第4章 彼女に起こった異変 「璃央、服が欲しい。街に行きましょう」 「え?」 璃央は御影が言うとは思いもしなかった言葉に驚きを隠せずに顔を上げた。 璃央が溜まっていた書類を片付けているその横で、椅子に腰掛けてじーっと見つめていた御影が、自分の服を確認しながら、悩ましげに目を細める。 艶のある表情に赤のフレアスカートは、確かにガーリッシュ過ぎて、今の御影には合っていない。 「子供っぽいでしょう?この服じゃ……。昔は好きだったのだけれど」 「い、いえ、御影様はなんでもよくお似合いになりますよ?」 「嘘です。不似合いだと……お思いになった」 慌てて首を横に振る璃央を見透かすように御影は目を細めて言う。 璃央は言い返す言葉もない。 「わたし、騙されませんよ?」 若干柔らかさのこもった声でそう言う。 どうしても、表情だけは明るくならない。 何か制限でもされているかのように、どこか不自然さが付き纏う。 「り……璃央がお仕事終わってからで構いませんから。ね?」 ふと表情を歪めて、一呼吸置いてから言い聞かせるように御影は言った。 なので、璃央はニコリと優しい笑みを返す。 御影が部屋のカーテンを開けたというだけでも、個人的には快挙だというのに、彼女は自分から外に出たいと言ってくれた。 こんなに嬉しいことがあるだろうか? 一体、何があったのかはよく分からないが、そんなことは些細なことだ。 今、目の前に御影がいる。それでいい。 「服は結構用意してあったはずですが、お気に召しませんでしたか?」 「……ちょっと、あれはあれで、わたしには大人っぽすぎるかと……」 小首を傾げて答えてくる御影。 少々恥ずかしそうにそっと目を伏せる。 璃央はその表情を見逃さなかった。 本当に……彼女は御影なのだ。 戻ってこようとしている。徐々に。徐々にだが。 彼女の中で何が起こったのかはわからない。 けれど、戒が来てからなんとなく分かったことは、御影の中の『御影』が彼女の体を支配してしまったのかもしれないということ。 時々、本当に時々だが、御影と会話したと戒が言ってきたことがあった。 『御影』ではなく、御影と。 一体どういう関係でそうなるのかまではわからないのだが……。 その時々が、今、璃央の目の前で起こっている。 そっと璃央の肩に寄りかかってくる御影。 璃央は書類を片付けながら、静かに目線を動かす。 「ずっと……こうしたかった……」 御影の安心しきった声が耳元でした。 璃央は御影に見えないのは分かったけれど、優しく目を細めて笑う。 書類の上を滑らせていたペンを止めてコトリと置くと、机の端に置いておいた笛を手に取り、優しい音色を奏で始めた。 御影が頭の位置をそっと直して、その音色に耳を傾ける。 なので、璃央は一層優しく音色を弾ませようと、目を閉じて指を動かした。 葉歌は鳥の囀りで目を覚ました。 ぼんやりとした目で室内を見回す。 真城も、戒もいなかった……。 昨夜、真城と話したのは夢だったのだろうか……。 ふと、そんな考えが過ぎる。 ゆっくりと起き上がって、窓の外に目を向けた。 体がどうしようもないほど気だるい。 いつものだるさに慣れている体でも耐えられないほど、自分の体が重たかった。 窓の外で誰かに手を振っている真城が目に入る。 「ま……」 慌てて体を乗り出した葉歌はそのままベッドから転がり落ちてしまった。 「痛……」 自分の周囲の見えなさに苦笑が漏れる。 したたかに体を打っただけで、特に痛めたという箇所はなさそうだ。 ベッドから転がり落ちて怪我をしたなんて笑えない。 ただでさえ、体調が芳しくなくて、2人に迷惑を掛けているというのに……。 なので、そのことに関してはほっと安堵した。 すぐに腕に力を入れて立ち上がろうとしたが足に力が入らない。 こんなに急に衰えるなんて……。 薬とか病気とか……そういう問題ではないのかもしれないという思いが巡る。 仕方がないのでベッドにしがみついて、這うように戻る葉歌。 カチャリ……とドアが開いて、真城がすぐに驚いたように声を上げる。 「どうしたの?」 「お、おはよう、真城。……ちょ、ちょっと……歩けるか確認しようかと思って……」 葉歌は誤魔化すように笑ってそう言った。 その場に村で買ってきた物を置いて、すぐに駆け寄ってきて肩を貸してくれる真城。 「ありがと」 「無茶しないで」 「え、ええ……」 真城の優しい声に、余計に情けなくなる。 真城はそっと葉歌をベッドに腰掛けさせると、ポンポンと頭を撫でてきた。 「駄目だよ、疲れるようなことしちゃ」 「ごめんなさい……」 しゅんとしょげるように俯く葉歌を見て、真城が慌てたように頭をカシカシ……と掻いた。 「そ、そういえば、遠瀬くんは?」 葉歌はすぐに話題を変える。 真城はドアのところに置いた荷物を拾い上げてから振り返った。 「ちょっとね、野暮用」 「用事?彼が?」 不思議に思って葉歌は首を傾げた。 真城はニッコリと笑って頷く。 「うん、2日くらいで戻るはず」 「……そう」 「ボクは、葉歌のお世話係だから残った」 目を細めて納得したように頷く葉歌に、真城は茶目っ気たっぷりの笑顔でそう言った。 葉歌はむっとむくれる。 「なによ、お世話係って……」 「はは……そのまんまの意味でぇす」 真城は茶化すように笑い、空いているベッドに服の入った袋を置くと、キッチンへと入っていった。 「お粥作るからちょっと待っててね」 「え、ええ。あの、この服は?」 「ん?着替え。さすがに、この格好で剣持ってるとおかしいし、何かあった時戦えないから」 紙袋をゴソゴソとやりながら答えてくる真城に、葉歌は返す言葉が見つからない。 ただ、その服を見つめるだけ。 「…………」 「ごめんね、葉歌が選んでくれたってのはよく分かってるんだけど」 その言葉の時だけは真城はしっかりとこちらを向いて言ってくれた。 なので、葉歌はそういう意味ではないと意思表示するように首を横に振った。 「葉歌のね、パジャマも買ってきたから。あとで着替えよう。雨に濡れた服だし……熱で汗もかいたでしょう?」 「ええ……」 「葉歌、薬って食前?それとも、飲む時間が決まってるとか?」 シャカシャカと米を洗いながら尋ねてくる真城。 「咳がひどくなった時に飲むようにしてるから、特に決まってはいないの」 「そっか……じゃ、今のところは平気かな……?」 「ええ」 鍋を置いて洗った米と水を入れて蓋をし、薪をくべ、火打石で手近にあった紙に火をつけると、それを釜戸に放り込んだ。 そして、すぐに葉歌の傍の寄ってきて、そっと額に触れる。 米を洗っていたためか、手がひんやりとしていて気持ちがよかった。 自分の額にも触れて確認するように天井を目だけで見つめる真城。 「熱は……一時的だったみたいだね」 「ええ、そうね」 葉歌はその真城の表情を見つめて、ふんわりと微笑んだ。 パチパチッと火花の飛ぶ音が部屋に響く。 真城がそっと葉歌の隣に腰掛けて、バタンとベッドに倒れこんだ。 グリグリと両手を回している。 「真城……昨日から、ずっとそうしてたみたいだけど、どうかしたの?」 葉歌は目を細めて尋ねる。 真城はすぐに両手を回すのをやめた。 「なんか……変なんだよね……」 「何が?」 「自分の体じゃないみたいで……」 「え?」 葉歌は真城の言葉に首を傾げた。 どこからどう見ても真城なのに、何を言ってるのだろう。 「馬鹿みたいなこと言ってるのは分かってるんだけど……。なんか、慣れてないっていうか……なんていうか……。力の加減もし辛いし……」 うぅん……と唸って、頭を掻く真城。 葉歌は心配になって真城の顔を覗き込もうとした。 けれど、カクンと腕の力が抜けて、真城と同じようにベッドに倒れこむ。 「……風邪でも引いたんじゃない?真城だって雨に濡れたんだし……」 「いや……そんな感じは……ないんだ……」 布団に顔を半分埋めた状態で真城を見つめる葉歌。 真城は天井を睨みつけて悩ましげに唸っている。 けれど、唸るのを止めたかと思った途端、真城の息遣いが止まった。 「真城……?」 葉歌はすぐに呼びかける。 けれど、真城から返事はない。 パチパチッと火花の弾ける音と、グツグツとお湯の沸騰する音だけが部屋の中を支配する。 葉歌が真城の体に手を伸ばそうと思った瞬間、真城が勢いよく起き上がった。 そして、葉歌の体に手を伸ばして優しく起き上がらせてくれる。 「びっくりさせないで……」 葉歌は安心して笑顔を浮かべたが、真城の様子がおかしかった。 泣きそうな目で葉歌を見つめている。 「真城、どうしたの?」 「ぼく……」 真城の『ボク』とは違うニュアンスの『ぼく』だった。 「真城?」 「ずっと……ずっと」 こみ上げてくる感情を抑えるようにして、搾り出される声。 葉歌は状況が掴めなくて、真城の次の言葉を待つ。 すると、言葉よりも先に、きゅっと葉歌のことを真城が抱き締めてきた。 繊細なものを扱うように怖々と……優しい腕が包み込む。 葉歌は何が起こっているのか、よくわからなかった。 「どうしたの?真城?ん?」 優しい声で包み込むように耳元で囁いて、ポンポン……と真城の背中をさすってあげる。 不安そうに、怯えるように、恐怖を我慢するように抱き締めてきているように感じたのだ。 「ずっとずっと……お慕い、申し上げておりました……」 真城の声が可愛らしく裏返って、葉歌を抱き締める腕に力がこもる。 葉歌は驚いて目を見開いた。 そんなことはあるはずないのに、どうしたというのか……? 真城らしくない口調も気にかかった。 「あなた……」 葉歌が口を開こうとした時、真城はそっと体を離して、葉歌の顎に指先を添えた。 葉歌は目を白黒させて真城を見つめる。 「お願いです……死なないでください……。絶対に、ぼくが護ってみせるから」 真城がそう言うと、ハラリと目から涙が零れ落ちる。 真城の表情が悲しそうに歪んでいた。 ポロリポロリと涙を零す真城。 そして、段々近づいてくる顔。 葉歌は真城が何をしようとしているのかがわかって、一瞬躊躇った。 止めなければ……自分の想いは叶う。 けれど……。 『葉歌は、ボクの大切な親友だからヤダ』 まだ、村にいた頃、真城が言った言葉が頭を過ぎる。 駄目だ……。真城を裏切ることになる。 これは真城じゃないとわかっているのに……ここで止めなかったら、自分がきっと後悔する……。 葉歌は慌てて、真城の口を両手で塞いで拒んだ。 悲しそうに真城が目を細めるのが見えて、心臓が誰かに掴まれたような切ない痛みを発する。 それでも、葉歌は今出せる精一杯の鋭い声を出した。 「あなた、誰?真城の中で何やっているの?わたしの真城を返して」 「……ハウタ……さん……」 悲しそうに、真城の口からそんな声が漏れる。 葉歌はその声にぴくりと反応した。 けれど、どこかに引っかかっているものが反応しただけで答えではなかった。 真城が泣きながら再びベッドに倒れこむ。 葉歌はトクントクンと反応する鼓動を抑え、真城の顔を覗き込む。 今度は腕の力が抜けないように少し用心して……。 眠っているような表情がそこにある。 「……ん……」 そして、すぐに目を開ける真城。 ほっと胸を撫で下ろして葉歌はニコリと笑いかける。 「真城?」 「……葉歌……どうかしたの?」 真城はぼんやりとした目で葉歌を見上げて、ぽやーんと耳に残るような声で言った。 葉歌はフルフルと首を左右に振る。 「いいえ、なんでも。それより、そろそろ、お粥……」 「え?もう、そんな?」 真城はすぐに起き上がって、キッチンへと駆け込んでいった。 葉歌は先程の不思議な感じを何と言っていいのか分からずに唇を噛み締めた。 真城に言うべきかどうか……。 けれど、本人を不安がらせてもあまりいいことはない気もするし……。 どうしたものかと、思案していると、熱くなっていた蓋をそのまま持ったのか、ドンガラガッシャーンと賑やかしい音がキッチンでした。 |
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