第9章  戸惑って、切なくて……

 薄暗い部屋の中で、葉歌がうぅん……と声を漏らして寝返りを打った。

 眠れない眠れないと何度も言っていたが、昼下がりになってようやく眠ってくれた。
 体を動かせないのに、眠りにもつけないというのはだるさを誤魔化せなくて一番辛いはずだ。

 外を見るとオレンジ色の空が広がっていて、そろそろ夕飯時なのか、窓から見える家々の煙突からは、もわ〜っと煙が立ち昇っていた。

 真城は葉歌を起こさないように、そぉっと布団を掛け直してあげる。
「……薬、あと1回分しかない……」
 真城は棚の上に乗っている薬の包みを見て、ポソリと呟いた。

 1日1回服用すれば大丈夫らしいが、昨日飲んだので、持っていた2回分は無くなってしまっていた。
 今日、咳がひどくなったらすぐに飲ませなくてはいけない。
 今の時間までは大したことになっていないのが幸いだ。

 それにしても葉歌の弱り具合は出会った頃を思い起こさせて、不安になる。
 笑顔で明るく接していたけれど、いつも立ち上がるのも大変そうにしている葉歌を見るのは辛かった。

 ガシガシと頭を掻いて襟元を直す。
 襟を直して、ふと触れた鎖骨。

 そこで気がかりになっていたことを思い出した。
「お守り……」
 真城が首から提げていた、葉歌から貰ったお守りがなかったのだ。
 昨日、この村の民族衣装に着替えるまで、そのことに気がつかなかったのだが、気になりだすとどうしようもない。

 あのお守りは葉歌の命を救ってくれた、大事なものだと言っていた。

 大事にすると言ったのに、無くしてしまった。
「参ったな……町で、落としたのかな……」
 真城はうぅん……と唸り声を上げる。

「っ……けほ……」
 どこで無くしたのかを必死に考えていた真城は、葉歌の咳で我に返った。

 すぐにキッチンの窯に薪をくべ、火打石で火をつけ、やかんを置いて戻る。

 葉歌がうっすらと目を開けて、こちらを見ていた。
「けほ……どうしたの?灯りも燈さないで……」
「あ、うん、ちょっと考え事……してた」
「そう。遠瀬くん、帰ってこないから?」
「ううん、違うよ」
 穏やかに笑みを浮かべて、そっと椅子に腰掛け、葉歌の顔を覗き込む。

「灯り……」
「確かに薄暗いけど、そんなに気になる?」
「ちょっと、視界がぼやけるから……あなたの顔が見えないわ」
 布団がカサリと音を立てて、温かい葉歌の手が真城の頬に触れる。

 真城はそのくすぐったさに少し体をすくませる。

「よかった……ちゃんといるのね。こほっ……っ」

 安心したように葉歌は微笑み、真城もその笑みに優しく目を細める。

 パチパチッと火花が弾ける音が部屋に響いた。

 真城が葉歌の手に触れようと、そっと右手を持ち上げる。
 けれど、触れそうになった瞬間、ビクリと葉歌のほうが体を震わせて、さっと手を引いてしまった。

 不思議に思って、真城は窯の火から火種を取ってきて、ランプの灯りを燈した。
 ランプの灯りのせいか分からないけれど、葉歌の顔が赤いように見えた。
「どうしたの?」
「え、いいえ、なんでもないのよ」
 ぎこちなく笑う葉歌。

 真城は腑に落ちなかったが、そっかと返して、すぐに椅子に腰掛け直した。

「葉歌、夕飯の材料買って来るけど、一人で平気?薬、飲んでおく?まだ、大丈夫?」
「薬は……こふっ……たぶん、平気よ。買い物なんて、そんなに掛からないでしょう?」
「うん、すぐ戻るつもりだけど」
「なら、平気よ」
 真城の言葉に穏やかに葉歌は笑って、ゆっくりと起き上がる。

 すごくだるそうな動きだったが、なんとか起き上がって、壁にもたれようとするので、すぐに立ち上がって枕を壁に立てかけてあげた。

「ありがとう」
「ううん」
 葉歌は何か考えるように、まじまじと真城の顔を見つめていたが、目が合いそうになった途端、視線をすっと逸らされた。

 真城はそれが気になったけれど、ただ笑いかけて部屋を出た。

 宿のフロントには相変わらず暇そうな主人が1人、ぼけ〜っと座っているだけ。
「お出掛けかい?」
「はい、夕飯を買ってこないといけないので」
「そう。あの娘さん、塩梅はどう?」
「少し、よくなりました」
 真城は心配そうな声で聞いてくる主人にニコリと笑いかける。

 それを聞いて、主人は嬉しそうに笑みを浮かべて頷いてくれた。
 真城は少しの間よろしくお願いしますと頭を下げて、宿から出る。

 何にしようか?
 さすがにお粥は飽きたろうから、もう少し味気のあるものを作ってあげたいな……。
 そんなことを心の中で呟きながら、店じまいを始めそうになっているお店へと駆け込んだ。




 葉歌は静かになった部屋の中で、パチパチッと火花の弾ける音を聞いていた。
 ふぅ……とため息を吐いて、自分の頬に手を当てる。

 赤くなった顔は、まだ熱い。

「どうしよう……」
 ぽつりと吐き出された言葉がそれだった。
 それがおかしくて、葉歌はクスリと笑う。

 どうしようというのもおかしな話だ。
 昨日、葉歌の体を抱き締めてきたのは真城でないことをわかっているのに、気がついたら体が反応してしまった。
 自分が真城に何かするのはなんとも思わないのに、真城に触れられそうになると戸惑ってしまうのはいつものことだった。

 好きで好きで仕方なくて、何かと構っていた葉歌。
 髪を撫でて、頬に触れて、腕に抱きついて……。
 けれど、真城の不意打ちな行動には、どうしても驚いてしまう。
 容易にお姫様だっこされて、髪を撫でられて、抱き締められる。

 その全てに、自分は戸惑って驚く。
 それは仕方がない。自分は意識しているから。
 真城を、好きな人として。信頼した上で好きな人として、意識しているのだから。

 けれど、先程の行動は、それとは少し違った。
 若干、怖いと思ってしまった……。

『ずっとずっと……お慕い、申し上げておりました……』
 感情のこもった、可愛らしい声が耳に残っていた。

 あれは真城ではない。
 真城ではない。
 自分の知っている真城ではないのだ。

 葉歌は必死に自分に言い聞かせる。
 泣きながら、葉歌に『死なないで』と言った真城の中の『彼』。
 声も顔も、真城だったけれど、そう言った『彼』が誰なのかを、葉歌は知っているような気がしてならなかった。

 トクントクン……と鼓動が速まる。
 鼓動が反応するだけで、心の引っかかりは応えてくれない。

 やかんの中身が沸騰したのか、シュシュシュ……と音が聞えてきた。
 引っ掛かりを「ま、いっか」にできない。

 それは葉歌の悪い癖だ。
 長いこと病床に伏していたせいもあるのだろうが、とにかく考え込んでしまう。

「っけほ……こほ……」
 口元を押さえてこみ上げてくる咳を何度も吐き出す。

 体がにわかに弾んで、ベッドが揺れた。

 あまり考え込まないこと。
 それが、いつも医者に言われる言葉。

「はい」
 なんとなく、葉歌は誰もいない部屋で、医者の言葉に答えを返した。

 ちょうどその時カチャリ……とドアが開いて、真城が笑顔で部屋に入ってきた。
 こみ上げてくる咳を抑えて笑いかける葉歌。
「早かったね」
「うん♪もう閉まりそうだったからさ。今日ね、シチューにするよ」
「っけほ……真城、作れるのぉ?」
「だいじょうぶだいじょうぶ♪無理言ってさ、牛乳も新鮮なの譲ってもらったんだ。近くで放牧してるんだって」
「そう」
 葉歌は胸を押さえながら、無邪気に話す真城の背中を見つめる。

 咳が少しひどくなってきている。
 言ったほうがいい。

「……っと、お湯が沸騰してる」
 慌ててやかんを火から下ろしてカップにお湯を入れて、棚の上に置き、薬の入った包みを手に取って中身をサラサラ……と流し込んだ。

 フゥフゥ……と冷ますように息を吹きかけてから、葉歌の手にカップを手渡してきた。

「はい、薬」
 葉歌はその行動に微かに目を見開く。

 偶然?
 ただ、やかんのお湯が沸騰していたからそのまま薬を溶かしただけ?

 まだ、葉歌は何も言っていないのに、真城はなんでもないように渡してきた。

 湯気が葉歌の頬を掠め、苦々しい臭いが部屋の中に広がってゆく。

「? 葉歌?」
「え、あ、ううん。ありがと」
 葉歌はニコリと笑って、カップに口をつけた。

 そうだ。部屋に入る前に葉歌の咳を聞いたのかもしれない。
 そんなに気にすることじゃない。
 うん、きっとそうだ……。

 葉歌は目を細めて、コクコクと薬を飲み、真城はキッチンでバターを溶かし始めた。


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