第6章  兄妹

「ッケホ……コホ……」
「はい、よく我慢できました」
 宿の一室で月歌が咳止めの薬湯を手渡しながら、ニコリと微笑む。
 葉歌は困ったように目を細めながら、静かに薬湯の入ったカップを両手で受け取った。

 咳が止まったのを確認してから、コクリと飲む。

 苦くてすぐに表情を歪ませた。

「しばらく飲んでいなかったでしょう?薬が減ってなかったですよ」
 怒ったような目で葉歌を見つめて、大きな手でワシャワシャと頭を撫でてくる。

 葉歌はそれから逃れるように体を少々傾けて言い返した。
「最近は調子が良かったのよ。だるさもなかったし……」

「ふーん……へぇぇ。毎日1回は必ず服用……と言われてたんじゃありませんでしたか?」

「……だって、調子よかったんですもの。それに、この薬湯、変なにおいがつくから嫌」

「子供みたいなこと言わないでください。治ったとは言われていても、まだまだわからないんですからね」
 タイを緩めて、部屋に用意されている簡易キッチンの中に入ってゆく月歌。

 葉歌はその背中を見据えながら、コクコク……とカップの中身を減らしてゆく。
 体調が悪いというほどではないが、また咳が出始めていた。
 できる限り平静を装っていたし、咳だってみんなの前ではしていなかったというのに。
 全然見ていないような顔をしておいて、察しが良すぎるのだ。

「適当に作って置いていくので、後で温め直して真城様と一緒に食べてくださいね」
「ええ。また、カレー?」
「いいえ、今日はハンバーグとスープにしておきますよ。真城様はいいけれど、葉歌は飽きたでしょうから」
 スーツを脱いでシャツの腕をまくると、タンタンタン……と包丁がまな板を叩く軽快な音を奏で始める。

 葉歌は全て飲みきって、カップを流しへと持ってゆく。
 玉ねぎを切りながら、何か考え込むように目を細めている兄の表情が目に入った。

 水をためてある桶からすくってカップの中身を洗いながら、葉歌はつまらなそうに言った。
「兄ぃも素直じゃないわよね」
 それに対して、月歌は穏やかな声を崩さずに言葉を返してくる。
 妹のつっけんどんな態度にはもう慣れた……といったところだろうか。
「……何がですか?」
「言いたいことがあるなら言えばよかったんじゃないの?」
「真城様のことですか?」
「ええ。どうせ、自分より遠瀬くんの肩を持った真城を見て面白くなかったんじゃないの?」
「別に……面白くないなんてことはないですよ。真城様も真城様で、色々緊張しているのでしょう。ほのぼのと町で一泊なんて……という考えがあってもおかしいことじゃありません」
 玉ねぎを切り終えて、ニンジンに取り掛かる月歌。

 穏やかな調子を崩さない兄に対して、葉歌は呆れたように目を細めた。

「ふーん……いつも、そうよね」
「はい?」
「兄ぃはそうやって大人ぶるの。わたしもだから、なんとなくわかる。ううん、一緒にはしたくないか。わたしは出すべき時は出してるつもりだし」
「……葉歌、言いたいことが見えませんけど」
 ニンジンの皮を剥く手を止めて、ようやく月歌は葉歌を見た。

 葉歌はじっと月歌を見上げて、ズバリと言い切る。
「本当は真城、取られるんじゃないかってハラハラしてるくせに、おくびにも出さないのが気に食いません。これでいい?」

「何を言って……」

「兄ぃ、遠瀬くん見て、あんまりいい気持ちしないんでしょう?人はそれを嫉妬と呼ぶのよ。自覚してないのか、気付かないフリしてるのか知らないけど」

「私は……お嬢様に仕える身です。そんなことは……断じてありません。ただ、そろそろ彼と一緒に旅をするのは御免被りたいのは確かですけどね。戒くんと一緒にいると、真城様まで危ない目に遭います」

「残念ながら無理よ、それは。真城は遠瀬くんのこと見届けるつもりでいるから」

 葉歌の言葉に、包丁を持つ右腕の筋肉がピクリと動いたのを葉歌は見逃さなかった。

 カップを流しの横にコトリと置いて、葉歌はふぅ……とため息を吐く。

 自分はなぜ敵に塩を送るようなことをしているのか。
 けれど、真城の想いを知っているから、いつまでも知らないフリをしていようとする月歌に腹が立ったのだ。
 元々純朴な兄が、容易に想いを口にできるとは思っていないが、いい加減、過去のことは振り払って欲しいという思いがある。
 葉歌への引け目なのかなんなのかは知らないが、月歌には紗絢以来、恋の相手が現れなすぎる。
 だったら、もしかしたら……という憶測が、ずっと前から働いていた。
 振り払えないからなのか、それとも、密かに好きな相手がいるのか。
 この2つ。もしも後者ならば、相手は1人しかいない。

「別にいいけどね、真城はわたしのものだから」
 葉歌はそんな言葉をサラリと言って、部屋を出た。

 月歌が動揺した表情でその背中を見送っているだろうことは容易に想像できた。


 宿を出ると、まだ格好に慣れないのか、そわそわしながら立っている真城がいた。
 剣を入れてある包みを大切そうに抱きかかえて、通りを見つめている。
 視線の向こう側にはかくれんぼか追いかけっこでもしているのか、すごい勢いでどこかを目指して走ってゆく子供達の姿があった。
 時折、吹き抜けてゆく風に整えられた髪を押さえて応戦している。
 どんなにボーイッシュでも、女の子らしい格好をすれば、動きも女の子らしくなる。
 葉歌の中の定義は間違いではなかった。

 周囲に人がいないのを確認してから、葉歌は真城に声を掛けた。
「真城、何やってるの?」
「ん?戒を待ってた。一応、目印になりそうなものは吊るしたけど、心配で」
 そういえば、月歌に部屋から追い出される前に、真城は何かを吊るしていた。

 葉歌はふと振り向いて、窓の外に吊るされているものを確認し、ぷっと吹き出す。
「……カレーパン……」
「駄目になったヤツね。危なく食べるところだったんだ」
 真城は頭を掻きながら平然とそんなことを言う。

 全くもって、ここまでカレー中心で回っている女の子も珍しい。

 葉歌は先程、月歌にカマを掛けた。
 本当は知っている。真城は戒に対して恋愛感情など抱いてないことを。
 けれど、月歌はそう感じていなさそうだったから、言うだけ言ってみた。
 あれで動かないのであれば、戦線離脱と判断するまでだ。
 どうせ、真城は恋人が出来るまで葉歌の傍にいてくれる。

「……どうせだし、買い物にでも行かない?見るだけでも楽しいわよ」
「え?あの、用事は済んだの?」
「ええ、大丈夫よ。さ、行きましょう。遠瀬くんなら、気がつくわ。いくら、周囲に対して興味がなくっても、あなたのカレー好きぐらいは理解したでしょうから」
「そう?」
「ええ」
「うん。じゃ、付き合うよ。暑くなってくるし、少し薄めのシャツにしないと、今度は暑さで参っちゃうもんね」
 葉歌の服にそっと触れて、ニカッと笑う真城。

 確かに葉歌の服は、体に障らないようにという配慮のせいか、厚めの服が多い。
 夏場は一番服装に困るのだ。
 普通に半袖でもいいのだけれど、トラウマのせいか、肌の露出の多い服をどうしても避けてしまう。
 今までは夏でも、木の下で読書をしていればいいだけだったが、この旅では炎天下の中歩くこともあるので、少し涼しくしたほうがいいかもしれない。

「それじゃ、真城、選んでくれる?」
「え?」
「……あなたがいいって言ったのにするわ」
 葉歌は笑顔でそう呟くと、そっと真城の腕を抱き締めた。

 子供達の声が通りに響き渡る。
「タァッチ!これで、お前、もう隠れらんないんだかんな!そこで黙って待ってろよ!!」
 鬼役の子なのか、とてもムキになってそんなことを叫んでいる声が聞えた。




「うぁっち!つっ、つっ……」
 ハンバーグを焼いていたら、油が思い切り跳ねてきたので、月歌は慌てて腕についた油を払った。
 赤くなった部分をペロリと嘗めて、うぅん……と唸る。
 そっと薪を減らして、火の加減を調節する。
 表面に焦げ目はついたので、あとはじっくりと火を通すだけだ。
 フライパンに蓋をして、先程まで葉歌が腰掛けていたベッドに勢いよく腰を下ろした。

「なんだかなぁ……」
 なんとなく、口をついて出たのは意味のないそんな呟き。

『本当は真城、取られるんじゃないかってハラハラしてるくせに、おくびにも出さないのが気に食いません。これでいい?』
 葉歌の物言いが月歌の頭に過ぎる。

 そうなのだろうか……?
 真城が思いのほか、戒に興味を示しているのが気になる。
 それは確かにあると思う。
 けれど、月歌は危険を回避するためには戒と離れるべきであると考えている。
 真城が危険な目に遭うことを考えるとイライラする。それだけのはずだ。
 どんな事情があろうと、人を殺して指名手配になっている人間と、いつまでも仲良くしていては弁解の余地がなくなってしまうではないか。それだけだ。

『そう思わなければいけない』

 そこで、はたと思考を止めた。

 言い聞かせていたのか……自分は?
 独占欲というものは……自分にはもう湧き上がらないものだと思っていたのだが……。
 いや、あってはならないと、心の中でこの10年言い聞かせていた。

 なんとなく、今更……気がついた……。

 葉歌の体はまだ完全によくなったとは言えない。
 まるで、月歌の足枷のように、ずっとそこにある。
 あの時、約束を優先させずに、家で葉歌の看病をしていれば、家族全員、護ることも出来たかもしれない。

 紗絢とはあれ以来会っていない。
 当然だった。
 あちらは旅の一座で、月歌は意識的に村に戻ることを避けた。
 各地を転々とするうちに、連絡手段が失せてしまったのだ。
 今でも好きかと聞かれたら、YESだろう。
 初恋の相手だ。そんな簡単に嫌いにはなれない。
 けれど、もし、再会したら昔の想いが湧き上がるかと聞かれたら、NOだと思う。
 月歌にとっては、もう終わった恋だった。
 自分にとって、罪深き、封印したい思い出でしかない。

「見透かされてるんですかねぇ……」
 そっと眼鏡を外して、ぼんやりとした視界に意識を向ける。

 自分が妹のことをある程度見透かせるのと同じで、妹は自分のことを見透かしている。

 葉歌のせいにしているつもりはないが、あちらはあちらで、いつまでも兄が過去のことを引きずっているのを感じ取るのが不快なのかもしれない。
 そうでなかったら、自分にあんな言い方をするわけはない。
 葉歌の想いは、なんとなく察しているつもりだ。
 そして、それを咎めるつもりも、ない。
 その想いがなかったら、葉歌は今、生きてはいないから。

 眼鏡を掛け直し、すっくと立ち上がり、キッチンに戻る。
 フライパンの蓋を開けてみると、まずまずな焼き加減のハンバーグが出来上がっていた。
「まぁ、今は……お護りすることだけ考えなくてはね」
 火からフライパンを下ろしてポツリと呟いた。

 今度は薪を足しながら、鍋を置いて、その中に桶の水を注いだ。

 ふと、窓の外に目をやると、先程まで晴れていた空に黒雲が出始めていた。
「……降り出す前にみんな帰ってくればいいですが……」
 心配そうに眉をひそめて、窓まで歩いていき、通りを見下ろす。
 通りでは子供達が楽しそうにワイワイと遊んでいるのが見えた。


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