第9章 町を駆け抜けた不思議な風 戒がこちらへと駆け寄ってくる。 ああ……真城が指示して逃げるように言ったのね? 心の中で風に問いかける。 雨が葉歌の体からどんどん熱を奪っていた。 けれど、真城を置いて戻るなんてできなくて、ここで待っていた。 それが……いけなかった。 はじめから、真城が飛び出す前に言ってくれたように、宿に戻っていればよかった。 真城はそれを見越していたのだろう。 葉歌を連れて逃げろと……戒に真城は言った。 真城が東桜へと突きを繰り出そうとしたが、水で滑りやすくなっている石畳に足を取られてしまったのか体勢を崩した。 東桜がそれを見逃さずに刀を突き出す。 葉歌は背筋にビリビリ……と電撃が走ったような感覚を覚えて叫んだ。 「真城?!危ない!!」 その後、激しい稲光が走って……突き刺さった瞬間は見えなかったけれど、 真っ白にスパークした景色が元に戻った時、葉歌の目に映ったのは、 真城の体に突き刺さった……東桜の刀だった。 戒も遅れて振り返って、状況を理解するのが見えた。 戒の顔に青い光が浮き出てくる。 けれど、葉歌はそれどころではなかった。 真城が目の前で……力を失って膝から崩れるのが見えた。 「う……そ……?」 葉歌が小さな呟きを漏らした瞬間、再び、空に稲光が走る。 視界がまたもや真っ白になって、いきなり強い風が葉歌の顔に吹きつけてきた。 風が強すぎて、葉歌は目を閉じる。 何度も何度も心の中を過ぎる。 真城がやられた……うそ……真城が刺された……。 死……嫌な言葉が自分の頭に浮かぶ。 自分には身近でも、決して真城にはないはずのもの。 闇の存在。 愛するあの人には……ありえないのに……。 うそ……うそ、うそ、全部うそ……。 全部夢。悪い夢を見ている。そうだ、悪い夢だ……。 目を開ければ、横には真城が寝ていて……。 現実逃避するように呟き続けて、すっと目を開ける。 けれど……そこには信じられない光景が広がっていた。 真城の姿が……消えていたのだ。 東桜の姿も……。 ただ、路地には蘭佳が……困ったように立ち尽くしているだけ。 「ま……し、ろ?」 呆然と真城の名を呼ぶが、勿論答えてくれる者はいない。 真城の無邪気な笑顔が過ぎる。 『よかったね!さっき、お医者様に会ったら、葉歌を外に連れてってもいいって言われたんだ!ねぇ、ボクの大好きな場所に行こうよ!絶対に葉歌も気に入るからさ』 外出できるぐらいに、体調が回復した時……真城はそう言って葉歌の手を取ってくれた。 真城が来るようになってから、自分は変わった。 身綺麗にするようになったし、笑うようになった……。 誰かを待つのがあんなに楽しいということを知ることも……真城のおかげだった。 葉歌の、大切な、心のピース。 それが……見当たらない。 なぜ……? 消えた……一瞬で。どこに? 「こっちです、こっち!人が喧嘩してる!!」 葉歌が錯乱状態に陥りかけた時、そんなことを叫んで、通りで物を売っていた商人風の男がこちらへと駆けてきた。 後ろに兵士を大勢引き連れて……。 「うぅ……うぁぉ……」 戒の声に葉歌は顔を上げる。 顔全体に不思議な青い印が広がっていた。 目が血走って、普段の彼とは別人のようだった。 「遠瀬くん?遠瀬くん?!ちょっと!!」 戒の異常な様子は、錯乱しかけていた葉歌の頭に、冷や水をぶっ掛けられたほどの衝撃を与えた。 葉歌の声など聞えないように戒はフラリ……と兵士達のほうへ足を向ける。 はじめはゆっくりだったが、徐々にスピードが上がっていった。 戒が一番先頭を走ってきていた兵士を蹴りつける。 その衝撃で吹っ飛びそうになる兵士をガシリと掴んで、グシャグシャッと兵士の顔を殴りつける。 葉歌は呆然とその様子を見つめるしかない。 10メートルくらい離れているのに、兵士の血が葉歌のところまで飛んできた。 あたりに血の臭いが立ち込める。 ふと見えた戒の表情が異常なほどに歪んでいるのが分かった。 ゾクリ……と寒気が走った。 「いやぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」 葉歌はこみ上げてきた嘔吐感と共に、悲鳴を上げた。 慌てて戒を追いかけて大通りまで出たのは良かったけれど、蘭佳は戒の異常な様子に寒気を覚えながら、その様子をただ眺めていることしか出来ない。 正直、続けざまに信じられないことが起こりすぎて、冷静に物事を判断できない状況だ……。 東桜に突き立てられた剣。 体勢を崩した真城の変則的な剣の動きを……読み切れなかったようだった。 稲光で視覚を奪われたのもあったのだろう。 そして、次の稲光の後に忽然と姿を消してしまった2人……。 東桜があんな深手を負うことなんて考えてもいなかった。 そのうえ、突然目の前から消えた……。 これは……どういうことなのだろう? そして……今、目の前で……戒の持つ力が解放されてしまった。 これが、自国の一師団を壊滅させた……彼の力。 取り押さえようとする兵士達を片手で吹き飛ばし、もう死んでいる兵士の顔をまだ殴り続けている。 カタカタと、自分の歯が音を立てているのに気がついた。 すると、蘭佳の前にいる、戒の戦っている姿を呆然と見ていた緑髪の少女がヒィ……ンと緑色の光を放った。 「いやぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」 甲高い悲鳴を発すると、彼女を中心にして風が円を描くように発生した。 蘭佳は目を見開いて、その瞬間を見た。 風が発生してまもなく……葉歌と戒の姿が……ふっと消えたのだ。 狂ったように兵士を殴り続けていた戒も、怯えるように戒の様子を見ていた少女も……跡形もなく消えた……。 一応、思い当たるものはあった。 風呪文最高位に位置すると言われる呪文……『風跳び』。 風の力を借りて、どんな距離でも移動できる呪文だ。 けれど、その呪文を使うことのできる術者は今では本当にごく僅かで、……あんなまだ年若い少女が使えるような呪文ではないはずだ。 それに、書物には『風跳び』は触れている人間だけにしか範囲を設けられないと書いてあった。 離れている人間までも一緒に跳ばしてしまうなんて……聞いたこともない。 更に付け加えるならば……あの少女は詠唱などしていなかった。 基本的に呪文というものはその名の通り、合言葉のように決められた言葉を詠唱して、その力を呼び寄せ、力を貸してもらうものなのだ。 それなのに、彼女のそれは呼び寄せたというのではない。 上手く言えないが……放出した……という言葉がしっくりくるような……そんな感じだった。 「あの子……何者?」 蘭佳は通りに立ち尽くして、ポツリと呟いた。 空を見上げると、先程まで覆い尽くしていた黒雲ははじけ飛んだようにどこにもなくなっていた。 宿へと戻って、フロントでタオルを借り、濡れてしまった髪を蘭佳は丁寧に拭いた。 服も水を随分と吸ってしまっている。 これは着替えないとまずい……。 それにしても、東桜とあの女剣士はどこに消えてしまったのか……。 そんなことを考えながら、部屋のドアを押し開ける。 すると、隣の部屋から誰かが暴れているような音が聞えてきた。 智歳と東桜の部屋だ……。 蘭佳はそう心の中で呟いて、すぐに隣の部屋へと足を向ける。 ドアを開けると、そこには肩から大量に出血している東桜がベッドに腰掛けていた。 濡れた服のままで腰掛けたせいか、ベッドのブランケットも東桜が座っている部分だけ異様に濡れていた。 だいぶ荒れた様子で足元にあった荷物を思い切り蹴飛ばす。 「はぁ……はぁ……くっそ……血がとまらねぇ……」 「トーオ、傷見せて!血、止められるかも!」 香里が今にも泣きそうな顔で東桜の袖をグイグイと引っ張る。 けれど、東桜はそんな香里のことを突き飛ばした。 床に尻餅をついた香里に智歳がすぐに駆け寄る。 助け起こしながら、東桜を睨みつける智歳。 「何すんだよ!香里は心配しただけだろ?!」 「うるっせんだよ!俺に触るな!!こんな傷はな、血さえ止まりゃ大したことねぇんだよ!!!」 「だ、だから、こーちゃんがエネルギー送れば、血止められる……」 「ふざけんな。そんな力の世話になんてなるかよ!俺はな、どんなに深手負ったって……」 「そんな力……?」 不機嫌そうに勢いだけで叫んでいるような東桜の言葉に、香里が傷ついたようにか細い声を上げた。 ポツリと。本当にポツリといった感じの呟きに、みんな黙り込む。 「あ、わ、わりぃ……そういう意味じゃない、コウリ。今のは……」 慌てて言い直そうとする東桜の言葉など、全く聞く耳も持たずに、香里は部屋を飛び出して行ってしまった。 智歳がそれをすぐに追いかけて部屋を出てゆく。 蘭佳は目を細めて東桜のことを見据えた。 まだ、血が止まる様子を見せないので、歩み寄っていって、珍しく優しい声で話しかけた。 「脱いでください。止血します」 東桜は失敗した……と思っているのか、気まずそうに口をへの字にしている。 軽口を叩かないのは初めてかも知れない。 使ってもよさそうな布を取り出してきて、東桜の右側に腰掛ける。 何重にもたたんで、東桜が脱いで見えた傷口を直接圧迫する。 「どうやって、戻ってきたのですか?」 「俺はある程度好きなように移動できるんだ……」 「そうなんですか。あの、あの子はどこに?」 「あ?何言ってんだ?俺が知るはずねぇだろ?」 不機嫌そうに東桜はボソボソと答える。 蘭佳は困ったように眉を吊り上げて、ため息を吐く。 「香里のエネルギー……使わせないために言ったんですか?先程のは」 「……さぁな。俺は単に、アイツの力なんてなくても生きれる男だからよ」 「香里は最近、他からエネルギーを吸収するのを躊躇っているようですね。最近睡眠が更に不定期になったのは……そのためかもしれません」 「相手にばっかエネルギー送ってたら、あいつが死んじまう」 弱っている生き物を見つけてはエネルギーを分けて、けれどエネルギー供給を自家発電にしているからどうしても追いつかなくなってしまっている。 今の香里の状態はそんな感じだった。 蘭佳はそっと目を細める。 「…………。ありがとうございます」 「は?」 「気持ちを述べただけです。あの子のこと、気に掛けている人は……たくさんいるから。香里にはそれをきちんと知って欲しいです」 蘭佳は優しく目を細めたまま呟いた。 血が布を赤く染めてしまったので、新しい布を持ってきて、またも直接圧迫をする。 東桜はその間、何も軽口を叩かなかった。 大量に出血してしまったから、オーラが弱っているようだ……と蘭佳は東桜の体のオーラの流れを見て察した。 |
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