第10章  背伸びすることと、人のために出来ること

 真城は山から上ってくる赤い月を見上げて立ち尽くしていた。
 ため息しか出てこない。
 また、龍世に当たってしまった。
 葉歌のことを心配するだけ心配して、自分の不甲斐無さに落ち込みそうになった時に、龍世の無邪気な笑顔を見たら、なんだか無性にイライラしてしまった。

 昔からそうだ。
 いつも、何か上手くいかないと、龍世に当たってしまう。
 直そうと思って気をつけているつもりなのに叩いてしまった。

「真城!!」
 龍世の呼ぶ声がして、真城はゆっくりと振り返った。
 龍世が息を切らして、そこに立っていた。
 真城はすぐに頭を下げる。
「さっきは、すまなかった」
「ごめんなさい!もう勝手に行動しないから、だから、機嫌直して!!」
「え……?」
 謝るのは真城のほうなのに、龍世の大きな声が真城の声を掻き消す。

 真城は驚いて、龍世のことを見つめるしかなかった。

 龍世はぐっと拳を握り締めて、真城を見上げてくる。
「さっき聞いたんだ……オレのこと待ってたから、盗賊に襲われたって……」
「いや、そういう訳じゃ……」
 二人がどう説明したのか分からないが、龍世はそう解釈したらしい。

 ……というか、あの真城の怒りようではそう取られても仕方ないかもしれない。
 実際、あの時、真城は龍世に当たったのだから弁解がしづらい。

「オレ、真城がオレのことばっかりガキ扱いするから、それで……1人でもお金も稼げるし、きちんと戦えるんだぞって、証明しようと思って」
「そんなことしなくったって……」

 真城は龍世のことを認めている。
 この年で木こりの5つ印を持っている子なんていない。
 力だって強いし、自覚はないけれど機転の利く賢い子だ。
 きっと同い年だったら、真城のほうが遅れを取っているかもしれないくらいしっかりしている。
 真城は見かけはしっかりしていても、お嬢様育ちで考え方も甘いし、生活能力もない。
 だから、認めているのだ。龍世という少年を1人の人間として。
 それが態度に出ていないのであれば、そういうことだから反省しなくてはいけない。

「オレは!葉歌にガキ扱いされても、つぐたんにガキ扱いされても、仕方ないって思うんだ。でもさ、真城にだけはガキ扱いされたくないんだ」
「うん……わかるよ」
「オレは対等に物を言いたい。真城はそれを許してくれるって思ってるんだ」
「うん」

 力が欲しいと願ったのは、好きな人や大切な人を護りたいと思ったから。
 でも、それと一緒にあった想い……。
 決して埋められない歳月の差を、その力さえあれば乗り越えられると思ったから。
 今、目の前で叫んでいるのは、昔、月歌に想いを寄せた自分……。
 葉歌のことをきちんと護ってあげられなくて悔しがっている自分……。
 そんな気がした。

「子ども扱いなんてしないよ……」
「真城?」
「だから、龍世は龍世のままで……。タツのままで、ゆっくり育って」
 龍世に歩み寄って、真城はそっと龍世を抱き寄せた。

 龍世が驚いたように両手をじたつかせる。

「な、やめろよぉ。恥ずかしいじゃんか」
「さっき、痛かった?すまない。少しイライラしてた……」
「いいよ。真城の八つ当たりにはもう慣れた」
「慣れた……っていうのも、あんまり嬉しくないなぁ……」
 真城は苦笑混じりで答えて、ポンポンと龍世のクセの強い髪の毛を撫でて、体を離す。

 龍世が思い切り顔を真っ赤にして、下を向いていた。

 真城はそれがおかしくて、はは……と声を漏らして笑い、ポンと龍世の胸に拳を当てた。

 足元に置いていた薪を抱かかえ、2人は元来た道を戻り始める。
「兵士達からもらったご褒美見せてよ。お菓子ある?最近、クッキーとか乾パンとかばっかりだったから、もう少し水分の多いお菓子が食べたいよ」
「ううん……それはないけど、町に行けばお菓子専門のカフェテラスがあったよ」
「町……行けるかな」
「あ……そういえば、警備がすごく分厚くなってた」
「それじゃ、無理かなぁ」
「うぅん……あのアップルパイ美味しかったから、真城に食べさせてあげたいけど……」
 龍世が一生懸命に考えながら、表情をコロコロと変える。

 あーでもないこーでもない。
 なにか変装でもしてみたらどうか?……みたいな言葉まで飛び出した。

 真城はその一挙一動を見て、時折声を上げて笑う。

 龍世は龍世のままで。無理なんてしなくていい。
 それと同じで……きっと、葉歌は真城にこう言うのだろう。
 真城は真城だからいいの。そうじゃなかったら、自分は真城といる意味がないのよ。と。

『わたしは、真城さえいれば、それで落ち着く』

 きっとそういう意味だった。
 だから、今は傍にいてあげることのほうが大事。
 ようやくそれに気がついた自分に恥ずかしさがこみ上げる。

 背伸びして距離を変えて、距離を変えたからって、それで葉歌を救えるかと言われたら違うじゃないか。

 龍世が必死に距離を縮めようとして、でも、真城は必要ないのにと心から思う。

 そう……それと、同じ。きっと、同じなのだ。


 拠点にした場所が近づいた時、火がついているのに気がついた。
 薪は戒から真城が預かったわけで、燃やせるものはなかったはずなのだが。
 真城は驚いて、タタタッと拠点の小さな広場に駆け込んだ。

 そこには炎を少しだけ怖がるようにして、隅で膝を抱えている葉歌と、仏頂面で宙を見つめている戒……そして、もう1人……。
 ゆっくりとこちらを向いて、ニコリとその人は穏やかに笑った。

 見覚えのある執事服。腰から提げたホルスターには拳銃がしっかりと差してある。
 炎で少し赤らんだ優しげな顔立ちと、その顔立ちを一層老け込ませるように作り上げられたオールバックの髪型。

「お久しぶりです、お嬢様」
 その人はとても嬉しそうな声でそう言った。
「…………」
「あの……お嬢様?」
「どうしてここに?」
 真城は動揺を隠せずに頭を押さえて尋ねる。

 すると、月歌は悲しげに目を細めた。
「来ては、いけませんでしたか?」
 葉歌と再会した時と同じような返答。
 やはり、兄妹だなと思わざるをえない。

 ただ、聞きたかったのはそういうことではなく、どうして森の中にいる真城たちの居場所がわかったのかということだった。
 風と対話できる葉歌ならわかるけれど、月歌にはそんな力はない。

「においだよにおい〜。だろ?つぐたん!」
 脇にいた龍世がそんなことを言って、嬉しそうに月歌に抱きついていく。

 葉歌のお香のにおいを辿れるのなんて、動物と龍世くらいだと思ったのだが。

「わわ、たっくん、人を変態みたいに言うのはやめてください。私はたっくんを見かけたので、追いかけてきただけですよ。見失って、少々迷ってしまいましたが」
 無邪気にじゃれついてくる龍世に戸惑ったように月歌が龍世の腕を掴んで止める。

 少し静かにしていてくださいと龍世に言い含んで、また真城へと顔を向けてくる。
「旦那様から許可はいただきましたので、私もお供に加えてくださると、光栄です」
 胸の前に手を当て、深々と頭を下げてくる月歌。

 真城はなんとなく、言葉に詰まる。
 嬉しくないわけではないはずなのに、どうしてか……その感情を表に出せなかった。

「ダメって言っても、どうせ、兄ぃはついてくるでしょう?わたしと同じで」
 言葉に困って黙りこくってしまった真城を見て、月歌が不安そうに眉をひそめると、葉歌がおかしそうに笑って、そう問いかけた。
 龍世がそれを聞いて、だはは……と楽しそうに笑った。
 おそらく、雰囲気がよろしくないことを配慮しての笑いだったのだろう。

 それに気付いて、真城は月歌に笑いかける。
「こんなところまで、よく来てくれたね」
「いいえ、真城様のためなら、どこへでも行きますよ。あ、そうそう……木刀の替えを持ってまいりました。急ごしらえなので、あとで、たっくんに調整してもらってください。おそらく、柄の部分が太いので」
 静かに歩み寄ってきて、月歌は真城から薪を奪い取り、真城の手に、真新しい木刀を手渡してきた。



 月歌が購入してきたものにはテントもあって、真城と葉歌はテントの中で横になっていた。
 葉歌がうつぶせ寝の姿勢で、真城のことを見つめてくる。
 真城は両手で枕を作っていたけれど、その視線に気がついて葉歌に目をやった。
「せっかく、兄ぃが来てくれたのに、嬉しそうじゃなかったね」
「……嬉しいよ……」
「そう?真城がそう言うなら、そうなのね」

 葉歌はゆっくりと起き上がり、寝袋から這い出してきて、真城の横に座る。

 真城の顔を覗き込んで、落ちてくる髪を耳に掛けながら笑う。

「膝枕、してあげよっか?」
「……うん……」
 真城は言われるままに、頭を上げて、葉歌の膝に頭を乗せる。

 いつも思う。彼女の膝はとてもか細いと。
 それでも、その細さが真城には心地いい。

「考えること、いっぱいあって……」
「うん」
 声と一緒にそっと撫でてくれる葉歌の手が優しかった。
「まず、葉歌のこと、救えたらって……思ってて……。だから、他のこと考える余裕なくって、タツのこと叩いちゃって……」
「うん」
「やっと分かった気がして、葉歌と話したいってそれだけ考えてたら、いきなり、つっくんが目の前に現れて」
「うん」
「ボク、器用じゃないから、笑えなかった」
「ふふ……」
 真城の言葉に葉歌がおかしそうに笑い声を上げる。

 意味が分からなくて、真城は葉歌のことを見上げる。
 さかさまの葉歌の顔が優しくほころんでいた。

「さっきね、まだ続きがあるのに、真城はもういいよって、わたしの話を切ったの」
「続き?」
「ええ、続き」
 不思議そうに目を見開く真城を一瞥して、葉歌は目を閉じて話し出す。

「酷い夢なんだけど、最近はその夢の中に遅ればせながらヒーローが現れるの」

「……え……?」

「真城が助けてくれるの。アカデミーに入ってからメキメキ腕が上達した、わたしの剣士様が、みんなやっつけてくれる」

「…………」

「そして、わたしに今日みたいにジャケットを掛けて言うのよ?ボクが護るから安心してって」

 嬉しそうにはにかんだ笑みを浮かべて続ける葉歌。

「辛かったらボクに言って。ボク、頑張るから。お願いだから1人で抱え込もうとしないで」
 ふんわりとした声が、真城の口調を真似る。

 葉歌が言うと、凛とした感じがなくて、とても可愛らしく聞えた。
 真城は驚いて、葉歌を見上げる。

「ボク、それ全部言いたかった……こと……」
「出会った時は、馬鹿がつくくらい、間抜けな顔してたのに……」
「なっ……」
「いつの間にかわたしの体の調子良くして、いつの間にかわたしの背を追い抜いて……。お願いだから、せめて、お姉さんでいることくらい許してくれたらいいのに」
 そう言って、悲しげに目を細める葉歌。
 真城は何も言えずに目を細めた。

「大丈夫よ。言ったでしょう?辛かったら言うって。あれは……膝枕だけじゃないわ。全部ひっくるめて。わたし、真城が思っている以上に、真城のこと、信じているわ」

「葉歌……」

「たっくんの気持ち聞いて、少しはわかったんじゃない?」

「背伸びはいらない?」

「ええ……ありのままで。背伸びしてくれることも嬉しいけれど、ありのままで」

 そっと葉歌が顔を近づけてくる。

 真城はそれをただ見つめていた。

 真城の手を握って、すぐそこにある葉歌の顔はとても安らいでいる。

「遠瀬くんに言われたの。わたしがいるから、今の真城がいるって。でもね、違うのよ。真城がいたから、今、わたしはこうして生きてる」
「そういう言葉、浮かんでたよ」
「『死ねばよかったのに』の呪縛、解いてくれてありがとう。わたしは誰になんと言われても、あなたのおかげで生きることを諦めずにいられる」
「……違うよ、葉歌。それは、葉歌の強さだよ」
 葉歌の言葉に小さく首を振る真城に、葉歌も小さく首を振ってきた。

「その強さをくれたのは、真城なのよ。人のためにできることは多くない。その人が大切であればあるほど、自身ができることの選択肢は減ってゆく。でも、わたしはその選択肢を増やしたいから、絶対にあなたの傍を離れない。あなたの横にいれば、それがわたしの生きた証になるから」
「葉歌……」
 最後の言葉が気になって、真城はガバリと起き上がろうとした。

 生きることを諦めないと言ったばかりなのに、なぜか死んでしまうような言葉だった。
 目の前の葉歌はこんなにも血色のいい顔をしているのに。

 起き上がろうとした真城の体を葉歌が押さえる。
「ごめんごめん。言葉が過ぎちゃった。何言ってるんだろうね、わたしは体も直って、こうして旅にくっついてきてるっていうのに」
「そうだよ」
「ちょ〜っと喋りすぎちゃったかなぁ。……うん、眠くなってきたし、今日は寝ましょうか」
 葉歌がそう言うので、真城は静かに頭を上げた。
 そっと葉歌が立ち上がって、テントの天井から吊り下がっているランプの灯りを消す。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
 その言葉を最後に、葉歌はその晩、何も話さなかった。

 夜は更けてゆく。
 テントの外では、龍世が火の番を月歌と交代したのが影でわかった。


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