第8章 主は優しき戦士となって 『おぬしはワシの言うことを聞くのじゃ。わかってるか?』 鬼月が塔の屋上で丁寧に墓の石版を刻んでいる時、3日間塞ぎこんでいたキリィが部屋から出てきてそう言った。 後ろに立って、勝気な言葉。 鬼月は青いランプを灯して答える。 『キリィ、乱暴。ダカラ、鬼月、オマエノ言ウコト聞クノ、ヤダ』 『やだとはなんじゃ、おぬし、人形のくせに』 鬼月の言葉にキリィは不機嫌そうな声で、鬼月の背中を蹴る。 蹴りの衝撃が弱くて、鬼月は腑に落ちない。 鬼月のランプが青いのをキリィは分からない。 けれど、キリィがどんな顔をしているのか、鬼月にも見えない。 だが、なんとなく、わかったことがある。 キリィの声は、涙で乾ききっていた。 『人形。デモ、鬼月、タダノ人形ジャナイ』 『…………』 『言ウコト、聞カナイ。デモ、鬼月、キリィ、ヒトリニシナイ』 鬼月はそう言うと、ゆっくりと振り返る。 キリィが俯いて肩を震わせていた。 3日間、ずっと泣いていたのか、着ていた服はくたびれており、袖は涙でグショグショだった。 『鬼月、死ナナイ。ソレダケガ、取リ柄』 『ワシは、いつか死んでしまうぞ』 『イイ。キリィ、ヒトリニナラナイカラ。鬼月ハ、人形ダカラ、モシ、何カアッタラ、自分ノ意思デエネルギー供給絶ツ』 『……っく……たわけが……』 キリィが唇を噛み締めて顔を上げた。 泣きに泣いたのか、目の下が腫れぼったくなっている。 鬼月はランプが青いままで、キリィの体を抱き寄せる。 『鬼月、涙拭エナイ』 『や、やかましい。ワシは泣いてなどおらぬ!』 勢いよく叫んでゲシンと鬼月の足を蹴るが、鬼月は全く動じなかった。 『ヨカッタ』 『ぬ?』 『キリィノ馬鹿力、健在』 『この……』 『飯、ツクル。食エ』 そっとキリィを抱き上げて、自分の肩へと乗せると、鬼月はズンズンと歩き始めた。 キリィが吹き上げてくる風に目を細めて、結わえていない髪をそっと押さえた。 いつもは屋上の壁しか見えていなかったが、鬼月の肩に乗ったことで、そこから見える景色が見えたようだった。 風車がクルクルと回って、地上には緑が広がっている。 『綺麗じゃな』 『アア』 『分かるのか?』 『輝キ。鬼月、緑ノ輝キ、好ム』 『そうか……』 そこでキリィのおなかがグゥゥゥ……と鳴った。 鬼月がおかしそうに体を揺らす。 キリィは顔を赤らめて、おなかを押さえた。 『キリィ、花ヨリ団子』 『鬼月……』 キリィは拳を握り締めたが、鬼月の頭を素手で殴ったら自分が痛いので、叩くのは我慢したようだった。 紫音はとにかく鬼月に下ろしてもらい、山賊たちを縄で縛り、風車の一画に括りつけてから、塔の中へと入ってきた。 戒は手近にあった椅子に腰掛けて、足を組み、その様子を見守っていた。 一応、草原を一通り見て回ってみたが、それらしい薬草はなく、鬼月から結晶を譲ってもらうということで落ち着いた。 鬼月は3階から工具を持ち出してきて、ドスンと置き、風車の修理の準備をしていたが、紫音が来たのを感じ取ったのか、ピタリと作業をやめた。 すぐに戒と紫音に湯気の立つティーカップを手渡し、2人を見下ろしている。 「あの数を連れて行くのは大変そうなので、近くの関所にでも援護を要請しに行こうと思ってるんですが」 「ああ、確かにな」 「あの……本当にいいんですか?褒章はいらなくても、金一封とか……」 「いいんだ。僕はそういうのには興味がないし、コイツもそうだから」 それに戒は堂々と兵士達の前に出て行けるような人間ではない。 鬼月だって、わざわざ、人前に出ていこうなどとは思っていない。 鬼月にはこの地を護るという約束があるのだから。 「でも、なんでわざわざ、こんなところに山賊が……」 紫音は不思議そうに首を傾げて、ズズズッとお茶をすする。 戒は思い当たることをポツリと呟いた。 「薬草……じゃないのか?高く売れる……」 「チガウ。アイツラ、風車ノプロペラ狙ッテタカモシレナイ」 「なに?」 「風車ノプロペラ、古代ノ金属デデキテル。今、何処ニモナイ、稀少ナ物。ソコマデ知ラナイトシテモ、アレダケノ大キサノ金属、売レバ金ニ変エラレルト思ッタノカモ」 「そうか……」 戒は感心したように鬼月の言葉に頷く。 そして、はっとして紫音を見た。 紫音は、鬼月が言うにはキリィの生まれ変わりだ。 だが、あの様子からして、キリィの記憶はなさそうだ。 そのうえ、国の軍に所属している。 国の利益を優先するような人間だったら、ここで片付けなくてはならない。 「そっかぁ。ここってそんなに凄いところなんですね。国境近くの村の女の子達から、話には聞いてたんですけどね?稀少な薬草があるから、この辺の村の人たちが大切にしているんだって。でも、古代の遺物があんなに綺麗な状態で動いてるなんて、誰も思いませんよね。村の人たちは全く風車には興味を示してなかったです」 おかしそうに笑いながらペラペラと喋る紫音。 戒は目を細めて尋ねる。 「……上に報告するか?」 その戒の問いに、紫音はきょとんと目を丸くした。 綺麗な顔立ちがすぐに穏やかに笑う。 「いいえ、言いませんよ。僕の任務は、山賊退治ですから。そういう軍事的に利用できそうな物資のことを調べるのは管轄外。薬草も、ここのプロペラについても、僕は一切話しません」 ハキハキと答え、鬼月に笑いかける。 「だから、安心してくださいね」 鬼月はそれを聞いて、コクリと大きく頷いた。 紫音はその様子を見て優しく笑みを浮かべ、その後に、ポリポリと頭を掻く。 「すいませんね、記憶がなくて。ただ、キリィ……っていう名前には、何故か懐かしいものを感じます。もしかしたら、僕がうなされていた夢は……それだったのかも。あなたに会うから、その前兆としてずっと見ていたのかもしれませんね。どうも……そのおかげで、最近は体の調子がおかしくって」 困ったように呟き、コキコキ……と首を鳴らす。 鬼月が心配そうに尋ねる。 「大丈夫カ?」 「え?ああ、平気ですよ。疲れは勤務のせいですし。それよりも……」 紫音は鬼月に笑いかけた後にすぐに顎に手を当てて言葉を濁す。 「なんだ?」 「彼らはただの山賊ですよね?鬼月さんが言ったような内容を知っている上での略奪なら、僕はここで殺すべきかと。近隣の村の人たちも、ここが荒らされることを望んでいないので、多くの兵士に知られることは得策ではありません」 それまでニコニコしていた紫音が真剣な目でそう言った。 戒はその眼差しを見て、ハッとした。 彼の目は、人を殺すことも覚悟した、そういう目だ。 真城とは違う。 「まぁ、尋問してから……ですけど。そうでないことを願いたいな」 「大丈夫。此処ノプロペラノ金属ノコト知ッテルノ、鬼月トオマエラダケ」 「そっかぁ。なら、いいんだけど」 紫音は鬼月の言葉にほっと胸を撫で下ろし、またズズズッとお茶を飲む。 鬼月はそれを見つめて問いかけた。 「コーヒーノホウガイイカ?」 「え?」 「キリィ、コーヒー、好ンダ。オマエハドウナンダ?」 「僕は牛乳ですね」 「牛乳……スマナイ、無イ」 「え?あ、いえ、そういうんじゃなくって……」 「やはり、キリィの生まれ変わりだな」 戒は2人のやり取りを見て、ふっと笑いながらそう言った。 クイッとお茶を飲み、2人がこちらを向いているのに気付いて、仕方ないのですぐに言葉を続ける。 「あかり様がどちらがいいか?と尋ねると、必ず選択肢にない物を答えとして返して、あかり様を困らせていた。確か……そんな覚えがあるんだが?オムライスとカレー、どちらがいいか?ビーフシチュー。ミートソースとハニートースト、どちらがいいか?ピラフ……という具合にな」 「アア、ソウダ。ソレデ、ヨク、御影ト喧嘩シテタ」 『ちょっと、あなた、我儘も程ほどにしなさいな!』 『何を言うか!ワシは我儘など言うておらぬわ!尋ねられたから食べたいものを答えただけじゃ!』 御影とキリィが言い合いを始めて、慌てたようにキミカゲが間に入るけれど、御影が怖い顔で睨むのですぐに縮こまってしまう。 セージが呆れたようにはぁ……とため息を吐き、あかりに声を掛ける。 『お前が好きなものにしろ。面倒だ、コイツらは』 『え……で、でも……』 『キリィ、ナンデモ食ベル。気ニスルナ』 鬼月があかりの肩をポンと叩いて、すぐにキリィの体をひょいと持ち上げる。 腕の中でジタバタと騒ぎ立てるキリィ。 しかし、鬼月の力に敵うはずもない。 御影が不機嫌そうにキリィを見据えて、 『これだから、お子ちゃまの相手は嫌なのですわ』 と言い、髪をサラリとかき上げた。 それを聞いてキリィが奥歯を噛み締めて、更にバタバタと腕を動かして悔しそうに荒い息を立てる。 セージがそんな御影を見て、ぼんやりと呟く。 『……俺にしてみたら、お前ら全員お子ちゃまだが……』 『せ、セージ様、お願いですから、場をややこしくしないでくださいぃ……』 セージの隣にいたあかりはすぐに反応して、泣きそうな声でセージの袖を握った。 紫音だけが複雑そうな顔をして、2人を見つめている。 「ソウダ、鬼月、風車ノ修理スル。オマエタチ、ドウスル?帰ルカ?」 鬼月が工具に手を伸ばしてそう言った。 戒は鬼月から受け取った結晶の入った布袋を握り締めて答える。 「ああ、僕は先を急ぎたいから」 「…………。僕も、山賊たちを連れて行かないと。あの、来栖さん、途中まででいいので手伝ってくれませんか?」 「援護を呼ぶんじゃないのか?」 「そのつもりだったんですけど、ここに人を寄せたくないなって思いまして」 「そうだな」 紫音は戒の頷きにニコリと笑みを浮かべる。 鬼月は少々寂しそうに体を揺らすが、すぐに言う。 「ソウカ、2人トモ帰ルカ。ソレナラ、見送ル。マタ来イ。鬼月、此処ニイルカラ」 「ああ」 戒はその言葉にすぐに笑みを返す。 紫音は少し躊躇うように目を伏せたが、なんとかコクリと頷いた。 工具を持ち上げ、鬼月は外へと出てゆく。 戒もそれに続き、紫音は部屋をグルリと見回してから外へ出てきた。 すぐに山賊たちを括りつけていた風車へ駆けていき、意識を取り戻している山賊たちに紫音が声を掛ける。 戒は鬼月を見上げた。 鬼月は紫音をとても嬉しそうに持ち上げていたのに、それからは大した素振りを見せなかった。 本当は……ここに残ってほしいのではないだろうかという疑問があった。 「鬼月、いいのか?」 「……キリィ、今ノ生活アル」 「…………」 「魂ノ器ガ変ワッタノダ、困ラセテハイケナイ」 「鬼月」 「ワカルダロウ?記憶ガアルノナンテ稀。オマエミタイニ憶エテイルホウガ珍シイ」 「ああ、そうだな」 「タダ、元気カドウカ知リタカッタノダ。会エタ。ソレ以上望マナイ」 「そうか」 「アア。オマエノ仲間、治レバイイナ」 「ああ、結晶、感謝する」 「イヤ。山賊退治、手伝ッテクレテ、感謝スル」 鬼月がそう言って、ポンポンと戒の頭を撫でるような仕種をした。 戒は驚いて目を見開く。 そこに、紫音が山賊たちを繋いでいる縄の端を持って駆け寄ってきた。 「準備できました」 「それじゃ、行くか」 戒が紫音に視線を送り、すっと一歩を踏み出す。 紫音は鬼月を見上げてニコリと笑いかけた。 「ドウカ、元気デ」 「また来ますよ。今度は自分で牛乳持ってきます」 その言葉に、鬼月が動きを止めた。 まさか、そんなことを言ってくれるとは思わなかったのだろう。 「夏場ハヤメトケ」 「はは、そうですね。じゃ、チーズにします」 朗らかな口調でそう言い、ヒラヒラと鬼月に手を振り、山賊たちを繋いでいる縄をグイッと引っ張って歩き出す。 鬼月はその2人の背中を見送って、じーっと立ち尽くしていた。 森に入り、塔が全く見えなくなると、カンカンカンという、金属を叩く音が聞えるようになった。 戒は山賊たちに視線をやり、徐々に後ろへと回ろうとペースを落とした。 紫音の脇を過ぎようとした時、紫音が眉を八の字にして尋ねてきた。 「あれでいいんですよね?」 「何がだ?」 「僕は……キリィとして、会話はできません。でも、鬼月さんとは仲良くしたいと思いました」 「…………」 「昔の話はできません。だから、本当はもう来るべきじゃないのかもしれないけど」 「いや、鬼月は喜ぶと思う。それに、もし、思い出すことがあったら、話してやればいい。鬼月はキリィを望んでいない。お前の幸せを望んでいる」 戒の言葉に紫音は目を細めて遠くを見つめた。 少々、納得していないような……そんな顔。 「でも、それじゃ、鬼月さんは幸せになれないじゃないですか」 「え?」 「ずっと、あそこに1人でいて、寂しくないわけない」 カシカシと頭を掻いて、唇を噛み締めている紫音を戒は見上げた。 紫音はうぅん……と唸る。 本当にあかりかもしれないという可能性が出てきた、真城の笑顔を思い出して、なんとなく……なんとなくの言葉を戒は口にした。 「だったら、キリィ以上の……いや、違うな。キリィとは違う良い関係を築けばいい」 「え?」 「鬼月も喜ぶんじゃないか?」 「そう……かな」 「鬼月は賢い。お前にキリィを求めはしない」 戒は目を細めて続ける。 「次に会った時は、呼び捨てにしてやるといい。お前の礼儀正しさはわかるが、それは時に壁を作るだろ」 そう言うと、戒はゆっくりと山賊たちの後ろへと回っていく。 紫音はまだ考えるように遠くを見つめながら歩き続けている。 このペースで行くと、村に着くのは夜になりそうだな……と戒は心の中で呟いた。 紫音への助言……それはキミカゲができなかった、大切な人に対してのささやかな心遣い。 大切な人に、呼び捨てにされない……。 その悲しみを……あかりはずっと胸に抱いていたから……。 それに気が付かなかった……そして、気が付いてもできなかった自分の代わりに、彼にはそういう過ちは犯さないで欲しいと……そう思った。 |
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