」
 戒はそう言うと、真城の脇をすり抜けて、拠点にしている場所へと戻っていく。
 すれ違った瞬間、風が戒の体に残っていた血の臭いを運んできた。

 真城は唇を噛み締めて、思い切り息を吐き出す。
 葉歌を護れなかったことを、龍世のせいにしようとした……。
 そんな自分に更に腹が立つ真城だった。



 頬を押さえて俯いている龍世に葉歌は優しく声を掛けた。
「ごめんなさい、真城、今日、調子が良くないみたいなの」
「……迷惑って言った……」
「あれは……」
「それに、オレのこと叩いた」
「それはね」
 葉歌がなんとかフォローしようと口を開くが、全くそんな声には耳を貸さない龍世。

「やっぱり、真城はオレのこと、子供だと思って……」
「子供なんだから仕方ないだろう」
「遠瀬くん……」
 突然現れて冷ややかな言葉を投げかける戒に、葉歌が悲しそうに目を細めた。

 戒はスタスタと歩いてきて、龍世の前で立ち止まる。
 龍世がそれを見上げるように顔を上げた。

 戒は先に葉歌に対して声を掛けてきた。
「……大丈夫か?」
 先程と同じ、微かに優しさのこもった声だった。
 葉歌は、こんな顔で自分に言ってくれたのかと心の中で呟く。
 いつも、人を見ているようで見ていない彼の目が真っ直ぐ葉歌を捉えていた。
 葉歌はジャケットの袖をきゅっと握って、ニコリと笑う。
「大丈夫よ。さっきはありがとうございました」
 戒はその言葉には何も言葉を返しては来なかった。

 すぐに龍世に視線を向けて、戒は静かに口を開く。
「アイツはお前のことを待ってたんだ」
「え?」
「待ちすぎて寝こけるほど、お前を待ってた」
「…………」
「心配してたかどうかは分からないがな。それに、待っていたのはマシロの勝手だ。それで怒ってお前のことを叩いたなら、ヤツのほうが子供だろう」
「ま、真城は子供じゃないぞ!」
「ああ、僕もそう思う。なんだ、わかってるんじゃないか」
「へ……?」
「子供だろうとなかろうと、溢れ出す感情には意味があるものだろう。その原因が、お前かどうかまでは分からないがな」
「…………」
「僕には随分と前に消え失せたものだが、そういうものなのではないのか?」
 戒は自分の髪に軽く触れ、ふぅ……とため息を吐く。

 龍世は戒の言葉に困ったように表情を歪めた。

 意味があったって言われなければ分からない。
 それなのに、出てきた言葉が『迷惑』であれば、龍世が怒るのも落ち込むのも無理はないのではないか。

 たぶん、そんなことを考えているのだろうなと葉歌は2人を見守る。

「勘違いの先読みをしろとは言わない。だが、汲んでやれ。アイツは、迷惑だなどと思っていない。ハウタが言ったように、調子が良くなくてつい言葉が悪くなっただけだろう。お前が、自分のことを子供じゃないと言い張りたいのなら、今、ここでヤツのことを許すことだな」

「許す……?」

「僕は……相手を許せる人間が、大人だと考える」

「遠瀬くん……」

「僕には出来ないことだが、お前なら出来るだろう。出来ないなら、二度とガキ扱いするなとは言うな」

 そこまで言うと、戒は静かに拠点の隅に腰を下ろし、上着を脱ぐ。
 葉歌はそれを見て、はっとした。
 先程の戦闘のせいか、またも傷が開いていた。
 包帯に血が溢れ、戒は面倒くさそうに包帯を強引に解いていく。
「ハウタ、手当てを頼みたい」
 その言葉を言われる前に、葉歌は救急セットを持って、戒の脇に座り込んだ。

 それを見て、ようやく龍世は何かあったことを察したようだった。
「何か……あったの?」
「ちょっと、盗賊に襲われたのよ」
「え……?」
「大丈夫よ、2人とも強いから被害はなかったわ」
 葉歌は朗らかに笑って、龍世の不安そうな表情を払拭するように優しく言った。

 けれど、真城が機嫌を悪くしていることもあって、何もなかったという言葉に納得していないようだった。

「本当に被害はなかったのよ?ただ、真城、起きてからずっと調子が良くなかったから」
 自分が嘘をついているというのもなんともおかしなものだった。

 龍世はずっと何か考え込んでいるようだったけれど、ようやく決意したように真城を追いかけて飛び出していった。
 葉歌は目を細めてその背中を見送る。

 羨ましいと思ってしまう。
 真城は決して葉歌には当たらないから。
 大切なものを扱うように、いつも優しい。
 八つ当たりは昔から龍世にだった。
 本当の姉弟のように遊び始めると、葉歌を一人置いて、追いかけっこ・探険ごっこ。
 それが……葉歌には羨ましかった。
 そのことを、きっと、真城も龍世も知らないけれど。

「ありがとう」
「そういう言葉はいらない。ただ、思ったことを言っただけだ」
 葉歌は包帯を巻き直して、きつく締め上げると、ポンと戒の肩を叩いた。
 戒が少しだけ痛みを堪えるように眉をひそめる。

 葉歌は救急セットの中身を整理しながら尋ねた。
「あなたが感情を暴走させないのは……あの光のせい?」
「……ああ」
「勿体無いわね」
 葉歌が目を細めると、戒は葉歌に視線を寄越した。

「何がだ?」

「あなたは……きっと、なんでもない世界に生まれていたら、とても優しい子に育ったと思うから」

「誰だってそうさ」

「え?」

「誰だって……真城やあのガキのように育つ。世界さえ違えば」

「……そうかな……?わたしは自信ない」
 自信満々といった調子で言い切った戒を見て、葉歌は困ったようにそう返した。

 すると、戒は驚いたように眉頭を吊り上げて、ぽつねんと言った。
「真城という人間がいるのは、お前がいるからだろう?」

「……そんなこと、言われると思わなかったな……」
 葉歌は戒の言葉にたまらず笑みがこぼれた。
 戒の表情が少々マヌケに見えたのも原因だったかもしれない。

 葉歌はそっとジャケットの袖を握って付け加える。
「真城は、出会った頃から真城だったもの」
 と。


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