第7章 主の帰還 「あかり、危ないっ!!」 誰よりも早く……あかりの危機に気がついたのがキリィだった。 穢れの元になっていた場所を清めようと、あかり1人が前に出て、指を組み、ブツブツ……と何かを唱えている時、黒い風が周囲を漂い、次の瞬間、かまいたちが起こった。 その黒い風を、キリィは以前にも見たことがあったから、なんとも言えぬ不安と共に、ダダダッと駆け出していた。 父親が亡くなった時に見た風。 嫌な予感。 走らずにいられなかった。 ドンッと力強くあかりを押し倒し、自分も伏せようとしたが、それよりも早く風がキリィの体を貫いていった。 あまりのスピードの速さに、痛みなんて感じもしなかった。 ただ、バタリ……と地面に倒れこみ、意識が朦朧とした。 「う……」 静かに漏れた苦悶の声。 その声にすぐにあかりが起き上がって、キリィの体を抱き起こす。 ズンズン……と鬼月が歩み寄ってくる音と、キミカゲが心配そうに何か言ったのが聞えた。 目を開けると、そこにはあかり・鬼月・キミカゲ・御影・セージ……。 それぞれの顔が眉をひそめてキリィのことを見下ろしていた。 「キリィさん?!しっかりしてください!!すぐに回復して……」 「よい……」 「え?」 「致命傷じゃ……。おぬしの力を無駄にするな」 はぁはぁ……と切れる息を必死に繋ぎながら、キリィはあかりの顔を見て、なんとか笑みを浮かべてみせた。 あかりは悲しそうに唇を噛み締めてキリィの言葉に首を横に振る。 「……イヤです……」 「あかり……?」 「わたし、もうイヤです。こんな力……誰かを助けられなかったら意味なんてない。目の前の誰かを助けられなかったら意味なんてないんです!!仕方ないなんて……言いたくない!!……言いたくないよぉ……」 うっうっ……と涙を零しながら、あかりはキリィの体に手をかざす。 ポゥ……と音を立てて、暖かな風がキリィを包み込んだ。 キリィは自分の意識が途絶えそうになるのを必死に繋いで、あかりの手を掴んだ。 あかりがビクリと体を震わす。 「……はぁはぁ……たわけが」 「キリィさん……」 「おぬし、こんな力と言うたか?」 「…………」 「友がくれる力を、こんな力と……」 あかりは初めて会った時に言った。 『風は友達だ』と。キリィは、それを忘れていない。 「だって……」 「おぬしの力は、世界を救う。ワシが約束する……絶対じゃ。今は護れない……だが、この先、おぬしの力で救われる者は多く現れる。じゃから、そんなことを言うな。早く清めよ。ワシはいいから。あの……黒い風が……全ての元凶じゃ……」 キリィは苦しいのを堪えて、逃げてゆく風を指差し、あかりを叱咤する。 あかりはイヤイヤ……とまだ首を振っている。 キリィの視界がぼやけた。 「鬼、月……」 静かに鬼月の名を呼ぶと、すぐに鬼月は言葉の意を察したようにあかりからキリィの体を奪い取って抱き上げてくれる。 「早ク。コレ、キリィノ……我ガ主の、意志。オ願イダ……あかり」 「鬼月さん……」 「あかり、早くなさい」 御影がイライラしたような声であかりを急かした。 本当は……自分も清めようとしたのだろう。 御影はいつの間にか指を組んで、風に体を向けて立っていた。 「御影」 「とろとろとして……あなたはいつも、助けてくれる方の期待を裏切る。いい加減になさい。ポヤヤンとしてれば、それでいい時間は、もう過ぎてよ」 「…………」 「わたしがサポートしてあげるわ。だから、早く」 颯爽とあかりの後ろに立って、しゃがみこんだままのあかりを立ち上がらせ、御影は目を閉じる。 風がふわりふわり……とそよぎ、あかりと御影の周りを漂い始めた。 あかりは悩んでいる暇などないのを、そこでようやく感じ取ったのか、ブツブツ……と風に語りかけるように何かを唱えだした。 黒い風はもうだいぶ上空まで行ってしまっていた。 けれど、キリィのぼやけた視界の中でも、きちんとその存在を感じ取れた。 「親父の……仇じゃ……」 キリィはそんな言葉を呟いて、ニィと口元を吊り上げる。 「我に力を貸したまえ。今、此処に……清らかなる大地を取り戻します!」 あかりの涙混じりの叫びが辺りに木霊し、激しい風がぶわっと発生した。 キリィの長い髪が、その風になびいてゆく。 キリィは……そこで、目を閉じた。 もう、意識を保つ余裕はない。 けれど、最期に……思った。 初めての友が、あかりでよかった……と。 きっと、人間と仲良くなることなどないと思っていたのに。 誇るべき友だ。彼女は……きっと、全ての人を救ってくれる。 そんなキリィの体を、鬼月が硬い体ながら、優しく抱き締めてくれたのを感じ取って、キリィの意識は途絶えた。 戒は素早く山賊たちの立ち位置を確認し、動くラインを決めて、飛び上がった。 グシャリと一番手近にいた男の頭を踏みつけ、勢いをつけて飛び上がり、並んでいる3人に連続で蹴りを浴びせ、スタッと着地を決めた。 ドサドサと倒れてゆく山賊たち。 一応加減した。死んではいない。 鬼月がだいぶ離れた位置で、太い棒を振り回して戦っているのが見えた。 あの様子ならば、簡単に壊されたりはしないだろう。 彼の体のへこみは、こういう侵入者との戦いのために出来たものだったのだ……。 戒はグルグル……と右腕を回す。 蘭佳との戦いの時には既に治っていたもの。 これならば、行ける。 「よし」 戒は言葉を吐き出すようにして、気合を入れ、山賊たちの中に突っ込んでゆく。 思い切り殴りつけた後、すぐに飛び上がり、回し蹴りで一気に薙ぎ倒す。 スタリと着地して体を屈めた状態で、駆け寄ってくる相手の足を払い、その後ろから来ていた相手が怯んだ隙に、素早く飛び掛って肘打ち、掌底、裏拳。 たった1人と1体で、はじめにいた山賊たちの数の半分をのしてしまった。 目の前の敵を蹴り倒そうとした瞬間、後ろからガツンと硬い棒で殴られて、戒の頭から血が溢れ出る。 頬を伝って、戒はその血をペロリと嘗めた。 生臭い臭いが鼻腔に広がり、具合が悪くなった。 ヒィィィ……ンと青い光が顔に浮き出る。 「…………っ」 殴られた箇所がズキリと痛んだが、戒はその光に負けないように奥歯を噛み締めた。 目を細め、顔を歪めて耐え続ける。 目の前にいる人間を殺してしまいたいという衝動が広がりそうになるが、戒は理性を繋ぎ止めて一心不乱に叫んだ。 「本当に、お前が僕の力なら、言うことを聞けぇぇっっ……!!」 その叫びと共に、青い光が辺りを包む。 痛みはまだ持続していたが、血がピタリと止まった。 周囲が静かになってゆく。 いや、山賊たちは怒号を発しながら戒や鬼月に向かってきている。 けれど、戒の耳にはその音が聞えなかった。 周りの者の動きがスローモーションに見える。 山賊の群れの中に、真城が一昨日剣を突きつけていた男がいるのを見つけた。 リーダーはヒゲをたくわえた、壮年の男。 戒はグッと右拳を握り締めると、ザザザッと草を蹴りながら、山賊たちの間を駆け抜け、リーダーの男を殴りつけた。 さすがに腕が立ちそうな男なだけあって、戒の気配を察知して、殴られた瞬間、体を流して、ダメージを緩和させたのがわかった。 「お前は、懲りないな」 「ん?何処かで会ったか?」 男は興味なさそうに戒のことを睨んでいたが、すぐに目を見開いて、懐から紙を取り出した。 何度も何度も戒と紙を見比べている。 戒は目を細めてすぐに飛び掛った。 加減はするが、容赦はするつもりがない。 ガスッガスッと殴りつけ、男の体が仰け反った瞬間、長い脚で思い切り蹴り上げた。 男の手から紙がハラリと落ち、戒はそれを素早く掴んだ。 紙には『指名手配犯:戒 特徴:黒髪黒目・無愛想な顔・長身細身』と書いてあり、その下にはデカデカと微妙な似顔絵(しかも、ずいぶんな悪人面)、更にその下には懸賞金額があった。 「……似てないな……」 珍しくそんな呟きを漏らし、クシャクシャと握りつぶす戒。 この似顔絵で、あの男は心当たりが……という顔をした。 少々、戒でも不機嫌になった。 リーダーを倒しはしたものの、鬼月や風車を壊すことに必死になっている山賊たちは止まる様子を見せず、戒の周囲にいた山賊たちだけが逃げてゆく。 青い光をゆっくりと落ち着かせて消し、ふぅ……と息を吐いた。 コントロールするというのも、だいぶ神経を使う。 徐々に慣らしていくべきものらしい。 すぐに風車を壊しているグループの元へと駆けていき、戒はあっという間に全ての者を蹴り伏せた。 鬼月もなんとか囲んでいた一団を殴り倒し、シューンシューン……と音を立てて、周囲を確認している。 すると、逃げていったはずの山賊たちが森に入る一歩手前でドサドサドサ……と倒れたのが見えた。 戒はすぐにそちらに目をやる。 銀髪で長身の剣士が、山賊たちを見下ろして立っていた。 薄緑色のYシャツに黒のズボンと、上等で丈が長めのジャケット。 それをベルトで腰のところですぼめ、腰に大剣を差している。 鞘に大剣をカチンとおさめ、ふぅ……と息を吐き出して、その剣士もこちらへと視線を寄越した。 「すごいなぁ……君たちが倒したのかい?これ全部」 感心したようにそう叫んで、タタタッと軽やかにこちらへと走ってくる剣士。 年の頃は二十歳前後といったところだろうか。 「参ったなぁ、これ、僕の任務だったんだけど……。まぁいいか、ありがとう。手間が省けました。僕は、蒼録国境警備隊・第二隊副長助勤の紫音と言います。もし良かったら、お名前を教えてください。国から褒章が出ますよ」 快活な調子で滑舌よく話し、スッと手を差し出してくる。 どうやら、握手を求めてきているようだ。 戒は紫音が気がつかないくらいの微妙さで目を細めた。 警備隊ということは、国の兵士だ。 戒がこのまま名乗ったら、揉め事になるだろう。 戒は紫音に差し出された手を握り、彼の眼差しを見据える。 深い紫色の目が真っ直ぐ戒を捉えていた。 「来栖だ」 「来栖さん。カッコいい名前ですね」 ニコリと朗らかに微笑んで、戒の手をブンブンと振る。 どうも、調子が狂うタイプの快活青年だ。 全く戒が指名手配犯だということには気が付いていないようだし。 まぁ……あの似顔絵だけで覚えていて、すぐに思い当たったという顔をされると、少々戒も困惑してしまうところがあるのだが。 「そちらの方は?」 紫音は全く臆することもなく、離れた位置に立っている鬼月に笑いかける。 おそらくは、鎧の中に人が入っているとでも思っているのだろう。 鬼月はシューンシューーン……と音を立てながら、こちらに近づいてくる。 「あ、そうだ、捕縛しないと。凄いですね、みんな殺さずに片付けてる。凄いな、戦ってみたいですね、あなたたちと」 一斉に逃げていった山賊たちを一瞬の剣技で片付け、しかも、相手は全て気を失っているだけ。 紫音という男が、相当腕が立つということは気配だけでもわかるくらいだ。 荷物から縄を取り出して、バサバサッと地面に置き、これだけの人数縛れるかなぁ……とかいうことを一人ごちている。 ようやく、鬼月が戒の脇まで来た。 戒は鬼月を見上げ、 「国の兵士だそうだ」 と伝えた。 「…………」 けれど、鬼月は全く反応をせずに、紫音のことを見下ろしている。 シューン……シューン……と音を立て、ずっと紫音から目を離さない。 「鬼月?どうした?」 「…………」 「すいません、あの、彼らを縛るの、手伝ってもらえませ……」 紫音があまりの山賊の多さに舌を巻いて、俯いていた顔を上げた時、鬼月はガシッと紫音に掴みかかった。 あまりに急なことで戒は目を見開いて、その様子を見守る。 紫音はさすがというところで、掴まれてすぐに腰の剣に手を置いていた。 ニコリと笑って、 「何の真似でしょうか?目的次第では……斬ることになりますが」 と言い放つ。 けれど、鬼月は構わずに紫音を持ち上げ、自分の肩へとドカリと乗せる。 目を白黒させたのは紫音のほうだった。 剣から手は離さなかったが、抜くに抜けない位置だった。 「待ッテタ。鬼月、オマエノ帰リ、ズット待ッテタ」 鬼月は抑揚のない声で、それでもやや早口でそう言った。 体を弾ませるように動かし、戒に声を掛けてくる。 「キミカゲ、キリィ。帰ッテキタ、我ガ主」 戒はその言葉に、そっと目を細める。 紫音は意味が分からないように怪訝な表情で、鬼月と戒のことを見比べていた。 |
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