第7章  異国での邂逅

「へぇ……じゃ、他所の国からこの国に来たんだぁ」
 龍世は露店で買った揚げ団子を頬張りながら、香里の言葉に耳を傾けていた。

 香里もすっかりかくれんぼのことなんて忘れてしまって、堂々と通りを歩いている。
 龍世が美味しそうに頬張っているので、小首を傾げて物欲しそうに見上げてくる。

「いる?」
 袋の中にはまだまだたくさん入っていて、龍世はすぐに中身を見せた。
 好きなだけ取れという意味でだった。

 香里は一瞬躊躇うように動きを止めたが、すぐに袋に手を突っ込んだ。
「こういう物は、食べちゃ駄目だって言われてるんですよ?ちょっとドキドキします」
「そうなんだ、美味いのにね」
「食べる時はゆったりした気持ちで味わいなさいって、りょーが言うんです」
 二個取り出しながら、ほんわかと言う香里に龍世はにっこりと微笑みかける。
 どんな人なのか分からないが、先程からよく出てくる名前なので、よほど大好きなのだろうなと言うのがわかっていたからだ。
 ついつい、龍世が「真城」の話題を出してしまうことと一緒なのだと思う。

 パクリと小さな口で噛み付く。
 そして、少ししてからにっこりと表情を緩ませた。
「美味しい……」
 モグモグとあごを動かしながら、とろけるような顔をしてみせた。
「ね?美味いだろ?」
「はい。それに話しながらだから余計に美味しいのかもしれませんね」
 きちんと飲み込んでから話す香里に、龍世は笑いがこぼれた。

 おしとやかというか、育ちが良いというか……。
 お嬢様育ちでも全然そんな風に育たない子もいるというのに。

 団子を頬張って、ふと空を見上げると、上空に黒雲が広がっていた。
 クンクンと鼻を動かして、
「雨のにおいがする……」
 と呟く。

「え?雨のにおい……?」
 ようやく一個食べ終えた香里が不思議そうに首を傾げて、くんくんと同じように鼻を動かす。

 けれど、分からなかったようで、
「どんなにおいですか?」
 と尋ねてきた。

 龍世はその問いに困って、頭を掻く。

 龍世は感覚で生きている人間だから、そういう風な問いをされると本当に困ってしまう。
 とにかく、湿気っぽい空気を感じるのだ。微かだけれど。

「こーちゃん、宿どこ?ちょっと急ごう。送ってあげるから」
「え?あ、あの、ちーちゃん……置いてきてしまったので私……」
「ん?ちーちゃん?」
「は、はい、弟なんですけど……私ったら、うっかり……」
 おろおろと辺りを見回すが、周囲には子供たちの姿はない。
 龍世も同じように辺りを見回して、うぅん……と唸る。

 その瞬間、ポツリと龍世の鼻頭に雨粒が落ちてきた。
 あっという間に雨脚が土砂降りへと変わる。
「うわわ……早っ……と、とにかく、戻ろう!宿の場所教えて!」
 龍世は持っていた袋を香里に渡して、着ていたベストを迷わず脱ぎ、香里を雨から守るようにかざしてあげる。

 香里はまだ心配そうに周囲を見回していたけれど、どんどん濡れてクタクタになってゆく龍世の髪を見て、慌てて頷いてくれた。
「え、えと……あっちの通りです」
 そっと指差して龍世を見上げてくる。

 龍世は「走るよ?」と声を掛けて駆け出した。
 香里もとろいながらも駆け出す。
 突然の雨にてんやわんやしている服飾店の角を右に曲がって、龍世たちが宿泊を決めた宿が近づいてくる。

「あ、ここです。ここ」
 香里が思い当たったように指差した。
 龍世はすぐに屋根のついている軒下へと入って、肩の雨粒だけ払った。
「偶然だね、オレもここだよ?」
 香里が立っている方向とは反対方向を向いて、ベストの水をパンパンッと払う。
「そうなんですか?じゃ、もしよかったら、ちーちゃんともお友達になってください」
 香里が嬉しそうに微笑んで、スカートについた泥を払った。
「ちーちゃんね。うん、いいよ。オレ、今まで友達、年上ばっかだったから嬉しい♪」
「あ、私もそうですよ?たっくんさんは私の初めてのお友達です」
「たっくんさん……」
「あ、た、たっくんは……です」
 香里の言葉に苦笑する龍世の顔を見て、慌てて訂正する香里。
 恥ずかしそうに目を逸らして、うぅ……と唸る。
 龍世はおかしくて、はは……と笑い声を漏らす。

 不思議な空気感の持ち主だと思う。
 しっかりしてそうで、そうじゃない。真城とかぶるような気がした。
 そんなことを考えていると、突然香里がふわぁぁ……とあくびをした。
 一応、顔は背けて、口元も隠してだ。

「眠いの?」
「……ちょっとだけ……」
「そっか、じゃ、中に」
 カチャリとドアを開けて、香里を通す龍世。
 香里は眠そうに目をこすりながら、会釈をして中へと入った。

「香里、雨降りそうだったから探したんだぞ!どこ行ってやがったんだよ」
 ロビーで待っていたのか、ぶっきらぼうな声を上げて、少年が香里の元に駆け寄ってきた。

 龍世が顔を上げると、そこには智歳が立っていた。
 そこで、ようやく龍世の中で上手く当てはまっていなかったピースがカチコンとはまる。
 そうだ……香里の顔は、智歳の顔と一緒だ。
 でも、髪型も表情も違うし、分からなくっても仕方ないよね……と心の中で呟く。

「あ、ちーちゃん……よかった、先に戻ってたんですね」
「え……香里?」
 なぜか戸惑うように眉をひそめる智歳。
 まだ、龍世のことは視界に入っていない様子だ。

 龍世は智歳の後ろに回り込んで、脇をくすぐってやった。
「ちーちゃん〜♪」
「っ……なんだ、お前!なんで、お前がこんなところにいんだよ、バカ!」
 くすぐられるのから逃れるように香里の横に移動して、振り返る智歳。

 不機嫌な顔で龍世をにらみつける。

「ちーちゃん」
 龍世はにへっと笑って、からかうようにその名を口にする。
 智歳はその声に更に眉をひそませた。
「お前が呼ぶんじゃねぇ!!」

「……ふにゃ……ん〜……ちーちゃん、たっくんのこと知ってるんですか?」
 凄い剣幕で怒鳴る智歳に、香里は眠そうな声で尋ねる。
 智歳は香里の手を取って、強引に引っ張ってゆく。
「ちーちゃん?」
「知り合いだよ、ちょっとした。それだけだよ」
「じゃ、お友達になってください。私、お友達になってもらいました」
 智歳が歩いてゆくのを止めて、ほのぼの〜と言う香里。

 智歳は振り返って戸惑ったように唇を尖らせる。

 龍世もすぐに追いついて笑う。
「もう、友達だよ、ちとせとは。そっか、こーちゃんの弟はちとせかぁ……。あれ?じゃ、こーちゃんって年上?うわ……年下だとばっか……」
「双子の姉だから同い年だよ。お前、香里に変なことしてないだろうな」
「変なこと……」
「してねぇよな?」
「うん、たぶん……」
「なんだ、たぶんってのは」
 自信なさげに答える龍世を見て、智歳は怒りのこもった顔をしてみせた。

 変なことが何を指すのか分からないから自信がなかった。それだけのことだったのだが。

 香里は眠そうにフラフラしながら、思いついたように持っていた袋から揚げ団子を取り出して、そっと智歳に差し出す。
「ちーちゃん、あーん……。これ、甘くてきっとちーちゃんも気に入ります」

 眠いからなのか、元々なのか、全く状況を無視した行動に智歳の動きが止まる。

 はぁぁ……とため息をついて、差し出された団子をひょいと奪い取る。
 こんな姉に変なことも何もないと気がついたらしい。

 口にポンと放り込んで、うんうんと頷く。

「お、うめぇ……どこに売ってた?」
「遊んでた通りのお菓子屋さんです」
「ふぅん……」
 智歳はそこでようやく優しく微笑んだ。
 香里が龍世に袋を返してくる。

 龍世がそれを受け取ると、香里はほんのり笑って、
「それじゃ、お休みなさい、たっくん」
 と言って智歳よりも先に部屋のほうへと歩き出した。

 智歳が龍世の持っている袋から団子を2、3個がめてヒラヒラ……と手を振って来た。
「ちとせ、また遊ぼうよ」
「おう。あと、香里、濡らさずに送ってくれてサンキュ」
 龍世の言葉に、智歳は一切顔をこちらに向けはしなかったけれど、その言葉はとっても優しいものだった。

 智歳が見ていないのはわかったけれど、龍世はニッコリと笑みを浮かべた。




「これなんてどう?シンプルでわたしは好きなのだけど」
 嬉しそうにはしゃいで服を色々と当ててみせる葉歌に、真城は微笑を返す。

 どれでも似合う。そんな言葉がふと沸き上がる。
 確かに葉歌は何でも似合うのだ。
 けれど、そのどれでも似合うという言葉は、真城が考えた言葉じゃない気がした。

「もう……選んでくれる約束でしょう?笑うばかりじゃ分からないわ」
 そんな真城に対して不服そうに唇を尖らせる葉歌。

 なんだか分からないが、真城の中で誰かが呟くように、何でも似合うよという言葉が出そうになる。
 もちろん、真城もそう思っているのだが、真城の思いはその呟きのように切なさに満ちた愛しさのこもったものではない。
 何か変だな……と感じる。
 胸が妙に苦しかった。
 トクントクンと鼓動が脈打つのを必死で無視する真城。

 そんな真城の様子が気にかかったのか、葉歌が色々な服を見比べながら声を掛けてくる。
「ねぇ?聞いてる?」
「え、あ、うん。ボクはね、この辺がいいと思ったよ。ほら、これ」
 心の中で騒ぐ声を振り払い、真城はニコリと笑った。
 控えめにフリルがついた白い五分袖のシャツを手に取って、葉歌の体に当ててやる。

 葉歌はすぐに受け取って、ニコリと笑う。
 会計をしにすぐに歩き出してしまうので、真城は慌ててそれを呼び止める。
「葉歌、自分で確認しなくていいの?」
 すると、葉歌はゆっくりと振り返ってふんわりと笑った。
「大丈夫よ。あなたが選んだものだもの」
 とても優しい声。
 真城は困ったように首の後ろを掻いた。

 胸の鼓動が早まる……顔も熱い気がする。
 おかしい……自分の体じゃないようだった。
 突然だ……本当に突然……。一体、なんなんだろう?

 会計を済ませて戻ってきた葉歌は、すぐに小首を傾げて言った。
「さ、帰りましょう」
「え?もう?」
「風がね、雨が降るって言ってるの。だから、そろそろね」
 柔らかく笑って歩き出す葉歌。
 真城もそれに続いて歩き出す。

 通りに出て空を見上げたが、空には雨の降りそうな気配は全くなかった。

「本当に降るの?」
「わたしの唯一の取り柄なんだから信用してちょうだい」
「そんな……葉歌は何でも出来るじゃないか」
「わたしがしたいことは何一つ……」
 真城の言葉に葉歌はフルフルと首を横に振る。

 真城はそんな葉歌の様子に寂しさを覚えた。
 みんなのフォローをしたり、冷静に意見をまとめたりしてくれていた葉歌がそんなことを言うなんて思いもしなかったのだ。
 いつでも葉歌はしっかりしている。
 ふんわりふんわり笑いながら、取り乱すこともそんなにない。
 葉歌は真城の大好きな親友なのに、何を言うのだろう。

「あら、遠瀬……来栖くん発見」
 人通りの多いことを配慮したのか、葉歌はすぐに言い直す。
 そっと指差した向こう側には確かに戒の姿があった。
 時折店の中を覗き込み、けれど決して中には入らずに素通りしてゆく背中。

「お金持ってないから入れないのかしら?」
 冗談っぽく言う葉歌。
 真城はその言葉にふっと吹き出す。
「来栖でも、何か買ったりするのかな?あんまり興味なさそうだから気になるね」
「ついてってみる?」
「え?でも、雨降るんじゃ……」
「もう少しくらいなら大丈夫よ」
 葉歌はふふんと企んだような笑みを浮かべて、どんどん先へと行ってしまう。

 ああいう顔をした時の葉歌は止められない。
 だから、真城は観念してついてゆくしかない。
 それに、戒が1人になった時に何をしているのかというのも、気になってはいたことだし。

 横路地に入ってゆく戒を追いかけて、葉歌がタタタッと駆け出す。
 真城も慌ててその後を追った。
 角を曲がる寸前のところで立ち止まって様子を窺う葉歌。
 真城も葉歌の頭の上から路地を覗き込む。
 戒は立ち止まって、周囲の気配を探っているようだった。

 2人はすぐに顔を引っ込めて、ヒソヒソ声で会話をする。
「何やってるのかしら?」
「さぁ?あのさ……堂々と聞いたほうがよくない?悪趣味な気がする……」
 真城が悩ましげに目を細めると、葉歌はシッと口元に人差し指を当てて、
「今、風読みしてみるから」
 と言い、右手をかざした。

 葉歌の場合、そんなことをしなくても声を聴くことが出来るのに、やたら慎重に呪文を唱えている。
 先程、雨が降るみたいと言った時だって、その前に風読みの素振りなど見せていなかったはずだ。
「ねぇ……それって無駄使いじゃないのぉ?」
 真城はやめるように葉歌にそう問いかける。
 呪文の力はこんなことのためにある訳ではないのだし、絶対によくないと思う。
 真城が止めたからか分からないが、葉歌が呪文詠唱を途中でやめた。
 不思議に思って、ふと路地を覗き込む。

 誰か……女性が立っていた。
 真城ほどはないが長身で、無表情の美人。
 後ろで結わえられた桜色の髪に、薄紫色のノースリーブでタートルネックのセーター。
 下はタイトなパンツスーツのようなもの。
 澄んだ声が辺りに響いた。

「あなた……戒……で合っている?」

「……合ってるが、お前は?」
 戒はしらばっくれることもなく、そう答えた。

 偽名を作った意味も何もない。
 戒の肩越しに見える女性がそっと手を真上にかざす。
「私は、蘭佳。璃央様の命により、あなたを連れ戻します」

「おかしなことを言うな。璃央は僕を連れ戻す気などこれっぽっちもないと言っていた」
 戒はせせら笑うように蘭佳に対して言葉を返した。

 蘭佳はそんなことなど気にも留めないように、ブーンという音と共に光輝く鞭を具現化させる。

 真城は見たことがないものだった。
 けれど、一応知識として知っていた。

 この世界には……2つの力が存在すると言われている。

 呪文を発生させるための魔力。

 そして、時折現れる先天的に恵まれた能力。体内で練り上げられるオーラを自在に操る力。

 魔力は周囲の力と己の体力を消費して用いるもの。

 オーラは、己の力のみを消費して用いられるもの……そう教わった。

 こんなところで、その力を目にする機会があるなんて……と、真城はついゴクリとツバを飲み込んだ。


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