第3章  病床のプリンセス

 戒はそっと葉歌を宿のベッドに下ろした。

 彼女が言った通り、渓谷から東へ少し走ったところに小さいながらも村があった。
 治める騎士も、警備のための兵士もいない……本当に小さな村だった。

 宿を管理している主人も、全く戒のことを気にする様子も見せず、簡単に鍵を渡してくれた。
 この村ならば……何も心配せずに、葉歌を休ませることが出来そうだ。

「っけほ……く……薬……」
 そっと下ろしたつもりだったが、すぐに葉歌は目を開けてそう呟いた。
 苦しそうに胸を押さえて、はぁはぁ……と息を切らす。

「薬?」
「……3日分だけ……何かあった時のために……ここに……」
 目を潤ませて、ぎこちない手つきで服の中から首に掛けてあった袋を取り出した。
 その中から薬の入った包みを戒の手に乗せてくる。
 雨のせいか、紙が少々ふやけていたが、中身はなんとか無事なようだった。

「どうすればいい?」
「お湯に……溶かして……こふっ……」
 ヒューヒュー……と葉歌の喉が鳴るので、戒はすぐに部屋の外へと飛び出した。

 宿の主人が眠そうな顔で、とっぷり暮れてしまった窓の外を見つめている。

「すまない、カップと湯をくれないか?」
「ん?あー……はいはい、部屋に持ってくので、待ってておくれ」
「ああ、頼む」
 戒は小さく頭を下げて、部屋へと戻った。

 葉歌が横になっているベッドの脇の椅子に腰掛けて大きく足を組み、枕元に薬の包みを置く。

「ふふ……。こふっ……けふ……」
 なぜかおかしそうに笑う葉歌。
 戒は怪訝な表情でそれを見つめた。

 葉歌はそっと部屋の隅を指差す。
 戒はその指の先を目で追い、目を細めた。

「この国はね……大体の宿に、用意されてるのよ……キッチンが……」
「……そうか……」
「こふっ……ええ。無駄知識だけれど、覚えておくと……ごほごほっ……!」
「大丈夫か?」
「ええ……たぶん……」
 口元を押さえて戒の問いに答え、何度も酸素を供給しようと、息を吸い込む。

「あなたは……生活感が本当にない……。きっと、放っておいたら、何も食べずに過ごしそうな……そんなイメージ……」

 おかしそうに笑う葉歌。

 戒はその言葉に腕組みをして、返答をしなかった。

 そっと目を閉じると、外で何かが騒いでいる声が聞えてきた。
 葉歌は意識が遠いためか、それには全く気がついていないようだ。
 すぐに立ち上がり、葉歌を一瞥してから部屋の外へと出る。

 宿の主人が湯気の立つカップを持って、外の様子を見て怯えていた。
「どうした?」
「さ、山賊かも知れん……最近、この辺は狙われてるって噂があったんだ……。けんど、この辺は山の中に村が点在しとるから、国も警備をきちっと回してくれんでな……」
「…………。部屋に病人がいる。任せていいか?」
「え?アンタはどうする?」
「僕の取り柄を発揮するだけだ」
「は?」
 主人は意味が分からないように首を傾げたが、戒はそんなことはお構い無しに外へと飛び出した。

 まだ、村のどこにも火などはつけられていない。
 どうやら、食糧などの略奪が目的なようだ。
 この村は倉も住居も造りが同じようなものになっている。
 暗がりで見分けるのは難しい。

 声がするほうへと走ってゆくと、村人達がどんどんこちらへと逃げてくる。
 入り口から正々堂々入って来たといったところか、警備兵がいないのだから当然といったら当然だ。

 戒はジャケットを脱ぎ捨てて、村人を襲っている山賊の1人に蹴りを1発叩き込む。
 まさか、向かってくる相手がいると考えていなかった山賊たちは動揺したように怯んだ。
 けれど、相手が1人だということがわかったのか、戒を無視して雪崩れ込むように村に入ってくる。

「ちっ……」

 どうする?
 全て片付けるか?
 いや、それよりもリーダーを叩いたほうが……しかし、統率が取れているような集団には見えない……。

 どうする……?
 対処法を考えながら、周囲の人間を殴りつけ、吹き飛ばす。
 村人に斬りかかろうとする山賊からどんどん片付けてゆく戒。
 けれど、どこから湧いてくるのか、山賊の数はどんどん増えてゆく。

 こんな数がいるということは……やはり、仕切っている者がいるはずだ……。

 しかし、どこだ?誰だ?暗くて見えない。

 そこに突然、激しい風が吹き抜けていった。
 戒も、暴れ回っていた山賊も目を瞑って動きを止めた。

「ここで首を落とされたくなかったら、早く手勢を退け!」
 そんな叫び声が、風で静まり返った村に響き渡った。

 戒は聞き覚えのある声に目を見開く。
「ほら、早く!死にたくないだろう?!」
 声のするほうに山賊たちが目をやり、戒も人ごみを掻き分けて、そちらへと歩いてゆく。

 明らかに腕が立ちそうな壮年の男に剣を突きつけ、真城が睨みつけて立っていた。
 男は手を上げて、武器を落とす。
「マシロ……?」
 戒はほっと安堵の息を漏らした。
 まさか、こんなところで会えるなどと思っていなかった。
 死んだのではないかとさえ……考えていた相手が目の前に現れたのだ。
 しかも……全く問題ないようにピンピンしている。

「くっ……キサマ……」
「本当に、斬るぞ?」

 真城が剣先を男の喉元にジリジリと近づけてゆく。
 ドクンドクンと……胸が脈打った。

 真城にそんなことができるはずがない。

 剣先が男の喉に刺さった時、ようやく、男が声を張り上げた。
「退けっ!お前ら……」
 その声に、山賊たちがどよどよとざわめく。
 けれど、余程、そのリーダー格の男の実力を認めているのか、その声に従って、下がり始めた。
 村の中から、どんどん外へと出てゆく。
 真城はまだ男を見据えて、全ての山賊たちが引き下がるのを確認している。
 全ての山賊が村から見えない位置までいなくなった時、ようやく、剣を下ろした。
「この村にまた来たら、今度は本当に加減しない」
「…………」
 男は武器を拾いもせずに、真城を睨みつけると走っていった。

 真城はそっと剣を鞘に納め、ふぃ〜……と息を吐く。
「マシロ」
 戒はすぐに真城に声を掛けた。

 真城が驚いたように戒のほうを向く。
「あれ?戒?どうしてここに?」
「それは……」
 こちらの台詞だと言おうとしたが、真城は歩み寄ってきて悩むように首を傾げてみせた。

「よくわかんないんだけど、気がついたら、草原に倒れててさ。とりあえず、この辺が山なのは分かったんだ……。その草原から王城が見えたから」
「…………」
「戒がいるってことは、みんないるの?もしかして、結構時間経ってたりするのかな?意識失ってたみたいで、全然時間の感覚がなくって……」
「いや」
 どちらの回答に対しても……という意味で首を横に振る戒。

 真城はうぅん……と唸り声を上げる。
「ハウタなら宿にいる。よくわからないが、僕も気がついたら、この近くの渓谷にいた」
「え?そうなの?……なんなんだろうね……」
 不思議そうに目を細めて、時折グリグリと右手を回す真城。

 戒はようやく思っていた疑問を口にする。
「お前、刺されたはずだろう?傷は?なんともないのか?」
「…………。うん、全然……平気。よくわかんないけど……」
 真城は頼まれてもいないのに、ピョンピョンと体を弾ませて健在ぶりをアピールしてみせた。

 戒はその様子を見て、一応安心する。

 真城は腑に落ちないように何度も何度も右手をグリグリと回す。

「よかったぁ……リーダー叩いて退かなかったらどうしようかと思ってさ」
「そうだな……」
「あ、宿どこ?葉歌が心配で心配で仕方なかったんだぁ」
 今度は左手をグリグリと回し始める真城。

 真城の笑顔は屈託がなくて、すぐに戒はこっちだ……と示すように歩き始める。

 歩き始めても真城は左手をグリグリと回していた。

「どうか……したのか?」
 戒がようやく尋ねる。すると、真城は手を止めて、戒に視線を寄越した。

 けれど、何も答えずにまた手を回し始める。

 戒は目を細めてその様子を見守る。

「なんか……変なんだ……」
「ん?」
「自分の体じゃないみたいで……」
「何を言ってる?」
「よくわかんない……。でも、戒がマシロって呼んでくれてほっとした。体、ボクなんだよね?」
「当たり前だろう?」
「……うん……」
 戒が珍しくそこでおかしそうに笑いながら答えると、真城も安心したように柔らかな笑みを浮かべてみせる。

 柔らかい空気が流れているところで言うことではないかもしれないが、真城は葉歌のことを気にしているだろうとすぐに話を変える。

「ハウタの調子が良くない」
「雨に……当たったもんね?熱出た?」
 左手をグリグリと回しながら、真城が慣れた調子で尋ねてくる。

「ああ、それもあるが、咳がひどい」
「え?」
「だいぶ、衰弱してる」
 戒は困ったように目を細めて、空を見上げる。

 山の上なのもあってか、星空は森の中で見たものよりもだいぶ近くに感じた。
 真城が少しだけ歩くスピードを速めた。
 だから、戒もそれにあわせるように歩く。

「薬……は?」

「3日分ならあると言っていた。すぐに手に入るような薬じゃないのか?」

「……少し、高い薬で……都市の優秀なお医者さんが調合してくれたものなんだ。最近は飲む薬の量も減ってきてて、大丈夫だって言われてたんだけど……」

「……そうか……」

「ここ?」
 宿のマークのついている家の前に来て、真城が戒に確認を取る。
 戒が頷くと、真城はすぐに宿へと入っていった。

 宿の主人が戒に尋ねてくる。
「どうなったんだい?」
「大丈夫だ……山賊どもは退いた」
「そうかい……なら、よかったよ。あれもお客さんかい?」

 真城のことを指差して聞いてくるので、戒は頷いて、もう1人分の代金を葉歌から預かった財布から出した。

 真城が部屋を教えろと言わんばかりにこちらを見つめてくるので、すぐに取ってある部屋のドアを開ける。

 部屋には苦々しい薬の臭いが広がっていた。
「葉歌?」
 真城が優しい声で呼びかけて、すぐにベッドの脇に駆け寄り、膝をついて、葉歌の顔を覗き込む。

 枕元の棚に空になったカップが置いてあった。
 薬はなんとか自分で飲んだようだ。

「ま……し……ろ?これは……夢?」
「ううん、夢じゃないよ」
 真城が葉歌の額に手を触れて、柔らかく微笑む。

 葉歌は苦しげに表情を歪ませて、次の瞬間、涙を零した。

 戒は壁に背をもたせてその様子を見つめていた。

「よかった……無事で……。怪我は?なんともないの?」
「うん、だいじょうぶ。どこも怪我してない。ほら?」
 真城は着ている服の腹部の辺りを示してみせる。

 戒も葉歌も、真城の体に刀が突き刺さっているのを見たのに、血はおろか、服には刀が刺さった跡もなかった。

 それが逆におかしいのだが、葉歌は真城が無事だったことが嬉しかったようで、そのことには特に触れなかった。


「熱……引いたんだね?」
「ええ、だいぶ、楽になった……」
「よかった……」
 真城が安堵のため息を吐いて、葉歌の手をそっと顔に寄せる。

「葉歌……無理しちゃいけないよ?」

「大丈夫よ。寝れば、落ち着くわ……ただ、しばらく、歩くのは無理そう……」

「薬……足りないよね?」

「…………」

「この村まで歩いてきて分かったんだけど、ここは関所を越えた山の中らしいんだ」

「……どうして?」

「それはわかんない。ボクにしても、2人にしても、なんでこんなところにいるのかは……。でも、そんなことはどうでもいいよ。まず、葉歌の薬を……」
 真城が葉歌の手をギュッと握り締めて言おうとした言葉を、葉歌は遮った。

「……無理ね……」

「葉歌……」
 葉歌の言葉に悲しそうに真城が目を細める。

 そんな状況なのに、空いている左手をグリグリと回し続けているのが見えた。

「都市には遠いし、兄ぃたちと連絡を取ろうにも……」
「……とにかく、つっくんたちに手紙を出そう!なんとか、間に合えば……」
 真城が懸命に葉歌を励ますが、葉歌は冷静な声で答える。

「手紙が着くまで、兄ぃが黙って町にいるとは思えないわ」
 その言葉に困ったように目を細める真城。

 戒がそこに口を挟む。

「呪文については詳しくないんだが、風に手紙を乗せて送るということはできないのか?」
「……あまり実用化はされてない方法ね……でも、できないことはないかもしれない」
 戒の言葉に葉歌は天井を見つめて答える。

 真城がすぐにそれに反対の意を示した。
「葉歌、体の調子が悪いのに、呪文なんて!」

「どのみち、薬がないと……どうしようもない」
 真城に葉歌は自嘲気味に笑いかける。

 真城は悔しそうにそれに対して、眉を歪ませた。

 戒は静かにその様子を見つめる。

 村に薬師がいないかどうかを宿の主人に訊くべきかもしれないという考えが心に浮かぶ。

「手紙……書いてちょうだい……。どっちみち、わたしたちの無事を伝えないと、特に兄ぃが大変なことになってそうだから」
「でも……」
「急がないと、兄ぃが町を出ちゃうわよ。そのくらいしかねないんだから。あなたのことになると、月兄ぃは冷静さがなくなるんだから」
「…………」
「今晩中に届くように、風にお願いするわ」
 迷うように伏目がちで真城が黙り込むと、葉歌は自分の力でゆっくりと起き上がった。

 真城が慌てて葉歌の背を支えようと立ち上がる。

 けれど、葉歌はそれを振り払った。

「大丈夫よ、ほら。起き上がる力ぐらいある。大丈夫」
 真城の心配そうな表情をしっかりと見据えて、葉歌はきっぱりと言い切った。

 どんなに表情を頑なにしても、青白い顔は誤魔化せないのに。
 それでも、葉歌はしっかりとした表情を崩さない。

 真城が、ごくりと唾を飲み込み、考え込むように目を閉じた。
 葉歌の大丈夫はアテにならない……そう思っているようだった。

「大丈夫じゃなかったら言うって、わたし、真城に言ったでしょう?」
「ハウタ、マシロの気持ちも察してやれ」
 戒がそう言うと、葉歌は視線だけこちらに寄越して、そっと目を細めた。

 よくわかっている……と言いたげな目だった。
 付き合いが長い。当然のことだ。

「葉歌……本当に、平気なんだよね?」
「ええ。たとえ、消耗が激しくても、薬が届けば大丈夫になるわ」
「…………」
「真城」
「今、手紙書く……」
 真城は根負けしたように頷いて、ベッドの脇にあった棚の中から、メモ帳のような小さなノートを取り出して、そこにサラサラ……と文章を書き始めた。

 戒は静かに部屋を出て、主人に尋ねる。
「この辺りに、薬師はいないか?」
「薬師?……残念だけど、いないねぇ……」
「そうか」
 主人の言葉に戒は目を細めた。

 けれど、主人が付け加えるように人差し指を立てて口を開く。

「だが」

「?」

「薬草ならあるよ」

「何?」

「どんな病にも効くと云われている薬草が、塔の近くに時折実をつける」

「塔?」

「風車に囲まれた塔でね、誰も入れないらしいんだが、その周囲に……あると聞く」
 戒はその風車に囲まれた塔……という言葉に、ある場所を思い出した。

 あかりと共に訪れた場所のひとつ。
 あそこは風がよく集まり、魔力を貯めこむのに十分なのだと……塔に住む少女が自慢げに言っていたことを思い出す。
 確かに、あそこなら、そんな薬草が育つような環境になっていても不思議ではない。

「乱獲すると減ってしまうから、この周囲の村の者だけしか知らないんだが……。あの女の子、大変そうだからね」
「効くというのは?」
「完全に治るって意味ではないよ?さすがにそんな無責任なことまでは言えない」
「……わかっている。大事な情報だろうに。感謝する」
「いやいや。山賊を追っ払ってくれたんだろ?このくらい、村のみんなも怒りはしないさ」
 主人の笑顔を一瞥して、すぐに戒は部屋へと戻った。

 部屋では真城が葉歌の体をゆっくりと横たわらせているところだった。

 窓から涼しい風が、ひゅーー……と入ってくる。

 戒はその風に目を細めた。

 葉歌は、呪文を放ってすぐに意識が遠のいてしまったようで、グッタリと布団の中に体を埋もれさせていく。

「無事に……届くといいな」
「うん」
 葉歌の腕を布団の中に入れてやりながら、真城はコクリと頷く。

「マシロ」

「ん?」

「特別な薬草が……近くにあるらしい。それを採りに行こうと思うんだ……」

「え?」
 戒の言葉に真城はようやくこちらを向いた。

 戒はカツカツ……と窓まで歩み寄って、すぐに窓を閉める。

「タツセたちが先に着いたらそれはそれでいい。僕は明日行ってくる」

「わかった」

「……もしかしたら……」
 ゆっくりと振り返り、葉歌の寝顔を見つめている真城を見下ろす。

 不思議そうに再び戒の顔を見上げてくる真城。

「ん?」

「救世主の亡骸も、そこにあるかもしれない」
 真城の間抜けな顔に対して、戒はいつもよりもクリアな声で言い放った。

 葉歌のことを心配している真城はそのことに対して、何も言うことはなかったけれど、戒はそっと窓の外を見つめて、目を細めた。

 あの塔には……まだ、いるのだろうか?

 金の髪の少女を主として、塔の番人の役割を担っていた……あのカラクリ人形が……と、心の中で呟いた。


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