第8章 君の笑顔が僕を揺らすから 問答無用で鞭を振り上げる蘭佳と名乗った女性。 戒が素早くそれに対応して、地面を蹴った。 地を蹴り、壁を蹴り、あっという間に蘭佳の懐に潜り込む。 確実に一撃が入ると思われた瞬間、蘭佳が鞭を戒に向けてしならせた。 オーラで作られたものだから、変則的ではあるが、能力者の意思に従った動きを見せているようだ。 戒はピタリと蹴りを止め、すぐにバックステップを刻む。 蘭佳の手の中にある鞭は、薄くなったり濃くなったりを繰り返して、目では捉えづらい。 それはオーラが安定していないことを示しているのだが、むしろそれが戒にとっては戦いづらい状況を作り出している。 更に、今、戒は動きづらい服に身を包んでいる。 特に足を固定しているブーツがどうしようもない……。 「変わった力だな」 「はい。我が一族はこの力によって、国での地位を築いたので」 「……ほぅ」 けれど、そんなことはおくびにも出さずに興味深く頷く戒。 すぐに蘭佳の鞭が風を鳴らす。 戒は体を仰け反らせてそれをかわし、続けざまに放たれる鞭のしなりも器用にヒョイヒョイとかわしてゆく。 蘭佳は舌打ちを1つして、オーラの鞭を消し、タンと音を立てて、戒の元へと飛び込んできた。 戒は体を捻ってそれに応戦する。 長い脚から繰り出される蹴りが蘭佳の頭を捉えた。 鈍い音と共に後ろへと吹き飛ぶ蘭佳。 戒は軽いステップを踏んで、宙を舞っている蘭佳の体に追い討ちを掛ける。 容易に2撃3撃……と蹴りつける戒。 痛そうな鈍い音が周囲に響いた。 やはり、スピードが若干落ちるな……と心の中で呟く。 「僕に挑んでくるということは、死を覚悟していると……そう認識させてもらう」 地面に倒れこんだ蘭佳を見下ろし、戒は冷ややかな声を投げつける。 蘭佳は苦しそうに咳き込んだが、すぐに立ち上がった。 口元から血が垂れているが、特に気にもしないように表情に変化はなかった。 「力は変わっているが、能力者がそんなものでは……無駄といってもいいかもしれんな」 戒は馬鹿にしたように呟き、すぐに蘭佳に掴みかかった。 なぜ、彼女が武器を収めたのか……。 それが気になってはいたけれど、早期に潰してしまわなければ仲間が来てしまう。 蘭佳が璃央の仲間ならば、この町にいるはずなのだ。あの男が。 あの男と関わるのだけは、正直今はしたくない。 服を掴んで蘭佳の体を引き寄せ、右手に思い切り力を込めて殴りつけようとした。 筋肉がピクピクと収縮するのがわかった。 もう、腕の感覚は完全に戻っている。 「ふ……っ……」 しかし、腕が風を起こす前に、目の前で蘭佳が大きく息を吐き出した。 次の瞬間、戒の腕が何かに絡め取られる。 「な……」 珍しく焦って、戒が腕に視線を流す。 先程鞭を象っていた光が腕に絡み付いていた。 徐々に腕から体へと這い上がってくる光。 どんどん締め付けが強くなってくる。 「連れて帰ること……それが、私の任務の1つです……」 目を細めて肩で息をしながら、蘭佳は澄んだ声でそう言い切った。 「貴様……」 戒の顔から青い光が発せられる。 徐々に光が強くなって、自分の意識が飛びそうになるのを感じ取った。 捕まるわけにはいかない。 けれど、ここで光に身を任せたら、またもや知らないうちにこの女を殺してしまうかもしれない。 必死に戒の中の理性が光の発生を抑えようとする。 『人も殺しちゃ駄目なんだかんな、これからは!』 『努力しよう』 随分と前に龍世と交わした会話が頭を過ぎった。 あれから、少ししたある日、盗賊を容赦せずに蹴りつけた。 あの時は加減したら、周囲の人間が危なくなると思ったから仕方なかった。 けれど、あの後、死体を森の奥に隠そうと引きずり歩いていた時に自分の心の中にこみ上げてきたのは、 どうしようもないほどの罪悪感だった。 都市の騎士を殺した時もそうだった。 つい感情的になってしまい、この光が暴走した。 気がついた時には真城が立っていた。 恐怖感と戸惑いを一緒くたにしたような表情で立っていた真城。 段々頭が冷静になり、真城の問いに静かに答えた。 理由が必要だった。 自衛のためだと。 そうでなければ、自分は楽になれない。 けれど、多くの命を奪った自分がそんなことを軽はずみに口にすることだけは避けたかった。 自分はただの人殺しだ。 そう言い聞かせることで、自分の力によって出るかもしれない犠牲者を最小限に抑えようとしていた。 罪悪感さえ忘れなければ、抑えられるのではないかと思ったからだ。 自分を許して欲しい。 けれど、自分を許してはいけない。 戒の心はいつも、その葛藤がせめぎあっていた。 『人殺しなのよ?あなたは。たぁっくさん、たくさん、殺しちゃった。でも、同じでしょう?もう、わたしを殺した記憶があるものね?1人も2人も、1000人も変わらないわ』 御影が怪しく笑って、戒の耳元でそう囁いたことがあった。 彼女は戒が持っていた罪悪感を、どうしようもないほどに増長させた張本人だ。 それでも、戒のことを好きだというのだから、歪んでいるとしか言い様がない。 前世の御影はキミカゲに殺され、何の偶然か現世でも御影と名付けられた少女の人生が無茶苦茶になった。 原因が……前世の自分にある。 どうすれば、許されるのだろう……。 どうすれば、解放されるのだろう……。 「でりゃぁあっ!」 戒の意識は、後ろから飛び込んできた真城の声でなんとか繋ぎとめられた。 ドンと蘭佳の体を全身で吹き飛ばし、戒の前に立つ真城。 動きづらそうな女物の服で、持っていた包みから剣を取り出し、刀身を抜いた。 戒を束縛していた光が、蘭佳の集中力が途切れたことで消え失せる。 「悪いけど、戒を渡すわけにはいかない!」 張りのある声で、真城は蘭佳に対して言い放つ。 体勢を崩した蘭佳が素早く地面に手をついて、すぐに立ち上がる。 「彼は重罪人ですよ?なぜ、庇いだてするのですか?」 蘭佳は静かな声でそう尋ね、不思議そうに首を傾げた。 真城が柄を握り直して、ふぅ……と息を吐き出したのがわかった。 「わかんないよ、そんなこと。わかんないけど、戒のこと、逃がしてあげたいって思うんだ」 「……理屈ではない……と?」 蘭佳がそう呟いた時、地面に大きな雨粒が落ち、すぐに土砂降りの雨になった。 先程まで晴れていたはずなのに、急な夕立だ。 戒はぐっと下唇を噛み締めた。 真城は戒の事情など、3分の1も理解していない。 知りもしないのに、どうしてこんなに真っ直ぐな声で助けてくれるのだろう。 わからない……なんて回答は、愚かしい答えでしかないはずなのに、その答えに救われる自分がいる。 今、分かった気がした。 真城には、自分の求めていた許しがある……。 夢で見たあかりのように、理屈ではない許しを与えてくれるのだ。 その中に甘えてはいけないのに、自分がどうしても彼女を護りたいと思ってしまうのは、彼女がいれば、まだ……自分はここに……この世界に立っていられると思わされるから……。 雨粒で視界が霞む。 けれど、それが本当に雨粒なのかどうかが分からなかった。 真城が蘭佳を追い払おうと、勢いよく剣を振ったのがわかった。 けれど、蘭佳はそれをかわすだけで何もしない。 オーラを操れるだけの力が残っていないのか、温存しているのかはわからない。 戒は叩きつけてくる雨を振り払って、蘭佳の体を蹴り飛ばした。 真城は傷つけることさえ躊躇う人間だ。埒が明かない。 ピカピカッと空に稲光が走る。 「ランカ……帰ってこねーと思ったら、こんなところで寄り道か?」 突然、横から低い声がした。 不意を突かれた戒がそちらを向こうとした瞬間、思い切りわき腹を蹴りつけられた。 蹴りを放ったすぐ後だったから、宙に浮いていた体は蹴られた勢いに乗って壁に叩きつけられる。 「ぐっ……けほ」 戒はすぐに壁に手をついて、顔を上げる。 けれど、不意打ちだったせいか、ガードできなかったために蹴られた箇所がズキズキと痛む。 キィィ……ンと耳元で音がする。 光が発生しては薄れる。そんな状態が何度も続き、痛みもそれと一緒に波を作っていた。 戒が懸念していた、あの男がすぐそこに立っている。 雨に濡れて、いつもはガバガバの着物が体にぴったりとくっついていた。 蘭佳が力ない声でその名を呼ぶ。 「東桜……」 「ったく、お前さんじゃ荷が勝ちすぎるんだっつーの。こういう仕事は俺様に任せろ。お前もりょーも、後ろで頭使ってればいい」 にんまりと笑って、スラリと刀を抜く。 真城がすぐに向き直って構える。 「東桜さん……?この人と……グル?」 「グルとはひどいねぇ、マシロちゃん。……おやおや、セクシーな格好だねぇ」 人をからかうような声を発し、真城の格好を嘗め回すように見つめる東桜。 戒は全く気にも留めていなかったが、雨のせいでシャツもスカートもピッタリと肌にくっついて、妙な艶かしさを漂わせている。 東桜が嬉しそうに笑う。 「なぁ、マシロちゃん、俺に惚れる気ないかい?そしたら、胸とか、もっとでかくしてやる自信あるんだけどなあ」 「なっ?!」 「東桜、ふざけるのはやめなさい」 「へいへぇい。これが嫉妬だったら嬉しいんだけどねぇ」 東桜の言葉に取り乱す真城と、呆れたような声で叱咤する蘭佳。 対照的過ぎて、状況がもっと軽いものなら笑えるような2人だった。 肩の力が抜けているような東桜に真城がすぐに飛び掛る。 東桜が片手で刀を振るい、真城の剣を腕ごと簡単に弾く。 けれど、すぐに真城は剣を振り下ろし、東桜に隙が出来た瞬間、後ろへと跳び、戒の横に来た。 蘭佳だけならば、隙をついて逃げようと思っていたようだったが、東桜が現れて、そんな甘い考えが通らないことを自覚したようだった。 戒は浮かんでは消える、印の光を必死に抑える。 東桜には勝つ自信はある……が、今の服装ではそれができるか分からない。 水気を含んだジャケットもズボンも、どんどん重さを増してゆく。 「戒、逃げることを優先しよう!」 戒の耳元で真城はしっかりとした口調でそんなことを言った。 真城も服装が服装だから、対等な勝負などできるとは考えていないようだった。 剣を片手で持ち、肌にくっついてくるスカートをなんとか直している。 「葉歌があの角のところに隠れているから、ボクが突っ込むと同時に、走って行って連れて逃げて欲しいんだ。ボクもすぐに逃げるから」 「……マシロ、その役割は逆のほうがいい」 「駄目だよ、戒を残したら逃げないだろ」 「…………。僕の問題だ。逃げられなければ、それはそれで仕方がない」 「駄目だよ、ボクが納得できない」 真城は頑として譲らない。 けれど、これで逃げ切れなかったら、戒だって納得できない。 戒がまだ言葉を続けようとした瞬間、真城は東桜に向かって飛び掛っていった。 言葉で駄目なら状況で追い詰めようと言うのか……。 戒が言えることではないが、真城は時々、ひどく勝手だ。 ギャリンと周囲に鋼のぶつかりあう音が響き渡る。 雨脚は弱まったが、辺りに雷の音が轟くようになってきた。 真城は東桜と何度も切り結んで、器用に場所を移動してゆく。 蘭佳が戒に向けて、手をかざしていたが、それを上手い具合に阻んだのが見えた。 「この、バカ……」 呟きながら、戒は素早く駆け出した。 葉歌を安全な場所に連れて行って、すぐに戻って来るしかないだろう。 ブーツの中に入った水がギュッポギュッポと音を鳴らす。 腕も足も、厚手の服のせいで動きが不自由になっていく。 だから、嫌なのだ。役に立たない服など。 戒は角からずぶ濡れになってこちらを覗き込んでいる葉歌の姿を確認した。 「ハウタ!逃げるぞ!」 そう叫んだ時、葉歌が眉をひそめて悲鳴を上げた。 「真城?!危ない!!」 葉歌の声とほぼ同時に、空に眩い稲光が走った。 周囲が真っ白にスパークする。 戒は状況がよく分からなかった。 視界が少しずつ色を戻していくのを確認して振り返る。 体勢を崩したような状態の真城の体に、突き刺さっている東桜の刀……。 けれど、東桜の肩にしっかりと真城の剣が突き立てられていた。 真城の体が力を失って倒れてゆく。 なぜ、自分は真城の言葉に従った? 2人でやれば、東桜を凌ぐのは容易だったかもしれないのに……。 自分は……あの少女を護ることを決めていたはずなのに。 剣を持つことを認める代わりに……絶対に護らなければと……。 それなのに、自分は何をしている? もう……何人殺したって、何も変わりはしないだろうに。 躊躇って……身代わりになってもらって……何をしている? 『人殺しなのよ?あなたは。たぁっくさん、たくさん、殺しちゃった。でも、同じでしょう?もう、わたしを殺した記憶があるものね?1人も2人も、1000人も変わらないわ』 御影の言葉が心を掠めた。 自分の中で何かが弾ける音がした。 戒の耳元で、キィィ……ンという音がどんどん大きくなってゆく。 青い光が周囲を包み始めた。 息切れが激しくなってゆく。 空に先程と同じくらいの稲光が走り、ひゅぅぅ……と強い風が吹きつけてきた。 その光が消えて、周囲の景色が見え始めた時、戒は愕然とした。 真城と東桜の姿が、どこにもなくなっていた。 蘭佳が戸惑いを隠せないように周囲を見回している。 東桜が連れて逃げたのか……? 心の中で、そんな呟きが漏れた。 頭の中を誰かにかき混ぜられるように、混濁してゆく。 もう、訳が分からなかった。 分かっていることは1つ。 自分はまた……護るべき人を護れなかった。 「こっちです、こっち!人が喧嘩してる!!」 そんな声がしたので、そちらをギラリと睨むと、兵士を大勢引き連れて走ってくる、商人風の男がいた。 おそらく、騒ぎに気付いて兵士を呼んだのだろうが……、戒の中で解き放たれてしまった暴走する力と感情は、そのまま兵士へと向かって走り始めてしまった。 |
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