第2章  過去の悪夢

 気がついた時、目の前には死体の山が転がっていた。
 自分の手を見ると、手の甲の皮はズルむけで、足にも異様な痛みが走る。
 自分は何をしたのだったか。
 よく覚えていない。
 フラリと体が傾いで、バタリと死体の山の中に崩れ落ちる。
 気持ち悪くなるくらいの血の臭いが……戒の脳裏に焼き付けられた。
 涙がはらはらと自分の目から零れ落ち、耳の溝へと溜まってゆく。
 息を切らしながら、必死に真っ青な空に手を伸ばす。
 誰かが自分を助け起こしてくれるような気がして、……いや、助けを求めていたかもしれない。
 誰か、これは夢だと言ってくれと、必死に助けを求めていた。
 けれど、その手を握ってくれる者はおらず、そこで戒の意識は途絶えた。
 それが、戒の中に残っている11歳の夏の、唯一の記憶……。


 次に目を覚ました時は見慣れぬ部屋のベッドの上だった。
 全身包帯で巻かれて、ほとんど身動きも取れない。
 ぼんやりとした意識のまま、見回せる範囲で状況確認をする。
 格式の高そうな調度品。
 自分が横になっているベッドにも天蓋がついていた。
 窓は大きく、開けるとその先にはバルコニーが広がっているようだった。
 病院でも、収容所でもないのは部屋の環境でよくわかった。

「……どこだ……ここは……?」
 声を発して驚く。
 自分の声じゃないように枯れていた。

 一体どれくらいの間、眠っていたのだろう?

 突然、カチャリ……と部屋のドアが開いた。
 ぼーっと見つめていると、そこからひょっこりと黒髪の綺麗な少女が顔を出した。
 髪の長さは腰くらい。サラサラのストレートヘアが美しかった。
 肌は白く、体は驚くくらいにか細い。
 瞳の色は金色で、服装は青のベストに赤いフレアスカート。

「みぃつけた」
 少女はそんな言葉を発して、ちょこちょこと歩き慣れないような仕種で歩み寄ってくる。

 表情は無表情に近かった。
 けれど、その顔立ちは人形のように端整で、その無表情が逆に美しさを倍化させていると戒は感じた。

「おはよう、キミカゲ」
「……誰?」
「覚えていないの?」
「誰だ、お前……。それに、僕はキミカゲなんて名じゃない」
「ううん、あなたはキミカゲ。魂がそう言ってる」
「……僕は戒だ。お前は誰だ。ここはどこだ」
「…………。戒。今のあなたは戒というのね?」
「質問に答えろ。お前は誰だ。ここはどこだ」
「怖い顔。キミカゲじゃないみたい」
「だから、僕はキミカゲじゃない。お前は誰だ!?」
 全く戒の言葉を気にも留めない少女に、イライラを隠せずに戒はかすれた声で怒鳴った。

 キィィィン……と音を立てて、顔に青い光が浮かぶ。
 すると、全身に痛みが広がった。
 戒は表情を歪めて、必死に痛みを堪える。

「ぐっ……ああ……」
 すぐに光が止んでいく。それと共に、全身に走った痛みも薄らいだ。

 この光は、感情の昂ぶりと共に、戒の身体能力を暴発させる。
 戦闘の時に高まれば、子供とは思えないほどまでの破壊力を発揮するが、怪我をしている今では、痛みを増すだけの材料にしかならない。

 痛みでまたも意識がぼんやりした戒に少女は無表情で言う。
「大丈夫?」
 そして、ようやく名乗った。
「私は御影よ。ここは璃央の家」
「……御影……」
 戒がポツリと呟くと、御影の口調が少しだけ早くなった。
 名前を呼ばれたことが嬉しかったのかもしれない。

「そうよ。聞き覚え、ないかしら?」
「どこかで会ったことがあるのなら、すまない」
「…………。あなたに裏切られた、女よ」
「……?」
 御影はつまらなそうに目を細めた後に、穏やかな声でそう言った。
 戒は意味が分からず、いぶかしむように目を細める。

 すると、御影はゆっくりと戒に顔を寄せて、そっと戒にくちづけてきた。
 カチャリ……とドアが開いて、水色の髪をした上品そうな少年が入ってくる。
 けれど、御影はそんなことも気にしないように、ずっと、戒の唇から離れなかった。

 本当は拒否したいのに、体が動かない。

 少年が不機嫌そうに戒のことを睨みつけてくる。
 ようやく離れたかと思えば、御影はこぼれんばかりの笑顔を戒に向けてきた。
 その笑顔を見て、どこかに引っかかっている何かが広がってゆくのを感じる戒。
 少年が意外そうに御影の笑顔を見つめて、悔しそうに唇を噛み締めていた。




「みぃつけた」


「み ぃ つ け た」


「  み  ぃ  つ  け  た  」


 死体の山の中に倒れている戒を何人にも増殖した御影が取り囲む。
 みんな無表情のまま、そう呼びかけてくる。
 助けてくれと手を伸ばした先に、御影の手があった。
「もう……裏切らないで、ちょうだいね?」
 何か含みのあるような表情で笑い、戒の手を握った御影は不気味な声でそう言った。
 その顔がどんどん気味悪く歪んでゆく。


 戒はそこで飛び起きた。
 運動した後のように息が上がる。
 脂汗もすごくて、額に触れると、ぬるりとした感触が手に広がった。
「……はぁ……はぁ……」
 青い光が地面に跳ねて戒の目に映る。

 火を起こしていた真城が心配そうな顔でこちらを見ていた。
 戒はそれには構わずに、頭を抱え込んだ。

 ゆっくりと青い光が薄くなってゆく。
 まさか、うなされただけで感情が昂ぶってしまうなどと思っていなかった。
 炎が起こって、膝の辺りが暖かくなったのを感じる。
 それから少しして、カサリと真城が脇に座った音がした。

「だいじょうぶ?」
「……ああ」
「じゃないね」
 真城がふざけた調子でそう言った。

 戒の声が沈んでいることをすぐに察する。
 よく話すようになって間もないのに、なぜか、真城は戒に対して察しがよかった。

 戒は地面を見つめたまま、呟く。
「お前は……」
「ん?」
「逃げたいと思うことはないか?」
「え?」
「……すまない。なんでもない」
 戒は髪をクシャリと軽く握り、ぼんやりと炎に目を向けた。

 今日は昼頃から、月歌と龍世と葉歌の三人が町に出て行ってしまったので、戒は真城と2人きりだった。
 月歌がこの2人を残していくのに不快感を拭えないような表情をしたけれど、葉歌が上手いことなだめて連れて行ってくれたのだ。
 葉歌は、戒のことを少しだけ認めたのかもしれない。
 この前の出来事以来、またも会話は減っていたけれど。
 夕暮れには帰って来るかと思ったが、まだ3人は戻ってこなかった。

「ごめんね」
「ん?」
 突然真城がそんな言葉を小さな声で言ったので、戒は静かに真城に視線を動かす。
「ずっと、うなされてるの気がついてたのに、起こしてあげなかったから……」
「気にしなくていい。僕には近づかないほうが賢明な判断だから」
「そんなこと……言っちゃダメだ」
「本当にそうなんだ。必要以上に近づくな」
「戒にとっての必要以下……はどこまで?」
「…………」
 物静かに話していた戒の言葉が、その問いかけでピタリと止まった。

 必要以上に近づくな。

 ……だったら、自分は真城と会話しなければよかったのだ。
 その声に何度答えた?目の前の女に何度自分から話し掛けた?
 あまりにも朗らかな顔をしているから、無視することができなかった……。
 その表情が、以前の自分の主と重なってしまう。
 だからこそ、甘い気構えで剣を持ち、いつか命を落とす可能性のある立場に身を置いていることが許せなかったのかもしれない。
 そう。それすらも、主と同じになってしまうと感じたから。

 どれだけの沈黙が続いただろうか?
 戒は何も言えずに頭を押さえた。

 真城がそっと沈黙を破る。

「戒は、逃げたいの?」
「…………」
 先程の戒の質問に真城は問いで返して来た。
「じゃ、向き合いたい?」
「……わからない……」
 目的語のない問いに、戒は首を振り続ける。

 何から逃げたいと思っているのか、真城はそれを尋ねては来ない。
 踏み込むようで踏み込んでこない。
 真城の取る心の距離は、なんとも微妙で、不思議なほどに不快感を感じない。
 きっと、本人には自覚はないだろうが、その接し方が、戒の心を柔らかくしてしまう。
 だから、自分の心が緊張を解いてしまいそうになることに気がつくと、恐ろしくなってしまうのだ。

 首を振って、またもや黙ってしまった戒を見つめて、真城はニコリと笑う。
「ボク、聞かないよ。話したくないなら。前にも言ったけどね」
「…………」
「ボク、戒には笑って欲しいな。戒は知らないかもしれないけど、笑うと君はすごく優しい目になるんだ」
 戒を見つめる真城の顔に、炎の光で少し赤く暗く影がついている。

 笑うと真城はとても可愛い顔になる。
 それを、真城は知らない。
 戒はそっと目を伏せる。
 誰も信じない。……誰も……信じてなどいない。
 ただ、信じられるのは、過去に在った……優しい主と自分の絶対的すぎる『あの』力だけ。
 そう、そのはずだった。

「この前も言ったが……あまり、僕を信用するな」

 信じないから、真城からの信頼も要らない。
 そんなものは邪魔なだけだ。
 ずっとずっと首を振ってきた。
 要らない。無用な物だと。

「無理だよ」
「……?」
「信じないなんて出来ない」
「忘れないでくれ。僕は……ただの人殺しなんだ……」
「戒……」
「それ以上でも、以下でもない」
 真城の悲しげな瞳が、戒を捉える。
 戒はただ、目を逸らすしかない。

 真城の言葉は、ある程度予測できていた。
 真城という人間は、そういう人間だ。
 清らかで純粋で、斜に構えることをしない。
 真正面から物事を見ようとする。
 その分、1つのことしかできない。
 器用に見えて、器用じゃない。
 けれど、その純粋さが……戒には尊いもののように感じる。

 巻き込んだから……そんなのは、ただの言い訳なのかもしれない。

 戒は静かに膝を抱えた腕に頭を埋めた。
 考えるな。
 自分は決めている。
 主の元に行くと。見つけてみせると。


『戒の家族を殺したのは、私のパパの軍よ。だって、そうじゃないと私の元に来てくれないもの。ねぇ、もう、あかりはいないのだから、今度こそ、私の傍にいてくれるわよね?』

 怪我が完治してから、少し経ったある日……戒に父を殺されたはずの御影がしれっとそう言った。
 それは……前世の記憶が戻り始めて、自分と御影がどういう関係に在るのかを知って、まもなくのことだった。
 怒りも何もこみ上げてこなかった。

 前世で自分は何をした?
 幼馴染の御影を……裏切って、殺した……。あかりを助けるために、殺した。
 だから、家族を殺されるくらい当然のことだし、誰かが傍にいたら、あなたは私の手に入らないじゃないと、御影は言って不気味に笑った。

 自分勝手な論理だった。
 そんな過去のことなど、自分には1つとして責任はないはずだ。

 けれど、戒の中の『キミカゲ』が泣くのだ。
『御影ちゃん……ごめんね』
 と泣くのだ。

 ずっとずっと、『キミカゲ』は悔いていた。
 御影を殺したことを悔いていたのだ。

 救いなどない。割り切ることが出来たらよかったのに。
 『キミカゲ』は割り切れなかった。

 当然のことかもしれない。
 幼馴染だった。あかりも御影も、『キミカゲ』にとって、大切な幼馴染だった。
 その関係が狂ったのは……2人が、風の声を聴くことが出来る……大きな力を手に入れてしまってから……。
 そして、『今』の御影をここまで追い詰めてしまったのも、自分なのだと思うしかない現実。

 救いなどない。それでも、救いを求めたい。
 逃げるのではない。主を見つけ出して、今度こそ、御影を救いたかった。
 たとえ、亡骸でもいい……指針を示してくれる気がした。
 けれど、真城に出会って……この国に来て、自分は気付いてしまった。
 それさえも、御影のどこか捻じ曲がった感情を湛えた瞳から逃げるための口実だったのかもしれないと。


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