第5章  誰かに似た少女

「通行許可証もゲットしたし、これであとは関所に向かえばいいだけだよなぁ♪」
 5人分の許可証をお手玉のようにポンポンと回している龍世。
 月歌がそれを見て慌てて全て奪い取る。宙に飛んでくる許可証をパシ、パシ、パシと。

「たっくん、大事なものなんだからそういう扱いはいけません!」
「はぁい。……で、あとは町出るだけでいいの?」
「うぅん……今日は宿泊していこうかと思ってたんですが。ほら、変装もしてますし。きっと平気だと思うんですよねぇ。そろそろ、ふかふかのベッドで寝たい人が2人ほどいるでしょうし」
「ああ、真城と葉歌ね」
「その通りです」
 龍世が納得したようにふむふむと小声で言う。
 月歌は得意げに笑うと、クルリと振り返った。

 後から来る、戒、真城・葉歌を待って、追いついてきたところで、
「今日はこの町で一泊しましょうか?」
 と穏やかな声で言った。

 戒が明らかに不服そうな目で、月歌のことを見上げ、月歌もそれを見下ろす。
 ……どうにも、2人の相性はあまりよろしくない。
 加勢した時、月歌には率先した感じがあったのだけど、合流してからずっと、2人は会話らしい会話をしていなかった。

 葉歌は泊まりたそうに真城を横目で見たけれど、真城はこのパーティーの中でどうにも馴染めずにいる戒が気にかかるのか、そっと戒の前に進み出て、代わりに言った。
「できれば、先を急ぎたいんだ。ほら、彼はこの国には用があって来たんだし。これまでだって、ボクたちのペースに合わせてくれてたんだしさ」
「……お嬢様……」
 真城の言葉が意外だったのか、月歌が驚いたように目を見開いた。

 真城はそっと目を伏せて、少し考える。
 疲れがないと言ったら嘘になる。
 けれど、この逃亡の目的を忘れてしまったら、戒にとってはいいことじゃないはずだ。
 着せ替えやら詐称行為やらで、少々のスリルを楽しむのもいいかもしれないが、戒にとっては遊びじゃないし、真城だって同じように感じている。
 みんなが来てくれたことで、気持ちは沈まなくて済むけれど、忘れてはいけない。
 自分達は追われる身なのだ。

「……お言葉ですが、お嬢様?関所へはどう頑張っても半日以上かかります。山歩きに慣れていない人間が、夜、山に入るのは危険です」
 そっと月歌が空を見上げながら言った。
 太陽の位置を確認しているのだろう。
 今、太陽は南から西側へ傾いた位置にある。
 関所を通過する頃には夜になってしまうと言いたいのだろう。

「タツがいるじゃないか」
「お、オレ?!オレ、自分は歩けるけど、こんな大人数案内できないよ」
 突然名前を挙げられた龍世が驚いたように目を丸くして、大慌てで首を横にブンブンと振る。
 真城は困ったように眉を潜ませ、
「それじゃ、暗くなったらそこでキャンプを張れば……」
 と続けた。

「お嬢様、ここからは少々気性の荒い動物も増えてきますし、山脈付近は山賊も出ると聞きます。年長者として申し上げます。みんなが危険になるような日程の取り方はしたくありません」
「…………」
 真城は月歌の言葉に黙り込む。
 確かにその通りだ。

 うぅん……と唸っていると、クイクイと葉歌が真城のシャツの裾を引っ張ってくる。
 微かな動きだったけれど、すぐに気がついて葉歌のほうに向き直る。
 葉歌が少し言いにくそうに小首を傾げて真城を見上げていた。
「ごめん。わたし、今日はきちんと休みたい」
「葉歌……」
「それに、あなただって疲れは溜まってるでしょう?何かあった時にきちんと動けないと、そのほうが大変よ」

 葉歌の言葉に真城は少し考えてからようやく頷く。
 結局、真城は葉歌に言われた言葉に頷きやすい。いつものことだ。
 頑として聞かないこともあるにはあるのだが……。

 戒に視線を移すと、戒は目を細めた状態で真城を見つめていた。
「すまない、別に急かしたつもりはなかった。僕は自分のペースでしか物事を考えられないから、お前たちの配慮に従う」
 戒はそれだけ言って、スタスタと歩いていってしまう。

「どこに行くの?」
「町を見てくる。せっかく来たんだ、そういうのもありなのだろう?」
「あ、え、や、宿取ってからのほうが……」
「宿が取れたら、その宿の窓にでも目印になるようなものを吊るしておいてくれ」
 戒はヒラヒラと後ろ手を振って、あっという間に広場の角を曲がって行ってしまった。

 それを呆気に取られて見つめる真城。

 龍世が唇を尖らせて怒りを顕わにする。
「ったく……勝手が過ぎるんだよな、アイツ」
 龍世がそう言っても、それに続く者はいなかった。

 月歌は何か言いたげに真城のことを見つめていたし、葉歌は葉歌でそんな兄の様子を伺っている。
 ペースには合わせてくれても、結局打ち解けようという気配を見せてくれない戒に寂しさを覚える真城。

 仕方ないのは分かっている。
 はじめに戒は言った。
 誰も信じてなどいないと……。
 けれど、信じることが出来ない人間が、……本当に時々だけれど、優しい声や微かな気配りを見せるなんてことがあるのだろうか……?
 思い込みでもいい。自分はそう言った。
 けれど、その思い込みが本当であったなら、どんなにいいのだろうか。




 香里は通りから見ると樽の裏側になる場所に隠れて、小さな体を更に小さく丸めていた。
 さすがに一日中鬼ごっこというのも飽きるらしく、午後からは隠れんぼになったのだった。

 ドキドキしながら、時折通りの様子を窺い、すぐに元の体勢に戻る。

 思えば、香里は智歳以外の同年代の子と遊んだことなどなかった。
 一応お姫様育ちだし、璃央に助け出された後もずっとお屋敷の中だった。
 璃央はお話の読み聞かせなどは時々してくれても、こういう風な遊びには付き合ってくれなかったし。

「そういえば……いつまで隠れてればいいん……っ……痛……」
 香里は突然襲ってきた頭痛に表情を歪ませた。

 キィィィン……と耳鳴りがして、小さな手で頭を抱え込む。
 ズキズキと耳の奥が痛むような感覚。
 俯いて堪えるように身を更に丸める。

 何かが切り替わるように、香里の中でカチリと音がした気がした。

 自分では気がついていなかったけれど、苦悶の声を漏らしていたのかもしれない。

 頭の上からあっけらかんとした少年の声がした。
「大丈夫?どっか痛いの?」
 香里が振り返ると、樽の上にしゃがみこんで、赤毛の少年がこちらを見下ろしていた。
 優しそうな目をまん丸にして、きょとんとしている。

 香里は痛みでこみ上げてきていた涙を拭いながら、しっとりと笑う。
「ええ、大丈夫ですよ。いつものことですから」
 ゆっくりと立ち上がりながら答える香里。

 少年はポンと樽の上から飛び降りると、自分のあごの高さくらいしかない香里の目線に合わせるように屈みこんだ。
「大丈夫じゃないんじゃないの?」
 そっと香里の頬を伝っている涙を拭う。

 おそらく、7、8歳くらいの女の子だと思っているのだろう。

 まだハラハラと溢れ出てくる涙に、香里は少し慌ててクルリと少年に背を向けた。
 拭っても拭っても、なかなか止まらない。
 こみ上げてくる寂しさのようなものが、胸を圧迫しているような……そんな感じだった。

 困ったように後ろで少年が頭を掻いている。
 そして、思いついたようにぱっと表情を明るくして、ポケットから木片を取り出した。

「なぁなぁ、ちょっとこっち向いて!面白いもの見せてあげる」
「え……?」
 香里が涙で潤んだ目をそちらへと向ける。

 少年はにへら〜っと得意そうな笑みを浮かべて、木片と小刀を手にしていた。
「君、何か好きなものある?」
「え?」
「なんでもいいよ、好きなもの」
「え、えーと……御影様・ちーちゃん・りょー……」
 好きなものを尋ねられて、香里は指を折りながら人名を挙げてゆく。

 さすがに見たことのない人の名を挙げられて、少年は困ったように首を傾げた。

「え、えーと……できれば、好きな動物とか……」
「葉歌様……」
 ポツリと、本当にポツリと香里が葉歌の名を口にした。

 その名を口にした途端、香里の胸にこみ上げていた寂しさがどうしてか薄れた。

 少年が驚いたような顔で香里のことを見つめている。
 香里ははっと我に返って、ニコリと笑いかける。
「すいません……好きな動物でしたら、猫……です。にゃあにゃあ言ってるのを見てるのが楽しくって」
「え、あ、ああ。猫ね♪ちょっと待ってね」
 少年はううん……と考えていたが、香里が何を始めるのだろうと期待の眼差しを向けているのに気がついて、カリカリと木片を削り始めた。

「こんなところで何やってたの?」
 木片を真剣に見つめつつも、朗らかな声で尋ねてくる少年。
「確か……かくれんぼをしていて……」
 香里は必死に記憶を手繰り寄せてそう言葉を返す。

 香里にとってはいつものことだが、記憶の引継ぎがうまくいかない。
 元気な時の香里。落ち着いた様子を見せる香里。
 落ち着いている香里は……いわば、省エネ状態の電気と同じだと言えば分かりやすいかもしれない。
 基本的に香里が誰かにエネルギーを分け与える時は元気なほうの香里だ。
 自分の体にエネルギーがきちんとあるので、テンションを上げても元気でいられる。
 けれど、エネルギーが少なくなった時はテンションも保てないので静かになる。
 そして、異様な眠気、または頭痛が襲うのだ。
 最近香里はエネルギーの供給を一切絶っていた。
 自分の睡眠でなんとか補うようにしていたのだが、傷ついた生き物などを見つけるとすぐに手を差し伸べてしまうため、供給が追いつかない状況にある。
 いつもなら眠ると切り替わるスイッチが、今日は起きている状態で切り替わったようだ。
 よくわからないが、まぁいい。
 香里はそっと少年へ視線を向ける。

「ああ、なるほどね。この町の子?」
「いいえ、違います」
「そっか。オレね、龍世っていうの。君は?」
「私は香里と申します。龍世様」
「え?う、うーん……様ってガラじゃないよ。もっとフランクなのがいいなぁ」
「フランク?」
 困ったような声を上げる龍世。香里は首を傾げて龍世の手先を見つめる。

 すごいスピードで何かの形に彫り上げていっているのが分かった。

 龍世は彫りながら笑う。
「様ってさ、お嬢様とかお坊ちゃんとか……そんな感じがすんの。オレはそんなんじゃ、全然ないから、呼び捨てとか……。そうだなぁ、年上に呼ばれるのは嫌なんだけど、たっくんとかね」

「たっくん……」

「好きなように呼んでいいよ。えっと……こーちゃんでいいかな?」

「はい。好きなように呼んでくださって構いませんよ?」

 香里がおしとやかな感じでほのぼのと返すと、それまでずっと動かしていた手を止めて、すっと香里に視線を向けてきた。

 香里はきょとんと龍世を見つめる。

 龍世の瞳の中に自分がいるのが見えた。

「……もしかしてさ、君、お偉いさんの娘とか?」
 なぜかヒソヒソ声で尋ねてくる龍世。

 香里はそれがおかしくて、あは……と笑い声をこぼす。

「どうしてそう思うんですか?」
「話し方が……すっごい丁寧。真城とは偉い違いだ」
「ましろ?」
「あ、ううん、なんでもない。ま、いっか。……あれ?そういえば、この顔、どっかで見たことある気が……」

 龍世があんまりマジマジと見つめてくるので、香里の頬がほんのり赤らむ。

 不自然にならない程度に香里は目を伏せた。

「ま、いっか!えっと……ちょっと待ってね、もう少しで出来るから」
 龍世はあっけらかんとそう言うと、再び手を動かし始めた。

 香里はその様子を見つめている。
 智歳も……昔はこんな風に無邪気だった。
 時々、姉である自分をからかう以外は、この少年と同じだったなぁと感じた。

 しばらく、見つめていると、段々、掘り込みも細かくなっていって、何を作っているのかがわかった。

「わぁ……」
 香里は嬉しそうに声を上げて、仕上げに入ったそれをじーっと見つめる。
「本当はね、ニスとかあればいいんだけど、この木片はきちんと乾燥させたものだから大丈夫だと思う」

 ふっふっと木屑を息で取り除いて、香里の手を取って、手の平にちょこんとそれを乗せた。

 木彫りの猫のバッジ。

 香里はキラキラした顔でそれをジーッと見つめる。
「本当はもう泣きやんでたからいらないかなって思ったけど、そうでもなかったね」
 龍世がにひひ……と笑い声を上げて、頬を掻いた。
 香里がその言葉で顔を上げる。

「こーちゃん、嬉しそうでよかった」
「え、あ、あの……これ……」
「ん?あげるよ。ほら、ローブの襟に引っ掛ければ……」

 そっとバッジを取って、香里のローブの襟に入れてあった切れ込みの部分を引っ掛けてくれる龍世。

「うん、ちょうどいい。オレ、実は才能あるのかなぁ……」
「あ、ありがとうございます。た、たっくん」
「ううん、ところで……」

 龍世は香里のにおいが気になるようにクンクンと鼻で息を吸っている。
 これがもう少し大きな男の人だったら危ない図だと思われるくらいに吸い込む。

「な、なんですか?」
 困ったように後ずさる香里。
「あ、ごめんごめん。こーちゃんのお香、変わった香りだね。オレの知り合いは、もっと甘い香りのお香だから……」
「私、匂い袋を持ってるんです。こうやって身に着けていると香りが発生するんですよ。もらったものなので、何の香りなのかは分かりませんけど……」
 首にかけていた紐を引っ張り出して、可愛らしい柄の匂い袋を見せ、ニコニコと笑みをこぼす香里。

 それを見て龍世が納得したように頷いてみせた。
「お香にも色々あるんだ」
「はい。私は詳しくありませんけど」
 香里はニコニコと笑いながら、龍世の朗らかな表情を見つめる。
 通りは目の前に迫った夏の日差しで溢れているけれど、樽の裏側の横路地はまだひんやりとしていて、香里はかくれんぼのことも忘れて、龍世との会話を楽しんでいた。


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